Part.4 異端者たちの夜想曲(3)


          3


『どうしてこんなことになったんだ』


 リサとルネと別れたミッキーは、街灯のない夜道をとぼとぼ歩きながら考えた。今すぐ引き返して彼女を宇宙港へ連れて行くべきだと、頭では判っている。しかし。

 リサは承知しないだろう。ルネも。あの二人は決して諦めない。だが、あと三時間余りで何ができる? どう考えても無茶だ。


『何故、こんなことに』 ミッキーの頭をぐるぐると問いが巡り、彼は足を止めることを忘れて歩き続けた。

 いったい、ドウエルと名乗ったあの男は、自分に何をさせたかったのだろう? 


 倫道教授は、教授と娘を月の連合軍基地へ運ぶように依頼した。おそらく護衛として。ラグ・ド・グレーヴスには教授自身が会って話をするつもりだったから、詳しいことは言わなかったのだろう。そのことを教授の身近にいて知っていた人間が、教授を殺し、リサを狙った。

 ミッキーが彼女を助けることを予想していたのか? 何らかの方法で地球から連れ出すことも? 地球連邦の巡視艇まで使って彼らを月へ閉じ込め、いよいよ彼らがラグ・ド・グレーヴスに辿り着こうとするときに、新たな罠を用意した。

 スティーヴン・グレーヴスを?


 執政官アウグスタを殺さなくても、ミッキーを足止めさえしておけば、ラグ・ド・グレーヴスには会えなかった。こんな危険な賭けをする必要はないはずだ。それとも……


『おれ達の考えが、根本的に違うのか?』


 ドウエル教授が敵でなく、本当にミッキーとラグの橋渡しをスティーヴンに依頼したのなら。これは、他の敵の罠ということになる。しかし――。

 ミッキーは足を止め、強く眉を寄せて立ち止まった。それなら何故、先にリサを探さない? 罠なら、どうして屋敷に誰も待ち伏せしていないんだ?


 ? 


『気に入らないな』 ミッキーは、ぎりっと奥歯を噛みしめた。――まるで、ずっと誰かの掌で踊らされているようだ。

『やめよう。今は』 首を振って思考を断ち切る。今は、スティーヴンを殺した者を捕まえるしかないのだ。リサとルネが懸命に前に進もうとしているのに、自分だけがどうどう巡りをしているわけにはいかない。

 では、始めよう。

 傍らの信号の柱を、捕まえる相手であるかのように睨みつける。

 おれがスティーヴン・グレーヴスを殺した犯人だと仮定しよう。今、被害者の家から出て、逃げていくところだ。ここまで歩いて来た。さて、どうする?


 ミッキーは立ち尽くし、しばし熱っぽい視線を柱に注いだ。真夜中を過ぎたばかりで人と自動車の往来は殆どなく、彼に気をとめる者は居なかった。そうでなければ、親の仇のように信号機を睨んでいる姿は、かなり異様だと思われただろう。

 無機質の柱が恥ずかしがるのではないかと思える間、ミッキーはじっと見詰めていたが……やがて、溜息をついて柱に片手をついた。


 わかるわけがない。これからどうするか、なんて。おれは人を殺したことがないんだから。

 普通は、どうするんだ?


 来た道を振り返り、濡れたように光る石畳の舗道を見下ろして、ミッキーは再度ふかく嘆息した。

 逃げる方法も数え切れないほどある。そいつが歩いていたとは限らない。車だったのかもしれないし、タクシーだったのかも。東へ向かったのかもしれないし、西へ行ったのかもしれない。

 人を殺した人間が真っ先に向かうところはどこだ。自分の家か? 酒場か? それとも……。


 ミッキーはぶるっと首を振って、螺旋を描き始めた考えを追いやった。

 無理だ、おれに人殺しの気持ちを考えろなんて。計画的な殺人やプロの仕業だったら、死んだって判るはずがない。

 それなら。

 目撃者を探そう。こんな夜中だ。起きて活動している人間は少ないが、それだけに、不審人物を見かければ憶えている可能性が高い。――そう考えているミッキー自身も、善良な市民には、十分、不審者に見えただろう。


 彼は辺りを見回し、うってつけの場所を見つけた。

 コンビニエンス・ストア。

 交差点の向こう側に明るく輝く光の箱を見つけて、ミッキーは動きを止めた。人工的な冬の夜風の中で、暖かく人を誘う灯りに視線は釘付けにされた。首を傾げ、考える。

 行ってみるか? その価値はありそうか?


