Part.4 異端者たちの夜想曲(4)


          4


《お客さま、ご乗車なさいますか?》


 開いたドアの前で立ち尽くしていたわたしは、自動運転タクシーに話しかけられて瞬きをくりかえした。東70丁目の角で巡回している無人タクシーを呼び止めたものの、行く当てがなく悩んでいたのだ。

 わたしは急いで後部座席に乗り込んだ。


「ごめんなさい。お願いします」

《どちらまでご案内しましょうか?》


 落ち着いた男声のAIは、全く動じることなく質問した。わたしは迷った。どちらまでって、えーと……。

 閃いた。これは、質問の仕方によっては上手く行くかもしれない。


「あの、ちょっと教えて欲しいんですけれど。今夜は、ずっとこの辺りを走っていたんですか?」

《23:00以降、本機は東60丁目から70丁目を東回りに巡回しています》


 わ。答えてくれた。

 わたしは唇をひとなめして続けた。


「それじゃあ、十二時から今までの間に、わたしの他に女の人を乗せなかった?」

《お客様の年齢、性別、目的地等、個人情報に関する項目は開示できません。申し訳ございません》


 ああ……まあ、それはそうよね。

 個人情報に触れなければいいのよね。わたしは慎重に質問を変えた。


「この一時間に乗せたお客さんは何人?」

《三人です》

「東70丁目から乗せた人は何人?」

《一人です》

「その人が降りたところまで、わたしを乗せて行ってくれる?」

《…………》


 AIが黙ったので、まずい指示だったかな、と思ったけれど。ドアをロックする音がして、風圧推進自動車エア・カーはふわりと浮き上がった。平静な返事がかえってきた。


《承りました。到着までの予想時間、十二分二十五秒です》

「あ、はい」


 溜息が出そうな気分で、わたしはシートにもたれた。相手が人間だったらいろいろと言い訳を考えなくてはいけないのだろうけれど、AIには詮索されないのが有難かった。

 人殺しを追いかけているなんて、言えないもの。


 タクシーは大通りに出て、郊外の住宅地を都心に向かった。きちんと法定速度を遵守している。70丁目から69丁目、68丁目……と、わたしは次第に減っていく道標の数字を確認した。63丁目の交差点にさしかかった時、初めて赤信号で止まった。


《到着しました》


 最初はAIの言葉の意味が理解できなかった。信号だと思っていたのだ。けれど、隣の車が走り出しても、こちらは動く気配がない。呆然としていると、運転AIは繰り返した。


《到着しました。御料金は1740クレジットです》

「え? ああ、はい。ありがとう」


 わたしはあたふたと料金を支払い、タクシーを降りた。何か、この先の手がかりを――と考えていると、信号が青に変わった。

 わたしの目の前で、ドアがバタンと閉まった。そうして、無人タクシーは音もなく走り出し、あっという間に角の向こうに行ってしまった。


「…………」


 目の前を通り過ぎる車の風が、わたしの髪をなびかせ、心を寒くさせる。わたしは溜息をついた。

 よく解った。コンピューターは融通が利かない、ロボットは人間の不利益になることをしない、AIに悪意はない。

 悪意があるのは人間。人間が、人間を害するのだ。AIの運転制御を外してパパを殺したのも、スティーヴン・グレーヴスを殺したのも……。


 落ち込んでいる場合じゃない。

 わたしは顔を上げ、周囲を見回した。とにかく、相手はここまでやってきたのだ。早く続きをみつけないと。

 交差点の向かいにパン屋さんがあった。いや、ケーキ屋さんかな? ショーケースの中にそれらしい品が並んでいる。暖かな灯りのなかに動く人影も見えた。

 わたしは信号を無視し、車の流れが開くのを待って道を横切った。自動ドアが開くと、美味しそうなパンの匂いがわたしを包んだ。一瞬、ミッキーとマーサさんのエプロン姿を思い出す。


