Part.1 紅白のお月さま(3)


           3


 昨夜、安藤さんと来たときには、船の構造はあやふやにしか判らなかった。

 今、停止した船内を彼について歩くと、通路は人が二人すれ違える程の幅しかないものの、壁全体から発せられる柔らかな白い光に包まれた居住区は、意外に広かった。


 操縦室のすぐ後ろはリビング・ルームだ。両側にスクリーンとクッションのある部屋を通り抜けると、カーゴ・ルーム(荷物室)に出る。船底に降りるとメイン・ドアのある気密室へ抜け、ちょうど操縦室の真下にベッド・ルームがあるということだった。

 ちなみに最近の宇宙船は二重、三重構造になっていて、船が進むことによる慣性力と内部の回転で生じる遠心力を利用して、人工重力を作っている(注①)。昔のように、ふわふわ浮くことはない。人の暮らす空間はタングステン・シートなどの宇宙放射線を遮断する物質で覆われ、安全性も向上している。


 わたし達は、荷物室の入り口の階段を下りていった。

 部屋の天井には巨大なクレーン・アームがついていて、かなり大きなものも収納出来るようだった。パイロットは部屋のほぼ中央、灰色のシートに覆われた高さ二メートルほどの四角い物体を前に立ち尽くしていた。両手を腰に当てて振りむいたその顔は、苦りきっている、なんてもんじゃあなかった。


「どうした。壊れたのか?」

「さっきのファイト(戦闘)でね……」


 安藤さんは真顔になって、その物体に触れた。パイロットは首を振った。すごく疲れているようだ。


「固定していなかったのか?」

「していましたよ。ここ、G(重力)の調節がトロイんです」

「8MC(注②:速度の単位)で飛ばせばなあ」


 安藤さんは諦めたような口調で言った。

 パイロットは咥えていた煙草を踏み消すと、しゃがんで計器に顔を近づけた。


「ここもネジが吹き飛んでやがる。その辺に落ちていないか?」

「え? えーと……」


 わたしは慌てて跳び退がった。足元にそれらしい物は落ちていない。

 パイロット――ガディスさんは、深く、深く溜息をついた。安藤さんが励ます。


「そう落ち込むなよ」

「また始末書かあ」

「決まったわけじゃないだろう。直せないのか?」

「ここじゃ無理です」


 ガディスさんは肩をすくめ、計器の歪んでしまった部分を未練がましく撫でた。指のない革手袋をはめた手は大きい。長い指で、散らばった部品を集め始めた。


「これじゃあ、月基地には行けそうにないなあ。先輩、そこのパーツ、曲がっていませんか?」

「大丈夫だ。どうやら、そっちだけみたいだ」


 わたしのせいかもしれない……密航なんてしたから。が船ごと狙って来たのだとしたら、どうしたらいいのだろう?

 パイロットはジャケットの胸ポケットからカードを取り出し、損傷の範囲を調べ始めた。機械の縦と横の長さを計り、計算を始める。


「4フィート、3インチ。6フィート、か……。これで、深さがどれくらいかというと――」

「あの、ガディスさん」

「この辺は、それほどひどくない。半インチ」


 安藤さんも床に膝をつき、吹き飛んだ部品を探している。


「十五万クレジットくらいあれば、何とかなるかな? ひええ、赤字だぜ。月で部品が買えればいいが」

「ルネさん!」


 わたしがちょっと強い口調で呼ぶと、ガディスさんはやっと振り向いてくれた。胡散臭そうに言い返す。


「『さん』付けするなよ。ごろが悪いから」

「あの。わたし――」


 ピーッという呼び出し音が、彼の手首から聞えた。安藤さんの片耳からも。

 パイロットは面倒そうに立ち上がった。


「ったく……忙しい時ばかり……狙っているんじゃないだろうな」


 ぶつくさ言いながらきびずを返し、出口の方へ歩き出した。わたしと安藤さんが入って来たのとは別のドアへ。

 どうしよう? 取り残された気持ちで、わたしは安藤さんを顧みた。彼は肩をすくめ、壊れた部品を機械の上へ載せてわたしを促した。


「行きましょう、倫道さん。通信ですよ」

「って……そちらから?」

「ええ。どうかしましたか?」


 彼がわたし達が入ってきたドアへ向かうのを見て、わたしは首を傾げた。ガディスさんが出て行ったのとは違う。

 わたし達は、リビング・ルームを抜けたところでガディスさんに再会した。反対方向に行ったはずのパイロットは、先にコクピットのドアを開け、通信機に向かっている。途中、脇に逸れる通路や階段なんて一つもなかったのに、どういう構造をしているのだろう? この船は。