 自動車と自転車が一台ずつ駐車場に停まっていた。何人か、雑誌の棚の前で立ち読みしている人影がいる。何世紀経っても変わらない、夜の風景。

 小さな酒屋を兼ねた店だと気づいて、ミッキーは心を決めた。一般的なコンビニは夜間は無人だが、酒屋なら法律上必ず店員がいることになっているからだ。赤信号を無視し、車の通らない大通りを足早に渡っていく。

 こんな時間だ。きっと店員は憶えているだろう。ひょっとしたら、まだ中にいるかもしれない……。



 ミッキーが夜風を遮るガラス扉を押し開けると、気配に気づいた客が二人こちらを向いた。立ち読みしていたタブレットから顔を上げ、ミッキーをじろりと一瞥し、視線を元に戻す。ミッキーも、不審がられない程度の時間をかけて彼らを観察した。二人ともセーターにジーンズ姿で、学生のようだ。


「いらっしゃいませ」


 店の奥で商品を棚に並べていた店員が、ミッキーに気づいて声をかけた。こちらをちらりと見ただけで、作業の手は休めない。

 店の一番奥にある飲み物の入った冷蔵庫に向かって歩きながら、ミッキーがざっと眺めた限りでは、店内にいるのは三人だけで、三人とも、彼より年下に見えた。

 夜中に現われたミッキーを不審がるように、VRモニターを眺めていた男の一人が、もう一度彼を見た。視線が会いかけると、トラブルを避けるように顔を背ける。至極、普通の反応に思えた。

 早く用件を済ませよう。


 ミッキーは少し考えて缶ビールを二本手に取り、レジへと向かった。店員の青年が小走りにやって来て、カウンターの向こうへ入った。

 時間を稼ごうと、レジ横の棚からつまみを物色するふりをしながら、ミッキーは声をかけた。


「ちょっと訊きたいんだけど」

「はい?」


 声をかけられるとは思っていなかったらしい。青年――アルバイトらしい――は、驚いたように見返した。

 ミッキーはサラミを手に取りながら、努めてさりげない口調で言った。


「いつも、一晩中ここにいるのかい?」

「十時からです。朝七時に交代しますよ」

「それじゃあ、二時間くらい前に男がここへ来なかったかい?」


 適当に手に取ったつまみをカウンターに乗せ、ミッキーは値段を気にするような表情で言った。


「実は、友人とはぐれちゃってね……。ひょっとしたら、女の人を連れていたかもしれない」

「1380クレジットです」


 店員は特に不審がる風もなく、ミッキーの顔を見た。その眼は、何か力になれることはないかと記憶を探っていた。


「十二時からこっち、女の人は一人も来ていませんよ。男の人なら、何人か、酔っている人がいたけれど」

「茶色の服を着ていたはずなんだ」


 身分証明(ID)チップに連動したクレジットで支払い、ミッキーは、もう一つ手がかりを差し出した。

 青年は頷いた。


「ああ。それなら、一時ころに来たお客さんかな? ブランデーを一本買っていきましたよ」

「……どっちへ行った?」


 いきなりヒットするとは思わなかった。ミッキーはひそかに息を呑んだ。

 彼は、ひょいと店の外を指差した。


「向こうです。急いで市民病院へ行かないといけないと言うので、近道をお教えしたんです。公園を突っ切って行くのが一番早いんですよ」

「病院?」


 ミッキーは訝しんだ。殺された方ならともかく、殺した方が病院とは、どういうことだ?


「あいつ、怪我でもしたのか?」

「そこまでは、よく見ていなかったので知りませんが……」


 ミッキーに商品を渡しながら、青年の表情は、あくまで人なつっこかった。


「特に具合が悪いようには見えませんでしたよ」

「ありがとう」


 どうやらここまでらしい。

 ミッキーは、青年へのお礼に100クレジットのチップを払って店を出た。扉が閉まる寸前に、明るい声が彼の背に投げかけられた。


「ありがとうございました。またおいで下さい」



 ミッキーは戸惑いながらも再び道を渡り、公園を横切って走り出した。縁石を跳び越え、枯れた芝生を踏んで木の枝をくぐる。店員の言った通り、一ブロックを占める広い公園の向こうに大きな建物の明かりが見えた。広大な敷地を占めてそびえ立つ、東ダイアナ市民病院だ。

 殺し屋の行き先が病院とは。

 いや、まてよ……もしかして、犯人も怪我をしたのだろうか? スティーヴン・グレーヴスは、結構いい体格をしていた。自分の心臓に孔を開けられる前に、反撃したかもしれない。


