Part.4 異端者たちの夜想曲(5)


         5


『葉巻を噛み潰した男。……茶色の服を着た男。……香水の匂いのする、タスキナ星人の女』


 呪文のように口の中で繰り返してから、ルネは肩をすくめた。

 駄目だ、まるでイメージが浮かばない。だいたい、こんな小さな特徴で犯人を見つけ出そうなんて無理な話だ――というのは、言わない約束か。なら。

 裏通りで足を止め、咥えた煙草の火先をぷらぷら揺らす。いつか射るように細められた眼には、青い光が宿っていた。月を照らす、地球光アース・ライト


 なら――それがミッキー達のやり方なら。オレは、オレの方法をとらせてもらおう。


 ルネはジャケットのポケットに両手を突っ込むと、舗道を蹴ってふわり跳び上がった。音を立てず傍らの家の屋根に降り立ち、もう一度ジャンプする。十五階建てのビルの屋上に立つと、建物の間を渡る人工の風が彼の栗色の髪を吹き上げた。

 『さて』と考える。タイム・リミットは三時間。午前六時までに犯人を見つけなければならない。しかし、この街にいる全知性体を調べるなんて無理な話だ。

 闇雲に探しても仕方がない。条件を定めよう。


 屋上の角に立って、夜の街を眺める。郊外の住宅地では、たった十五階でも結構辺りを見渡せた。肌寒いくらいに調節された夜風が、ジャケットと彼の髪を揺らす。

 淀んだ闇に家々の影が沈んでいる。その間を縫うように流れる車の明かりは、今は疎らになっている。わずかに覗くドームの天井には、満天の星とちょうど半分の地球が浮かび、澄んだ光を投げかけていた。


『どこだ……』 地球光を浴びながら、ルネは口の中で呟いた。『どこにいる?』

 今夜、人を殺した男。罪の意識を抱えて、うずくまっている男。人目を避け、しかし、独りでいる恐怖に耐えられそうにない奴が、行きそうな場所はどこだ? 秘密が暴かれることを恐れつつ、必ず見つかることを知っている、追っ手に怯える男が真っ先に向かう場所は――

『あった』


 吸い終えた煙草を携帯灰皿に押し込み、ルネはぺろりと唇を舐めた。緋色の唇に、紅い舌と狼の牙を思わせる白い犬歯が覗く。

 彼は狙いを定めて別の家へ跳びうつり、そのまま屋根伝いに走り出した。


 罪悪感を抱えた男が、己を鎮めるために行くところは……酒場だ。ルネは確信していた。

 酒場なら、素性を詮索されることはない。人に紛れて行方をくらませたい者にとって、ちょうどいい数の人もいる。孤独に怯える者も、独りきりになることはない――


 屋上から一軒の酒場を見つけたルネは、迷うことなく建物の屋根を跳んで近づき、入り口の扉を開けた。夜風をまとった彼の気配と木製の扉がきしむ音に、店内にいた者が一斉にこちらを向く。

 しかし、好奇の視線は、数秒のちには再びさざめく談笑のなかに埋もれた。ルネは扉を閉じて、また店の屋根の上に跳び上がった。


 人目を避けて酒場にくる男なら、他の客とは離れて独りきりでいるだろう。間違っても、大勢の仲間と談笑していることはあるまい。そういう男を探すため、ここで時間をかける必要はなかった。

 二軒目、三軒目の酒場も、扉を開けただけで通り過ぎ……そうこうするうちに、ルネは70丁目の例の家から五ブロックも離れていた。地球人テランの徒歩の男なら、そろそろ時間内に移動できる限界だ。そう思いながら訪ねた四軒目の酒場で、ルネは店内を二度見した。


 地上の満月の夜を思わせる――地球人の目にちょうど薄暗い程度に落とした黄金色の照明が、やわらかく店の中を照らしていた。おそらく合成だろう長い木製のカウンターが、ルネのいる入り口から真っ直ぐ店の奥へ伸び、バーテンダーの向こうで折れ曲がり、狭い隠れ家を作っている。手前からそこへ行くには、人ひとりがやっと通れる隙間を抜けて行くしかない。