「いらっしゃいませ」


 恰幅のいい、焼きたてのパンのような顔色をしたおじさん(ジャムおじさんだ!)が、こちらを向いて微笑んだ(注*)。わたしは愛想笑いを返した。


「すみません。ちょっとお訊ねしたいんですが、今夜はずっとここにいらっしゃいました?」


 おじさんが頷くと、透明マスクの下の二重顎がゆさゆさと揺れた。悪い印象は受けない。少し怪訝そうに答えた。


「うちは二十四時間営業ですし、今日はクリスマス・イヴですからね」

「向かいの角で、タクシーから降りた女の人を見ませんでした?」

「さあ。それは……」

「じゃあ、女の人がここへ来ませんでした?」


 おじさんは、さらに怪訝そうにわたしを眺めた。首を傾げて考え込む。しばらくして、のんびりと訊いた。


「空き瓶を返しにですか?」


 いくら月が資源循環型のコロニーだと言っても、殺人現場から空き瓶を持って来ることはないだろう。


 わたしが首を横に振ると、おじさんの眉が難しそうに寄せられた。腕を組んで軽く唸る。と、遣り取りを面白そうに見ていた若い店員さんが、声をかけて来た。


「あの人のことじゃないですか? 店長」

「お前、知っているのか?」


 知らず知らず両手を祈るように胸の前で組んでいたわたしは、赤毛の店員さんに視線を向けた。彼は店長さんに説明した。


「ほら。いつも夜中に来て、パンに触るお客さんですよ」

「ああ、あの人か」


 店長さんの口調がたちまち渋いものに変わったので、その人があまり歓迎されるお客でないことが判った。

 赤毛のお兄さんは、眉尻を下げてわたしを見た。


「お客さんはお知り合いですか? でしたら、何とか言っていただけませんか。困るのでやめて下さいってお願いしているんですが、」


 彼はカウンターの端に置いてあった籠の中から、大きめのライ麦パンを持ってきた。ビニール手袋をはめた左手で押さえ、やはり手袋をはめた右手の爪で、粉をまぶしたパンの上にくっきり線を引いた。


「こんなふうに、ここまで切ってくれって爪で筋をつけるんです。こんなことされたら売り物にならなくなるでしょう?」


 店長さんが苦虫を噛み潰した。


「そう言うお前がやってどうするんだ」

「僕は手袋をしているから大丈夫ですが、あのお客さんは素手ですからねえ」


「あ、あの」


 やっと喋る機会を見つけたので、口を挿んだ。こちらを向く二人に、


「ごめんなさい。わたしも、実はその人を良く知らないんです。どうしても今夜中に会わなきゃいけない用があって……。どこに住んでいるか、ご存知ありません?」


 しかし、店長さんと赤毛さんは、首を傾げただけだった。当惑気味に言う。


「近所ですよねえ、店長。毎晩歩いて来られるんだから」

「そうだな。隣じゃないかな?」


 店長さんは、無造作に棚の方を指差した。どうやら、これ以上の手がかりを得るのは無理っぽい。

 わたしは二人にお礼を言って店を出た。



 追い詰めたという気分には程遠かったけれど、近づいた気持ちにはなれた。相手はここまで来たのだ……そして、すぐ側にいる。

 店長さんが指差した方向が頼りだった。確か、店の奥……売り物の調味料が並ぶ棚の二段目、ジャムの小瓶を指していた。たぶん、『隣』はそっちの方角だ。こうなったら、一軒ずつ当たってみるしかない。

 そうは思ったものの、実際の建物を見て、わたしは打ちのめされた。マンションの玄関にずらりと並んだメール・ボックスを数える気になれない。これを全部、一部屋ずつ廻っている時間の余裕はない。


 わたしは泣きたくなりながら、メール・ボックスに書かれた名前を眺めた。ジョナサン・スモール……サディアス・ショルト、マセルニ&マレイ・ジョーンズ……バード&ニナ・カレイ……。

 四番目のメール・ボックスを眺めた時、わたしの動きは止まった。カレイ夫妻、二階の十二号室。その蓋のつまみに、わたしの視線は釘付けになった。

 息を止め、顔を近づける。そうしないと飛び散ってしまいそうだった。ほんのわずかについている白い粉、ライ麦パンにまぶしてある、あの粉だ。


『あのお客さんは素手ですからねえ』 パン屋の店員さんの言葉がよみがえる。……ここだ。メモリー・カードを残した女、香水の女。スティーヴン・グレーヴスを殺した女が、いるところ。

 それから、三秒ほど考えた。――夫は? バードという、この女の夫はどうなんだろう? 共犯者? 

