Part.2 月のウサギと子ども達(5)


            5


 わたしは考え込んだ。

 ルネはずっと黙っていた。わたしの隣で、ミッキーも腕を組んで黙っている。

 パパを信じたかった。《VENA》プロジェクトの責任者だと、わたしは知っていたけれど、プロジェクトの内容は全然知らなかった。知ってしまった今、考えずにいられない。

 ルネの話が本当なら――わたしは、それが嘘ではないと確信していた。――きっと、許されることではないのだろう。

 生命を、人工的に創りだす。兵器として利用するために。どんな理由があっても許されない。けれど……。


 ルネの背後のスクリーンを眺めていたミッキーが、ふと腕時計を確かめた。通信機能のついていないアナログな時計で、彼の趣味らしい。


「そろそろ出かけないか? ルネ」

「ああ。そうだな」


 ルネが頷いたので、わたしは首を傾げた。立ち上がるミッキーを、ぼんやりと見上げる。


「出かけるの? ミッキー。どこへ?」


 ミッキーは、にこりと微笑んだ。ルネが咥え煙草で言う。


「せっかく月に来たんだ。ちょっと息抜きしようぜ」

「午前中、リサちゃんをこき使ってしまったから――」


 ミッキーは、わたしの肩に軽く触れて促した。器用にウインクする。


「おわびも兼ねて、観光案内しよう」

「かんこうって……ちょっと!」


 二人がわたしの腕を抱えるようにして歩き出したので、わたしは慌てた。嘘みたい……。


 男たちは冗談を言い合いながら、わたしを両側から挟むようにして船を降りた。

 いったい、どうなっちゃってるの? さっきまでの深刻さが、嘘のよう。


 二人は軽口を叩きつつ、わたしを車に押し込んだ。

 昨夜と同じく、ミッキーが運転する。ルネは後部座席に当然だと言わんばかりに乗りこみ、煙草のことでミッキーと言い争いをした。結局、窓を二センチばかり開けておくということで折り合いがつき、ルネはご満悦だった。ミッキーは、わたしの前では吸おうとしない。

 やりこめられたミッキーが沈黙し、ルネが実に美味しそうに煙を吸った隙に――わたしは話し始めた。冗談や軽口でごまかしきれるとは思わなかったし、ごまかしていいとも思えなかったので。


「許されることじゃあ、ないわよね」

「どうして?」


 せいいっぱい真剣に言ったつもりだったけど、ルネの返事は呆れるほど軽薄だった。瞳は元の褐色にもどり、口元にはしまらないにやにや笑いが浮かんでいる。

 でも、ルネはちゃんと、わたしの言おうとしていることは判っていた。


「何が許されないんだい? リサちゃん」


 ミッキーが運転しながら言う。唄うような口調に、わたしは驚いた。それから気づく。

 ミッキー、敬語が消えてる。


「教授は《VENAヴェナ》について発表する予定だったんだろう?」

「う、うん」

「なら、兵器にするはずかない」


 ミッキーの台詞をルネが継いだ。不敵な笑みを浮かべて、


「それに、リサ。ラウル星人ラウリアンにとっては、実にありがたい話だったんだ」

「有難いって、でも、あの」

「だから、オレの両親は協力した」


 わたしはルネを見詰めた。唇の端に煙草をぶらさげ、ラウル星人は頷いた。


「八年前、オレは三歳だった。VENAプロジェクトが始まった時、モデルとなるラウル星人の遺伝子の研究に、オレの両親は協力した。二人とも、かなり天然ネイティヴのDNAを多く保持していたからな」

「…………」

「生まれた《VENA》に精神感応能力を制御する方法を教え、ラウル星人としての教育を行うのに、オレ達は家族で協力したんだ。オレと妹達は、あいつとよく遊んだ。幼馴染だ」

「…………」

「兵器のために、普通そこまで気を遣うかよ。上のお偉いさんの考えは知らないが、教授は決して人間兵器を創ろうなんて考えちゃあいなかった」

「それは、そうかもしれないけれど……」


 自信たっぷりなルネの口調に、わたしは口ごもった。ルネの話はすごく嬉しかったのだけど、消しきれない不安があった。


「ヒトの複製クローン製作は禁止されているわ」

「クローンじゃない。人工生命体」

「でも……ヒトの手で生命を創るなんて」

「『自然の法則に反している』か?」


 わたしの不安は理屈ではなく、本能的な拒否感だった。おずおず反論するわたしを、ルネはどこか馬鹿にしたような、がっかりしたような目で眺めた。


「どこかの原理主義者みたいなことを言うんだな、リサは。そんな理屈は、地球では二十世紀ぐらいに絶滅したと思っていたぜ」

「だって」

「知っているだろう? オレ達が喰っている動物の肉や食物の原料の殆どは、クローン化されたブロイラーや培養細胞だ。子どもの半分は人工授精と人工子宮で生まれている。オレもそうだ。自分てめーがとうに自然なナテュラル存在でなくなっているのに、他人をどうこう言える奴と話をしているとは、思わなかったぜ」

