Part.6 最後の一秒(5)


           5


「いいのか? ミッキー」


 ルネは、リサの姿が見えなくなると座りなおし、運転席に声をかけた。


「何がだ」


 返って来たミッキーの声は、極めてぶっきらぼうだった。ルネは肩をすくめ、シートに身を沈めた。『まあ、いいさ。オレがどうこう言うことじゃない』そう思い、腕を組んで眼を閉じる。

 ミッキーは、寝不足を解消し始めたラウル星人をバックミラーでちらと見たものの、何も言わずに運転を続けた。


 次にルネが眼を開けると、ミッキーは既に車を降りていた。『月うさぎ』のガレージに置いて行かれそうになったルネは、慌てて彼を追いかけた。

 ホテルのロビーでミッキーに追いついたルネは、文句を言おうとして、若い女性の声に遮られた。


「ミック!」


 ショート・カットの黒髪、赤いコートに身を包んだ智恵ともえが、ちょうどエレベーターから出てくるところだった。


「ミック、ルネ。あなた達、こんな時間までどこに行っていたの? マーサが、カンカンになってるわよ」

「判っている。すぐ行くよ、とも

「……どうしたの? ミック」


 思いつめた表情に気づき、智恵は眉を曇らせた。エレベーターに向かうミッキーの背を、怪訝そうに見送る。説明を求めてルネを顧みた。

 しかし、ミッキーと一緒に乗り込むために急いでいたルネには、肩をすくめてみせる時間しかなかった。


 ルネがとび乗るとドアが閉まり、エレベーターは上昇を始めた。今度こそ何か言ってやろうと口を開けたルネはしかし、思いとどまった。ミッキーはエレベーターの壁を睨んでいる。

『こりゃ、駄目だ』 ルネは悟った。『今、こいつに何を言っても駄目だ。聞こえていない』

 ドアが開き、ミッキーは、すたすた歩き出した。ルネは黙って彼について行った。


 食堂の丸いテーブルには全て白いテーブル・クロスがかけられ、赤いポインセチアとキャンドルが飾られていた。中央には高さ五メートル程のツリーがそびえ、安藤家の小さな子ども達が、芳美と麻美の双子の指示の下、飾り付けをしている。厨房は戦場のような忙しさで、洋二とアンソニーが働いていた。

 リズ(五歳)に躓きかけて立ち止まるルネを置いて、ミッキーは厨房へ入って行った。


「ミック!」

「悪い。遅くなった」


 ミッキーはマーサの歓声に短く応え、すぐ調理にとりかかった。イリスも、今日は彼に抱きつく余裕はない。


「洋二、もう皿は洗わなくていいから、コーンを出してきてくれ。大缶四つ。イリスはレタスをむいて。ウサギの餌を忘れるなよ。……ルネ!」

「へいへい」


 麻美のために金色のモールをツリーの枝に掛けていたルネは、首を縮めて応えた。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、ぶらぶら厨房に入ってくるラウル星人を、ミッキーは苦々しく迎えた。


