Part.2 Awareness Confusion: What are you doing now ?(5)
5
「グレーヴス! ラグ・ド・グレーヴス。ライ! そこに居るか?」
《
《
「ライ! 居るんなら、返事をしろ!」
『ルネ? 貴方なの?』
ちょっとの間を置いて、驚いているライムの声が聴こえた。わたし達はホッとして顔を見合わせた。モニターには映っていなかったけれど、彼女の声は元気そうだ。
ルネは苦々しく唸った。
「ライ、心配させやがって。何やっているんだよ、お前」
『あたしが何かしたわけじゃないわ、ルネ。あたしにも、訳が判らないのよ』
「ラグはそこに居るか? ライム」
皆川さんが声をかけた。穏やかな声には安堵の響きが含まれていた。
「無事なら話がしたい。通信に出られるか?」
『鷹弘ちゃんも一緒なの? 待っててね』
数秒後、モニターが明るくなり、ラグの仏頂面を映し出した。
『何しに来たんだ、タカヒロ』
いつもの濃紺色のシャツに銀灰色の長髪が映えている。サングラスを掛けていない彼の瞳は、鮮やかな新緑色をしていた。
皆川さんは、ほうっと息を吐いた。
「ご挨拶だな、ラグ。心配して、来てやったのに」
『頼んだ覚えはない……。どうやって来たんだ? お前達』
「いや、おれだ。ラグ」
ミッキーが口を挿んだ。髪は黒に戻っていたけれど、瞳は緑色のままだ。モニターの受像圏にスーツ姿の彼がはいると、ラグは
ミッキーは、照れ臭そうに柔らかな髪を掻いた。
「おれとルネが能力を共鳴させようとしたんだ。そうするよう、
皆川さんが補足した。
「アレックス統制官だ、ラグ」
『……あの
ラグは横を向き、小声で毒づいた。その隣で、ライムは心配そうにこちらを見ている――ラグを。
『こんなことに
「だって……ミッキーしかお前を追って来られないんだから、仕方ないだろうが。だいたい、帰れるのか? お前」
『来たものなら、帰れる。騒ぐようなことか』
素っ気無いというか何と言うか……。彼らしいと言えば彼らしい台詞に、皆川さんは返す言葉をなくしてしまった。ミッキーは苦笑する。
わたしはモニターの前に立ち、手を振った。
「無事なのね? 二人とも。良かった」
『リサ! 来てくれたの?』
ライムは、ぱあっと瞳を輝かせた。
ラグは、ますますうんざりした。
『あんたまで居るのか、リサ。いい加減にしろよ、タカヒロ』
あんなに心配していたのに――予想していただろうとは思うけれど。当のラグに冷たくあしらわれて、皆川さんはションボリしてしまった。ううん……どことなく、ほっとしている。
「いや、リサを連れて来たのは、おれなんだ」
ミッキーが皆川さんを庇う。ラグは、わざとらしく舌打ちした。
『ミッキー。何を考えているんだ、お前まで』
「リサを独りで放っておいたら、何を始めるか判らないだろう? アレックス統制官やフィーンと一緒に、大騒ぎされたかったのか?」
ちょっと待って。わたしを連れて来たのって、そういう意味だったの? ――思ったけれど、今はそんな場合ではないと考え、わたしは苦情をのんだ。
ラグは再びこちらに横顔を向けた。ぎりりと歯をくいしばる。
わたし達が話をしている間に、ルネは《ドン・スパイサー》号を《アンヴァル》号に近づけ、停まっている大型船の周囲をゆっくりまわり始めた。
ミッキーは、落ち着いて話を続けた。
「どうしてこんなことになったんだ? ラグ」
『…………』
「お前とライムがESPの共鳴を起こしたらしいとは、鷹弘に聴いたよ。お前が意図したわけじゃないだろう? ここはどこだ? 《レッド・ムーン》 の近くらしいが……」
『いや。あれは、俺達の 《レッド・ムーン》 じゃない。時空が違う。……
