Part.2 月のウサギと子ども達(4)
4
約束の時間に
ミッキーの後についてカーゴ・ルーム(荷物室)に入ると、ルネは例の機械の前に片膝を着いて座っていた。声をかけようとしたわたしを、ミッキーが身振りで制する。
ルネは捻じ曲がったセラミック片に片手を当て、なにやら考え込んでいた。濃いグリーンのゴーグルが眼を隠していて、表情は判らない。集中しているらしい。深く、息を吐く。その体が、ぼんやり青白い微光を発した。
わたしは息を呑んだ。
次の瞬間、機械に押し当てられていたルネの手から火花が散った。
わたしが呆然と見つめていると、ルネの体から光が消えた。彼は足元から別の部品を取り上げた。合金の板を紙のように簡単に曲げて、部品をとりつける。機械全体が、さっきのルネのように青白く光った。
鋭い口笛が鳴った。ルネは手を叩いて立ち上がり、満足そうに機械を眺めた。わたし達を振りかえり、親指を立てる。ゴーグルが上がり、子どものような笑顔が現れた。
「やったぜ、ミッキー。半分直った」
「おめでとう。ほら、差し入れだ」
「How Great ! どうした? リサ。時差ぼけか?」
わたしは慌てて首を横に振った。ミッキーが
「驚いたんだよ。さっき、お前の話をしていたところだから」
「どーせ、悪口だろ?」
「ああ」
あっさり肯定されて、ルネは唇を尖らせた。その唇に煙草を挟み、歩き出す。リビング・ルームに入ったルネが右手を鳴らすと、親指の先に黄金の炎が上がった。いつもやっているような調子で煙草に火を点ける。
「そんなに珍しいのかねえ、
「きゃっ!」
ルネが声をかけた途端、わたしの両手がぱあっと光った。白い光に包まれる。
眼をまるくするわたしを見て、ルネはくすくす笑った。
「これ……この光、わたしの力、なの?」
「そうだ。あんたに潜在するエネルギーを、オレが引き出している。目に見える形にしているんだ」
ルネは煙草を手に腰を下ろした。両腕をソファーの背もたれの上に伸ばし、脚を組む。
わたしは、そっと両手の指先を合わせてみた。ひとくみの指と指の間で、電気に似た火花が散る。びくっと遠ざけてから、もう一度、ゆっくり近づける。
わたしは嬉しくなって両手を近づけ、離し、近づけ、合わせた。そうすると、白金色の火花が散り、収まり、散り、ぱちぱちと弾ける。
ルネは愉快そうに笑った。
と。わたしの両手を包んでいた光が弱まった。合わせた掌から眩い光が溢れ出す。手を離すと、白い光の玉が浮かんでいた。息を詰めて見守るわたしの前で、テニス・ボール大の光球は、ふわあっと舞い上がった。頭上で止まり、強くなったり弱くなったりしながら、ゆっくり上下した。
ミッキーが紅茶を淹れて戻って来た。この光景に立ち止まる。
「これ、操れないの?」
わたしの意志に関係なく、くるくる回り始めた玉を見て、わたしはルネに訊ねた。
ミッキーは床からテーブルを引き上げてカップを並べ始める。ルネもランチ・ボックスをそこに載せた。
「普通の
わたしは未練がましく光の玉を眺めた。ミッキーの手元を浮遊して、ピン球くらいの大きさに縮む。やがてスクリーンの方へと飛んで行き、かき消すように消えてしまった。
わたしががっかりしていると、ルネはサンドイッチをくわえて笑った。
「自分の生体エネルギーを操れるのは、生まれながらの
今度は、ミッキーの手から青い光が飛び出した。これって、ミッキーの力?
