Part.2 月のウサギと子ども達(2)


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 きっかり二分後、安藤さんが建物の陰から小走りで戻ってきた。それまでわたしとルネは、ぼけっとロビーのウサギ達を眺めていた。


「どうぞ、入って下さい」


 安藤さんはわたし達を観て、怪訝そうに首を傾げた。言われるままに足を踏み出すと、ドアが音もなく開き、カウンターの向こうから小さな頭がぴょこんととび出した。


「いらっしゃいませ。あら、みきちゃん!」

「ただいま、麻美あさみ


 みきちゃん? 燃えるような赤毛の女の子の台詞に、わたしはちょっと驚いて安藤さんを見上げた。ルネは慣れているのか、何も言わない。

 女の子は朗らかに笑うと、カウンター奥の部屋に声をかけた。


「アニー! 幹ちゃんが帰ってきたわよ」

「何? 、か?」


 アニーなんて言うからてっきり女の人かと思ったら、安藤さんよりはるかに背の高いがっしりした男の人だった。咥え煙草のままぬっと現れ、髭の剃りあとの濃い頬にあたたかな微笑を浮かべた。安藤さんにくらべるとどこか西洋風の顔立ちだ。


「アニー」

「早かったな。ルネも一緒か。もう一ヶ月は帰れないと思っていたが……そのお嬢さんは?」


「あらまあ、幹ちゃん」


 甲高い声が響いて、わたし達は一斉に振り向いた。エレベーターの前に今降りて来た風情の女性が一人。東洋人らしい小柄な体に、『月うさぎ』と書いた白いエプロンを着けていた。微笑みながら、大げさに手を振ってやって来る。


「おかえりなさい、幹ちゃん。ルネちゃんも一緒なの」

「ひさしぶりです。おばさん」

「まあ、本当に久しぶり。半年ぶりかしら? この娘さんは?」


 ルネちゃん? ――もう、詮索するのはやめておこう。

 人好きのする優しい笑みで、おばさんは、わたしを見た。安藤さんのお母さんだろうか? 愛想笑いを返すわたしから、悪戯めいた視線をルネへ向けた。


「この人が、噂の恋人?」

「先輩のですよ」

「たっただいま、おばさん。あの……」


 わたしが訂正するより早く、安藤さん――ええい! ミッキーの足が動いて、力いっぱいルネのブーツを踏んだ。声にならない悲鳴をあげるルネを見上げ、わたしは少し感心した。

 ルネには恋人がいるのね。ふうん……。それから、焦るミッキーを見て考える。ミッキーにも、いるのかな?


「いきなりで悪いんですが、部屋は空いていませんか? 出来れば111号室」

「111号室には新婚さんが入っているわよ」


 麻美という女の子が、コンピューターのキーを叩いて言う。大きな栗色の瞳で興味深そうにわたしを見た。


「そんなに大切なお客様なのか? 彼女」


 アニーさんも好奇心たっぷりにわたしを眺めた。懲りずにルネが口を出す。


「そりゃもう。何たって、先輩の恋……いてーっ!」

「依頼人です。おばさん。倫道さんは――」

「まあまあ。その問題は、明日ゆっくり話し合いましょう。ええと、倫道さん?」

「はい」


 おばさんは、ルネの向こうすねを蹴るミッキーからわたしへと視線を移し、にこやかに微笑んだ。

 わたしはおずおずと頭を下げた。


「すみません。予約なしにおしかけちゃって」

「いぃえぇ。幹ちゃんの連れてくるお客様がどういう方達かは承知していますから。どうぞ遠慮しないで下さい。私達に出来ることがあったら、何でも仰って下さいね」

「はい。どうも……」

「僕たちみんな、ミッキの仕事には全面的に協力することにしているんです」


 アニーさんに加えて、麻美さんも口を挿んできた。


「今夜空いているのは、122、123、126号室と……37、75、76号室。111号室から118号室は塞がってる。11階じゃなきゃ駄目? 幹ちゃん」

「できれば……」

「よほど大切なお客様のようね」


 わたしを労わるように眺め、おばさんは腕を組んだ。部下に命じる隊長よろしく、頷いた。


「いいわ、幹ちゃん。また配管工事を頼みましょう」

「すみません、おばさん」

「いいかげん、そっちで食べていけるんじゃないか? ミッキ」


 お兄さんの台詞に黙って笑い返し、ミッキーは、わたしの荷物を持ってくれた。カウンター越しに麻美さんから紺色のエプロンを受け取って歩き出す。フロアの中央で振り向いて、わたしとルネを呼んだ。