「《SHIO》?」
わたしとミッキーは同時に呟いて顔を見合わせた。皆川さんが瞬きをくりかえす。ルネは新しい煙草に火を点けた。
「そうか……それでおれ達も、何かに引っ張られたような気がしたのか。《SHIO》が、どうして?」
ミッキーが問いを重ねると、何故かラグは沈黙した。
ミッキーは首を傾げた。
「ラグ?」
『……
ぼそっと告げられた返事を聴いて、わたしは息を呑んだ。ミッキーも口を閉じる。わたしは訊き返した。
「真織君が?」
『ああ。それで、俺と《VENA》に文句を言いたくなったらしい。要するに、逆恨みだ』
真織君が……。
去年、《SHIO》の事件の最後に、ドウエル教授に撃たれた小さなキメラの男の子。きれいな碧眼と金色の髪、やわらかな猫科獣の身体を持つ彼のことを思い出し、わたしの胸は痛んだ。
あの時、彼は、わたしとフィーンをかばって撃たれてしまったのよね……。
ライムは複雑な表情をしていた。眉をくもらせ、小鳥のように首を傾げる。
『リサ。貴女も史織を知っているの……?』
「そんなことは、どうでもいい」
ルネが、あっというまに短くなってしまった煙草を噛み潰し、口を挿んだ。
「おい、グレーヴス。ライを返せ、この
『人聞きの悪い……。言われなくても返してやる、小僧』
ラグはライムを促した。
『Lady. あんたなら、《ドン・スパイサー》号まで跳べるだろう?』
しかし、ライムは無言でひたとラグを
ラグは片方の眉をはねあげた。
『Lady?』
『……ラグは、どうするの?』
『俺は駄目だ』
ゆっくり首を横に振って――そうすると、豊かな銀髪が肩のうえでさわさわと揺れ、胸へ流れ落ちる。ラグは自嘲気味に唇を歪めた。
『容量オーバーでブレーカーが落ちたようなものだ、俺は、今。
『…………』
『それに、《アンヴァル》を置いていくわけにはいかないからな。こんなものを異空間に残したら、大騒ぎになる……。帰れるものなら、あんたは先に帰っていろ。ミッキーとルネが一緒なら、大丈夫だろう』
ライムは表情を変えず、沈黙している。
ルネがせかせかと声をかける。
「ライ? おい」
『あたし、帰らないわ』
ラグの眼が、すっと細くなった。皆川さんが慌てて呼ぶ。
「ライム」
『嫌よ、あたし。ルネ、鷹弘ちゃん、ごめんなさい。でも、ラグ、貴方を置いてなんて行けない』
ふるふると首を振る。ラグは説得を試みた。
『Lady. あのな――』
「おい、ライ。こっちに来い」
ルネが苛々と遮った。まだ普段の姿に戻っていない。素の姿の彼は、いつもより綺麗で、いっそう怖く見えた。
ラグの方を向いている彼女の背に、ルネはたたみかけた。
「オレ達は、お前が心配だ。おっさんなら独りでも大丈夫だ。本人がそう言っているんだから、こっちに来い」
そう、ルネが言った途端、
『やん!』
ライムはくるりと振りかえり、つんと唇を尖らせた。じろりとルネを睨みつける。
ルネの蒼い眼が、まんまるく見開かれた。
「や、やん?」
『そうよ、やん。やだ、ルネったら。ラグはあたしの大切な人よ。なのに、どうしてそおいうこと、言うの。意地悪っ!』
ライムは、ぷくっと頬を膨らませた。ルネの口が、ぽかんと開く。けれど、言い返せない。
ラグは片手で目を覆って天を仰いだ。
『Lady. あのなあ……』
『それに。あたしも、あの、史織とかいうヒトに逢わないといけないわ』
彼女はラグに向き直った。深海色の瞳の真摯さは、こちらから見ても判った。
『ラグ。あたしは子どもだけれど、馬鹿じゃないわ。あのヒトに何を言われたか、判るつもりよ。貴方が言わないから、“あたしが何者か、教えてやる”って言ったわ、あのヒト。冗談じゃないわ』
「ライム?」
どういうこと?