 パイロットは通信士のシートごしに腕を伸ばし――動作を一つするたびに溜息をつきながら、スイッチを入れた。


「こちらDON SPICERドン・スパイサー号」

『DON SPICER号……ID-539288-65。ルネ・ディ・ガディスだな?』


 飛び込んで来た声は、戦闘中に月から聞えて来たものと同じだった。スクリーンに宇宙局の制服を着た中年男性が映る。

 パイロットは大儀そうに頷いた。


「今度から、オレの代わりに申告してくれよ、おっさん」

『こちらは連邦宇宙局、第23コントロール・タワー(管制塔)だ。先ほどは失礼した』

「別に」

『……大丈夫か?』


 パイロットが疲れきっているので、管制官は眉を曇らせた。

 通信の受像範囲内に入りそうになったわたしを、安藤さんが遮る。ガディスさんは、密航者を告発する気はなさそうだった。


『船体に損傷はないか? 負傷者は? 救命艇を出す必要はないか?』

「おかげさまで、いたって元気だよ。こんなことをしていて、オレ達がせっかく捕まえた連中を逃がさないでくれよ」

『公安隊がそちらへ向かっている』


 安藤さんの視線の先を観たわたしは、サイド・スクリーンに白とオレンジの連邦の公安船を見つけた。ロボットアームを伸ばして、翼の折れた船を回収している。

 パイロットは口元を歪めた。


「遅いぜ。連合軍なら懲罰を喰らう遅さだ」

『銀河連合軍? 戦士トループスか?』


 管制官の顔色が変わった。パイロットは苦笑した。


「安心しな、休暇中だ。公務執行妨害をしたのはこっちだ。これ以上、邪魔はしないよ」

『いえ、そうとは知らず、失礼しました。宇宙港ポートを開けましょう』

「ちょっと待ってくれ。……先輩」


 ガディスさんは、急に丁寧な言葉遣いになる相手を片手を挙げて制し、わたし達を振り向いた。


「悪いですけど、一週間ほど、先輩の家に泊めてもらえませんか? オレ、あいつを修理してみようと思うんです」

「……断る理由がないな」


 安藤さんはわたしを見て、苦笑まじりに肩をすくめた。ガディスさんは、ほっとしたように白い歯を覗かせ、スクリーンに向き直った。


「と、いうわけだ。おっさん」

『何ですと?』

「本船は、ダイアナ・シティへ向かう。カタツムリどもに、のたのたして進路を妨害しないように言ってくれ」

「承知しました」

『もう一つ』


 管制官が通信を切ろうとしたので、安藤さんが止めた。ワンテンポ遅れて、受像範囲に入っていく。


「もう一つ、教えてくれ。おれ達を攻撃して来たのは、何者だ?」

「そう言えば、忘れていたな……」


 パイロットはわたしを観て呟いた。品定めするような目つきだけど、気にはならなかった……わたしも知りたかったので。

 安藤さんは真剣だ。


「連中は、連邦の巡視艇と追撃機ではないのか? こちらが何者か、確認してから撃ってきた。どういうことか教えて欲しい」

『お待ちください』


 管制官はこの問いに対する答えを用意していなかったらしい。うろたえ、スクリーンから姿を消した。数分してまた現れ、もごもごと報告した。


『失礼いたしました。月の独立過激派と勘違いした、と言っております』

「何だって?」


 ガディスさんの片方の眉が跳ね上がった。安藤さんの眉間に深い皺が刻まれる。わたしは息を詰めて見守った。


『最近とみに過激になっている、月の独立運動を推進している連中です』


 あ……と思った。月の独立運動。そういえば、ここ半年ほどマスコミを騒がせている。

 西暦二十二世紀の宇宙開拓時代以降、地球人は太陽系内外の惑星と衛星に植民を開始した。五百年以上が経った現在、火星をはじめ多くのコロニーは独立国になっている。けれども、最も古く植民の始まった月は、未だに独立を認められていない。月で得られる原子力エネルギーの原料、ヘリウム3を手放したくないのだろうという話だ。

