Part.2 Awareness Confusion: What are you doing now ?(3)


          3



 わたし達が入ると、《DON SPICERドン・スパイサー》号のコクピットに明りが点いた。

 ルネは金属製の床に重力調節ブーツの音を響かせ、ずかずかと自分の家に踏みこんだ。


「まったく。キツネかタヌキに化かされたような気分だぜ」


 ルネはパイロット・シートに腰を下ろし、コンソール・ボックスからゴーグルを取り出してかけると、何度目かの感想を呟いた。信じられないという風に首を振る。


「そう言うなよ、ルネ。おれだって、寝耳に水なことばかりなんだから」


 恐縮している皆川さんを庇って、ミッキーが言う。けれど、彼も頬に貼りついた苦笑を消せずにいる。無理もない、昨日から驚かされっぱなしなのだ。


「……すまない。ルネ、ミッキー。リサちゃんも」


 皆川さんは大きな身体を窮屈そうに縮め、謝罪をくりかえす。いいひとだと判っているので、気の毒だった。

 皆川さんのせいじゃないのにね。


「鷹弘のせいじゃないよ」


 ミッキーはそう言うと、ルネの隣の通信士用シートに腰掛け、わたしと皆川さんに予備シートを勧めた。


「そーだ。全部あのおっさんが仕組んだんじゃないのかよ。それなのに、こうして助けに行ってやろうなんて、オレも、つくづく人がいいと思うぜ」

「いや。そうじゃないんだ、ルネ。ラグが仕組んだわけじゃないんだが、そのう――」


 皆川さんがラグを庇い、律儀に解説しようとする。『月うさぎ』を出てからずっと、彼等はこんな会話を繰り返していた。


 ラグとライムが時空の壁を超えた異空間へ連れ去られたことに始まり――ラグとミッキーが、実は 《古老チーフ》 と呼ばれる特殊な超感覚能力者E S P E Rだということ。

 さらに、ミッキーはラグに記憶を封じられているので、ラグとライムを探すには、ルネとミッキーが共鳴シンクロしなければならないこと。

 さらにさらに。ルネとミッキーの共鳴だけで時空の壁を超えられなかった場合、フィーンを含むAクラスESPER達が参加する。もともと、《古老》にエネルギーを提供するために、銀河連合が能力者を集めていたということ。


 こんなことを明かされて、わたし達が驚かなかったと言えば嘘になる。わずか数時間の間に、自分達の置かれた状況が目まぐるしく変わった。


「実は、そうでもないんだよ」

 ミッキーは、ちょっと決まり悪そうにわたしに言った。

「《SHIOシオ》の事件の時に、教えてもらったからね。鷹弘とラグに――おれのことは」

「ミッキー」

「隠していたわけじゃなくて、本当に、ぜんぜん憶えていないんだ」


 ミッキーは、コンソールのモニターに座標軸を表示させ、軽く頭を掻いた。


「今も、別人のことを話している気がする。おれのことより、ラグ――《古老》がどういう存在なのかを聴いた時の方が、衝撃だったよ」

「それって――」

「オレはまだ納得出来ないんだがな、鷹弘」


 ルネがぶっきらぼうに口を挿んだ。《ドン・スパイサー》号の発進準備を続けながら。

 皆川さんは控えめに相槌を打った。


「何だ?」

「おっさんが仕組んだんじゃないなら、どういうことだ。最初はドウエル教授だったんだろ?」


 ダークグリーンのゴーグル越しに、じろりとこちらを見て、ルネは唸るように続けた。


「ドウエル教授の部下が、倫道教授を殺そうとした。それで教授は、ライをに託した――銀河連合に。それを不服としたドウエル教授は、リサとおっさんが会うのを邪魔したり、ミッキーを誘拐したりして、おっさんに手を引かせようとした」


