Part.2 Monday Morning Robots(4)
4
「さて、と」
ラグの長身とリサとイリスの後姿が雑踏に消えるのを見送り、ミッキーは軽く息を吐いた。ただ三人を駅へ送っただけだが、朝からひと仕事した気分だった。――相対性理論のせいではない。
ともあれ、ラグ・ド・グレーヴスを送り出すことには成功した。扱いにくい奴だが、力になってくれないことはないだろう。
リサが危険なことに首を突っ込まないよう、ミッキーはラグに頼んだ。
あの男を100%信用しているわけではないが、少なくともリサに危害を加える人物ではないと認識している。ミッキーは、己の気持ちを図りかねた。信用できないという言葉を使ったが、それとも違う気がする。
『引き下がるのは、僕の主義じゃないですからね』
ふいに、青い瞳の少年の台詞が彼の頭を
『調べさせてもらうつもりです』
ミッキーは肩をすくめ、頭を振った。どうも、今回は勝手が違う。
いつもなら、依頼を受けた自分が協力者を探す。今回に限って、出遅れた気分だった。――ラグといい、フィーンといい、鷹弘といい。四人がばらばらに事件に関わりつつ、実は一つの目標に向かっているようで、不愉快だ。
ラグ・ド・グレーヴスの掌に載せられていると思えることが。
『結局、《
ミッキーは人ごみを避けて駅フロアの柱に寄りかかった。全てのカギは、《レッド・ムーン》にある。やはり、行ってみなければならない。
駅ホームにリニア・トレインが到着しては、人々を吐き出して去っていく。目的地へ向かう人の群れが、彼の前を右から左へ横切り、数分置いて今度は逆方向へ流れていく。
人の川の向こう、フロアと反対側の壁の前に立ち、こちらに横顔を向けている男の姿が、ミッキーの目を引いた。一瞬、見間違いかと思う。
クラーク・ドウエル教授。
ミッキーは
白髪まじりの栗色の髪に、灰色の瞳。科学者にしては立派な体格に、濃い茶色のスーツ。――間違えようがなかった。忘れようとしても、忘れられない。
ドウエル教授はミッキーには気付かず、連れの若い男と話しながら駅の出口へ向かっていた。リニア・トレインには乗らないらしい。ミッキーは急いで後を追いかけた。
人々のざわめきにまじって、教授の声が聞こえた。
「……それで。彼女はどうしているんだね? 気づいていないとは思えないが」
「そうなんですが」
どうやら教授はダイアナ・シティに来たばかりで、若い男が案内をしているらしい。年齢からも態度からも、教授の方が目上なことは明らかだ。
二人は結構早足で、ミッキーは見失わないようするのに努力を要した。人ごみの中、紺と濃茶色の背広からだいたい一定の距離を保ってついて行く。彼らは、改札口のあるフロアから、エスカレーターを使って地階へ下った。地下は商店街になっている。
突然やっかいなことをさせられる羽目になったと思いながらも、ミッキーは、ここが駅の中であることに感謝した。尾行は得意としていたが、かつて尾行相手が急にタクシーを拾って行ってしまった悪夢を忘れてはいない。
小説なら、探偵はすぐ後からやって来たタクシーにとび乗って運転AI に数クレジット払い、『前の車について行ってくれ』と言えば済むことになっている。が、現実でそういかなかった場合は?――生まれて初めての尾行でそういう悪夢を見たミッキーは、慌てたあまり、タクシーを追ってムーヴ・ロード(動く舗道)を駆け出した。
ムーヴ・ロードの上を十七歳の高校生が全力疾走すれば、どうなるか。当然、警備ロボットに捕まって尾行はおじゃんになった。
幸い、ここではそんな悪夢は起こりそうに無い。
『何故、ドウエル教授が月にいるんだ?』
教授を射程内におさめて余裕の出来たミッキーは、考えた。――何故?