 病院の正面玄関に辿り着いたミッキーは、そこが閉まっていることに気づいて、救急入り口を探した。建物の横にあった。救急車を横付けできるらしい。煌々と灯がともる入り口の自動ドアを開けると、窓口から守衛らしき男が顔を覗かせた。


「どうかしましたか?」


 ミッキーは少し迷った。ドアの横に金属探知機のバーがある。ここはコンビニ程、自由に出入りできるところではないらしい。


「人を探しているんです。二十四時以降、男が一人こちらへ来ませんでしたか?」


 こんな変な質問にも慣れているらしい。守衛は、うろたえるミッキーを不審がる風もなく訊き返した。


「救急車で、ですか?」

「いえ……」


 まさか、殺人現場から救急車で乗り付けはしないだろう。


「ご家族の方ですか? 何階に入院されている方ですか?」

「いえ。……すみません。あの――友人、なんです。とにかく急いで行くからと言われて。何階にいるかまでは……」

「ああ。ひょっとして、カジハラさんのご関係?」


 いきなり名前を出されて、ミッキーは驚いた。守衛は全く警戒しているようではなかったので、咄嗟にその機に乗じることにした。


「そうです。今、どこにいますか?」

「三階の処置室です。そこのエレベーターを上がって、すぐですよ。診察の順番を待っていらっしゃるはずです」

「……どうも」


 軽く頭を下げながら――こんなに上手くいくのなら、なんと病院とは無防備な所だろうと、ミッキーは思った。殺人者を簡単に入れてしまうなんて。もっとも、ここへ来る者は助けを求める善良な人々だと信じて行っているのだろうから……。そう思うと、少し胸が痛んだ。

 守衛室の窓越しに、TVを観てくつろいでいる看護師と当直医師の姿が、ちらりと見えた。


 外来の前の廊下を通り、言われたエレベーターを上がると薄暗い廊下に出たので、ミッキーは驚いた。救急入り口の明るさとは、なんという違いだろう。それから、入院患者が眠っている時間だと思い直す。

 足音を立てないようにするミッキーの行く手に、廊下に据え付けられた椅子に座って肩を落としている男が現れた。

 さらに息を殺す。


 男は自分の足元を見詰めていた。茶色い服を着ている……黒髪だ。他に誰もいない冷たい廊下で、膝に置いた手にブランデーの瓶を握り締めている。

 ミッキーは黙って男に近づき、隣に腰を下ろした。


 間違いない……こいつだ。


 男はミッキーをちらりと一瞥したものの、何も言わずに残り少ないブランデーを口に運んだ。頬には無精ひげが生えていた。色濃い焦燥が。瞳は空ろで、酔っているせいもあるだろうが、どんより濁っていた。寒そうにコートの襟を立てている。

 ミッキーは不安になった。あまりに無防備ではないか?