わたしが観ていると、ミッキーは苦笑して煩そうに手を振った。光は消えてしまった。
「今のはオレじゃあないぜ。力を引き出したのはオレだが、消したのはミッキー自身だ」
ルネが笑いを含む声で言い、サンドイッチを頬張った。
ミッキーはルネの向かい側の椅子に腰掛け、両手を合わせて微笑した。手を組み、膝の上に両肘を置く。
「連合宇宙軍で、力を抑制する訓練を受けました」
「ミッキーのエネルギーは、Bクラスだ」
澄ました顔で、ルネは紅茶をすすった。猫舌らしく、すぐに舌を出してカップを置いてしまった。
「あち……。地球人なら、今すぐ能力が発現してもおかしくない強さだ」
ミッキーが超能力者? わたしは、静かに紅茶を飲んでいる彼の顔を見た。
「だから、Bクラス
ミッキーは困ったように微笑んだ。
「違います。トループスの階級は、潜在エネルギーだけで決まるわけではありません。保持している資格や身体能力、性格などを、AIが総合的に判断して決めています」
ルネが、自嘲気味に口元を歪めて続けた。
「銀河連合軍のトループス制度はパイロットやエンジニアの級と違い、能力や技術だけを基準としていない。生体エネルギーの強さ、性格、行動パターン、運動能力、知力、持久力……。個人が社会に及ぼす影響力の大きさでクラス分けされるんだ。AからZまで」
「社会に及ぼす影響?」
またずいぶん抽象的な。と、わたしは思った。
「A からG までは第一軍に所属する
その話だと、ミッキーの方がルネより『危険』ってことにならない?
ミッキーは淡々と補足した。
「おれは怪我をしたから基地勤務になったんです。地上で暮す許可をもらうために、パワーを抑制する訓練を受けました。まあ、お陰で家に居られるので、満足していますよ」
照れ笑いするミッキー。彼が『危険』だと言われてもわたしには信じられないけれど、宇宙で戦うより家族といたいというところは、彼らしいと思う。
そういう事情ね……。
一方、ルネは面倒そうに肩をすくめ、新しい煙草に火を点けた。
「
「その話はもういいよ、ルネ。それより――」
「ああ。ちょっと待っていてくれ」
ルネはぷかっと煙を吐くと、真顔になって立ち上がった。ロッカー・ルームへ行く。
きょとんと見送るわたしに、ミッキーが勧めた。
「お茶をどうぞ、リサちゃん。冷めますよ」
「あ。はい」
「ほれ」
わたしが自分の紅茶――甘い、りんごの香りがした――に口をつけていると、ルネが戻って来て、分厚い紙の束をテーブルに置いた。
ミッキーの眼がこころもち大きく見開かれる。手にとって、ぱらぱらとめくった。くどいようだけれど、本当に守りたい秘密は紙で扱うのが現代の常識。
「さすが、早いな」
「これしか取り柄がないものでね」
ルネは肩をすくめて座りなおし、紅茶を飲み始めた。わたしも紙の束を覗きこむ。
ルネは紅茶を飲み干し、再び煙草を口に運んだ。
「銀河連合に所属している『グレーヴス』を、センターのコンピューターに弾き出してもらった」
「って、こんなにいるの?」
わたしの声は絶望的な響きを帯びた。ミッキーに半分を渡してもらい、眩暈を覚える。
何これ、百枚はあるじゃない。しかも、一ページに五人の『グレーヴス』のデータがある。地球人、火星移民四世、タスキナ星人、スキピオ星人……。トナ・グレーヴス、ディオナ・グレーヴス……。
ミッキーが喋りださなければ、わたしはもう一度、悲鳴をあげただろう。
「この印は? ルネ」
「《
ルネは、のほほんと答えた。ミッキーの手に残っている方には、赤い星のマークが付いていた。
「倫道教授のシンク・タンクは、《レッド・ムーン》にある。それで半分くらい除外できる」
「青い星マークは何だ? ルネ」
「《
ルネは天井を向いて、ぷかあ、と煙を吐き出した。
「プロジェクトは十五年前に始まり、《VENA》は八年前に作られた……。シークレット(機密事項)だったから、五分の一に減る」