 ルネの言う『おっさん』とは、ラグのこと。本人が聴いたら絶対に抗議しそうだけれど、彼はこう呼ぶことに決めたらしい。

 ルネは、メイン・スクリーンに映る宇宙港の滑走路に向き直り、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。


「ところが、今度は別のが、ライとおっさんを宇宙船ごと連れて行った。この敵ってのも判らないが……。おっさんとミッキーが、《古老》とかいう、特別天然記念物級に珍しい能力者だと? どうしてこう次々事件が起こる? 何がきっかけだ」


 ルネは短気で感情的なようで、実は冷静に事態を把握している。いつも物事を鋭く捉える彼に、わたしは感心させられていた。この時も、皆川さんは彼の問いにすぐには答えられなかった。ミッキーも。

 ルネは舌打ちした。


「研究所から出たことのないライに、個人的な敵がいるはずがない。だいたい、倫道教授が殺された理由は何だ? オレ達は、ことの始まりから何ひとつ知らされちゃいないんだ。そこに誰かの意思を感じると言って、何がおかしい? 誰よりも疑わしいのは、ラグのおっさんだが――その様子だと、あんたに訊いても無駄なようだな」


 皆川さんは黙っている。疲れた、やや蒼ざめた顔色で。

 哀しげな黒い瞳を見て、ルネは肩をすくめた。


「まあ、いいや。おっさんに会えば判るだろう。……Hey ! The Control Tower of DIANA-S-29, this is 《DON SPICER》. ID-539288. Sorry, we are in the emergency, now.  Please open the landing strip, No.12……。(ダイアナS29宇宙港管制塔、こちら《ドン・スパイサー》号。ID539288 済まないが、緊急事態だ。12番滑走路を空けてくれ……) 」

「鷹弘」


 管制塔に離陸の報告を始めるルネ。彼の言うことも判るし、かと言って親友が困っているのも見過ごせないのだろう。ミッキーが気遣うと、皆川さんは、『仕方がないんだよ』と言うように弱々しく苦笑した。

 きっと、皆川さんは、わたし達の知りたいことを沢山知っているのだろう。ラグのことも、ライムのことも……。でも、ラグに無断で話すわけにいかないと考えているのではなかろうか。皆川さんの人柄からは、そう思えた。


「ポート・No 577、だったな? 鷹弘」


 管制塔から離陸OKの合図が返って来た。ルネは船を滑走路へと動かしながら訊ねた。皆川さんは瞬きをして我に返った。


「ああ。その上空だ、ルネ。詳しいことは、行ってから説明する」

「OK.なら、行くぜ」


 ルネがそう言った途端――

 ぐん、と、重力が喉を圧迫した。スクリーンに映るオレンジ色の誘導灯が、線になって流れる。

 最近、ラグの 《ボイジャー-E・L・U・O・Y》 号に乗り慣れていたわたしには、久しぶりの 《ドン・スパイサー》 号の離陸は少しハードだった。ミッキーと皆川さんも、そう感じたらしい。ミッキーは咳払いをし、皆川さんは溜め息まじりに首を振った。