答えは、すぐに思いついた。
《
《レッド・ムーン》に最も近いドーム都市、月には三百万人を超える人々が住んでいる。まぎれこめば、簡単にはみつからない。――はず、だった。
ミッキーは唇を舐めた。ここで教授をみつけるとは、皮肉な偶然に違いない。リサとラグを送った駅で出会うなんて。
ドウエル教授の方は、彼とリサの居場所を承知しているのだ。こちらが向こうの居場所を教えてもらってもいいだろう。
『ラグは、この事を予想していたのかな?』
自分が思いつく程度のことをあの男が想像しないとは考えられなかった。当然、教授が月に居ると考えていたのだろう。――ミッキーは苦虫を噛み潰した。
ミッキーは、自分がサラリーマン達の間にいて違和感が無いことを知っていた。年齢も、服装も。それで、思い切って間合いを詰め、二人をじっくり観察してみようと思い立った。
二人とも、ミッキー同様、背広をぴちっと着こなしている。なかなかの紳士だ。
ドウエル教授は年配らしく、落ち着いた貫禄がある。電話で話した時と同じく、灰色の瞳には穏やかで理知的な光が宿っていた。もう一人の男――ドウエル教授を案内している男の方は、ミッキーは初対面だ。綺麗に切りそろえた砂色の髪と蒼い瞳、なかなかの二枚目で、白い肌は教授より若く見える。教授が五十代後半なら、こちらは三十代後半か。ミッキーより背は少し高く、無駄の無い体格は、戦えば案外強いのかもしれない。こちらも科学者なのか、ドウエル教授の話に熱心に相槌を打っていた。
『二人の話が聞こえればいいんだが……』
背広のポケットに両手を突っ込み、片手で煙草を弄びながら、ミッキーは徐々に歩く速度を落としていった。二人が立ち止まったからだ。
彼らは、一軒の喫茶店の前で、入り口の扉を揃って覗きこんだ。
ミッキーは五メートルほど追い越してから足を止めた。日本料理店の奥を、席を探すように透かし見て――ふいに気をかえ、後戻りする。
二人が喫茶店に入った。
ミッキーは、ガラス・ケースの商品にちらと視線を投げかけ、店内に滑りこんだ。席を探して立ち止まる二人のすぐ後ろを――ドウエル教授の背広に触れられそうな近くを――すり抜け、空いたボックス席の一つを占拠する。
二人は、彼とは衝立を隔てた隣のボックス席に、向かい合って腰を下ろした。
ミッキーは、接客AI に雑誌のタブレットとコーヒーを頼んだ。観葉植物の緑の葉ごしに向こうを見る。科学者達は、二人ともモーニング・セットを注文した。
注文の品が運ばれて来るまでの間、ミッキーは手持ち無沙汰な風を装って脚を組み、テーブルに片方の肘をついて店内を眺めた。リニア・トレイン待ちのカップルに、小さな子どもを抱いた女性。リサくらいの年齢の女子高校生達が数人、彼を観て、ひそひそ値踏みを始めている。
ミッキーはガラス越しの雑踏に視線を移した。その間に、紺色の背広を着た男の名前を知った。
ミッキーの眼はぼんやり辺りを眺めていたが、耳は全能力を駆使して隣の男達の会話を聴きとろうとしていた。淡々と話し合っている。紺色の背広の男は、クラーク・ドウエルを教授と呼び、ドウエル教授の方は、彼をターナー君と呼んでいた。
男達の声は低く、聴きとりは困難を極めたが、ミッキーは全身を耳にして集中した。女子高校生達の嬌声が騒がしい。
ふいに、ドウエル教授が陰気な笑い声をたてた。
「それは無理だよ、君。彼女は命令次第で何でもやるが、我われの計画を理解する頭脳は持ち合わせていない。ただの人形だ……。そんな女が、あの男に太刀打ち出来ると思うかね」
ターナーが何かぼそぼそ言い返したが、ミッキーには聴きとれなかった。
ドウエル教授は、ゆっくり首を横に振った。
「いや、やはり無理だ。奴らがそんな手に二度もかかるとは思えない。これ以上、無関係な人間を巻き込むのは止めたまえ」
ターナーの返事は聞こえなかったが、それに応えて、教授はこんな事を言った。
「仕方がない。緊急の場合には、やはり――」
また言葉の糸が途切れたが、子どもの泣き声や女子高校生の笑い声の為ではなかった。彼等のテーブルの扉が開き、モーニング・セットが現れたのだ。
ミッキーも熱いコーヒーに口をつけ、タブレットを開いた。リサが好きそうな文芸雑誌だが、読むつもりはない。写真のページをぱらぱらめくり、文字の詰まった場所を見つけると、黙って視線を走らせた。そうしているうちに隣の声が聞こえてきた――それは、二人が会話に夢中になって声を大きくしたのか、ミッキーの耳が盗み聞きに慣れたからなのか、どちらのお陰とも言えなかった。
