Part.1 紅白のお月さま(2)
2
「面白くなってきた」
パイロットは妙に落ち着いた口調で呟き、シートに座りなおした。一方的に切られて騒音を立てる通信機を無視して、唇をぺろりと舐める。
安藤さんは、予備シートにしがみついているわたしに近づくと、よろめくわたしを支えてくれた。
「倫道さん。危ないですから、ちゃんと座っていてください」
わたしは船と一緒に頭の中まで揺れていた。おろおろと口ごもる。
「あの、わたし……。ひょっとして、」
急に船が旋回したので、わたしは彼にしがみついた。安藤さんは、わたしを自分のシートに座らせ、有無をいわさずベルトを締めた。器用に片目を閉じる。
「喋ると舌を噛みますよ」
「……あいつら、かしら?」
わたしが囁き声で問うと、彼は「さあ」と肩をすくめた。船の動きで壁に叩きつけられないよう、パイロット・シートの背につかまる。
わたしの隣では、パイロットが恐ろしい速さでコンソール・キーを叩いていた。
栗色の髪はぼさぼさで、ゴーグルに押さえられてあっちこっちに跳ねている。前髪は鼻先まで垂れていた。スクリーンを睨む表情は険しく……結構ととのっていた。
男のひとの顔を間近にみる機会が多いわけではないけれど、かなり端整な顔立ちをしていることは、わたしにも判った。鼻筋が通り過ぎているような気が、しなくもない。眉を寄せて前方を睨む眼差しは、射るように鋭い。
わたしの視線に気づいたパイロットは、唇を歪めて嗤った。
「あれが子猫ちゃんを追いかけている、犬のお巡りさんかもしれないって?」
「え……ええ」
「そんなことがあるかよ……っと!」
陽気な掛け声と同時に彼はレバーを引き、わたしは船の振動でがくん! とシートに押し付けられた。安藤さんは脚を開いて立ち、シートの背につかまっている。
「早すぎるでしょう。あなたの密航を、誰が知っているというんです?」
「そうだ」
パイロットも言った。船を水平に戻しながら、
「
「ルネ、右だ!」
「うそだろ? おい」
口を開きかけたわたしを、安藤さんの声が遮った。ライト・グリーンの小型艇が、メイン・スクリーンをかすめて飛ぶ。青白い光芒をよけ、パイロットは舌打ちした。
正面のメイン・スクリーンの上に、船の後方を映すスクリーンがある。追ってくる白い宇宙船の放つ光弾が、幾本も向かって来ていた。
わたしの目に、側方から撃って来る緑色の追撃機が見えた。
安藤さんが、かすれた口笛を吹いた。
「二機になったぜ。どうなっているんだ?」
「知りませんよ。先輩」
「やるのか?」
「補助、頼みます」
「OK.」
安藤さんもシートに腰を下ろした。ほぼ同時に、横からのエネルギー弾が船体を直撃する。息を呑むわたしの目の前で――正確にはスクリーンで、白い光が色とりどりの球になって弾けた。
え?
「シールドを張った」
パイロットが呟いた。それから、にいと唇の端がつりあがる。まるで、獲物を見つけた狼のように。
「オレが生きている限り、船には傷一つつけさせない」
「All right.ルネ。準備完了だ」
「GO!」
叫んだ男の声は、わたしの中で木霊した。一瞬、背筋がぞくっとする。船が斜めにかしいだ。
青とみまごう濃い緑、エメラルド・グリーンから、紫……血のように鮮やかな赤、オレンジ……琥珀色から金色へ。男の瞳がなんとも言えない不思議な色に煌めくのを、わたしは見た。めまぐるしく変わる虹が黄金の残光を残して元の褐色の虹彩に収まった時、
男の意志に呼応するかのようにスカーレットの船体が輝き、光は太い束となって斜め後方から近づいて来た銀の小型艇を直撃した。
わたしは腰を浮かしかけ、シートベルトに引き戻された。純白の光は小型艇に当たると、黄金色に変わって弾けた。そして――船は片方の翼を砕かれ、宇宙空間に不本意そうに停止した。
やっちゃった……。
わたしはスクリーンを観てぽかんと口を開けた。男がくつくつ笑い出す、含み笑いで我に返る。
「あ、あなた――」
「何を仰天してんだよ。ラウル星人――
「……初めて見たわ」
明るい褐色の瞳に、わたしは呆然と呟いた。
「ルネ」
「了解」
安藤さんの緊張した声が、思考を遮る。ルネ――ガディスさんは陽気に答える。
DON SPICER号は船首を月に向け、仲間を撃たれて退却する緑の小型艇を追い始めた。エネルギー砲(?)のトリガー・スイッチを押す(というか、叩く)たびに、ガディスさんの眸は青緑色に輝いた。光弾と月からのオレンジ色の光に照らされ、挑むように嗤う。
