Part.4 異端者たちの夜想曲(2)
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ラウル星人は、文字通り跳び上がった。
「な、なんだよ、ミッキー。びっくりさせるなよな」
驚き、怯えたように身を引いて立ち上がる。ミッキーは相棒の反応に頓着せず、ソファーの背もたれと腰掛の部分の境目にそっと右手を差し込んだ。撫でるような仕草とともに、小さなメモリー・カードを指の間に挟んで持ち上げる。
真っ黒で飾り気のない薄っぺらなカードを、ミッキーは、まるで爆弾でも取り扱うような手つきで開いた。わたしとルネが、顔を寄せて覗き込む。
コンビニとかで売っているリサイクル可能な簡易メモリー・カードだ。メッセージを遣り取りしたり、会話を翻訳したり、クレジットをチャージしたりもできる。でも、表面の文字が変わっていた。ミッキーは平らなキーを眉根を寄せて眺め、首を傾げてルネに手渡した。
ラウル星人は頷いた。
「タスキナ星系の公用文字だ。持ち主はタスキナ星人か……とにかく、その文字で教育を受けた人間だな」
「やったわ。また一歩前進よ!」
わたしは、だんだん興奮してきた。声が大きくなりかけ、慌てて抑える。
「
「ああ。これで探し易くなった」
ミッキーも黒い瞳を輝かせた。ルネは、カードに記録されている内容を引き出そうとしてみる。残念ながら光電池が切れて久しいのか、反応はなかった。
ルネは皮肉っぽく唇を歪めた。
「このカードを使っていた男が葉巻を噛み潰した奴と同一人物とは限らないぜ、ミッキー」
「タスキナ語を使うというだけで、かなり珍しいよ」
わたしが鋭く息を吸い込んだので、今度はミッキーもギョッとして振り向いた。
カードを顔に近づけていたわたしを、男二人は恐ろしいものでも見るように眺めた。
「どうした? 子猫ちゃん」
「リサ。何か……」
「ごめんなさい、ルネ。ミッキー。女だわ」
わたしは、声に落胆が混じるのを抑えられなかった。ルネの眼がまるくなる。わたしは、ミッキーの手にカードを返した。
「女性?」
「そのカードの持ち主よ。匂い、嗅いでみて」
ミッキーはカードを口元へ持っていき、本棚を見ながら、ゆっくり息を吸い込んだ。納得できない、と言うように首を振る。
ルネが彼の手からカードをさっと取り上げた。
「判らないな……え? どういうこと」
「香水だ」
ルネはひとかぎして、腹立たしげに吐き捨てた。
改めて匂いを嗅ぐミッキーを、わたしは同情をこめて見上げた。
「この部屋に入ったとき、同じ匂いがしたわ。香水を使う女の人がいたのよ。女の人になることを目指している男の人かもしれないけれど」
ミッキーは黙っていた。顔からカードを遠ざけ、指先で弄びながら考える。
ルネは降参しなかった。苛々とテーブルの上を指差して、
「待てよ、リサ。葉巻と煙草はどうなるんだ? スティーヴンの旦那が一人で吸い分けたとでも?」
「女の人より先に男の人がいたのかもしれない。その逆かもしれない。一緒にいたのかもしれない」
「両性体じゃあるまいし、女が葉巻をほうれん草みたいにぐちゃぐちゃに噛み潰すかよ。だとすると男だ。香水は女。二人が同時に座っていたとでも?」
「女の人が立っていて、男の人が座っていたのかもしれない。その逆かもしれないわ。香水が好きな男の人だっているでしょ、ねえ」
「……あのさ、二人とも」
ミッキーが苦笑しながら口を挿んできた。
「数学的に確率の高いものが重なることはよくあるけれど、低いもの同士が重なることは滅多にないんだから、わざわざ話を複雑にさせる必要はないよ……。ダイアナ市の人口百万人のうち、タスキナ語を母語とする人間は十人もいないだろう。それと香水が結びつけば、性別はどうでもいいよ(注①)」
わたしの頭のなかでは、ルネと話をするうちに妙なイメージが(エキゾチックな顔立ちの筋骨隆々とした男性が、ピンクのフリルのドレスを着て葉巻をくわえ、香水を吹きつけているような……)固まりかけていたので、ミッキーのこの言葉は有難かった。
「それから、ルネ。おれは、ほうれん草を料理する時に一度だってぐちゃぐちゃにしたことは無い……。要するに、後から来た方が犯人だ」
「前進どころか、後戻りしているみたいだな」
不満そうに呟いて、ルネは栗色の髪を掻きむしった。ソファーの背を拳で軽く叩く。
わたしとミッキーは黙っていた。また、何か見つけないといけない……。
床を眺めていたわたしの眼に、何か染みのような物が見えた。テーブルの脚の間。ゴミではないらしい。
わたしは、しゃがんで拾い上げた。