二つの単語が、彼の興味をひいた。ターナーの言った《VENA》 と、ドウエル教授の言う《
「仕方がないよ、君。私とて、まさか事態がこうなるとは予想していなかったのだから。とにかく、このままでは八方塞がりだ」
「《SHIO》 だけではどうすることも出来ないと、教授もご存知ではないですか。やはり、これは確実に《VENA》 を狙う方が――」
「《VENA》 は既に銀河連合のモノだ」
「…………」
「連合を相手に戦争をしかけても、勝ち目はなかろう。あの男とまともに戦って、勝ち目があると思うのかね。ターナー君。……君たちの熱意はよく判る。感謝しているが……やはり私は、無理だと思う」
「…………」
「私の望みは《SHIO》 だ。《SHIO》 をこちらに残すことが出来れば、或いは……奴も気を変えるかもしれない」
「私はそうは思いません。教授」
今度は、ドウエル教授が黙る番だった。
ミッキーがちらりと見ると、教授は無表情にターナーを見詰めていた。
「あの男が気を変えるなどとは考えられません、教授。それは甘すぎます。……奴は、我われを憎んでいるのですから。心の底から憎んでいるはずです」
「…………」
「殺しても、殺し足りないくらいに」
「…………」
『物騒な話だな』 教授の声が途切れたままなのが気になってミッキーが見ると、ドウエル教授は眼を閉じ、難しげにこめかみを押さえていた。
ターナーは畳みかける。
「連合に何が判ると言うのですか。奴らは、あの男の言いなりなんですよ。あいつは《VENA》 を連れ出す気だ」
教授の眼が開かれた。茫然と呟く。
「馬鹿な」
「本当です。我われは確かな情報を入手しました。連合は、あの男に宇宙船を造らせて、《VENA》 を連れ出すつもりです。そんなことをしたら――」
「……お仕舞いだ」
ターナーは無言で頷いた。二人の表情の深刻さに、ミッキーも息を殺した。
彼らは食事をせずに話しこんでいたのだが、己の手元を見下ろすドウエル教授には、食欲のかけらも残っていないようだった。
ターナーの低い声を、ミッキーは懸命に聴きとった。
「これ以上、奴らの好きにさせておくわけにはいきません。倫道教授は変な同情をして、《VENA》 に何も教えなかった。それをいいことに、あの男は好き放題するつもりです。教授……《VENA》 を奪い返すのは、今しかありません」
しかし、ドウエル教授は苦しげに首を振り、そのまま席を立ってしまった。疲れたように肩を落とし、店の外へ出て行く。ターナーは後を追い、勘定を払って出て行った。
ミッキーは、二人が店の前を通り過ぎていくのをガラス越しに見送ってから、コーヒーを飲み干し、タブレットを手に立ち上がった。
二人はどこへも立ち寄らず、地上へ向かった。来た時と同じく、ミッキーはゆっくり後をつけて行った。
頭の中で先刻の話を整理しようと試みる。しかし、どう考えても部品が足りなかった。――『あの男』がラグで、教授を憎んでいるとしたら……どうだと言うんだ?
来た時とはうって変わり、ドウエル教授は意気消沈していた。ターナーが慰めるように話しかけている。
彼らがタクシー乗り場へ向かうのを見て、ミッキーは足を止めた。その肩を、後ろから来たサラリーマン風の男がかすめ、追い抜いていく。
案内役のターナーがタクシーの扉の中に教授を通すのを見ながら、ミッキーは後ずさりを始めた。教授の身体が完全に車内へ消えたのを確認し、彼は踵を返して走り出した。タクシー乗り場とは逆の方向へ。人の流れに逆走する彼を誰かが注意したが、構ってはいられない。
乗客を送迎するため一時的に許可された駐車場へ戻り、ミッキーは自分の
教授の乗ったタクシーより、遅れること二台。ミッキーの黒い車は公道に出て、タクシーを追いかけた。
車は一般道を外れ、市街地を抜けるハイウェイに上がっていく。ミッキーも、むろん後について行った。教授の乗ったタクシーはぐんぐん加速して、ミッキーの車との間にいた車は、一台、二台と脇道にそれていなくなった。
『ついている……』
百メートルばかり先を行くタクシーのリア・ウィンドウ。その上を走る真新しい光の線を追いながら、ミッキーは考えた。
『これは、ついているかもしれないぞ』
リニア・システムに車線を切りかえ、二台は都市を切り裂いて飛んで行く。昼近い陽気な青空の下、立ち並ぶビルは、そんな光景を眺めていた。
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