「当ったれーっ!」
白い光芒は宙を切り、小型艇の尾翼をかすめた。ガディスさんは唇をとがらせ、ぷくうっと頬を膨らませた。
安藤さんが苦笑し、船は反撃を受けて振動した。
「大したやろうだぜ」
不敵にうそぶくガディスさんの声は、煙草でがらがらだった。今は吸っていなくてもそうと判る。レバーを引き、ゲージ・ランプが赤に近くなるまで船を加速させた。
「このオレのヒットをかわしやがった」
「単に、お前が下手なだけじゃないのか」
「なら、お前がやってみろよ、ミッキー」
興奮すると敬語がどこかへ行ってしまうらしい。ガディスさんがコンソールを叩くと、すごい重力がわたしの顎をしたたかに殴った。目の奥で火花が散る。
安藤さんの怒鳴り声は、船を揺るがす衝撃にかき消された。
「ルネ! この馬鹿っ、G(重力)の調節くらいしろ!」
「やかましいっ!」
わたしの座っているシートの上から、ピーッという小さな音が聞こえた。がくがく揺れるコクピットに、なめらかなAIの声が響いた。
《被弾。被弾。右舷後方、補助レーダー、破損》
「それどころじゃねえんだよ!」
ガディスさんは怒鳴り、文字通り船をひっくり返した。後方から撃って来るエネルギー弾を間一髪でかわす。わたしの頭に血が一気に逆流する。
船が元の体勢に戻る前に、また通信機が鳴り始めた。
「ルネ、通信だ。月の管制塔から」
「この忙しい時に!」
悪態をつきながらパイロットがスイッチを入れると、よく通る男声が届いた。
『貴船の船籍と船体コードを報告せよ』
「DON SPICER! 船籍はラウル。何の用だ?」
『DON SPICER号、貴船は何をしているのだ? 貴船のいる宙域は、地球連邦の領空内だ』
「見てわかんねえのか? お前ンとこの船と、正当防衛で交戦中!」
『即刻退避せよ。宇宙航行法、第四◯六条第二項に基づき命ずる。宇宙標準時間28分以内に、現在の領空から退避せよ。命令に応じない場合は逮捕する』
「なんでだよ! こっちは何もしていないぞ。しかけたのはそっちだろうが?」
『繰り返す。即刻退避せよ。400時間以内に連邦領空内から退避しない場合、貴船を撃墜する』
通信士の台詞の間に、ガディスさんは深く、ふかあ~く息を吸い込んだ。一度目を閉じ、そして、マイクに噛み付かんばかりの勢いで吼えた。
「うっすええっ! 正当防衛だっつってるだろうが! うだうだぬかしてる間に、この状況をなんとかしろ!」
『SPICER号――』
向こうからの返答を待たず、通信を切ってしまった。
安藤さんが溜息をついて額を押さえる。
メイン・スクリーンを真っ赤な光芒が横切り、下腹に、ずん、と衝撃が伝わった。
ガディスさんは、悲鳴をあげてベルトにしがみつくわたしをちらりと見て苦笑した。船首を傾け、敵船の下方へまわりこもうとしながら呟く。
「リンドウ教授の娘にしちゃあ――」
「パパを知っているの?」
わたしは思わず身をのり出した。その間に、彼はエネルギー砲を撃っていた。三筋の光芒が緑の船をかすめる。向こうも青白い光で反撃してきた。
操縦を続けながら、ガディスさんは嗤った――楽しそうに。
「すると、ヤマが当たったか?」
「ヤマって……」
「月の
『大丈夫。信用出来る男ですよ』という安藤さんの言葉を思い出し、わたしは彼を振り向いた。彼はウインクを返してきた。
再度、船が振動した。
《被弾。被弾。第三格納庫、下弦……》
AIの
わたしは、シートベルトにしがみついて悲鳴をあげた。
「ちょっと……ねえ! この船大丈夫なの?」
「信用しな。これでも、連合宇宙軍のFクラス・パイロットだ」
Fクラス……仮免許じゃない!
言い返そうとして、わたしは声を呑んだ。違う。銀河連合宇宙軍に所属できるパイロットは、民間の免許でもDクラス以上。訓練校を出たのなら、Cクラス以上のはず。
「誤解しないでくれよ、おい」
苦笑いして、ガディスさんは言い添えた。砲を撃ちながら、
「ひとが苦心して作った冗談も通じないような奴の、相手なんぞしたくない」
Fクラスって、もしかして。Fクラス・スタンバイ――休暇中ってこと?
安藤さんが、疲れた声でぼやく。
「こんな時に、くだらない冗談言うなよ……」
「ヒステリーの雌猫の相手なんて、オレはご免ですからね。それとも先輩、あんたがしますか? おい、子猫ちゃん」
「は、はい?」
わたしのこと?