「…………」

「……悪い」


 わたしが黙ってしまったものだから、ルネは気まずそうに押し黙り……ややあって、苦い声で呟いた。横を向き、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。


「ごめん。言い過ぎた。けど、少しは考えてやってくれないか。人の手で生命を創ることが許されないなら、そうやって創られたあいつは、どうすればいい?」

「あ」


 はっとした。ルネは幼馴染だ。


「ごめんなさい、ルネ。無神経だったわ」

「いや……こっちこそ」


 ルネはもごもご口ごもった。拗ねたように唇を尖らせる。

 焦るわたしに、ミッキーがやわらかい口調で話し掛けてきた。


「リサちゃん。ルネはね、心配しているんだよ。きみのお父さんは、《VENA》をとても大切に育ててくれていた。とてもね……。その教授を殺した奴がいる。正確な目的は判らないが、穏便に話のできる相手ではないらしい。そいつが、今度は教授の娘のきみと《VENA》を狙っている。ルネは気が気じゃないんだよ」

「…………」

「余計なこと言うなよ、ミッキー」


 ルネは恨めし気にミッキーの後頭部を睨みつけた。耳の付け根があかくなっている。


「オレはただ、『グレーヴス』とかいう野郎に会っておきたいだけだ。教授に代わってあいつをどうするつもりなのか、確かめたいんだ」


 むきになって答えるルネの顔がますます朱くなっていくのを、わたしは半ば呆然と見つめていた。

 ミッキーの声に優しいくつくつ笑いが混じる。前方を観ながら、彼は穏やかに続けた。


「それにね、リサちゃん。きみはもう少し、お父さんを信じてあげなさい。こいつを見れば判るでしょう? 教授は、ルネ達と一緒に《VENA》を育てたんだ。人工であろうがなかろうが、教授にとっては、きみと同じ大事な娘だったはずだよ」

「……うん。ありがとう、ミッキー。ルネ」


 わたしがお礼を言うと、ルネはけっと肩をすくめた。猛然と煙草を吹かし始める。耳たぶは真紅に染まっていた。

 そして、


「着きましたよ、お二人さん」


 ダイアナ・シティの中心街――高層ビルの立体駐車場に入って、エア・カーは停止した。ハイウェイの最高点にあたる、センター・ビル。

 ナヴィゲーション・モードを手動に戻して、ミッキーは振り向いた。


「幻想庭園へ、ようこそ」



 わたし達は百五十階の駐車場から、さらに高速エレベーターを使って建物の最上階に向かった。何があるの? と訊ねたけれど、二人は笑って教えてくれなかった。

 わたしは、全面ガラス張りになっているエレベーターから午後の街を眺めた。エレベーターが上昇するにつれ、周りのビルが次々に下へ下がって行く。人工の空に夕暮れの気配が漂い、やまぶき色のドームの縁が少し紅くなっている。地球も 《RED MOONレッド・ムーン》 も観えなかった。


 最上階に着く。ドアが開く気配に振り向いたわたしは、目の前に広がった世界に息を呑んだ。

 両手を固く握り締めて、わたしはエレベーターの外へ出た。深海色の光がわたしを包む。しばらくモノも言えずに立ち尽くすわたしを、ミッキー達は黙って見下ろしていた。

 わたしは喘ぐように息をつき、改めて、ドームの中を眺めた。


 先ほどの夕景が嘘のように、夜があった。濃紺に銀の砂を散りばめた星空がひろがり、半分になった地球が浮かんでいる。青い地球光に照らされているのは――

 アザレア、キンセンカ、シロツメクサ、デージー、ローズマリー、ゼラニウム、ポインセチア、パンジー、クリスマス・ローズ……。名前の知らない、沢山の草花。それら全てが銀の光を放ち、その間を白い光が蛍のように飛び交っている。雪! 

 真っ白な雪が、わたしの周りで舞っていた。


 うわあ……! と、声にならない歓声をあげて、わたしは両腕をひろげた。人工の雪の中を走りだす。少し寒かったけれど、身体の中に溶け出しそうな熱を感じた。降って来る雪を、手のひらで受け止める。


「こういうのは、初めて?」

「ええ!」


 微笑を含むミッキーの声に、わたしは頷いた。夢み心地で天を仰ぐ。吸い込まれそうなブルーだ。地球の周りを、雪が包んでいた。


「これ、全部、人工の幻?」

「そう……だね」

「すごい!」


 わたしは足元を見下ろした。銀の花の上に雪が降り積もる。天を仰いでから、くるりと回れ右をしてルネを見た。


「ねえ、ルネ。《VENA》って、どんな人?」


 咥え煙草で佇んでいたルネは、きょとんと瞬いた。意外そうな声になる。


「本当に会ったこと無いのか? お前」


 わたしは、照れ笑いを浮かべて頷いた。


「人間だってことも知らなかったわ」

「教えてやれよ、ルネ。リサちゃんには、教えてあげてもいいんじゃないか?」


 まだ言いにくそうにしているルネの腕を、ミッキーが小突いた。

 ルネは諦めたように肩をすくめた。煙草を咥えた唇を歪め、銀河を仰いで囁いた。


「あいつの髪は膝まである……地球のようなブルー。瞳も青。背はオレと同じくらい」

「ラウル星人って、みんなそうなの?」


 イリスさんは若草色の髪だ。ルネは違うのに?