 わたしがもう一度お辞儀をすると、おばさんは微笑んで言ってくれた。


「親馬鹿かもしれないけれど、幹ちゃんはとっても真面目ないい子ですよ。大丈夫ですからね」

「どんと任せちゃって!」


 麻美さんが片方の眼を閉じる。アニーさんはにこにこと笑っている。

 わたしは深々と一礼してから、エレベーターに向かった。



「妹さんですか?」

「え? ええ。まあ」

「かわいい人ですねえ。お兄さんも、優しそう」


 エレベーターのドアが閉まると、ミッキーはボストン・バッグをルネに預けた。ジャケットを脱ぎ、エプロンを身に着ける。紺地に白で描かれた『月うさぎ』の文字と、WHITE MOON。


「アンソニーのことですか? 兄弟みたいなものです。麻美も、血のつながりはありませんがね」

「え?」


 ルネは壁に寄りかかって窓から外を眺めている。「我、関せず」といった感じだ。

 わたしは考えをめぐらせた。


「再婚されたとか?」

「は? ああ、いいえ」


 ミッキーは笑って首を横に振った。脱いだジャケットを肩にかける。


「違います。おばさんは……そうですね、ちょっと待っていてください」


 ドアが開いた。十一階だ。フロアに出ると、彼はわたしとルネに片手を挙げた。


「すぐ戻ります」


 そう言って歩き出す。細身にエプロンがずいぶん似合っていた。廊下の奥の部屋まで行って、扉をノックした。


「すみません。ええと、白木さんのお部屋は、こちらですね」


 扉が開き、ミッキーはお客さんと話し始めた。配管工事をするから部屋を移ってくれ、という。「この上の階の、122号室です」などと案内している。

 わたしの隣で、ルネが囁いた。


「ミッキーは、孤児だ」


 息を呑む。ルネは肩をすくめ、独り言のように続けた。


「今時、珍しくないがな。ミッキーだけじゃない。フロントにいたアンソニーと麻美も……。この家にいる子ども達は、全員わけありだ。おばさんを含めた十三人で、ここを切り盛りしてる」

「十三人……。おばさんは?」

「旦那は早くに死んだらしい。おばさんも孤児だったらしいぜ。一番下のドナを引き取ったのは二年前。まだ、たった三つだ」

「…………」

「隠しているつもりはないんだろうが、変に気を遣われたくないんだろうよ」


 隣のエレベーターから、ミッキーと同じエプロンを着けたアニーさんが出てきた。わたしに会釈をして、小走りに去っていく――ミッキーのところへ。今しも出てきた新婚さんの大きなスーツ・ケースを、ミッキーの代わりに持った。


「どうも済みません。おくつろぎのところ……」


 気の良さそうな新婚さんは、いいえ、とか何とか言いながら、にこやかにエレベーターに乗っていった。柔らかいクリーム色のドアが閉まり、ライトが上がっていくのを見送る。

 ミッキーが戻って来た。


「さて。どうぞ、倫道さん。111号室が空きました」


 ミッキーは――はじめて見た。いたずらめいた微笑を浮かべていた。


「わたしが111号室へ入るんですか?」


 新婚さんの居た部屋へ? 呆れて訊くと、ミッキーは笑って首を振った。


「いえ。倫道さんは、隣の、おれの部屋を使って下さい。111号室には、おれとルネが入ります。まさか、ルネと同室したくはないでしょう?」

「もちろんです」


 言ってしまってから見上げると、ルネは慍然ムッとして顔を背けるところだった。ど~せ、とか何とか口ごもっている。

 ミッキーは再びわたしのバッグを持ってくれた。廊下の突き当りにある『STAFF ONLY』と書かれたドアを開け、さらに奥の扉を開けた。


「どうぞ、散らかっていますけど」


 そう案内された彼の部屋は、これ以上は無いほど整頓されていた。薄い水色のシーツのかかった大きめのベッドに、濃い青の絨毯。一組の椅子と机が、夜景の見える窓辺に置かれている。壁は落ち着いた木目で、部屋全体に生活している雰囲気がなかった。


