Part.1 Alert: You can control yourself.(2)



          2



 結婚するのは、とっても簡単だった。

 書類を一枚、市役所の窓口に提出した。昔のように姓が変わることはなく、親戚には報告のメールを送っただけ。わたしもミッキーも、式や披露宴をするつもりはなく、それで済ませてしまった。もっとも、結婚式や披露宴をしたくても、わたし達が本当に来て欲しい人々は、都合を合わせることが難しいか大っぴらに出席できない事情を抱えているので、仕方がないのだけれど。


 その日、わたしとミッキーは、そういう事情の友人の一人を迎えに、DIANAダイアナ・S-29宇宙港へ来ていた。光メールが届くのに三ヶ月以上かかる距離から、わざわざ休暇をとって帰って来てくれたのは、本当に嬉しかった。

 宇宙港の人ごみの中に彼の長身を見つけた時、わたしは思わず歓声をあげた。


「ルネ! こっち、こっち」

「よお、リサ。ミッキー」


 煙草で少し掠れた声が、懐かしい。ルネはひょいと片手を挙げて応えると、人ごみの中を縫うようにして近づいた。日焼けした肌に黒いタンクトップとカーキ色のズボン。足には重力調節ブーツを履き、大きなデイ・バッグを背負っている。ぼさぼさの栗色の髪は、地球人テラン仕様。

 ルネは黒いサングラスを持ち上げ、わたし達を見下ろした。


「二人とも、元気そうだな」

「お前こそ。また背が伸びたのと違うか?」


 ミッキーは、彼の胸を殴る真似をして迎えた。ふざけて片目を閉じるルネを観て、わたしはちょっと感心した。


 懐かしい、ルネ! 一年半ぶりだ。もともと大柄で狼のようにワイルドな人だけど、しばらく逢えないでいたうちに、一層がっしりとしたようだ。むき出しの腕から肩にかけての筋肉が凄い。以前のルネには少年の名残のような気配があったのだけれど、今はそれが消え、成熟した男性になっていた。

 ううん、違う――目元の甘さは相変わらずなのだけれど、それを、全身から発散する野性的な雰囲気がおおっているのだ。


 ミッキーは、彼をしげしげと眺めた。


「そうか。お前、もうすぐおれに追いつくんだな」

「そういうこと」


 今日のルネの瞳は、綺麗な地球色だ。得意げに、唇の片端を吊り上げた。


「来年には追いつくぜ。まだ、しばらく伸びるだろう。それまでオレに倒されないようにしろよ、ミッキー」

「嫌な奴だな」


 ルネ達ラウル星人ラウリアンは、地球人の二倍の速さで成長する。成人すると成長が止まり、そこから先は殆ど不老で、永い時間を生きるのだ。わたしたち地球人が決して届かない数百年という時を。

 彼がもっと幼い頃を知っているミッキーは、少し複雑そうだった。ラグ・ド・グレーヴスや皆川さんが、ライム=《VENA》を見る時にも、こんな表情をすることがある。

 ミッキーやわたしの感慨など知らぬげに、ルネはぽりぽり頭を掻いた。


「グレーヴスのおっさんくらいまでは行きたいんだがな」

「コントロール出来ないのか?」

「ああ。成長を遅らせることは出来るが、早めたり、自分の好みで止めたりは出来ない」


 何でもないことのように言って、ルネはサングラスを掛け直した。


「あのおっさんにいつまでもガキ扱いされるのは、癪だな。ところで、そろそろ行かないか? ここにいたんじゃ、煙草が吸えない」

「ああ。そうだな」


 ラグ・ド・グレーヴスは、確かにかなり大人だけど。ラグがルネを子ども扱いするのは年齢だけではなく、そんなことにこだわる彼の性格のせいじゃないかなと、ちらっと思ったけれど、言うのはやめておいた。そんなことを口にしようものなら、言い合いになる。