「何を手伝えって? ミッキー」

「……きゅうりの輪切り」


 マーサが、洗ったばかりのきゅうりを籠に盛り、どん、と調理台に載せた。ひるむルネをじろりと睨み、踵を返す。

 ミッキーは自分の作業を始めた。

 イリスがルネの袖を引っぱり、耳打ちした。


「ルネちゃん。ねえ、ミック、どうしたの?」


 アンソニーは、盛り付けの為にお皿を並べている。洋二は、一抱えもある特大サイズの缶詰を開けている。二人とも、もの問いたげにルネを見た。

 ルネはひょいと肩をすくめた。それだけで、三人には事情が判ったらしい。イリスが同情を含んだ眼差しをミッキーの背に向ける。


「ミック、かわいそう」

「へえ」


 ルネは意外だった。誰よりもミッキーになついている少女を、興味ぶかく見下ろした。


「お前は、それでいいわけ?」

「どうして、そんなこと言うの?」


 ラウル星人の血の混じった少女は、紫水晶の瞳を挑むように煌めかせた。ルネはわらって彼女の頭を撫でた。

 ルネの危なっかしい手つきを見かね、アンソニーが交代した。手ぶらになったルネは、安藤夫人がミッキーを案じていることに気づいた。

 ルネは、安藤夫人に目配せをして、相棒の背に声をかけた。


「ミッキー」

「何だ?」


 ミッキーはほうれん草の根を洗っていて、振り返らない。ルネは歌うように節をつけて訊いた。


「いいんですかい? 先輩」

「だから、何だよ。うるさい奴だな」


 ひたすら自分の作業を続けるミッキー。

 ルネは、吹き出しそうになった洋二が慌てて自分の口を押さえるのを一瞥して、訊ねた。


「お前、さっきから何を作っているんだ?」

「シチューだよ」


  マーサの頬が引きつったことに、ミッキーは気づかない。ルネは深く、ふかく嘆息した。


「オレ、ほうれん草の束とキャベツの千切りと大根の輪切りがいっぺんに入ったシチューって、初めてだぜ、ミッキー」

「…………」


 ミッキーの動きが止まった。


 水道の蛇口から流れる水音が、大きく響いた。安藤夫人が歩み寄り、栓を閉める。

 笑いを噛みころす洋二をアンソニーとイリスの二人が睨みつけ、マーサは美しい面を曇らせた。

 ルネは調理台にもたれて立ち、胸の前で腕を組んだ。ツリー周囲の子ども達は、大人たちの様子を不思議そうに眺めている。


 数十秒後、ミッキーは行動を再開した。ぐつぐつ煮えている鍋の――ルネが指摘した珍妙な料理の火を止める。少しためらってから取っ手を持ち上げ、湯を捨てた。冷水を流しながら、すっかり茹で上がったほうれん草と、厚さ五センチはある大根の輪切り、糸くず状のキャベツを引っぱり出し……溜息をついて、それらをダスト・シュートに放り込んだ。

 そして、


「ロールキャベツを作る」


 ミッキーは、マーサが用意していた具の入ったボールを調理台に置き、宣言した。


「ルネ、手伝え」

「いいですよ、先輩」


 ルネはにやにや笑いながら、ミッキーの隣の椅子に腰を下ろした。ボールから具を出し、掌サイズに丸めていく。ミッキーが、それを手早くキャベツで包んだ。


「でもねえ、先輩。やっぱ、気になっているんじゃないっすか?」


 再度、ルネは試みた。ミッキーは不機嫌に眉根を寄せた。


「その呼び方、止めろって。お前、もう少し綺麗に丸められないのかよ?」

「OK, ミッキー。けどな、頼むから、レタスで巻くのは止めてくれ」

「…………」


 ミッキーの手からロールキャベツの具が落ちた。何とか俵風な形を保っていたそれは、持ち主の手からテーブルの天板までの数十センチの自由落下運動の間に完全に崩れ、べちゃっと合成樹脂の板にはりついた。

 その音は、ミッキーの理性が潰れる音でもあった。


 再び時の止まった厨房の中で、ルネは顔をしかめると、ミッキーの前からそれを拾い上げた。新鮮な具と一緒にして、キャベツで巻く――と言うより、丸めたキャベツの皺の隙間に埋め込んだ。

 ルネがそれをさりげなくお皿の隅に置くと、ミッキーの肩ががくりと落ちた。隣でサラダ用のレタスをむいていたイリスが、心配して彼の顔を覗き込む。

 アンソニーは大袈裟に首を振った。マーサは夫と顔を見合わせる。洋二は、もはや哀れな弟を笑おうとはしなかった。

 小さな子ども達は、きょとんとしている。安藤夫人は優しく微笑みながら、彼等を眺めていた。

 全員の同情の視線の先で……やがて、ミッキーの肩が大きく揺れ、息を吐いた。顔を上げ、のろのろと前髪を掻き上げる。ルネを見て、イリスを見て、おもむろに立ち上がった。


「おばさん」


 ミッキーの声は幽霊のように弱々しかった。養母は温かく微笑んだ。


「行っておいで、幹ちゃん。ちゃんと伝えるんだよ」


 ミッキーは、救いを求めるようにルネを見た。ラウル星人は、とがった牙をむき出した。


「女を口説くのに早すぎるってことはない。でも、一秒でも遅れたら取り返しがつかないからな」

「お前と一緒にするな」


 言い返す、ミッキーの頬にも笑みが浮かんだ。エプロンを外してイリスに渡すと、食堂を走り出た。

 追いつき、肩を並べて走りながら、ルネは楽しげにうそぶいた。


「果てしなく不器用な先輩と子猫ちゃんに敬意を表して、今度はオレが運転してやるよ。……安全運転でな」


               ◇◆



「お、カステラがある。リサ、要らないか?」

「要りませんっ。もう、結構。充分ですってば」

「そうか?」


 そのころわたしは、パイロットに衝動買いをさせないよう努めていた。二メートル近いこの巨人がまた要らない物を見つけ出さないよう、洋菓子店から引っぱり出す。呆れるのを通り越し、焦っていた。わたしの何気ない一言が、ここまで素直に返ってくるのを見ると――

 だって。凄いのよ? ラグってば。


 彼の友人の結婚祝いを選ぶ為に、わたし達は宇宙港の地下商店街から二階に入っている店舗まで、一時間以上かけてゆっくり歩き回っていた。この間に、彼が、いったいどれだけ買い物をしたと思う?