「ずいぶん星があるのね」
わたしは感心した。赤に始まり、青、緑、黄色、黒。五つも星がある人は、数える程だ。
ルネは苦笑した。
「オレが憶えていないから、条件を重ねてふるい落とした。青がプロジェクトを知っていた奴。緑が教授に関係していた奴。黄色が近いうち……または、現時点でリサに会えそうな奴。黒は――」
ルネは言い淀み、言葉を区切って続けた。
「黒は、《VENA》に会ったことがある奴だ。こいつは極端に数が減る。でも、あまりアテに出来る条件じゃなかった。気にしないでくれ」
「この十二人か?」
ミッキーは、青・緑・黄色の星印がついている『グレーヴス』のデータを取り分けた。
ルネは頷き、ジャケットから別の紙を取り出した。
「こっちに、もっと詳しいデータがある」
感心するのを通り越し、わたしは呆れていた。ミッキーが恨めしそうに言う。
「そういう物があるのなら、最初から見せろよ」
「悪いね。ここまでで、お前が何か文句を言いだすんじゃないかと思ったんだ」
「無いよ、黒い星以外は。銀河連合の『グレーヴス』に関しては、こうしていくしかないだろう」
二人の会話に、わたしは口を挿んだ。
「《VENA》に会ったことがあるのは、条件に入らないの?」
「あいつは閉じ込められているわけじゃないんだ」
ミッキーの代わりに、ルネが答えた。煙草を噛み潰している。
「あいつが《VENA》だと知らずに会った奴は、星の数ほどいるだろう」
わたしは思い出した。ルネは幼馴染だと言っていたっけ……。『あいつ』という表現が新鮮だった。急に身近な存在に思えてくる。
ルネは話しにくそうに、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
「オレは五歳まで……お前らの歳で十歳くらいまで、あいつと一緒に暮していたんだ。ガキだったから、当時『グレーヴス』なんて奴がいたかどうか憶えていない」
「いいよ、ルネ。ご苦労さま」
「別に、大した手間じゃない。あとは任せていいか? ミッキー」
ルネは煙草の灰を灰皿に落とした。まだ苦い表情をしている。
ミッキーは、詳しいデータを眺めて微笑んだ。
「十二人のうち八人は、現在《レッド・ムーン》にいるな。明日から行ってみるよ」
「行くって、ミッキー」
「リサちゃんは、『月うさぎ』にいて下さい」
ミッキーは、いたわるように言った。
「グレーヴス氏は、おれが……出来るだけ早く、みつけますから」
「暇ならここに来ればいい。まだ機械が直っていないから、オレはここにいるよ。ミッキーが手伝いを要請してこない限りは」
ミッキーはフッと哂った。ルネは、珍しく、温和に微笑んだ。
「……地球人と話すのは好きだ」
「手は出すなよ」
すかさず釘を刺されて、ルネはムッとした。わたし、思わず笑い出す。
ルネは、ふいに真顔になった。
「そうだ、ミッキー。『グレーヴス』を調べていて気づいたんだが――。倫道教授の研究所は、地球連邦政府の管轄だろ? オレは、連邦には
「直接行って探すしかないだろうな」
ルネの質問をミッキーは予想していたらしく、平静に答えた。わたしに片目を閉じてみせる。
「それも、当たってみるつもりだよ」
ルネの眼は、射るように鋭かった。
「もう一つ、気になっているんだ。リサを……倫道教授を狙っていた奴らのことだ」
わたしは息を呑んだ。ミッキーは黙っている。黒い瞳は深く、どんな感情も読み取れなかった。
ルネは身をのり出し、声をひそめて続けた。
「ミッキー。あんたは察しがついているんだろう? リサを狙った連中……昨日、この船を攻撃して来た奴等のことだ」
「え? だって、あれは――」
地球連邦の巡視艇が、月の独立過激派と間違えたと言っていたけれど……。
ミッキーは穏やかな表情を変えることなく、静かに告げた。
