part.1 Alert: You can control yourself.(3)
3
「そういえば。リサは、ライと自由に会えるようになったのか?」
天気がいいので、ミッキーは少しドライブする気になったらしい。家に帰ると忙しいから、ルネとゆっくり話が出来ないと思ったのだろう。予定を変更して回り道を始めた。
ハイウェイは高層ビルの間を徐々に上昇して、ドームの天井越しに藍色の宇宙を透かしみられる高さに達していた。人工太陽の強い光に遮られ、星は観えない。開けた車窓から入る風が気持ち良かった。
ルネが、猫のように眼を細めて風に髪をなぶらせながら訊いた。ライ――多くの人は 《VENA》 をライムと呼ぶけれど、彼は本名で呼ぶのよね。
「うん。完全に自由にってわけじゃないけれど、ラグか皆川さんに言えば、会わせてくれるわ」
「へえ。良かったな」
運転席とナヴィゲーター・シートの間から、ルネは顔を覗かせる。車の天井を開けながら(これ、オープン・カーになるのだ)、ミッキーが穏やかに提案した。
「今週の土曜日に 《
「ああ。……いや、やめておく」
「ええ? どうして」
自動的に収納される天井を面白そうに眺め、ルネは栗色の髪を掻きあげた。ぺろりと舌を出す。
「あのおっさんの立会いが要るんだろう? そんなのは嫌だ。オレは勝手に逢いに行くよ」
「えー。ずっとくっついているわけじゃないのよ?」
わたしを連れて行ってくれる時も、ラグも皆川さんも忙しいので、何時に迎えに来るからと言い残して仕事に行ってしまうことが殆どなのだ。わたしとライムは、いつも二人だけで数時間お喋りを楽しんでいた。ライムが、わたしとレナさんにお菓子を作ってくれたこともある。彼女とルネが一緒にいるところを、是非、わたしは見てみたかったのだけれど……。
そんなわたしの意図を知ってか知らずか、ルネの表情は渋かった。
「それでもだ。なんか、嫌だろーが。恋人と会うのに、何月何日何時何分から何時まで一緒にいる、なんて知られるの。緊張して、やりたいことも出来やしない」
「まあ、それもそうね」
「『やりたいこと』って、何するんだよ、お前」
ミッキーの軽口に、ルネは一瞬だまり込んだ。それから、ふてぶてしく唇を歪める。
「へえ。お前の口からそういう台詞が出るの、初めて聴いた気がするぜ、ミッキー。さすが、結婚すると違うんだな」
「馬鹿。そうじゃない」
ええっと……この場合、わたしは何て言ったらいいのだろう?
ミッキーは滑らかな笑い声をたてた。こういう時の彼の爽やかさって、一種の才能だと思う。
「お前こそ、何考えてるんだよ。そういう話は後でしようぜ。リサ抜きでなら、いくらでもつきあってやるから。……そうじゃない。おれが言いたかったのは、お前は 《VENA》 をどこかに連れ出したいんじゃないのかってことだ」
「何だ。そのことか」
ルネはつまらなそうに唇を尖らせ、わたしを見てにやりと
ルネは重力調節ブーツを脱ぎ、シートの上に胡座を組んだ。その様子を、ミッキーはルームミラーで確認する。
「あいつに頼めば許可を取ってくれるんじゃないのかって話だよ。ラグに――今はもう、《VENA》の保護責任者は、あいつなんだから」
「ああ。そうかもしれないな」
ルネは意外にそっけなかった。ううん――わたしに目くばせをする。彼にとって、それがそんなに重大な問題ではないと、わたしは知っていた。
だって、ねえ?
