Part.1 紅白のお月さま
Part.1 紅白のお月さま(1)
1
ふわあ……。
目を覚ましたわたしは、無意識に伸びをしようとして、予備シートの背もたれに思いきり頭をぶつけてしまった。
あーあ。何も最初から、こんな狭いところに潜りこむんじゃあなかった。どうせ、夜が明けるまで誰も来ないのに……。
夜明けまで?
やだ。うそ。欠伸を噛みころしたわたしの耳に、靴音が聞こえてきた。閉じた扉の向こう、くぐもった声。急いで床の扉を開け、整備用の空間にもぐりこむ。補助パイロット・シートの下で体をまるめ、息を殺した。
空気の抜ける軽い音を立てて扉が開き、常夜灯しかともされていない薄暗いコクピットに、二人分の足音が入ってきた。
「だからオレは、今度こそと思っているんです」
最初に入ってきた男が言い、部屋の照明が点いた。わたしは、ますます身を縮めた。殆ど顔がすりつかんばかりの床を――わたしから五十センチと離れていない距離を、重力調整ブーツがカツカツと通り過ぎた。
「三度目の正直という奴です。今回は先輩が一緒なんですから」
「そんなことは判らないぜ、ルネ」
笑いを含む声とともに彼の足音が通過する。わたしの額は、冷たい床面に裏から貼りついている。彼の声は相変わらずのんびりとして、どこか気持ちを落ち着けてくれる響きを含んでいた。
「おれも一緒にクビになるかもしれん」
「縁起でもないこと言わないで下さいよ」
男は不満げに言い返した。座席の背もたれを叩いたらしい、くぐもった音がした。
「ミッキー先輩、いくらオレだって、二回もクビになれば懲ります。今度こそ、始末書でなく報告書を書いてみせます」
「ああ、判ったよ。……ルネ。コントロール・タワー(管制塔)からだ」
『貴船の船籍と船体コード、乗員の名前を報告せよ』
「へいへい」
管制官の生真面目な声に、若いパイロットは冗談めいた口調で申告した。
「一度しか言わないからな、おっさん。オレの船は、300m級
「
『ライセンスはどこでとった?』
「ラウル。ID-539288‐65。これでOKかい? おっさん」
『申告完了。しばらく待て』
「了解。好きだよ、おっさん」
軽薄な男の台詞に、管制官は応えなかった。彼がくすくす笑い出す。男は拗ねたように呟いた。
「冗談の通じない人だ」
「お前が軽すぎるんだよ」
美しい女声を模したAIからの指示が届いた。
『DON SPICER号。離着床を開けました。300秒後に滑走に入って下さい』
「了解。ありがとう」
「必要ないのに……」
彼は平静に答えたが、男は何やらぶつぶつ言っていた。小さな振動がした。船が動き出したのだろう。
それからたっぷり五分間、彼らは何も言わなかった。床下で息を殺しているわたし、然り。五分後、ルネと名乗った男が話しかけた。
「先輩、めし喰いましたか?」
「いや、まだだ」
「先輩が来るって判っていたら、もっと食糧を積んで来るんでしたよ」
船が加速を増すにつれ、わたしの体は見えない手で壁に押し付けられた。狭い箱のなかで両手両足をふんばる。
男達は、そんな力など一向に気にならないように喋り続けた。
「おれは作らないぜ」
「判ってます。ま、トーストとコーヒーで我慢して下さい」
「間違えてくれるなよ。おれは
コクピットを出て行く靴音に、彼は慌てて呼びかけた。自動開閉式の扉が閉まると、ひそめた声が降って来た。
「
わたしは腕を伸ばし、頭上の扉を数センチ持ち上げた。彼はほっと息をつき、シートを離れて屈みこんだ。
「大丈夫ですか? そんな狭いところで。場所を変更するなら、今のうちです」
紺のスーツを着た彼が、床に小学生のようにしゃがみこむ、わたしは困って囁いた。
「大丈夫です。安藤さん、わたし、いつまでこうしていればいいですか?」
いつまでか――月基地に着くまで。二つ並んだ予備シートの背は壁に面していて、その下にいればまず見付からない……はず。けれども、一メートル四方ほどの隙間に嵌っている苦しさ!
