Part.5 今夜の訪問者は最高!(2)


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「警察って、早いんですね」


 自動運転タクシーに乗って来た道を戻りながら、ニナ・カレイは、泣きつかれた声でこう言った。


「今まで噂には伺っていましたけれど、本当にこんなに早いとは思いませんでしたわ」


 わたしは心の中で呟いた――そうね。朝になれば、連絡のつかない執政官アウグスタを心配して、誰かが警察に通報するだろう。或いは、防犯装置セキュリティーが作動していないことに気づいて、警備会社が駆けつける。そうなれば、わたし達はおしまいだ。

 新婚だという、ニナ・カレイ。彼女の取り乱しっぷりに、わたしはすっかりショックを受けてしまい、尋問するのを忘れていた。気を取り直して再開する。


「あなた、どうしてあんなことをしたの?」


 彼女は青ざめながら囁いた。


「私、女友達と飲みに行ったんです。お店であの人に出会って、意気投合して……彼の部屋で飲みなおそうという話になって。はじめは友達も一緒でした。ところが、気が付くと、私達二人だけになっていました」

「…………」

「私、夫がいますし、彼にも婚約者がいると聞いていましたから、これはいけないと思い、帰ろうとしたんです。そうしたら、あの人、いきなり抱きついてきました……。私、無我夢中でその場にあったものを掴んだんです。そうしたら――」

「わかったわ」


 わたしは溜息を呑んだ。

 彼女はぐすっと洟をすすり、再びあふれてきた涙をハンカチで拭った。白い布に染みこませていたらしい爽やかな柑橘の香りが、車内に漂う。


 ちょっと待って……。


 わたしは頬がこわばるのを感じ、小声で訊いた。


「あなた、いつもその香水を使っているの?」

「ええ、ベルガモットですわ。バードが好きなんです」


 メモリー・カードに染みついていたのは、甘い花のような香りだった。それに、彼女は会った時から流暢な地球標準語を話している。


「ご出身は地球?」

「はい、北アメリカ州シアトルです。幼い頃はそこにいて、ジュニア・スクールを卒業してから両親の仕事の都合で月へ来ました」


 新しい尋問だと思ったのだろう、彼女はよどみなく答えた。わたしの背筋がすうっと冷えた。


 間違えた! どうして? どこで掛け違えたの? ――それから、さらに恐ろしい疑問に心臓をわしづかみにされた。


 タクシーは、さめざめと泣く彼女と頭の中が真っ白になっているわたしを乗せ、70丁目の角まで来て停まった。わたしは料金を支払い、彼女を支えて立たせたものの、何処へ向かえばいいか分からなかった。――仕方がない。動揺をおさえ、毅然とした口調をこころがける。


「あなたがあそこから来た道筋を、教えてくれる? 銃をどこへ捨てたのか」

「わかりました」


 彼女は消え入りそうな声で応え、唇を噛んで歩き出した。わたしに腕を掴まれたまま、先に立つ。すぐに角を曲がったので、わたしは焦った。


「ちょっと……どこに行くの?」


 振り向いた彼女の顔は、青ざめてはいたけれど穏やかだった。申し訳なさそうに囁く。


「私、気が動転してしまって、どこにいるか分からなかったんです。あの角に出てタクシーを拾うまで、道に迷っていました。銃を捨てたのはこの辺りかと」


 わたしは頷いた。そうだ……動転ぐらい、するだろう。


「どうぞ、行ってみて。ついて行くから」


 「すみません」と呟いて、彼女は再び歩き始めた。狭い路地を右へ左へと曲がるうちに、わたしにも来た道が判らなくなった。心の奥の黒い不安が、うずまきながら膨らんでいく。

 彼女はとある古いビルの裏で立ち止まり、四角い箱を指差した。高さ一メートルほどの金属製のダスト・ボックスだ。


「この中に捨てました。その、銃を……」


 わたしは彼女の腕を掴んだまま、もう片方の腕を箱の中に突っ込んだ。何も手に触れない。中を覗き、抗議をこめて告げた。


「何も無いわよ」

「なんですって?」


 彼女は箱の中を覗き込み、悲痛な声をあげた。


「こんなはずないわ。私、確かにここに捨てたんです。信じて下さい」

「嘘をついているなんて思っていないわ」


 わたしは出来るだけ優しく頷いた。


「回収されてしまったのかもしれない。さあ、次はあそこへ行くのよ」


 ほっとゆるみかけた彼女の顔が、今度はさあっと白くなった。


「どうしても、ですの?」

「どうしても、よ」

「わかりました」


 彼女が逃げるとか暴れるとか、変な気を起こさないでいてくれることを切に願った。わたし独りで捕まえておく自信は、全然なかったので。

 しかし、幸い彼女は素直に歩いて行き……やはり、違う家の階段を登っていった。後について行きながら、わたしは心が絶望に塗りつぶされるのを感じた。



「ここ、ですわ」


 彼女はアパートの部屋の入り口に立って中を指さし、震える声で言った。体ごとガタガタ震えていた。


「ごめんなさい。私、これ以上、入れません」


 もう彼女を捕まえておく必要はなかった。わたしにとってはどうでも良かったけれど、いまさら後に引けない。

 わたしは独りで開けっぱなしの玄関の扉をくぐり、薄暗い部屋の中に入って行った。怖いとは思わなかった。既にスティーヴン・グレーヴスの死体に面会しているのだ。今さら死体がひとつ増えたところで、どうということはない。テーブルの上にピザや飲みかけのグラスが無造作に載っている部屋をつっきり、奥の床に横たわっているそれを、覗き込んだ――