 わたしには持たせず、長い腕に造作も無くぶら下げているのだけど――紙袋の中に三つ、腕と脇腹の間に二つ、お菓子の箱がある。こんなに沢山、誰が食べるの。

 お菓子だけではない。どうして宇宙港にこんなお店が入っているのか不思議だけれど――寝具店では、タオルやくじらのぬいぐるみを買い込んでいる。そろそろ片手で持ちきれなくなっているのに、まだ買おうとする。

 金額よりも買い方に、わたしは焦っていた。


 最初は驚いただけだった。――あるお菓子屋さんの前を通りかかった際、わたしがショーケース内のお菓子を美味しそうだと言うと、ラグは即座にそれを買ってしまった。

 店員さんが包装をしている間、わたしは気を取り直し、別のお菓子を二つほど推薦してみた。すると、二つとも、その場で買ってしまった。

 以後、ずっとこんな調子。


 「他には?」という言葉に、また別のお菓子を示すと、迷わず購入してしまう。「あの、食べ物ばかりって難じゃない?」と言うと――ちょうどそこにタオルが置いてあったものだから、それも買ってしまった。わたしが通りすがりに見たぬいぐるみを可愛いと言うと、くるりと回れ右をして買って来てしまう。

 ことここに至って、わたしは理解した。ラグに決して不用意なことを言ってはいけない。ところが、わたしが黙っていると、彼は自分でみつけてしまうのだ。


「ああ、花がある。良かった。もう少しで忘れるところだった」


 長身に彫りの深い顔立ち、背中を流れ腰にとどく豊かな銀髪。映画俳優のように格好良くて、誰もが振り返るクール・ガイが、小さなフラワー・ショップの前で子どものようにはしゃぐ様子を思い浮かべて欲しい。

 なんだか、疲れてきた。

 エプロン姿の店員さんが出てきて、愛想よく微笑んだ。ラグはサングラス越しに笑って、わたしを顧みた。


「リサ。どの花が好きだ?」

「どうって。あのう~」


 ……わたしが選んだら、彼は店にある花を全部買ってしまうんじゃなかろうか。


「目移りして決められないなら、俺が選ぶけど。いいか?」


 そうじゃなくて、遠慮しているんです。なんていう、わたしの心の声が届くはずはなく――。

 ラグは、可愛らしいピンクのバラを十数本とカスミソウをどっさり買い込んで、一抱えもある花束を作ってもらった。

 花束を嬉しそうに担いで歩き出す彼に、わたしは意外に思って訊ねた。


「少佐、花がお好きなんですか?」

「カスミソウがな」


 わたしの頭くらいすっぽり包めそうな掌で、花束を抱える。重力調節ブーツを履いたパイロットが、片方の腕にお菓子の箱とくじらのぬいぐるみをかかえ、もう片方の腕にバラの花束を抱いてにこにこ笑っている姿は、すっごく目立っていた。


「こいつがないと花束って気がしない。カスミソウだけの花束が一等好きなんだが、人に贈るのにそういうわけにはいかないしな。……それにしても、遅いな」


 ラグは二階のロビーに立ち止まり、腕時計を確認した。


「どうかしたんですか?」

「人を待っているんだが、遅すぎる」

「人って……」

「あんたの旦那」


 頭に浮かんだのは彼の友人のことだったけれど、ラグは平然と付け加えた。

 わたしは瞬きをくりかえした。


「あんたの旦那を待っているんだ。まったく、何でこんなに遅いんだ?」


 わたしは、自分を指さした。


「あの、ラグ。わたし、独身です」

「じゃあ、恋人」

「わたし、そんな人――」


 『いません』と、言いかけた。

 ラグはエスカレーターを見遣った。その頬に華やかな微笑が浮かぶ。低い声が、ロビーに響いた。


「ああ、やっと来た。遅いぞ、ミッキー!」





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