今度は、わたし達の方がよく判らなかった。ラグは押し黙っている。ライムは長い髪を滝のように揺らして、皆川さんを顧みた。
『鷹弘ちゃん。貴方とラグが、あたしに言わないことがあるのは知っているわ。でも、それは、あたしが知る必要のないことだからよ。あたしに知らせてはいけないことだから、黙っているんだわ……。そう信じているあたしを、侮辱している言葉よ、あれは』
『…………』
『あたしの、ラグと鷹弘ちゃんと、皆への信頼を壊そうとしている。しかも、悪意を持って……。そんなことを許さないわ、あたし。こんなことされて、黙ってなんかいられないわよ』
この時、わたしは、ラグがこれまでどんな風に彼女に接してきたのか、判ったような気がした。ラグが、皆川さんが、パパが……彼女を、どんなに素直に、どんなに誇り高く育ててきたのか、判るような気がした。
けれど、この言葉を聴いた途端、ラグの表情が険しくなった。それまでは、どこかに冗談めかした雰囲気があると思えたのに。
ライムも彼の変化に気づいた。
『ラグ?』
『ルネ。おい、小僧』
「え?」
地底から響くような声をかけられて、ルネは瞬きをした。
ラグは乱暴に顎をしゃくった。
『この馬鹿娘を、さっさとそっちへ連れて行け』
『馬鹿とは何よ、馬鹿とは』
『馬鹿を馬鹿と言って、何が悪い』
『…………!』
ライムが言い返そうとして、鋭く息を吸いこんだ時だった。
『グレーヴス』
なめらかな女性の声が響いた。《アンヴァル》号との通信に、何者かが割りこんだのだ。ラグが、すっと眼を細めた。
「おい、ラグ!」
向こうの船のモニターに映った女性を見て、皆川さんが声をあげた。
しかし、ライムとルネは、それどころではなかった。ライムは吸いこんだ息に言葉をのせ、一気に吐き出した。
『ひどいわ、ラグったら! あたしが何をしたって言うのよ?』
「そうだ。おい、おっさん! 連れて行けって、どうしろっていうんだ?」
皆川さんも言う。
「ラグ。おい! これは一体、どういうことだ?」
三人がてんでばらばらに叫んだので、遂に、ラグが業を煮やした。
『あー、うるさい! いちいち、俺に訊くな!』
彼がこんな風に怒鳴るところを、わたしは初めて見た。普段低い声が凛と響いて、背筋をぞくっとさせる。思わず黙りこむわたし達の前で――モニターの向こうで、ラグは深く嘆息した。
『あんたもだ……。心臓に悪いぞ、まったく』
モニターの女性は表情を変えることなく、静かに話し始めた。澄んだ綺麗な声だった。
『お取り込み中のところ、悪いのだけれど。グレーヴス』
『…………』
『地球連邦の巡視艇が、そちらへ向かっているわ。二隻……。貴方達、そろそろ動いた方が良いと思うわ』
彼女はこちらへも話し掛けてきた。ルネが怪訝そうに首を傾げる。
「何者だ? あんた」
『史織の友人……とでも言えばいいかしら。貴方達がここへ来た経緯は知っているわ』
ルネは判断を求めるように、わたし達を顧みた。わたし達が決めかねていると、ラグが声を掛けて来た。
『ミッキー。どうだ?」
「駄目だ、ラグ。おれとルネだけでは跳べない。――かといって、《VENA》の力を借りるわけにはいかないんだろう?」
『それは止めておけ。俺の二の舞になる。……そうすると、あんたが何とかしてくれるのか』
モニターの女性に訊ねている。不思議な光景だった。ラグは彼女を知っているのだろうか?
彼女は少し考えてから、頷いた。
『一応、身元の確認をしてみるわ。私が』
「…………」
『どうぞ、《レッド・ムーン》へ。ポートを使えるよう、私から話をしておくわ。グレーヴス、貴方も』
ラグは黒髪の女性からもわたし達からも視線を逸らしていた。低く唸るように問う。
『《アンヴァル》を隠す場所があるか?』
『月の裏側なら、レーダーの死角があるわ。データを送りましょうか?』
『そうしてくれ。……ルネ、タカヒロ、ミッキー、リサ。お前達は、先に行け。俺は、《ボイジャー》で後から行く。Lady、あんたもだ』
『でも』
ライムはきょろきょろと首を振って、こちらとラグを見比べている。
ラグは苦い表情で、さらに声を圧した。
『頼むから……。しばらく、俺を独りにさせてくれ』
こう言われてしまっては仕方がない。ライムは肩をすくめた。そして、
「……怒られちゃったわ。あたし」
「ライ」
速かった。あんまりすぐだったので、わたし達は驚いた。ドアを開けて入って来たようなタイミングで、ライムはわたしの隣に立っていたのだ。
項垂れる彼女を見て、ルネは肩をすくめた。
◇
(やっていられない)
彼女から送られて来たデータに従い、《ドン・スパイサー》号は進路を変え、《アンヴァル》号から遠ざかって行った。こちらも月へ進路を取りながら、ラグは、口の中に溢れる苦汁を呑んでいた。
まったく。やっていられないぞ。これは――。
~Part.3.へ~
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