 座っている客の様子をざっと眺めて去ろうとしたルネは、奥にグラスがひとつ置かれていることに気がついた。無愛想なバーテンダーをじろりと睨み返し、後ろ手に扉を閉める。無遠慮な若造の侵入に先客達が会話を止め、彼の動きを見守った。


 ルネは、店の奥へと突き進んだ。

 入り口から死角になっているカウンターのさらに一番奥に、グラスは氷も溶けないまま、空いた椅子の前に置かれていた。


「ここにいた男は?」


 ルネが訊ねると、新しい客の注文を取る為に近づいていたバーテンダーは、黙って壁の方へ顎を振った。――奥へと続く扉がある。おそらく、洗面所だろう。相手は、まだここにいる。

 ルネはごくんと唾を呑み、その隣の椅子に腰を下ろした。


「ジャック・ダニエルを。ロックで」


 唯一憶えている地球人の酒の名を言うと、バーテンダーは肩をすくめるように頷いて離れて行った。『なかなか、いい態度だ』とルネは思った。詮索せず、無駄口を利かず。こちらが何を求めているかきちんと把握している店。逃亡者にはうってつけの店と思えた。


 酔うことは無いと思えたが、相手がどう出るか判らないので――出されたバーボンをちびちび舐めるように飲んでいたルネは、突然、背後に人影が出現したことに驚き、息を呑んだ。壁が男を吐き出したようだった。

 相手もルネの存在に驚き、一瞬、息を呑んだ。いそいそと椅子を引いて彼から遠ざかり、壁際に腰掛ける。

 ルネは、そちらをまっすぐ見ないよう気をつけた。置き去りにしていたグラスを引き寄せる男の手が、緊張で細かく震えている。

 ルネは無言で自分のグラスを口に運び、そこに映る男の姿を眺めた。背は高い方ではない。ルネやミッキーに比べれば、あきらかに小柄だ。薄暗いので色ははっきりしないが、グレーのコートを着て強く背を丸めていた。

 ……何か、右腕に抱えている。椅子に腰掛けなおすときもグラスを運ぶときも、動くのは左手だけだった。年は四十代後半か、五十代。そわそわと落ち着きなく、こちらを窺う顔ににじむ焦燥が男を老け込ませていた。髪の色は黒……瞳も黒。


 グラスの表面で、ルネと男の目が出会った。

 ルネは男に話し掛けようと振り返り、相手が消えていたので驚いた。慌ててぐるっと椅子を回し、入り口のドアがちょうど閉まろうとしているのを見つけた。

 舌打ちと同時にルネは立ち上がり、弾みでグラスを倒して客全員の視線を浴びた。その視線を振り切って出口へと走るルネに、バーテンダーが声をかける。

 ルネはポケットの中から最初に触れたコインを値段も確かめずに後ろへ放った。バーテンダーの怒声を無視して、扉が閉まった。



 通りへ出たルネが急いで周囲を見渡すと、男は転びそうになりながら一つ向こうの角を曲がって行くところだった。ルネが走って行ってそこの角を曲がると、ちょうど次の角を曲がる背中が見えた。

『見つけたぞ!』――軽すぎる重力を蹴って跳びながら、ルネは心の中で勝鬨かちどきをあげた。獲物を見つけた狼のように。


『見つけた! こいつだ、スティーヴン・グレーヴスを殺した男。捕まえたぞ! 逃がすものか!』


 男は何度も振り返り、何度も転びそうになりながら、全力で走り続けた。ルネはすぐに追いつくだろうと思ったが、意外に差は縮まらなかった。

 三度目の角を曲がったところで相手を見失い、ルネはぞっとした。……数分と経たない間に、相手の方から姿を現して、反対方向へ逃げ出した。また追いかけっこが始まった。


 男は終始無言だった。ルネも無言で追い続けた。どちらかが大声をあげて助けを呼べば状況は一変したろうが、どちらもそうしようとはしなかった。それはルネの自信に繋がった。後ろめたいところがないのなら、なぜ助けを呼ばない?