 住民の一部が独立運動を起こし、過激化していると聞いた。宇宙港の一部が占拠されたとか、連邦政府の領事館がデモ隊に囲まれたとか、ニュースでみた覚えがある。

 でも……。


「何で、そんな奴らとオレの船を間違えるんだよ」

『密輸です』


 管制官の頬にも渋面が貼りついていた。安藤さんは、トントンと長い指でコンソールを叩いている。


『独立を支援している他の惑星から、大量の物資が月に密輸入されています。挙動不審な船を疑ってしまったと報告をうけております』

「挙動不審……」

『ご迷惑をおかけしました』


 ぶすっと呟くガディスさんに、管制官は頭を下げた。安藤さんはコンソールを叩きつづけている。


『銀河連合は中立しておられます。宇宙軍のトループスに大変失礼を致しました。巡視艇と追撃機の乗員は、連邦法に照らして厳重に処分いたします』

「なら、オレ達は月に行ってもいいんだな?」

『はい。お手間をとらせて申し訳ありませんでした』


 通信が切れたスクリーンを、ガディスさんは不満そうに見つめていた。挙動不審と言われたのが気に障ったらしい。やがてジャケットを脱いで肩をすくめた。


「ま、オレ達も怪しくないとは言えないから。退散しますか? 先輩」

「そうだな……」


 パイロットが笑ったので、安藤さんは怪訝そうに後輩を見上げた。


「何だ?」

「いえね」


 ガディスさんは背が高かった。スラリとした体型の安藤さんより、さらに高い。しかし、作る表情は無邪気な子どものようだ。


「先輩は女にはとことん優しいのに、どうしてそう、相手が男になると辛らつになるのかと思ってね」

「……殴るぞ」

「NO! オレの顎にも修理代がかかる。先輩は、男には弁償してくれないでしょ」


 後輩がオーバーに両手を挙げたので、安藤さんの頬にも、ようやく笑みが浮かんだ。黒い瞳はまだ笑っていない。

 ガディスさんは首を傾げた。


「そんなに過激になっているんですかい? 月の独立運動とやらは」

「ああ。また税金が上がったからな」

「地球の四割……でしたっけ?」

「それは二年前。独立運動が始まってから跳ね上がっている。今は地球と同じだ」

「ひえ!」


 わたしも驚いた。地球と同じ税率なんて。それは、月に住む人達には苦しいだろう。

 人口過密と物価高。植民星へ大量の人間が出て行った今、地球に住めるのは殆ど特権に近いのだ。消費税は五割。所得の八割近くは税に取られている。

 重税に耐え兼ねて移民した人々に、また同じ税金が科せられたら……。


「何だって、そんなに徴収するんです?」

「独立運動なんてやっている余裕を、なくそうってことなんだろう」

「逆効果じゃないんですか?」

「そうでもない。月の景気がいいのは、地球と他のコロニーと銀河連合との交易があるからだ。税金が上がれば交易が減って、景気が悪くなる。そうなれば給料が減るから、みんな生活に必死になって独立運動どころじゃなくなる」