 ミッキーも同じ事を考えたらしい。わたしを見る目が苦笑していた。


 わたし達はルネと一緒に、風圧推進自動車エア・カーを停めた駐車場へ向かった。


「うへ。あぢ~!」


 宙港の建物を出た途端、アスファルトに反射する容赦のない陽射しと、むっとする熱気に包まれて、ルネは顔をしかめた。犬が喘ぐように舌を出す。


「何だ、これ。気象管理局、やり過ぎと違うか?」

「毎年そう言われているよ」


 ミッキーも、Tシャツの襟を引っぱって風を入れている。月の都市は全て地下ドームの中だから、夜も昼も気候も、全て人工的に管理されているのよね。

 地球の標準時刻で、一日は二十四時間。月の自転に関係なく、夜が来るたびにドーム全体が暗くなり、昼には明るくなっている。どうやっているのかは知らないけれど。

 気候は地球の北半球に合わせ、四季がある。地球の東アジア州で育ったわたしに言わせれば、あそこほど極端なわけではない。でも、冬にこちらへ来た時、最高気温が十度に設定されていて、ドーム内の人々がコートやセーターを着ていたのには感動した。今は夏なので、気温は三十度まで上げられている。日本区の夏に比べれば涼しい方だけれど、宇宙船の空調に慣れたルネには辛そうだった。


 わたし達から知らされてはいたものの、ここまでとは思っていなかったらしい。ルネは、頭上を走るハイウェイの落す影の中で足を止め、宙港の周りを見渡した。そうして、駐車場の反対側、道の向こうにたむろしている一団を見つけた。


「どうした? ルネ」

「ミッキー。あいつら」

「ああ」


 サングラスを掛けているので表情は判らなかったけれど、ルネの口調がいささか憮然としているのは聞き取れた。

 ミッキーは軽く肩をすくめた。


「独立派の連中だよ。相変わらずだ」

「まだ、やっているのかよ」


 スローガンを描いた旗や垂れ幕を持った人々が、四十~五十人ほど集まっている。一昨年、彼等は宇宙港でデモを行い、公安隊と衝突していた。当時を思い出したルネが呆れるのも、無理は無かった。

 ミッキーは平然としている。


「心配しなくても、だいぶ大人しくなったよ。連邦のやり方は相変わらずだけれど、こっちも惰性でやっているようなものだ。そのうち、自治権か何かを獲得して、自然消滅するだろうって話だ」

「そうあって欲しいもんだな」


 ルネが政治の話に興味を持つなんて、珍しい。ミッキーもそう感じたらしく、デイ・バッグを背負い直す彼を、しばし見詰めた。その視線に気づいたルネが、片方の眉を跳ね上げる。


「何だよ」

「……いや。お前、大丈夫か? ルネ」

「ええ?」


 ルネは頬を歪めたけれど、ミッキーの表情は冗談ごとではなさそうだった。黒い眸は冷たい夜空のように怜悧だ。

 ルネは舌打ちした。


「悪い。判るか?」

「ああ。ピリピリしているな、まだ」

「ボーダーエリア(辺境)から、真っ直ぐここへ来たからな」


 どういうことか判らないわたしに、ルネは決まり悪そうに話した。ぼさぼさの髪を無造作に掻きあげる。


「オレ達は普通、Aクラス・スタンバイ(第一級戦闘態勢)から、すぐにFクラス(休暇)には入らない。Burnバーン・ outアウト(燃え尽き)する可能性があるから、半年間はEかDクラスの非戦闘地勤務をして、Calmdownカーム・ダウン(鎮静化)するんだ」