「Thanks、ミッキー、気を遣ってくれて。オレ達は、以前から 《レッド・ムーン》 以外の場所でちゃんと逢っている。あいつの保護者が倫道教授からグレーヴスのおっさんに代わっても、大丈夫だ」
「《レッド・ムーン》 以外で? そうか」
二人がどうやって逢っているのか、わたしは知っていたけれど、ミッキーに追求する気はなさそうだった。ルネも黙っている。《VENA》 は研究所を離れられないのだから、許可があろうとなかろうと関係が無い。――彼は、そう思っているらしい。
ルネは車のシートの上に片方の膝を曲げて座り、その上に腕を乗せた。
「どうせなら、あいつが自由に出歩けるようにしてくれればよかったのに。なあ? リサ。案外、気の利かないおっさんだぜ」
「そうね……」
でも、言葉ほどルネが残念そうでないのは、彼女が大切にされていると知っているからだろう。彼女のいるところは、地球よりも、月のドーム都市よりも良い環境なのだ。
ううん、そうじゃない。
わたしのパパを始め、ラグや皆川さん、ルネ――あのThink Tank No.55 で働いているスタッフの人々が、どんなに優しい気持ちを彼女に向けてくれているか、わたしは知っている。彼女にもそれが判るから、敢えてあそこを出たいとは思わないのだろう。
勿論、研究対象としてだけど――研究対象でも。
彼女は絶滅した
待って。ライムがEveならば、ルネは。……このルネが、
「あのな、リサ。ミッキー」
ルネがちょっと呆れた表情でこちらを見たので、わたしはぎくりとした。考えを読まれたのかと。――テレパシーを使わなくても、わたしの気持ちはもろに顔に出るらしい。
「オレは、お前らの結婚を祝いにきたんだぜ。それなのに、オレとあいつの心配ばかりして、どうすんだよ。……悪かったよ。もう愚痴は言わないから、お前らの話をしようぜ」
「それもそうだな」
ミッキーはわたしを振り向いて苦笑した。ルネはナヴィゲーター・シートの背もたれに腕を乗せ、白い牙をむき出した。
「で? あれからどうしていたんだよ、お前ら」
わたし達は、これまでの出来事を代わる代わるルネに話した。――ラグのこと、皆川さんのこと。フィーンとイリス、《SHIO》のこと、真織君のこと……。ドウエル教授とターナー博士のこと。レナさんのこと……そして、《VENA》のことを。
ひととおり聴くと、ルネは首を傾げた。
「じゃあ、倫道教授を殺した犯人は捕まったんだな?」
「ああ」
「それは良かったと言いたいところだが……。やばいのと違うか?」
相変わらず、ルネは鋭い。サングラスをずらしてこちらを見る蒼い瞳を、わたしは息を詰めて見返した。
「ドウエル教授は釈放されたんだろう? 奴がまたリサにちょっかいを出してくることはないのか? ミッキー。ライも、レナとかいう女も、《レッド・ムーン》 に居る。言わば敵地の中に孤立した要塞だ、シンク・タンクNo.55は……。グレーヴスのおっさん、何を考えているんだ?」
ライムのことが心配なんだろうな。髪と同じ栗色の眉を寄せるルネに、ミッキーは静かに頷いた。
「おれはむしろ、ラグは、だから 《VENA》 をあそこに置いているのだと思う。ルネ」
「何?」
「ドウエル教授は、ラグと銀河連合に 《VENA》 から手を退かせたがっている。その為にリサとフィーンを誘拐までしたんだから、相当な執念だ。ラグは、敢えて彼女をあそこから出さないんじゃないか」
ルネの眼がすうっと細くなった。彼には判ったらしい、深海色の影を宿した瞳が、鋭く光った。
ミッキーはわたしに説明してくれた。
「《VENA》を研究所から連れ出せば、宇宙のどこで狙われてもおかしくはない。犯人が誰かも判らなくなる。でも、あそこにいれば、少なくとも表向き、地球連邦は彼女を丁重に扱わなければならない。彼女とレナの身に何かがあれば、連邦の責任になるからね」
そうか……そうよね。
納得するわたしをちらっと見て、ミッキーは微笑んだ。ルネは黙って彼の言葉に耳を傾けている。