「リサちゃん。こういうことを言うのは、きみと教授に対して失礼かもしれないけれど……。おれは、彼等の話は100%嘘だと思っています」
わたしは、少し気圧されて口を閉じた。
ルネは苦虫を噛み潰したような顔になって、煙草を揉み消した。
「奴ら、オレの船をつけて来やがった。月の過激派が地球に向かうのならいざ知らず、何だって地球から出てきた船を攻撃しなきゃならない?」
「ちょっと待って、ルネ。ミッキー。それじゃあ――」
「きみと教授を狙っている連中は、ある程度、教授の行動を予測していた。そういう立場にいるのではないかと、おれは考えています」
わたしは何と言えばよいか判らなかった。
地球連邦の研究所に勤めていたパパが、連邦の人に殺されたってこと? パパの近くにいた人って……。
「《
ルネが、ぼそりと言った。普段の彼の声に比べると、とても低い、地を這うような声だった。
「リサ。あんたは《VENA》がどういうモノかは知らなかったんだろ? 教授は学会で《VENA》について何かを公表する予定だった。それから、『グレーヴス』という男に会うつもりでいた。誰か、そのことを知っていて、それをよく思わない――そうされると困る奴が、教授を殺した。今度は、教授の遺志を継いで『グレーヴス』に会おうとしているリサを、捕まえようとしている。そう考える方が自然だよな」
「自然って……!」
わたしは開いた口が塞がらなかった。
学会で発表しようとしただけで、殺されてしまうの?
そこまで秘密にしておかなければならない存在なの? 《VENA》って。
「《VENA》って何なの? 兵器じゃあるまいし。人を殺すほどの秘密って何?」
ミッキーは悲しそうに眼を伏せた。
ルネは、わたしに横顔を向け……視線をそらしたまま、苦い声で呟いた。
「……兵器、だな」
「え?」
「あんたの言う通りだ、リサ。《VENA》は兵器になる。あいつはその気になれば、地球サイズの惑星の一つくらい吹き飛ばせる。太陽系連邦や銀河連合に対する切り札になる」
わたしは息を呑んだ。ルネは重い口調で続けた。
「オレ達
「…………」
「DNAを少し切り取って他の細胞に導入すれば、再生能を高めることが出来る。ちぎれた手足を元通りに生やすくらい、お手の物だ。――その所為で、ラウリアンは他星人に狩られた。強力な精神感応能力が
《VENA》と、どういう関係があるの? という言葉をわたしは呑み込んだ。ルネが言わんとすることを漠然と理解したのだ。
ルネは、ゆっくり首を横に振った。
「《
「生命を、人工的に、創る?」
「ああ。その技術が完成すれば、地球の、ラウル本星……はては銀河連合に対する立場は、格段に有利になる。さらに、創った
ルネの口調は悲しいほど淡々としていた。いつの間にか、瞳が海色に変わっている。
深く
「オレ達の能力をもってしても、無から
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*)固有種が近縁外来種と交雑することで絶滅の危険にさらされる(或いは、絶滅する)現象は、実際にいくつか例があります。
オオサンショウウオ とチュウゴクオオサンショウウオ、ニッポンバラタナゴ と タイリクバラタナゴ、ヒラタクワガタ と スマトラヒラタクワガタ、クサガメ と ハナガメ、などです。在来種のタンポポとセイヨウタンポポにも、交雑の問題があります。
一度交雑して産まれた雑種個体は、その後、固有種との交配を繰り返しても100%元に戻ることは出来ず、ゲノム編集などで分離することも出来ません。
本作品では、異なる惑星で異なる進化を辿って来た生物種間の交雑ですので(進化生物学的にはあり得ません)、より問題は深刻です。ラウル星人は雑種になるほど、ESP能力や再生能力が失われると設定しています。
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