「そうなの?」

「今回は時間がなかったから、オレはまだカーム・ダウンの途中だ。気が立っているのは、勘弁してくれ」

「そんなこと」


 わたしは驚いて首を横に振った。嫌だ、ルネったら、無理をして帰って来てくれたんだわ。もともと短気で荒っぽい人だから、判らなかった。


「そんなに違う?」

「ああ」

 彼は再び歩き出しながら、白い牙を見せた。

「自分でも判っている。先刻から、四方八方に気が散っているんだ。くだらんことに……。手当たり次第に喧嘩を売ったりはしないから、子猫ちゃんは心配しなくていい」


 『子猫ちゃん』だって……。呆れ、同時にわたしは感心していた。やっぱり、凄いかも。

 ミッキーとラグは、自分をコントロールすることをかなり訓練されている人だ。一見そんな風に見えないルネも、やっぱり戦士トループスなんだわ。――そう考えて、気がついた。


 完全に鎮静化した状態のルネが、わたしの知る彼なら……戦闘中の彼って、どうなの?


「本当に、無理はするなよ」


 わたしと似たようなことを考えたらしい。駐車場に着いて車のキーを開けながら、ミッキーも心配そうに眉を寄せていた。

 ルネは苦虫を噛み潰した。


「ムリでもしないと、帰れなくなるところだったんだ」

「何?」

「オレのトループス・ランクが上がっちまったんだ、一月から。休暇が明けたら、大尉に昇進だ。信じられるか? このオレが空戦連隊長だぜ」


 車内にこもった熱気をドアを開けて外に逃がしながら、ミッキーとわたしは、まじまじと彼を観た。

 ルネはデイ・バッグを後部座席に放り込む。わたし達から視線を逸らし、忌々しげに舌打ちした。

 ミッキーが、やや茫然と問い返した。


「上がった? どうして」

「知るか、そんなこと」

「…………」

超感覚能力E S Pが上がったわけじゃない」


 吐き捨てるように言ってから、ルネは口調を和らげた。煙草をズボンのポケットから取り出して咥える様子は、確かに、少し苛々している。


「オレは、自分が変わったとは思っていない。だけど、Dから、いきなりBクラスだ。昇進して給料が増えたのはいいが、休暇が一気に減らされた。やっていられない」

「お前が、Bクラス……」


 ミッキーは、眉をひそめて呟いた。


 彼ら連合宇宙軍のトループスにとって、ランクが上がることは決して喜ばしいことではないと、わたしも知っている。ESPだけでなく、行動パターンや性格を含めた総合的な個人評価で、『社会に及ぼす影響が大きい』ものほど、高いランクになるのだ。Aクラスに近いほど一般社会から隔離されてしまう。素直に喜べるはずがなかった。


 ルネは後部座席に、わたしはナヴィゲーター・シートに乗り込みながら――わたしは彼を慰めようと、明るい口調を心がけた。


「《VENA》に逢えたら、気持ちも晴れるわよ」

「だと、いいんだけどな」


 ルネは咥えた煙草に――この仕草が、わたしは好きなのよね。――指先から炎を出して火を点け、気だるく肩をすくめた。ミッキーが車を発進させる。


「完全にカーム・ダウンするまで、オレはあいつ(VENA)に逢わない方がいい。あいつの精神感応能力テレパシーは強いから、判っちまう……。怯えさせたいわけじゃないからな」


 この台詞に、わたしとミッキーは顔を見合わせて微笑んだ。



            **



 ペンション・ホテル『月うさぎ』に到着するまで時間があるから、今のうちに自己紹介と、これまでに起きた出来事を整理しておこう。


 わたし、倫道小百合という。通称リサ。現在は、銀河連合アストロノウツ訓練校の学生で、宇宙生物学を専攻している。

 わたしの隣で車を運転しているミッキーの本名は、安藤幹男。銀河連合宇宙軍に所属している戦士トループスだけど、今は実家のホテルでコックをしている。この春、わたしの配偶者パートナーになった。

 到着して早々、愚痴たっぷりなルネ――ルネ・ディ・ガディスは、ミッキーの後輩で、ラウル星人。Aクラスの超感覚能力保持者E S P E Rで、やはり銀河連合宇宙軍に所属している。