「ちょっと失礼……。着替えは、ここを使って下さい」


 壁の一部を開けると、そこはクローゼットになっていた。ミッキーは二・三着の服を取り出し、入り口で待っているルネに手渡した。事務的に、てきぱきと説明する。


「トイレもバスもついていますけれど、使うのが嫌でしたら、この上の十二階に大浴場があります。食堂は二階です。朝食は七時から十時。何かあったら、隣に居ますので呼んで下さい。あとで夜食をお持ちします。それじゃあ」


 それじゃあって……。

 部屋を退がろうとする彼に、わたしは慌てて声をかけた。何だか後ろめたい。新婚さんを追い出した上に、ミッキーの部屋まで使わせてもらうなんて。


「あの、安藤さん。わたし、本当にここを使っていいんですか?」

「ええ。どうぞ、ご自由に」


 ミッキーは涼しげに微笑んだ。


「音楽なんかが聴きたければ、パソコンは机の引出しに入っています。くつろいで下さい。しばらく月に居ることになるでしょうから」

「あ……はい」

「一応、カギはかけておいて下さい。ひと眠りして、時差に慣れておいた方がいいですよ。では、またあとで。夜食の時にお電話します」

「あ。はい」


 パタンとドアが閉まり、わたしは軽く息をついた。時差、ねえ。確かに、これでは眠れそうになかった。


 地球――東アジア州と月。約十二時間の時差。真夜中でも、わたしの体はやっと醒めた感じだった。しかも、興奮している。

 わたしはボストン・バッグを床に置き、ベッドに腰を下ろした。よく効いたスプリングに揺られて溜息をつく。

 これから、どうなるのだろう?


 長い一日だった。DON SPICER号への密航に始まって、宇宙戦、デモ隊との衝突、そして、月……。どれも初めての経験で、長い映画を観ているような気分がした。夢の中にいるようだ。しかも、まだ終わらない。

 宇宙軍へ行かなければならない。『グレーヴス』に会わなければ。

 ルネ・ディ・ガディスさん――あのラウル星人とも、出会って一日とは思えなかった。いつのまにか、ずっと前から知り合いだったような気になっている。ミッキーとも。


 そして、ここ。

 窓の外の夜景は、地球と変わらないように観える。パパは月と地球を往復していたけれど、わたし自身はジュニア・スクールの時に国際宇宙港を見学したくらいだ。四十万キロも離れたところに、こんな形で来るなんて……。

 ルネの故郷、ラウル星までの距離に比べれば、たかが四十万キロ。されど四十万キロ。地球のぬくぬくとした環境で育った『お嬢様』が、宇宙へ出たいなんて思わない。

 お嬢様――本当に。

 わたしはラウル星人に会ったのも初めてなら、ミッキーのように地球外コロニーで暮す地球人と会ったのも初めてだった。地球連邦政府と月のいざこざも、他人事だと思っていた。

 パパが殺されてしまい……わたしが誰かから狙われているのも、全て夢のなかの出来事で、目醒めればいつもと同じ日常が待ってくれているような気がした。

 でも、これが現実なのだ。


 ふいに、重い感情がわたしの胸を占めた。なんて急に変わってしまったのだろう。つい一週間前まで、わたしは普通の女子高生だったのに。

 わたしに、何ができるだろう?

 ミッキーに出会わなかったら、間違いなく今ごろは奴らに捕まっていた。ルネに出会わなかったら、グレーヴス探しなんて途方もないことを、どう始めればいいのか検討もつかなかった。

 でも、わたしの中に相反する熱い感情も存在していた。

 やってやろうじゃないの。

 自分が何も知らなかったと判った今なら、なおさら負けたくなかった。パパを殺した連中に、一矢報わずにはいられない。


 絶対に、仇を討ってやる。





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