ENDING

ENDING



 ミッキー?


 わたしの思考は、ひどくのんびりしていた。

 大声で呼ぶ、ラグ。その視線の先へ首をめぐらせたわたしは、エスカレーターに乗っている人々をかきわけて来る彼をみつけた。黒目黒髪、濃紺のスーツをすらりとした体型で着こなしている――


 え? ミッキー?


 ミッキーはロビーに到着すると、息を弾ませながら辺りを見回し、わたしとラグを見つけた。その瞳に安堵が宿った途端、


「ほら、ご祝儀だ」


 今にも吹き出しそうな声とともに、ラグは持っていた荷物を投げつけた。目をまるくするミッキーの頭に、くじらのぬいぐるみがぶつかる。チョコレートが、タオルが、クッキーが、その他もろもろ。ミッキーは反射的に受け取ろうとしたけれど、いくつかは足元にこぼれてしまった。

 どういうこと?


 ラグは、わたしに花束を渡すと言うより押しつけて、半歩後ろに下がった。喋る隙を与えてくれない。


「Good Luck, お姫様。……また会おうぜ、ミッキー」


 おどけた敬礼をすると、踵を返した。声をかける暇も無く、歩いて行ってしまう。

 わたしとミッキーは、その背を呆気にとられて見送った。

 そして、


 ざわざわざわざわ……。


 当然のことだけれど、ロビーには人集りが出来ていた。わたしは困ってミッキーを振り向いた。荷物を抱えたミッキーは、わたしと目が会うと、ほっと微笑んだ。


「良かった。間に合った?」

「間に合ったって」


 わたしは、どんどん増える人々の注目を身に浴びて、顔から火が出そうだった。

 ミッキーはそんな周囲の状況など気にならない様子で――思いつめた表情で、わたしを見詰めた。


「もし、きみが、」


 ミッキーは息切れがして、すぐには喋れなかった。ごくんと唾を飲み、首を振る。


「――きみが決めたことに、おれが口を出すべきではないんだろうけど」

「ええ?」

「もしも、きみが本当に《VENA》に会いたいのなら。時間がかかるんだろうし、ラグは、ずっと月にいるわけじゃないし……。勿論、うちには、いつ来てくれてもいいのだけど」

「…………?」

「うちは血のつながりのない家族で、その意味では、きみも家族みたいなものだから。……ああ。家族になってしまうと、そういうわけにいかなくなるから、困るんだけど」

「あの……何の話?」

「え?」


 混乱しているのか、言うことが支離滅裂なので、わたしには彼の話が判らなかった。ただ、一生懸命なことは判る。

 ミッキーは苛々と頭を振った。


「ああ、ごめん。こんなのじゃ判らないよね……。何を言っているんだ、おれは」

「…………」

「ええと、要するに。おれのうちは、いつでもきみを歓迎するし、待っている。でも、それはきみが決めることだから、おれがどうこう言えなくて。……だから、その……きみに、決めて欲しいんだ。今すぐ」

「……はい」


 わたしは当惑気味に頷いた。今はミッキーに落ち着いてもらうのが先だと思い、わけの判らないまま相槌を打った。

 ミッキーが黙り込む。

 わたしは、おずおずと訊き返した。


「あの……何を?」

「え?」


 膨大な量の荷物を抱えたミッキーは、恐ろしいものでも見るようにわたしを見た。わたしは彼の顔色を伺いつつ、もう一度訊いた。


「ミッキー、わたしは何を決めたらいいの?」

「ええっ?」


 信じられない言葉を聞いたかのごとく、彼は眼をみはった。


「何をって……判らないのか?」

「何のこと?」

「何のことって……どうしてだよ!」


 どうして、なんて言われても。わたしは、たじたじとした。人々が騒ぎ始める。


「リサ。昨夜はあんなに鋭かったのに、どうして今になって判ってくれないんだ?」

「そんなこと言われても、判らないものは判らないもの。さっきから何を言っているの? ミッキー」


 ミッキーは、情けない表情になって数度口をぱくぱくさせ、遂に叫んだ。


「おれが、公衆の面前でっ、恥ずかし気もなくプロポーズしているのが、どうして判らないんだよっ!」



 その声は宇宙港のロビーに響き渡り、二人を取り巻いていた人々はもとより、通りすがりに好奇心を惹かれていた人々も、買い物の最中だった人々も、喫茶店でくつろいでいた人々も、店員さんたちも、一斉にこちらを向いた。

 全ては凍りつき、静寂がその場を支配した。驚愕と好奇の真ん中で、ミッキーは真っ赤になって立ち尽くし、わたしは石像と化していた。

 数秒が、急ぎ足で過ぎて行った。


 それから、おおーっというどよめきと、潮騒のような拍手が湧き起こった。その渦の中心で、ミッキーは肩を震わせながら立っていた。

 石像から生身に戻ったわたしは、大急ぎで周囲を見回し、燃える頬を押さえると、ミッキーの腕を引いて一目散に駆け出した。ミッキーは荷物を抱えたまま、おとなしくついて来る。

 わたしは花束を放り出し、彼の腕をかかえ、二人で足並みを揃えてエスカレーターを駆け下りた。一階のロビーでは止まれず、玄関へ突進する。きわどいところで開いたガラス扉の隙間を抜け、歩道と車道の境まで来て、ようやく停止した。