 彼女は戸口にうずくまり、両手で顔を覆っていた。戻ってきたわたしが何と声をかけようか悩んでいると、こわごわ視線を上げて訊いた。


「どうしたんです? 死んでいたんでしょう?」

「……ちょっと来て」


 わたしは彼女の腕を掴んで立たせた。渋る彼女を部屋の奥に引っぱって行き、床の上にだらしなく伸びていた黒い物体が呻きながら伸びをするのを、並んで見下ろした。

 彼女は青い眼をおおきく見開いた。

 わたしは苦い声で説明した。


「死んでいなかったのよ。壁に焦げた跡が見える? あなたの撃ったレーザーは、この人を外れて、あそこに当たったの。死んだように見えたのは、眠っていただけ。単に、酔いつぶれていたのよ」


 立ったまま泣き出す彼女を、わたしは、げんなりと眺めた。

 目醒めた男が、のっそり身を起こした。


「あれ? あんた、どこに行っていたんだい?」


 彼女はぴたっと泣くのを止め、わたしの背にしがみついた。男は酔いに濁った緑の目で、わたしと彼女を交互に見た。


「え~っと、この人は、あんたのお友達かい? 飲み直そうか」


 わたしは身を翻し、呆然としている彼女を引っ張った。口の中は苦いものでいっぱいだった。


「行きましょ。また銃を撃たないうちに」


 死体は何もしないけれど、生きている男はそうじゃない。わたしは酔っ払いを無視し、彼女を連れて家の外へ駆け出した。暗い路地を通り抜け、車道へ出る。

 彼女はずっと泣きじゃくっていた。



 わたしは手を挙げてタクシーを呼び止めた。

 夜風をまき上げて停まったタクシーの後部座席に、わたしは彼女を押し込んだ。小さな少女のように頼りない表情になっている彼女に、せいいっぱい優しく微笑みかける。


「さあ、早く家に帰って。バードの側を離れちゃ駄目よ。……そして、二度と銃なんかに触らないのよ」


               *


 AIの制御するタクシーが角を曲がるまで、わたしはそこに立って見送った。重い疲労が体に充ち、肩を落とす。

 これから、どうしよう?

 かなり時間と集中力を使って彼女を追いかけていた分、疲労も強かった。精神的なダメージが……。舗道に靴音が響くのを聴きながら踵を返し、石畳を眺めて歩いた。

 どこに行こう?

 手がかりは無い。タクシーが違うのなら、犯人はどうやって逃げたのだろう。どっちの方向へ? 

 ミッキーは、どうしているだろう。ルネは――今も、見えない犯人を追いかけているのだろうか。わたしのために。

 二人に無性に会いたかった。今すぐに、会いたい。


 あの家で別れてから、ずいぶん時間が経ってしまったように感じた。何日も過ぎたようだ。焦りが絶望に変わりそうになるのを、首を振って払いのける。独りでいるのは辛かった。自分で自分を支えていないと、諦めてしまいそうになる。

 ミッキーなら、落ち着いて次の方法を考えてくれるだろう。ルネなら、すぐに気持ちを切り替えて、歩き出そうと言ってくれる。

 溜息を呑み、唇を噛んだ。情けない。こんな時、『わたしなら』どうするか、まるで浮かばないなんて。二人に頼りきっていたことに気づき、泣きたくなる。

 これまでずっと二人に背中を押してもらっていた。だから、途方に暮れることは無かった。――そう思ったとき、『帰ろう』と思った。


 帰ろう……出発点の、あの家。スティーヴン・グレーヴスの家に戻って、もう一度、二人に背中を押してもらおう。

 会えなくてもいい。あそこを出たときのことを思い出せば、もう一度、歩き出せる気がした。


 わたしは顔を上げて周囲を見まわし、自分の位置を確認した。あの家からそう遠くないところに戻っていると気づき、苦笑した。まるで、最初からそのつもりだったみたい。

 少し気持ちが楽になった。


 夜道を進み、見覚えのある建物を見つけると、思わず早足になった。丁寧に閉められた鉄製の門を開けて、大きなガラスの扉をくぐる。真っ暗な玄関に立ち、息を殺した。

 ミッキーは帰って来ているだろうか? ルネは。


 手探りに壁を探し、耳を澄ませる。階上から、人のいる気配は伝わらない――人の気配は。不気味に静まり返った屋敷は、死者を起こさないよう息を殺しているみたいだった。

 わたしは重い木の扉を開けて、家の中に入った。


 外からガラス越しに届く明かりがなくなると、真の闇がわたしを包んだ。『来た時と同じだ』と思っても、体の芯が寒くなる。あの時は、ミッキーの腕を掴んでいた。彼のぬくもりが側にあった。でも、今は。


 わたしは恐るおそる手を伸ばし、転ぶ寸前に壁を探り当てることに成功した。ここって、こんなに広かったっけ?