敵の攻撃をきわどいところでよけ続けているパイロットは、けっこう辛そうだった。がくがく船が揺れ、わたしは舌を噛みそうになった。
「悪いけど、そこのコーヒー、なんとかしてくれ。集中できない」
「え?」
ガディスさんが空いた左手で指した先を見上げ、わたしの口がぽかんと開いた。さっき安藤さんと彼が飲んでいたコーヒー……銀のトレイに載ったカップとポットが、天井近くで浮いていた。どんなに船が激しく揺れても、急旋回しても、カップはひっくり返ったりせず、コーヒーの水面は揺れていなかった。
わたしが宙に浮いたトレイを引き寄せると、ガディスさんは
「GO!」
……不思議な声だった。喋る声はガラガラなのに、その時だけとても澄んで聴こえる。安藤さんの声より幾分低いテノールが、わたしの頭の中で木霊した。
再び、目の前で……さっきより強く、ずっと明るく、その瞳が輝いた。ガディスさんの体も白い光に包まれたように見えた。白金色の光は船全体を覆い……敵の撃って来た光芒を吸い込んで、その横腹を直撃した。
「やったね!」
安藤さんが歓声をあげる。真空にかがやく花火に、わたしは思わず見蕩れてしまった。金と紅のきらめきが消えた後には、翼を片方吹き飛ばされた船が、ぽつんと浮いていた。
「ルネ」
「あ。あの……」
こちらの船も停止すると、パイロットはシートから飛び出し、わき目も振らず駆け出した。あっという間にドアの向こうに消える。
わたしは、トレイを持ったまま呆気にとられていた。何なの? いったい。
「大丈夫ですか? 倫道さん」
安藤さんがベルトを外してくれた。
「舌、噛みませんでしたか?」
「どうして……」
実を言うと、口の中を切っていた。鉄に似た血の味がする。口元をぬぐうわたしに、彼は優しく微笑んだ。
「怖かったでしょう? 悲鳴をあげていたこと、覚えていませんか?」
「そうだったんですか? わたし」
彼は笑い出した。出会った時から印象的なくつくつ笑い。黒い瞳が優しくて、わたしは頬に血が上るのを感じた。
つくづく、安藤さんは紳士だ。わたしが立ち上がるのに手を貸してくれ、甘いテノールの声で教えてくれた。
「だから、ルネの奴が混乱していたんです。密航者が若い美女で、隣りできゃあきゃあ怖がられたら、怒る気になれない。おれが奴でも困ると思いますね」
「は、はあ」
ついでに、口も上手いかも。美女なんて言われて、わたしは、ますます顔が火照った。
わたしはドアを見遣った。
「あの。ガディスさんって、ラウル星人なんですか? 本当に」
「はい」
安藤さんは肯いた。わたしは、頭のなかで『宇宙生物学』の教科書の記述を手繰った。
「でも、確か、ラウル星人は絶滅したんじゃあ――」
言ってから失礼な質問ではなかったかと不安になったけれど、安藤さんは静かに頷いてくれた。
「よくご存じですね。ええ、
「98%」
殆ど本物じゃない。わたしは感心した。天の川銀河系に数十種いると言われている知的生命体(地球人を含む)――その中でも、ずば抜けた身体能力と科学力をもち、ハイクラスとされる(でも、何故か絶滅してしまった)種族のおひとりと、こんな形で出会うなんて(注*)。
安藤さんは、後輩の去った後のドアを眺めて続けた。
「銀河連合宇宙軍に所属する
「あ、そうなんです、か?」
「勿論、ルネほど純度の高いハイブリッドは多くいません。あいつはラウル本星でESP能力制御の訓練を受けている。
ふうん、と相槌を打ちかけて、わたしは気がついた。待って。連合軍に所属するトループスってことは――
「安藤さんもですか? ハイブリッド?」
わたしが眼をまるくしたので、彼はにこやかに微笑んだ。
「そうですが、おれは殆ど
ちょっとホッとした。ああいえ、だからどうってわけじゃないんだけど……。
わたしが戸惑っていると、安藤さんは悪戯っぽく笑った。
「そういう事情なので、ルネが失礼なことを言っても大目に観てやって下さい。頭の中身は子どもなんです。十歳ですから」
「はあ。……え?」
「ラウル星人は地球人の二倍の速さで成長する……ご存知でしょう? 能力的には我われよりはるかに優れていても、あいつはまだ子供なんです」
《先輩!》
軽い呼び出し音と同時に、ガディスさんの声が聞こえた。コンソールを振り返るわたしに、安藤さんが首を振る。彼の左耳の小型スピーカーから、パイロットの声がした。
《ちょっと来てください。悪夢です》
「どうした?」
《カーゴ(荷物室)です。『二度あることは三度ある』なんて言葉を作った奴を、はったおしてやりたい気分ですよ》
「来ますか? 倫道さん」
通信を切って訊ねる彼に、わたしは頷いた。でも……これ、どうしよう?
カップに入ったままのコーヒー。ポットもまだ重い。これ、いまさら一人で飲むには多すぎるし、濃すぎる気もするし。置いて行こうにも置き場が……えーと。
迷っているわたしを残して、安藤さんは歩き始めた。
わたしは、ポットとコーヒーカップを載せたトレイを持ったまま、彼について行った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*):進化生物学的に、地球外知的生物(宇宙人)が、地球人型の体と遺伝子(DNA)を持ち、言語コミュニケーションをとって交配する(混血が産まれる)――なんてことは、到底考えられませんが。まあ、ファンタジー世界の「エルフ」みたいな存在だと思って頂ければ幸いです。
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