 冷たい冬の風も火照った頬を冷ましてはくれず、わたしはミッキーの、ミッキーはわたしの顔を見られずに、息を弾ませていた。

 ミッキーは、それを落としたら天と地がひっくり返るかドームの天井が破れるという懸命さで荷物を抱え、空を仰いでいる。反対に、わたしは足元に穴でも開くのではないかとうつむいていた。


「あのね、ミッキー。あの……あのね」


 わたしは喘ぎ、混乱して繰り返した。目が熱い。体が融け出しそう。


「そんな、急に、プロポーズだなんて――」

「……ごめん」


 ミッキーは溜息をついた。眼を閉じ、深呼吸をして、なんとか気分を鎮めることに成功したらしい。


「ごめん、いきなりだ。でも――」


 振り返る気配。おそるおそる見上げるわたしに、疲れた微笑を見せてくれた。疲れた――でも、優しい微笑。まだ鎮まりきらない息で、囁いた。


「きみに、うちに来て欲しかったから……。本気で、きみのことが、好きなんだ」


 わたしの頭には完全に血がのぼり、体全体が心臓と化していた。ああもう、泣いちゃいそう。顔をそむけ、眼をこすった。


「あの……わたしね」


 答えなきゃ。返事をしないと。咄嗟のことに、言葉を思いつけない。


「わたしね、考えていたの」


 両手で頬を覆ったけれど、その手も火のように熱くなっていたので、諦めた。髪と一緒に風になぶらせておく。

 わたしは、息だけで囁いた


「地球に帰って、パパの殺された理由を調べようって。でも、」


 顔を上げると、ミッキーの瞳に出会った。夜空より澄んだ黒い瞳に、わたしは、ぎこちなく微笑みかけた。


「でも、本当は恐かったの。わたし独りで何が出来るか判らないし。今夜みたいなことは、ミッキー、あなたとルネがいてくれたからだって判っているから」


 わたしは、彼の瞳に吸い込まれるような心地がした。今度こそ、心から微笑む。


「だからね、ミッキー。もう一度、力を貸して欲しいの。もし、わたしが、『月うさぎ』に置いてもらえて、あなたと一緒にいられたら。わたし――」

「BRAVO!」


 言い終わらないうちに、わたしはひょいと抱き上げられた。ミッキーは荷物を全部放り出して、わたしの腰を支え……高く、高く抱き上げて歓声を上げた。驚いてしがみつくわたしに、心地よい笑声を聞かせてくれる。

 わたしは絶句し、それから、声をあげて笑い出した。



「おい! お前ら!」


 苦りきったしわがれ声が飛んできた。クラクションが鳴る。ルネが、エア・カーの運転席からうんざりした顔をのぞかせていた。


「いいかげんにしろ! いつまでじゃれてるんだよ!」


 わたしとミッキーは顔を見合わせ、同時に吹き出した。手を繋ぎ、笑いながら車に駆け寄る。

 ミッキーは荷物をナヴィゲーター・シートに放り込み、わたし達は後部座席にとび乗った。ルネが車をスタートさせる。


「『月うさぎ』まででいいのか? お二人さん」


 運転席から首を伸ばして、ルネはからかった。


「なんなら、教会まですっ飛ばしてやるぜ?」

「いいよ。時間はたっぷりあるから」


 ミッキーは、わたしを横目で見て答えた。ウィンクが華麗に決まる。


「いやあ! しかし、良かったぜ」


 ルネは心底ほっとした口調になった。


「これで、安心して報酬がもらえる」

「報酬?」

「これ、何だと思う?」


 ルネは、ズボンのポケットからデジタル・チェック・シート(小切手)を引っ張り出した。そのゼロの数の多さに、わたしは眼を瞠った。

 ルネは上機嫌だ。


「ハクスリーがくれたんだ。オレを殺しかけた詫びに。この、五百万クレジットをな」

「そして、その話を聴いたラグが、おれにこれをくれたよ」


 ミッキーも、ジャケットのポケットから二枚のチェック・シートを取り出した。それぞれにルネのと同じ数字が書かれていたので、わたしは息を呑んだ。


「三人で五百万クレジットじゃあ、半端だろうって言ってね。スティーヴン・グレーヴスを殺した犯人を捕まえたお礼も兼ねて、おれときみに一枚ずつだ。きみが地球へ帰ったら口座に送って、おれは、そっくり返すつもりでいた。こんな大金、おれ独りでもらっても仕方がない」

「そうすると、オレが独りで金持ちになるわけにいかないだろ。オレだって、使い道がない。ミッキーがラグに返すのなら、オレもハクスリーに返そうと思っていた」

「でも、きみが月にいてくれるのなら……大いに使い道があるね……」


 わたしはもう、二人の話を聴いていなかった。窓の外、ちらちらと舞い始めた人工の雪を眺めながら、ミッキーの肩に頭を預けた。ルネがけっと舌打ちする。ミッキーがわたしの肩を抱いてくれる。

 ルネはアクセルを踏み、車は風を切って走り出した。笑っている、わたし達を乗せて……。








『今夜の訪問者は最高!』~FIN~


 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

 幕間をはさんで、第二部へ続きます。



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