「リサもそうだ。前回、銀河連合がラグに特殊司法権を許してくれたお陰で、おれ達はかなり大っぴらに動くことが出来た。月でリサに何か起これば、犯人はあの教授達だと、おれにはすぐ判る。ラグにも……。銀河連合を正面から敵にまわすほど連中だって馬鹿じゃないから、暫く安心していていいと思う」
「暫くは、そうだろうな」
ルネは頷き、長い人差し指を顎に当てた。視線はどこか遠くを見詰めている。眼尻のつり上がった眼を伏せ、独り言ちた。
「だが、ラグ・ド・グレーヴスは
「おれが居るさ」
ミッキーは朗らかに微笑んだ。ルネが彼を顧みる。
親友の固い表情をほぐそうとするかのように、ミッキーは冗談めかして言った。
「ルネ。心配してくれなくても、月にはおれが居る。リサも。――お前、いつか言っただろう? 『オレ達は、三人だ』」
懐かしい台詞に、ルネはにやりと唇を歪めたけれど、目は笑っていなかった。
「グレーヴスのおっさんは、宇宙船を造っているんだと言ったな」
ルネはわたし達に横顔を向けて呟いた。わたしは呼吸を止めた。
ミッキーが頷く。
「ああ」
「どんな船なんだろう。ライを、どこへ連れて行くつもりだ?」
そう。わたし達の考えも、そこへ行き着くのよね……。
ラグは何も教えてはくれない。皆川さんも。彼等の造る宇宙船が何を目的にしているのか、想像出来ないわけではなかった。ルネは心配だろう。
ライムが銀河連合の保護下に移った時から――考えてみれば、それは、いつ行われてもおかしくはなかった。彼女にとっては、その方が良いのかもしれない。
ミッキーは、無言でアクセルを踏み込んだ。わたし達を乗せて、車はハイウェイを滑り降りて行く。
そして、わたし達は『月うさぎ』に着いた。
*
ホテルのロビーに一歩足を踏み入れた途端、
「よお、ルネ。お帰り」
アニー(アンソニー)さんの野太い声に迎えられて、ルネは立ち止まった。鋭い眼がみひらかれる。そんな彼の驚きに構わず、つぎからつぎへと声が投げかけられた。
「ルネちゃんだ! お帰りなさい」
「久しぶりね、元気だった? お帰り!」
「お帰りなさいっ、ルネ!」
芳美ちゃんと麻美ちゃんが、カウンターの向こうから笑顔を見せる。極めつけはイリスだった。
「どうしたんだよ、ルネ。お前らしくもない」
ミッキーが、混乱しているルネをからかう。彼の小さな弟達も駆けてきて、嬉しそうにルネの脚にしがみついた。遅れて出てきたおばさんとマーサさんの笑顔を見て、わたしは判った。
『お帰り』と言われて、ルネは驚いたのだ。――彼は、故郷にちゃんと家族がいる。人工授精で生れた妹達も、おおぜい。けれども、連合の第一軍に所属して飛び回っているルネは、殆ど母星へ帰っていない。
ミッキーとの縁で時々このホテルに泊まる彼を、安藤家の人々が家族のように迎えるのは、不思議なことではない。戦場の猛々しさを引きずっている彼を、幼い子ども達とイリスが恐れ気もなく迎えたのが、意外だったのだろう。抱きつくイリスをどう扱っていいか判らず、固まっている。こんなルネは新鮮だった。
「な、何だよ、イリス。いきなり」
「何って、決まっているじゃない?」
イリスはきらきら輝く紫水晶の瞳でルネを見上げた。不思議そうに首を傾げる。
「ルネちゃんに、お帰りなさいって言っているのよ。どうしたの?」
「ああ。それは、判ったけど――」
「お帰りなさい、ルネちゃん」
おばさんにまで言われて、ルネは絶句した。洋二さんが親し気にその肩を叩いた。
「無事に帰れて良かった。連合軍の
「ちゃんと、お前の好物を用意しておいたからな」
不器用なウィンクをするアニーさん。ルネの顔にも、ようやく普段のふてぶてしさが戻ってきた。足元にまとわりつくカウリー君の頭をくしゃっと撫で、
「Thanks、アニー。そいつは楽しみだ。……おばさん、皆、ただいま」
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