「ふうん……なんだか、難しいんですね。ところで、」


 ガディスさんは頷いたけれど、あまり良く判ってはいない――と言うか、興味がなさそうだった。わたしを面白そうに眺めすかした。


「お前、いつまでそんな物持っているんだ?」

「え?」


 思い出した。さっき何とかしろと言われたコーヒーを、ずっと持ち歩いている。だって、置くところがないんだもの……。

 安藤さんが微笑み、ガディスさんが片手を伸ばした。


「かせよ。喋ったら喉が渇いた。オレが淹れ直して来る」

「おれが行くよ」


 安藤さんが、わたしからトレイを受け取った。ガディスさんが歓声をあげる。


「わお! さすが先輩」

「お前に淹れさせたら、どういうコーヒーになるか。倫道さんに、あんなものを飲ませるわけにはいかないからな」

「どういう意味です?」

「そういう意味だよ」


 憎まれ口を叩きながら、安藤さんは一人で出て行った。ドアが軽い音をたてて開閉し、わたしはパイロットとその場に残された。


「さて、と」

 

 パイロットは操縦席にすわり、キーを動かした。モニターに軌道を映し出すと、ちょっと考えてからレバーを引いた。がくん、という軽い衝撃が伝わる。船が動き始めたらしく、エンジンが快い唸り声を立てる。

 ガディスさんは立ち上がり、こちらへ近づいて来た。


「こういう物は――」


 彼は補助シートに片手をつくと、かがみこみ、シートと壁の隙間からバッグを引っ張り出した。わたしのボストン・バッグだ。息を呑むわたしに、軽く投げてよこした。ぼさぼさの頭を掻き、気だるそうにドアを指差す。


「リビング・ルームの後ろ。キッチンの隣にロッカーがある。別に、あんたが持っていたいってんなら構わねえけど。出来れば、荷物はそこに入れてくれ」

「って……あの」 


 どういうこと? そびえる男を見上げて、わたしはバッグを抱きかかえた。

 パイロットは新たに煙草をくわえ、火を点ける。ほかっと天井を見上げ、くじらの潮吹きの要領で煙を吐いた。


「……何だよ」


 そこで彼は、初めてわたしを見下ろした。わたしの体の奥から震えがこみ上げた。――なんて瞳! 綺麗……!

 あかるい褐色の瞳は、瞳孔に近づくにつれて濃くなり――影に緑の光を宿していた。赤みと黄みを帯び、ときに黄金色に輝いてみえる。見る角度と光の加減によって変化する猫の瞳のようだった。陰鬱さはなく、温かい。


「どうした? 子猫ちゃん。行けよ。あんたが出てくれないと、オレ、出られないんだ」


 彼は当惑したように笑った。ためらいがちに手を伸ばして、わたしの肩を叩く。

 わたしは少し混乱した気分でコクピットを出た。遅れてぶらぶらやってくる彼を、通路で振り返る。

 正面のドアが開いた。


「安藤さん」

「あれ? 倫道さん。ルネ、こっちに来るのか?」


 安藤さんは下がって道を開けてくれた。成り行きに従い部屋に入る。


「船を動かしたのか? ルネ」

自動操縦オートにしました。眠っていても月に着けますよ」


 船の主がソファに腰を下ろすと、部屋の床が開いてテーブルがせりあがって来た。安藤さんはその上にコーヒーカップを並べた。

 ガディスさんは、わたしに椅子を勧めた。


「そろそろ話を聴かせてもらおうか。いいんでしょう? 先輩」


 彼はわたしと安藤さんを交互に見て、煙草を咥えた唇をうすく歪めた。


「リサ、だっけ?」


 倫道小百合、の、どこからそんな呼び名が出たのかはわからない。ガディスさんは、ふてくされた口調でそう言った。


「オレは自己紹介を聞いていない。先輩。どうしてオレの船を選んだのか、聴かせてもらえませんかね?」


 ぷかあ、と煙草の煙を吐き出す。

 わたしと安藤さんは、もう一度、お互いの顔を見た。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注①)人工重力: JAXAのサイトによりますと、実験用の小さなケージを回転させて発生させた遠心力を、人工重力として利用しています。人が乗る規模の大きさの物をどうやって回転させるのか、具体的な技術までは考えていません。

(注②)速度の単位: 実際に使われている物ではありません。1MC=光速の千分の一、と設定しています。光速は、299 792 458 m/s(真空中)=約30万キロメートル毎秒。地球から太陽まで約8分20秒です。

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