「リサ?」
「何かあったかい?」
「……ボタンだわ」
勢いこんで訊ねる男達の目の前に、茶色いボタンを掲げてみせる。
「ベストのかしら?」
「いや。きっと上着の袖口についている飾りボタンだ。ズボンのポケットにもついている、小さい奴だよ」
「あのひとのかしら?」
直視するのを避けていた物体に、視線を向けようとする。ミッキーが首を振って苦行から解放してくれた。
「いま旦那が着ている服じゃないよ。色も形も違う」
ルネはセーターにジーンズ、ダウン・ジャケットは赤だから、違うのは一目瞭然。ミッキーのズボンは紺、ジャケットも紺で、コートは灰色だから、これも間違えようがない。
そうすると、
「ここに来た男の物だろうな。いや、待てよ」
ミッキーが言うより早く、ルネがだだっと寝室に駆け込んだ。灯りをつけ、クローゼットの扉を開く。一瞬、窓のことが気になったけれど、きちんとカーテンがかかっていた。
クローゼットの中には、ぎっしり衣類が掛かっていた。でも、不思議なことに茶色のものは数える程しかなかった。スティーヴン・グレーヴスは、茶色はあまり好きではなかったらしい。
ルネは手早く茶色に見える服を取り出して、袖口のボタンの有無を確かめ始めた。
「全部そろってるな」
「これは違う? 見ようによっては茶色よ?」
わたしも、やや赤っぽい服をハンガーごと引っ張り出した。ミッキーが注意する。
「ズボンの後ろのポケットを忘れちゃ駄目だよ。右側のがよく取れるんだ。……おれの場合はね」
「ちゃんと付いているわ」
「こいつじゃないか?」
一番奥の服へと手を伸ばしたルネが、バランスを崩して黒や青の服の間に埋もれたので、わたしとミッキーは慌てて掘り出さなければならなかった。やっと引っ張り出した厚地の服を、ルネは忌々し気に眺めた。
「ボタンの形が違う」
それを手前に掛けなおし、クローゼットの扉を閉めた。わたしとミッキーは、部屋の灯りを消して出て行こうとした。
「どうした? ルネ」
暗がりでも見えるルネは、また何かを見つけたらしい。寝台の枕もとに立ち尽くしている。わたし達は、もう一度灯りをつけて戻った。
ルネは乱暴な手つきでヘッドボードを指差した。銀色の小さなフレームの中で3D写真が揺れている。栗色の柔らかそうな髪をした、品のある女の人だった。
ミッキーが頷いた。
「婚約者か誰かだろうな。カード・ケースの中にも写真があったよ」
「
ルネは片目を閉じてわたしを見た。写真を指で弾く。
「香水の女だ」
「そうかもしれないわね。でも、犯人じゃないわよ」
「どうして判るんだい?」
ミッキーが興味深そうにわたしを見た。わたしは肩をすくめた。
「この人が殺したのなら、写真を残すはずがないわ。カード・ケースの写真もそう。よっぽど動転していたのでもない限り、そんな物を残して行かないわよ」
男たちは顔を見合わせた。わたし達は今度こそ灯りを消して部屋を出ると、きちんとドアを閉めた。
ミッキーは例のボタンを掌に載せた。
「これは、スティーヴンの旦那のものではないわけだ。葉巻を噛み潰した男のものかな?」
「片方の袖のボタンがとれた茶色い服を着ている奴を捜せばいいんだな」
しかし、ミッキーは自信なさそうに首を振った。ルネも天井を仰いで舌打ちする。
わたしは溜息をついてラウル星人を見上げた。
「ねえ、ルネ。あなた、ESPでこの部屋にいた人の姿を見るとか、声を聴く……なんてことは出来ない?」
「過去見か?」
ルネは苦々しげに口元を歪めた。
「過去見、予知……
ミッキーが優しい眼差しをわたしに向けた。
「『ダーティ・ペア』でも、思い出したのかい?」
「知ってるの?」
「何だ? それ」
ルネが口を挿んできた。微笑みあうわたし達を見比べる。
「古典SFだよ、地球の。二人で一組のESPERが、クレアボアイアンスで事件を解決していく話(注②)」
「はン」
ルネは鼻を鳴らした。付き合い切れないとでも言うように。
わたし達の背後で、壁にかかった時計が小さな音を立てた。さっきから気づいてはいたけれど、無視していたのだ。
「ねえ、二人とも。わたし、そろそろ『あれ』を見てみるわ」
わたしは顔を上げ、二人を見た。
「その前に、頭の整理をさせて。ここに、スティーヴン・グレーヴス以外に二人の人間がいたのよ。三人だったかもしれない。とにかく、一人は女だわ」
「香水の匂いのする女」
ルネが威嚇するように呟いた。わたしは頷いた。
「そう、タスキナ星の文字が読める女。そして、葉巻を噛み潰した男と、袖口のボタンがとれた茶色の服を着ている男がいる……。午前六時までに、彼等を捕まえなくちゃ」