 深夜の住宅街を走る古典的な追いかけっこは、朝まで続くかと思われた。男が行き当たりばったりに方向を変えるので、ルネにも先回りが難しかったのだ。


 少しづつ、二人の距離は縮まった。逃げる男の呼吸が荒くなり、休む回数が増えてくるのに対して、ルネの方は余裕があった。最後に百メートルほどの空間転位テレポーテイションを行い、男の前に立ち塞がった。


「…………!」


 突然目の前に現われたルネの姿に、男は跳び上がり、よろめいて建物の壁に背中をぶつけた。もう逃げる体力は残っていないらしい。ルネが近づくと、男は抱えていた右腕を離した。

 ルネは身構えたが、出てきたのは銃ではなかった。男は四角い、くたびれた、黒く小さなものを左手に握り、ルネの胸に押し当てた。それが財布だと判るまでに数秒かかった。

 男は喘ぎながら言った。


「ほら、こいつが欲しいんだろう? やるから、とっとと持って行ってくれ」

「待てよ」


 ルネが戸惑っていると、男は勝手に手を離し、財布はぽとりと地面に落ちた。男は首を何度も横に振り、すすり泣くような声をあげた。


「いいから。俺は助けを呼んだりしないから、持って行ってくれ。もう、構わないでくれ……」

「どうして逃げたんだ?」


 男が背中に隠している右手を警戒しながら、ルネは低く訊ねた。さらに迫る。

 相手は左手で顔を覆った。


「お前こそ、どうして追って来た? 俺はヒトが怖い。闇が怖い、独りが怖い、生きているのが怖いんだ……。頼むから、そっとしておいてくれ」

「ちょっとまて」


 逃げようとする男の腕を掴んだルネは、その、あまりの手ごたえのなさに、ぞっとして立ち竦んだ。

 男の右腕は――コートの袖の中には、何も、腕すら無かったのだ。

 男は、ずるずるとその場に座り込んだ。


「銃を持っていないのか?」

「銃だって?」


 男はルネを濁った瞳で見上げた。声はかすれ、血がにじんでいるように聞えた。


「ああ、奴らに返した。俺にはもう、右手がないんだから……銃なんて使えない」

「お前は人を殺したんじゃないのか?」

「大勢殺したよ」


 冷たい壁に寄りかかり、男はすすり泣いた。


「命令だったから、数え切れないくらい殺した。それで、最後は自分を殺しちまった」

「……お前が人を殺したのは、いつの話だ?」


 ルネは胸の奥がしんと冷えるのを感じながら訊ねた。既に答えを予想しながら。


「三年前、コロニーでだ……ボーダー・エリア(辺境)の。俺は、独立派の連中を皆殺しにして、最後にあそこを爆破してくる予定だった。だけど、失敗して、自分の船と右手を置いて来ちまった。それ以来、奴等は毎晩夢に現われて、右手を取りに来いと言うんだ……。なあ、もういいだろう? 俺を放っておいてくれ」


 ルネは黙っていた。苦い想いが胸に溢れた。


 彼等は異端だった。

 銀河連合宇宙軍の戦士トループス。――輝かしい呼び名とは裏腹に、そこには人を厳然とランク付けし、差別する思想が存在する。社会に影響を及ぼす危険分子と定義づけられた時のショックを、忘れてはいない。

 宙港で彼をみたデモ隊員の眼差しを思い出す。


 惑星国家の同盟で成立する銀河連合では、各国政府の要請に応じて軍隊を派遣することがある。ラウル星人の精神感応能力テレパシーをもってすら意思疎通できない異形の生命体を排除することもあれば、非同盟国との戦争のこともあり、同じ国内の治安維持に駆り出されることもあった。

 月と地球政府とのいざこざも、いつそこへ波及するか判らない。


 ルネは男の財布を拾い上げ、そこについた砂を払った。彼には、この老いた仲間を慰める術が他になかった。





~ Part 5へ~

(注*)ルネはこの後、すごすごとお店に戻ってお酒の代金を払い直しています(^_^;) びびらせちゃったオジサンの分もね……。


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