 共犯だとしたら、わたし一人では心もとなかった。ルネかミッキーにいて欲しい。でも、タクシーのAIもパン屋の店員さんも、女に連れがいたとは言わなかったことを思い出し、心を決めた。

 よし。この際、単独犯だと考えよう。


 深呼吸をして気持ちを鎮める。冷静になろう……ここから先は気を抜けない。コートの下に手を入れて、ルネの銃を確認した。これを使う羽目になりませんように。どうせ、あたんないだろうし。

 眼を閉じて一秒かぞえ、眼を開けた。足を踏み出す。エレベーターを使い、二階に降りた。七号室の正面だ。明るい廊下の明かりが、わたしを迎えてくれた。

 方向を確かめて十二号室へ向かう。さすがにすれ違う人はいなかった。白い廊下を、ドアの番号を確かめながら進んでいく。……八号……十号……十二号。

 バード&ニナ・カレイ。合金の扉に金色の番号が書かれていて、可愛らしい手作りの表札がかかっていた。

 正面に立ち止まって考える。眠っているだろうか? なんて言おう? ――いいや。もう、迷っている暇はない。わたしはドア・チャイムを鳴らし、ごくんと唾を呑んだ。


「どなた?」


 ドア・フォンから聞えてきたのは、ささやき声だった。怯えているらしい。そうよね。こんな夜中の訪問客、尋常じゃない。

 わたしは何気ない口調を心掛けた。


「すみません。お訊ねしたいことがあるんです」

「どなたです?」

「話していただければ判りますわ」


 冷静に……冷静に。ここで怯えては駄目、ひるんでは駄目だ。相手が迷っている間、パパのことを考えた。《VENA》のこと、ルネのこと、ミッキーのことを。

 ロックを外す音がして、ドアノブが回った。けれど、まだ開かない。


「……ローラじゃないわね?」

「お話させてください。時間はかかりませんから」


 わたしは乾いた唇を舐めた。舐め終わらないうちに、ドアに隙間が出来た。

 わたしより少し年上の女性だった。智恵ともえさんくらいか、もう少し若いかもしれない。ゆるやかに波打つ金髪に青い瞳の綺麗な人だけど、不安と疲労でやつれていた。

 わたしは胸をはり、声に力をこめた。


「あなたの為にも、わたしの為にも、中でお話した方がいいと思うの。ここで騒いでほしくなければ」


 我ながら、よくこんなことが言えたと思う。彼女がそらとぼけてしまえばお仕舞いだった。幸い、彼女は警戒しつつドアのチェーンを外してくれた。

 わたしはすり抜けるように中へ入った。背後で彼女の手の支えを離れたドアが、静かに閉まる。狭いマンションの玄関で、わたし達は顔を突き合わせた。


 女の顔には怯えと苛立ちと、深夜の訪問に対する抗議が表れていた。わたしは、来るべき瞬間に備えて息を吸い込んだ。


「誰です? こんな夜中に、困ります」


 わたしは単刀直入に訊ねた。


「あなたは今夜70丁目のある家を訪ねて、男の人に会ったわね? そこからタクシーで帰ってきた。違う?」


 彼女の顔からさあっと血の気が無くなり、表情が凍りついた。


「あの男の人は、もう死んでいるわ。あなたが殺したんでしょう?」


 女は喘いだ。息苦しいかのように喉元を手でおさえ、よろめいて、玄関からダイニングに続く壁にもたれかかった。これ以上は無いほど目をみひらいて、わたしを凝視した。


「あなた、警察の方?」

「わたしが何者だろうと、どうだっていいのよ。問題は、あなたよ。殺したの?」


 彼女は眼を閉じ、今にも泣き出しそうな顔になった。片手で口元を覆い、ゆっくり首を横に振る……だんだん激しく。美しい金髪が肩から頬へとこぼれ、消え入りそうな声と表情を隠した。


「ちょっと、水を飲んできていいですか? 逃げたりしませんから」

「どうぞ」


 わたしは勢い込んで問い詰めたものの、彼女の反応があんまり悲愴だったので驚いていた。ちょっとかわいそうな気持ちがして頷くと、彼女は軽く頭を下げてダイニング・キッチンへ入った。

 成り行き上、わたしもダイニングへ入る。戸口に立って、グラスに水を汲む彼女の仕草を何気なく見ていたわたしは、慌てて叫んだ。


「飲んじゃだめ!」


 駆け寄って、彼女の手からグラスを叩き落とす。厚手のグラスは床に落ち、ごとんと重い音を立てた。割れずに透明な液体がこぼれ出す。ワンテンポ遅れて、彼女も崩れるようにその場に座り込んだ。