 左手で壁を辿り、足を踏み出す。ミッキーがそうしていたように、一段目の階段につま先が当たるまで、そろそろと進んだ。位置を確認しつつ段を上る。手すりに片手を置くというよりは、しがみついて。

 眼が闇に順れても見えることはなく、勘だけが頼りだった。何段あったっけ? そう思ったとたん水平なところに出たわたしは、つんのめりそうになった。

 手探りで踊り場の壁を探す。右へ曲がって、あと少しで二階に着くはず。――わたしは、たぶん焦っていた。


 何かの音がした。


「…………?」


 わたしは手を伸ばし、指先が壁に触れたところで動きを止めた。何か……わたしとは違うものが立てる音に、耳を澄ませる。

 音は低く、単調に続いていた。やわらかなベルの音だ。リリリン、リリリンと……一定の間隔を置いて、繰り返し鳴っている。これは――


 何? 防犯装置セキュリティー? わたし、まずい物に触った?


 内心パニックを起こしかけていると、前方のドアがさっと開いて、金色の光が目を射た。


「…………!」

「リサ?」


 眼をかばう余裕もなく立ち尽くしていると、逆光の中から懐かしい声がした。わたしは膝の力が抜けそうになった。


「ミッキー。良かった……」

「リサ、だって?」


 さらに部屋の扉が大きく開き、こぼれてきた明かりとしわがれ声に、わたしは笑い出した。二人の呆れた気配が伝わった。


「リサ、大丈夫かい?」

「ええ、ミッキー。ルネ。違うの、これは。……やだ、わたしったら」


 ほっとしたのだ。二人の顔を見たとたん、その気持ちが涙となって溢れ出し、わたしは慌てて眼をこすった。泣き笑いになってしまう。

 二人は怪訝そうにわたしを見た。

 例の部屋に入りながら、わたしは彼等を安心させようと微笑んだ。


「大丈夫よ。帰って来ているなんて思わなかったから、驚いちゃった。安心したら、涙が出てきて……」


 それから、大急ぎで笑いを収める。


「この音は何? セキュリティー?」


 ミッキーは冷静だった。机の上の置時計を手に取りながら、


「そうなら、ルネが金庫を開けたときに警備員が来ているよ。こいつじゃないな……。どこかで、目覚し時計でも鳴っているんじゃないか?」

「二ヶ所から同時に聞えてくるぜ」


 ルネが強く眉根を寄せる。まるでそこが原因でもあるかのように天井を睨み、片手を挙げていた。


「この階と、一階からも聞える。誰か来たんじゃないだろうな?」

「……電話だ」


 ミッキーが舌打ちと同時に呟いて、身を翻した。早足で寝室へ入っていく。

 わたしとルネは顔を見合わせて、彼の後を追いかけた。



 ベッドとクローゼットで占められた寝室は、広かったけれど、どこか雑然として実際以上に狭く感じられた。暗いせいもあったろう。

 ミッキーは、キング・サイズのベッドの傍らに立ち、サイド・テーブルの上で点滅するグリーンのライトを途方に暮れて見下ろした。

 最新型のヴィジュアル・ホーン(TV電話)は、本当に小さかった。薄いタブレットだ。真上に3D映像を映し出すタイプらしく、スクリーンはない。受信を示すライトが、優しい呼び出し音とともに小刻みに点滅している。休み無く、リリリン、リリリンと……。


「どうしよう?」


 ミッキーは困ってルネを見たけれど、ラウル星人は、ぼさぼさ頭を掻きむしるだけだった。

 ミッキーは、戸惑い気味にわたしを見た。


「誰か、事情を知らない人がかけてきたんだろう。出てみようか?」


 わたしは首を振り、息を潜めて囁いた。


「危険だわ。放っておけば、そのうち諦めるんじゃない?」

「映像を消して、声だけで……あいまいに喋れば、多分、大丈夫。あの男の真似くらい出来るよ」

「でも――」


「ラグ・ド・グレーヴスかもしれないぜ?」


 ルネが言い、わたしは驚いて彼を見上げた。

 ルネは、にやりと唇を歪めた。


「ドウエルのおっさんかも。スティーヴンの旦那の関係者なら、何か聞きだせるかもしれない。危険を冒す値打ちはある」

「やってみよう。二人とも、おれに付いていてくれ」


 わたしとルネは、ごくりと唾を呑み込んだ。両側からミッキーにくっつき、身構える。

 ミッキーは機械の表面のキーを撫でた。呼び出し音がぴたりと止まる。通話中を示すグリーンのライトが点灯した。

 ミッキーは映像を映さず、低く囁いた。


「Hello?」

『スティーヴ?』


 女の声だった。澄んだ優しい声が、ひかえめに囁いた。


『あたくし。ミーシャよ』





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