「人工重力の調節が遅れているな。そのうちくびいためるぞ、ルネ」

「悪い。大丈夫か? オレは何ともないんだが、地球人テランには判るらしいな。ここはまだいい方で、貨物室カーゴだと荷物が飛んじまうんだ。修理したはずなんだが」


 さすがのルネも、申し訳なさそうだ。皆川さんは、ミッキーと顔を見合わせた。


「せっかくVTOL(垂直離着陸機)なのに、これじゃあ宝の持ち腐れだろう。後で、俺がみてやるよ」

「本当か? 嬉しいことを言ってくれるな」

「お前の休暇を台無しにしちまったからな。それぐらいのサービスは、するよ」


 仕様がない、という皆川さん。ルネはひゅっと口笛を鳴らした。


「Thanks. 恩に来るぜ、鷹弘。それじゃあ、一丁、張り切るとするか!」


 途端にルネは上機嫌になり、鼻歌まじりにコンソールを操作し始めた。ミッキーは、わたしと皆川さんに肩をすくめてみせた。わたし、ちょっと笑う。皆川さんも微笑んだ。

 ミッキーはサブ・スクリーンの座標を点検し、落ち着いた声で報告した。


「銀河連合軍の巡航艦が来ているな、ルネ。太陽系連邦の警備艇もいるぞ、三機だ」

「事故のあった宙域を見張っているんだろう。――で。おっさんの船が消えたのは、どの辺りだ? 鷹弘」

「待ってくれ」


 皆川さんはシートベルトを外し、予備シートから立ち上がった。ミッキーとルネに近づく。

 わたしも彼等と並び、コンソールを覗きこんだ。


「表示されているポイントには、あまり意味がないんだ。《AONVARRアンヴァル》が消えたのは、余剰次元の隙間だから」

「なんだって?」


 ミッキーとルネの声が重なった。皆川さんはミッキーの肩越しに手を伸ばし、コンソールに何かを打ち込んだ。


「こいつを見てくれ」


 皆川さんがキーを打ち終えると、サブスクリーンの画面が変化した。ミッキーが息を呑む。


「これが、俺達――あいつが観ていた宇宙なんだよ」

「『なんだよ』って……オイ!」


 ルネが驚いて叫んだけれど、わたしには何がなんだか判らなかった。


 《レッド・ムーン》 と連合軍の巡航艦のまわりに表示されていた座標軸が変化して、砂時計型の曲面が表われた。曲がっているのだ、座標が。線は 《レッド・ムーン》 に吸い込まれるように、その周囲に集まっている。

 まるで、格子柄の毛布の上に、金属のボールを載せたみたいだ。


「どういうことだ、鷹弘。《レッド・ムーン》の周囲で空間が曲がっているのか?」

「時空だ、ルネ。3Dで表示されるのは、空間。それに時間軸を加えたものが、4Dの時空。まだ俺達が自覚できる程ではないけどね。……それで、ホーキングとハートルの 『インフレーション仮説』 によると――」


 ちょっと待って! どうしてそこで、物理学の講義が始まるの。


 わたし、ぎょっとする。皆川さんは実に、実に申し訳なさそうに続けた。


「俺達のこの宇宙は、誕生の瞬間から無数の宇宙と共存しているんだ。膨張するもの、収束するもの、それほどでもないもの……という風に。そのうちの幾つかは、共通の時空軸の上に表される。量子物理論のマルチユニヴァースとか、多世界解釈という奴だね」


 あうう。


「例えば、電子の運動を観察する 2シート実験をすると、実験のたびに電子が移動する位置はばらばらになる。これを、多くの宇宙の共存だと考えるんだ。つまり、電子がAの位置に来る宇宙、Bの位置に来る宇宙、という風に。様々な宇宙が共存していて、全体としてはどんな風になるか判っていても、そのうちの一つの宇宙だけを観ていたら、どこに電子が辿り着くか判らない。……俺達がいる宇宙は、そんな風に無数に存在する宇宙のうちの、たった一つに過ぎないんだ」


 ミッキーとルネは、神妙に皆川さんの説明を聞いている。きっとこの二人には、彼の言う電子の運動とやらが目に見える映像として想像できるのだろうなあ。

 わたしには、異星人の言葉にしか聞こえないんだけど。


相似世界パラレル・ワールドってことですか?」


 話がそれ以上難しくならないで欲しいと願いながら、わたしが問うと、皆川さんは優しく微笑んでくれた。


「そう言った方が君にとって理解し易いのなら、そう言っていいよ、リサちゃん。この瞬間にも、時空の壁を隔てて無数の相似宇宙が存在している。その宇宙の全てに、無数の俺達がいると考えられるんだ。それぞれ少しずつ違う、俺達がね……。きっと、どこかにいる神様には、俺達は電子みたいにちっぽけな存在なのだろうけど」