 ルネはにやっと笑った。


「ああ。見てろ」


 低い声で言うと、ルネの体がぼんやり青白く光った。栗色の髪がざわめき、根元から濃い群青色に変化した。瞳が深い海の色に染まる。気のせいか、背も少し伸びたようだ。

 わたしは眼を瞠った。わたしの反応を面白がって、ルネはぼさぼさの髪を掻き上げた。


「この格好だと、連合軍の規則では一般人の居住区に入れないんだ。トループスは、出来るだけ社会に混乱を起こさないよう規制されている。今回の騒動は、ばれたら減給ものだ」

「そ、そうだったの?」

「あいつには、そんな制限はない」


 ルネの髪は光の加減によって銀色に観えた。わたしがあんまりまじまじ見るので、照れたのか、姿を元に戻してしまった。続ける口調が真面目になる。


「《VENA》は、オレ達の種族のありのままの姿と力をもっている。……本当に、綺麗、なんだ。連合軍なら、とっくに第一軍のトループスだ」

「『銀河系でいちばん綺麗で強い女』だろ?」


 ミッキーが微笑んで言い、ルネは唇を歪めた。わたしは彼が紅くなったのに気がついた。


「そうだ。オレにとっては、な。悪いかよ」

「素敵ね」


 わたしは溜息を呑んだ。


「素敵ね、そういうの。ね、名前は?」

「ライ」


 殆ど聞き取れるかとれないかぐらいにひそめた声で、ルネは呟いた。


「ライ……だ。『ライム』とも、呼ばれている」

「……それ。わたしのママの名前よ」

「ああ」


 ルネの眼差しは優しかった。


「倫道教授は《VENA》を創る際、基本的な遺伝子はラウル星人ラウリアンだが、表現形質は娘と亡くなった女房を模したんだ。あんたは、あいつに良く似ているよ。最初に会ったとき、すぐ判った」

「…………」


 わたしの体の奥から、震えがこみ上げてきた。ようやく、パパの言葉の意味が判る。


 『お前とVENAは、姉妹だから』


 ルネは肩をすくめた。


「ライはコピーで、あんたの方が本物だ。……どっちが美人かなんて、訊くなよ」


 わたしは夜空を仰ぎ、呟いた。


「会いたいな、わたし」

「オレもだ。観ていろ」


 ルネの瞳が、何度目かに青く輝いた。ドームの景色が一変した。

 足元に茂っていた草花が白銀色の綿帽子に姿を変え、ホールの中央に、地球に届きそうなほど背の高い銀色の木が出現した。

 積もっていた人工の雪が一斉に舞い上がり、蒼い雪になる。生き物のように宙を舞った。

 ラウル星には蒼い雪が降ると、話に聞いたことがある。なんて、綺麗!


               *


 ――はしゃいでいるリサを眺め、ミッキーは苦笑した。


「ルネ」

「いいじゃないか、少しくらい。あとで戻しておくって。……本当は、あいつに見せてやりたかったんだ」

「……気障」

「先輩こそ。せっかくだから、一緒に歩いたらどうです?」


 ルネはにやにや嗤って言い返した。銀景樹の側を歩いているリサを、顎で示す。

 ミッキーは溜息をついた。


「やめろよな、その呼び方」

「何で?」

「お前がおれを『先輩』と呼ぶ時は、お前がおれを時だって、知らないとでも思うのか?」

「判ってんじゃねえか」


 ルネは歯をむき出した。ミッキーの唇が苦々しく歪む。


「これ以上、変な噂を立ててくれるなよ」

「あは!」


 ルネは大きく口を開けて笑った。ミッキーがますます苦い表情になる。


「嘘をついたつもりはないぜ?」

「馬鹿。失礼だろうが」


 ミッキーの声に冗談ではなく怒った響きが混じった。ルネは片方の眉を跳ね上げる。


「先輩に?」

「リサにだよ。決まっているだろう? おれは何とも思わないが、少しは考えろ。リサが――」


 言いかけて、ミッキーは自分で気づき、絶句した。

 ルネは、彼を詮索するように眺めた。


「リサが……何だって? ミッキー」

「知るか」


 怒ったように吐き捨て、ミッキーはラウル星人から視線をそらした。

 ルネは笑いを噛み殺しつつ、その肩を叩いた。





 ~Part3 へ~

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