「リサ――」
言いかけたミッキーを、わたしは首を振って遮った。彼が言いたいことは判っている。その気持ちは凄く嬉しかったけれど。
「ミッキー、ルネ。お願い、わたしをラグ・ド・グレーヴスのところへ連れて行って」
「捕まえるだけじゃ駄目だ。スティーヴンの旦那を殺したことを白状させないと」
ルネは自分の左掌を右手で殴りながら言った。
ミッキーも顔を上げた。
「OK.出来るだけのことはやってみよう。成功しようが失敗しようが、六時十五分前には、ここへ戻って来よう。リサは、おれかルネと一緒に――」
「駄目よ、ミッキー」
わたしは首を振った。本当に、彼の気持ちは泣きたくなるほど嬉しかったのだけれど。
「みんなでやらないと、時間がないわ」
「しかし――」
今度は簡単には譲ってくれない。ミッキーが反論しようとしていると、ルネが突然ジャケットを脱いだ。
ラウル星人は、ショルダー・ホルスターごと銃をわたしに突き出した。
「使い方は判るな?」
眼を瞠るわたしの手に、銃の柄を押しつけた。
「サイコ・ガンだ。こいつは、オレの
強調する、ルネ。呆気にとられているミッキーをじろりと見て、再びわたしを見下ろした。
「いいか、リサ。奴らがお前に何かしようとしたら……それとも、オレかミッキーの助けが必要になったら、こいつをぶっ放せ。相手に怪我させないようになんて、考えるんじゃないぞ。とにかく撃て」
「う、うん」
「二秒で行く。約束する。いいな? ミッキー」
ミッキーは、ルネとわたしを交互に見て何か言いかけた。形の良い眉を心配そうに曇らせ……結局、頷いてくれた。
「ありがとう、ルネ。六時十五分前に集合ね」
わたし達は、お互いの瞳の中の決意を確認した。
わたしは眼を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「見るわよ」
そして。次に出た声は、悲鳴に近かった。
「二時四十五分!」
ミッキーは黙っていた。ルネも。一瞬、さまざまな想いが一気に体を駆け抜けた。
「……行くぜ」
ルネが厳しい声で言い、わたしは唇を噛んで歩き出した。思いついて、入り口の柱の側にボストン・バッグを置いた。その方がいいと思ったのだ。持ち歩いているうちになくしたら大変だから。
部屋に入ったときとは逆の順番で外に出て、ミッキーが灯りを消した。
わたし達は夜の底へと階段を下り、家の外に出た。玄関のガラスの扉が閉まるまで、誰も何も言わなかった。来たときにくっついていたのが嘘のように素っ気ない態度をしていた。
石段を下り門を出たところで、やっとお互いを見た。わたしはルネの銃を握り締め、歩き出す二人を見送った。
十メートル程並んで歩いたところで、ルネが角を曲がった。またしても指先から炎を出して煙草に火を点ける。夜の底に白っぽい煙が漂った。
ミッキーは真っすぐ歩いて行った。建物の影に消えていく背中は、今まで一度も会ったことがない人のように見えた。二度と会えない人に思えた。
わたしは囁いた。聞えるとは思わない……聴いて欲しくもなかったけれど。
「ルネ、ミッキー。必ず帰って来てね」
わたしは踵を返し、二人と反対の方向に歩き出した。
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(注①)「確率の低いもの同士が重なることは滅多にない」: 女性が45%、男性が45%、無性体が7%、両性体が3%を占める人口集団で、地球人は80%、タスキナ星人が0.001%(百万人に十人)だとすると。ある人が地球人の女性である確率は0.8×0.45=0.36、36%となります。しかし、タスキナ星人の両性体である確率は、0.00001×0.03=0.0000003、0.00003%となってしまい、殆どありえない……という意味です。(ここでは、タスキナ星人の性分布は地球人と等しいと仮定しています。)
(注②)『ダーティペア』シリーズ@高千穂遙(早川書房 SFマガジン 1979-2018): 小説のカバーと挿絵は安彦良和さんです。原作は勿論、アニメ版も好きでした。『クラッシャー・ジョウ』シリーズも読んでいました。
ところで、ダーティペアの主人公二人(コードネームは”ラブリーエンジェル”)+異星生物ムギの乗る宇宙船『ラブリーエンジェル号』も垂直離発着型戦闘機(VTOL)で、しょっちゅう衝撃波(ソニック・ブーム)で街を破壊していましたね。
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