 わたし達三人が知り合ったのは、一昨年の十二月。地球連邦所属の研究施設 Think Tank No.55 で、《VENAヴェナ》 という人工生命体の研究をしていたわたしのパパ――倫道和明りんどうかずあき教授が、何者かに殺されたのが始まりだった。


 ミッキーは、パパからの依頼を受けて、わたしのボディー・ガードをしてくれた。ルネの宇宙船に乗せて、地球にいたわたしを月へ連れて来てくれた。

 パパは、グレーヴスという人に 《VENA》 の研究成果を託すよう遺言していた。ミッキーとルネは、何者かに狙われるわたしを守りながら、グレーヴスを捜してくれた。ルネは、幼い頃に 《VENA》 と一緒に育てられた彼女の幼馴染であり、恋人だ。


 二人が探し出してくれたラグ・ド・グレーヴスは、銀河連合宇宙軍のAクラス・トループスで、非常に有名な人だった。マスコミには『タイタンの英雄』と言われている。

 彼に逢うまでに、わたし達は殺人事件に巻き込まれて大変な目に遭ったけれど、その件を通じて、わたし達の間には強い絆が結ばれた。

 わたしはミッキーの好意を受けて、月で彼の家族と一緒に暮らし始め……ラグはパパの遺言に従って、《VENA》 の研究を引き継いでくれた。さらに、わたしを銀河連合のアストロノウツ訓練校に入れてくれた。

 その後、ルネとラグは軍の任務に戻ったのだけれど、新年早々、次の事件が起こった。


 わたしは、パパの殺された理由を知らなかった。犯人が誰なのかも。しかし、パパと同じ研究をしていたクラーク・ドウエル教授と、その助手のグリフィス・ターナーという博士が、わたし達を妨害したのは知っていた。その二人がThinkTank No.42 から 《SHIOシオ》 という実験動物を盗み出したために、ラグは再びわたし達の前に現れた。


 ラグと銀河連合からの依頼を受けたミッキーは、《SHIO》 を探そうとして、ドウエル教授に捕まってしまった。

 わたしとラグ、訓練校の学生でテレパスのフィーンと、ラグの親友の(ミッキーの親友でもある)皆川鷹弘さんは、ミッキーを捜して奔走した。その過程で、わたしとミッキーは、《SHIO》 と同じく実験動物の 《MAO(マオ)》、脳にコンピューターを埋め込まれたラウル星人の 《LENA(レナ)》 という人が、《VENA》 のプロトタイプだと知らされる。そして、ターナー博士と月の独立過激派が、パパを殺したのだということも。

 結局、ミッキーは自力で脱出し、わたしとフィーンを誘拐したドウエル教授達を、ラグは逮捕した。《SHIO》 達は逃げ出して、行方不明。


 そうして、わたし達は、ようやく 《VENA》 に逢うことが出来た。


 《VENA》――名前は、ライ。わたし達はライムと、ラグはLadyレイディと呼んでいる。――彼女はパパの研究所で、大切に……本当に大切に育てられていた。人工的に創られたラウル星人で、遺伝子のモデルになったわたしが言うのは変かもしれないけれど、絶世の美女。

 わたしは彼女に、ラグや皆川さんの立会いの下でなら自由に会える許可を貰えた。わたしの、たった一人の家族に。


 一連の事件は終了し、一年間は何事もなく過ぎた。わたしは学生を続けながら、ライムとは月に数回のペースで会っている。ラグと皆川さんは、銀河連合のセンターにいて、任務で宇宙船を造っているということだった。

 わたしが十八歳になるのを待って、わたしとミッキーは結婚した。それで、ルネがお祝いにやって来てくれたのだ。

 悪夢のような事件は終了し、穏やかな日々が続いていた。これがずっと続いてくれることを、わたし達は願っていた。けれど。


 やはり、そうはいかなかったのだ。





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