 うう……まあ、何となく、この方が判るような気がする。


「これに似た図形を、観たおぼえがあるよ」


 ミッキーが細い指先を自分の顎にあてがい、考えながら言った。皆川さんが首を傾げる。


「いつ?」

「《SHIOシオ》 の事件の際、ドウエル教授たちが潜伏していた屋敷の地下室でだ。こんなホログラムを表示して、仲間たちに説明していた。ラグと連合のデータがどうの、《SHIO》 の能力がどうのと、言っていたっけ……。つまり、ドウエル教授とターナー達は、このことを知っているんだ」

「そうだ、ミッキー。そして、こういう時空の歪みには、『時空の壁』が出現する。無数の隣り合わせの宇宙と接する障壁が」

「…………」

「ラグとライムはその壁を超えて、どこかの相似宇宙へ行ってしまったのだけど、どこへ行ったのかは判らない。俺達がそこへ辿り着けるかどうかも、ミッキーの能力にかかっているわけだ」


 ……結局、良く判らないってことじゃない。


 わたしはミッキーを見て、ルネも、わたし達を振り向いた。静かに頷く、ミッキー。

 皆川さんは、囁くように繰り返した。


「ラグとライムを見つけないと、帰って来られるかどうか判らないよ……。いいのかい? 本当に」

「見つければいいんだろ?」


 ルネの答えは簡潔だった。わたし達が思わず笑いだしたくなるほどに。


「これから捜しに行こうってのに、みつけられなくてどうする。能書きはいいから、行こうぜ、早く」

「そうだな」


 ミッキーが頷き、わたしと皆川さんに微笑んだ。思い遣りに満ちた、でも、挑むような眼差しで。

 皆川さんは改めてシートに腰を下ろし、ベルトを締めなおした。わたしは皆川さんに倣い、ミッキーはサブスクリーンに向き直った。

 ルネはゴーグルをかぶりなおして、メイン・スクリーンを見上げた。そこに映る 《レッド・ムーン》 と地球を。凛とした声が、コクピットに響いた。


「OK.覚悟しろよ、ミッキー」

「せめて用意と言え、用意と。恐い奴だな」

「時空の壁を超えるテレポーテイションだ――何がなんだか判らんが。とにかく、やる! ちゃんとシンクロしろよ」

「結局、おれにやらせるんじゃないか。調子のいいところで他力本願な奴だな。って……ちょっと待て。おれはまだ準備が出来ていない、ルネ」


 ルネの長身がかがやき髪が蒼銀色に染まったので、ミッキーは焦った。顔に片方の手を押し当てると、長い指の間で瞳が新緑色に変化した。


「待てって……。おれは、お前みたいに呼吸するのと同じような調子で能力ちからを使えるわけじゃないんだ。集中するから、少し待ってくれ」

「何を言っている?」


 ミッキーの柔らかな黒髪がざわめき、付け根のところから銀色に変わった。細い輪郭を白い光がふちどる。相棒の性急さに舌打ちする彼を、すっかり素の姿に戻ったラウル星人は、慍然うんぜんとねめつけた。


「オレは何もしていないぞ。先刻からオレを引っ張っているのは、お前の方だろう? ミッキー」

「ええ?」


「……やばい」


 二人の会話を聴いていた皆川さんが、息を呑んだ。細い眼がめいっぱい開かれる。

 ミッキーとルネが、同時に彼を振り返る。


「鷹弘?」

「どういうことだ?」

「やばい、ミッキー。ルネ、俺も能力を引き出されている。これは、もしかすると。また――」

「また? 何だって言うんだよ、オイ!」


 ルネは誰よりも強い光を全身から発しながら怒鳴った。光に呑みこまれる。輝きは 《ドン・スパイサー》号のスクリーンに反射して、コクピット全体に満ちた。


「ルネ!」


 ミッキーの声を聴きながら、わたしは、思わず溜め息を呑んでいた。


 やっぱり、こうなるのね……。





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