「……こんばんは」


『本当に、この男だろうか?』そんな不安を打ち消して、ミッキーは話し掛けた。男は初めて彼が居ることに気づいたように顔を向けた。


「ああ。こんばんは」


 それから、驚いたことに、相手の方からミッキーに話し掛けてきた。


「煙草、持っていらっしゃいますか?」


 ミッキーは煙草を差し出した。どうも、と言って、男が一本受け取る。火を点けようとする手元が震えているのに気がついて、ミッキーはライターを点けてやった。

 男はほっとしたように近づいて火を受け取り、深々と煙を吸い込んだ。


「大丈夫ですか?」

「え? ああ、済みません」


 思わずミッキーが労わると、男は手の中の空瓶を見下ろし、照れ臭そうに笑った。病院での飲酒を咎められたと思ったらしい(注*)。


「お恥ずかしいです。すごく緊張しちゃって……。気付けに空けたんですが、だめですね」

「今日みたいな日は、そうでしょうね」


 低い声で、ミッキーは応えた。男は相槌を打ち、再びミッキーに話し掛けてきた。


「あなたも僕と同じ理由で来られたんですか?」

「いいえ。……逆ですよ」


 ミッキーは思わず口調が厳しくなりかけ、声を潜めた。相手の疲れきった横顔を見詰め、尋問を始めることにした。


「本当は、葉巻が欲しいんじゃあないですか?」

「ええ。うっかり忘れて出て来てしまって……。最後の一本を、先刻吸ってしまったんです」


 男は無防備に応え、改めてミッキーを見た。


「どうしてお判りです?」

「スティーヴンの家に、ぐちゃぐちゃに噛み潰したのがあったからね」


 ミッキーは一呼吸置いてから答えた。男は彼を見詰めた。どうやら判りかけてきたらしい。

 ミッキーは、さらに追い討ちをかけた。


「あの家からここへ来るのに、ずいぶん遠回りしたんだな。公園を横切らずに、70丁目の角を曲がればすぐだったのに」

「どうしてご存知なんです?」


 か細い声だった。ただでさえ青白く憔悴した顔が、どんどん白くなってきた。


「コンビニの店員に道を訊ねただろう? おれは同じ道を通ってきたんだ」

「…………」


 男の口がぽかんと開き、まじまじとミッキーの顔を見た。唇から彼の与えた煙草が落ちる。リノリウム張りの床に灰が散るのを気にしないよう努めて、ミッキーは続けた。


「銃をどこに隠したんだ? 病院には持ち込めないだろう? その様子だと、大した怪我はしなかったようだな」


 手を伸ばして男のコートの襟を開き、傷を探そうとした。男は特に抵抗もせず、すんなりコートははだけたが……そこには薄手のTシャツが一枚あるきりだったので、ミッキーはぎくりとした。

 男はコートの襟元を合わせ、寒そうに肩をすくめた。


「慌てて出てきたので、これしか着ていないんですよ」

「すると、やられたわけじゃないのか? どうしてこんなところにいるんだ?」

「相方の具合が悪いんです。もう三日、ここに通っているんですよ」

「どういう組み合わせだ。殺し屋と虚弱体質の相棒なんて、すぐ捕まるだろう」

「何ですって?」


 男の口が、ぽかっと開いた。顎が外れたかと思うほどだ。よく聞こえなかったとでも言うように繰り返した。


「なんて言いました? 今」

「お前が殺したんだろう? あの男を。殺して、死体を置いて来たじゃないか」

「…………!」


 男は立ち上がり、身を翻してその場を離れようとした。ミッキーは彼の腕を捕らえ、引き戻し、肩をおさえて座り直させた。

 男の視線は、ぐらぐらと揺れていた。


「おれが言っているのは、スティーヴン・グレーヴスの事だ。70丁目の、執政官アウグスタの――」

「69丁目ですよ」


 男はおびえた声で訂正した。ミッキーの手から逃れようともがく。


「名前もグレーヴスじゃない。タナベだ。僕の下の部屋に住んでいる……。僕は不安でたまらなくて、一人じゃいられなかったから、一時間ぐらい彼と話をしていただけだ。もしあの男が殺されたんだとしても、それは僕が出かけた後のことだ」


 男の顔色はすっかり白くなり、怯えが視線と口調を凍らせていた。


「あんたの口の利き方は気に入らない。僕は向こうに行かせてもらう」


 ミッキーの口調も、かなり毒気を含んでいた。普段なめらかな声が凄みを帯びて響いた。


「おれの口の利き方が気に入らないのは確かだろうが、絶対に逃がさないぞ」


 男は立ち上がった。今度は、逆にミッキーの肩をおさえて。ミッキーも、空いている方の片手で相手を壁に押さえつけた。

 男は大声で喚いた。


「放せ! 放っておいてくれ!」


 離れようともがく男を壁に押し付け、ミッキーは絞り出すように呻いた。


「お前がスティーヴンを殺したんだろう? 白状しろ!」

「なんでこんな目に遭わなくちゃならないんだ。この手を離せ! さもないと……!」


 男はミッキーの手を振り払い、殴りかかってきた。すらりとかわすミッキーに掴みかかる。二人はベンチを蹴って立ち上がり、壁際でもみ合った。

 と。

 向かいのドアがさっと開き、白衣を着た医師と看護師が出てきた。まばゆい光に男達の動きが止まる。驚いて立ち尽くす医師の隣で、女性の看護師が怒鳴った。


「何をしているんですか、あなた達は! ここをどこだと思っているんです?」


 床に尻餅をついた男を組み敷いていたミッキーも、彼を蹴ろうとしていた男も、不承不承に動きを止めた。

 看護師は両手を腰に当てて、いかめしく二人を見下ろした。


「どちらがカジハラさん?」

「僕です」


 息を切らせながら、男が片手を挙げた。もう押さえつける必要はないと判断して、ミッキーは手を離した。

 看護師は怒りの表情を消し、別人のように微笑んだ。


「双子の赤ちゃんが生まれましたよ」


 それから、慌ててミッキーを見て、


「ちょっと、あなた、この人を支えていてあげてください。まったく、最近の若いお父さんときたら、生まれたばかりの赤ちゃん以上に世話が焼けるんだから!」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)普通、病院では、喫煙も飲酒も禁止ですね(^_^;)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る