 彼女が水に加えたものが流し台の上にあった。食器を消毒する洗剤だ。多分、害はないのだろうけれど……。

 足元に座り込んだ彼女を、わたしは途方に暮れて見下ろした。どうしよう……白状したも同然だけれど、放心している彼女に何と言えばいいか判らない。


 やがて、彼女は両手で顔を覆ってすすり泣き始めた。なんだか、わたしが彼女を苛めているような錯覚に陥り(本当は、まるで逆なんだけど)、細い肩に手を置いた。


「答えて。あなたが殺したのね?」


 彼女は顔を覆ったまま頷いた。わたしは溜息を呑んだ。


「どうしてそんなことをしてしまったのか、教えてくれる? わたしと、あそこへ戻って頂戴」

「戻れですって?」


 彼女が勢いよく顔を上げたので、わたしはぎょっとした。ああもう、心臓に悪い。

 彼女は血走った瞳でわたしを見上げ、かすれた声で抗議した。


「嫌よ! お願い、勘弁して下さい。私、あそこで死ぬような目にあったんです。許してください」

「でも、あなたが撃った男は、本当に死んでいるのよ」


 冗談ではない。来てくれないと困るのだ。ミッキーが……。

 その時、玄関のベルが鳴った。


 いやいやと首を振っていた彼女が動きを止め、わたしも息を止めた。誰だろうと考える間もなく、彼女は切羽詰った形相でしがみついてきた。


「お願い! バードには言わないで! 私、何でもします。どこへでも行きますわ。ですから……!」


 ドアが開く音がして、「ただいま」という声と足音がこちらに近づいて来た。囁き声になる彼女に、わたしも早口に囁いた。


「わたしと戻ってくれるわね?」

「ええ、何でもします。約束しますわ。どうか――」

「あなたが約束してくれるなら、ごまかしてあげるわ」


 彼女には、もう頷くだけの時間しかなかった。わたしが顔を上げると、茶色い髪の若い男が戸口に立っていた。

 わたしにとっては、ごく普通の男。どこにでもいるような男だった。初対面の時のミッキーのように……。でも、今のわたしにとっての彼のように、彼女にはかけがえの無い人なのだろう。

 わたしは彼に会釈をした、せめて愛想良く。男の方も、真夜中の訪問客を訝しそうに見ながら会釈した。

 彼女は、床にこぼれた水を拭こうとしていた。


「ごめんなさい、私ったらそそっかしくて……。メアリ、あなた、服は大丈夫?」


 それから、今気づいたように男を振り向いた。にこやかに微笑む顔はやや青ざめていたものの、先刻の悲愴さは消えていた。


「あら、バード。もう帰って来たの? ちっとも気づかなかったわ」

「ただいま、ニーナ。このお友達は?」

「紹介するわ、メアリ。私の夫の、バードよ」

「はじめまして。メアリ・ガディスです」


 ごめんね、ルネ。


 わたしは立ち上がる彼女に調子を合わせて笑った。バード氏も会釈をしてくれる。でも、こちらを探るように見る目つきは、あまり愛想のよいものではなかった。

 わたしは腕時計を見て、慌てた口調で言った。


「ごめんなさい、長居しちゃって。旦那様も帰ったし、おいとまするわ」

「そんな、私こそごめんなさい。無理して来て貰ったのに……。待って、送って行くわ」


 彼女は甘えた声で夫に言った。


「あなた、いいでしょう? ちょっとそこまで、タクシーで送って行くわ。夜も遅いし」

「ああ。そうだね」

「先に寝ていて頂戴。疲れているんでしょう? 心配しなくっても、メアリの家はほんの二ブロック先だから。すぐ帰ってくるわ」

「悪いけど、そうさせてもらうよ。気をつけて行っておいで」


 男は欠伸を噛み殺しながら答え、わたし達は三人そろって玄関に向かった。わたしと彼女は、男に勘付かれはしないかと緊張していた。

 彼女は平静を装い芝居を続けた。


「行ってくるわね。おやすみなさい、あなた」

「ああ、おやすみ。……おやすみなさい、ガディスさん。気をつけて」

「おやすみなさい」


 彼女は夫の首に腕を回してすばやく頬にキスをした。男は照れくさそうにしていたけれど、ドアが閉まる間際には、再び欠伸を噛み殺していた。

 ドアが閉まると彼女はそこによりかかり、両手で顔を覆って泣きじゃくり始めた。ずるずるとずり落ち、また座り込んでしまう。

 わたしは、彼女の震える肩を、しばらく黙って見ていなければならなかった。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)『アンパンマン』@やなせたかし(フレーベル館): TVアニメは『それいけ!アンパンマン』 私は絵本を読んで育った世代ではありませんが、子どもと一緒にTVと映画を観ていました。

 主人公のアンパンマンが自分の顔をちぎって食べさせるシーンを初めて観た時は、衝撃のあまり 「私は何を観たんだろう?Σ( ̄ロ ̄lll)」 な気分になりましたね……。うちの子は、ロールパンナが好きです。


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