わたしはジーンズを穿いた脚を曲げ、膝を抱えていた。
「ちょっと待って下さい」
安藤さんは扉を気にしながら立ち上がり、シートごしに手を伸ばしてコンソールのキーを叩いた。その間三秒。振り返り、律儀にこう言った。
「宇宙標準時間で320.67分――地球時およそ六時間で到着します」
つくづく、スカートでなくて良かった。わたしはぎくしゃくと頷いた。
「折をみて、ルネを――あ、あいつ、ルネっていう、例のおれの後輩です。荷物室に連れ出しますから、その隙に船室へ移動してください。この下が居住区です」
「はい。ありがとう。大丈夫です」
「……どうしてここに隠れたんですか? 倫道さん」
わたしが曖昧に相槌を打っていると、彼は心底不思議そうな声を出した。小鳥のように首を傾げる。
わたしは返答に困った。どうしてって、それは。そのう。
「えーと」
仮にも狙われて密航しようという者が、宇宙船の操縦室みたさに他の場所を考えなかった……なんていうのは、やはり、かなりミーハーな発想ではなかろうか。もごもご口ごもっていると、ふいに彼が緊張した。
「安藤さん?」
「しいっ……黙って」
良く通るテノールの声がひそめられた。まっすぐ前を見据える。
安藤さんとお知り合いになって三日程経つけれど、未だに、こういう時と普段の彼のギャップに、わたしは戸惑っていた。
「あの、」
「隠れて下さい」
わたしの顔に左手のひらを向け、踵を返して立ち上がる。今までずっとそうしていたようにシートの背にもたれ、スクリーンを眺めた。
わたしは、扉の隙間から部屋のなかを観ていた。
扉が開いた。
「先輩、コーヒーです」
「Thanks, ルネ」
直後の会話は、先刻と変わらない。彼は、片手に小さなトレイを乗せた後輩に笑いかけ、スクリーンに視線を戻した。
「フル・オート(全自動)の航路予定図ながめて面白いですか? 先輩」
「地球を観ているんだよ」
「地球……」
男は呟きながらトレイをコンソールの上に載せ、トーストをくわえた。
彼がコーヒーに片手を伸ばす。男は、パンを齧りながら忠告した。
「先輩、そっちはオレのです。……眺めて楽しいもんですか?」
「ああ、まあな」
もう一方のカップを手にとり、彼はかるく笑ってみせた。スクリーンを覗き込む後輩に、
「お前の星に比べればちっぽけだし、住んでいる人間もせこいけど。外から観るには、案外綺麗だと思ってさ」
「そうですか」
「何だよ、これ」
コーヒーを口に含んだ彼は、苦い声で呟いた。カップから唇を離し、口元をぬぐう。
「お前のじゃないか?」
「あ。間違えました? じゃ、こっちが先輩のだ」
男はのほほんと自分のカップを示した。
「どうりで味がないと思った。換えますか?」
「いい。おれ、お前と間接キスなぞしたくない」
「淹れなおしますよ」
ダスト・シュートにカップの中身を放り込み、男は指を鳴らした。わたしは目を疑った。二人の間に、突如、銀色のポットが出現したのだ。
ええ? 何? あれ。
わたしが茫然としている前で、男は平然とポットを掴むと、彼のカップに中身を注いだ。にった~と笑って手渡す。
「今度は間違いないだろうな?」
「保証しますよ」
おそるおそるカップの縁に唇を当てる彼を見下ろし、男はくつくつ笑った。コンソールにもたれかかり、腰のホルスターに手を伸ばす。
「サイコ・ガン(ESPエネルギーを使った銃)か?」
「ええ。レイ・ガン(レーザー銃)が、ちょっとイカレちまったんで」
深緑色の重そうな銃を持つと、男は片目を閉じた。そのまま床に銃口を向け、無造作に引き金を引いた。
「おい!」
彼が立ち上がるのと、わたしの耳元で、バン! という音がしたのが同時だった。わたしは、背筋がすうっと冷たくなった。何? 今の……。
男は、真っすぐ自分の足元に向けて引き金を引いた。なのに、どうして床下にいるわたしの耳元を、かすった気配がしたのだろう。
かすかに青ざめる彼に、男は、ますます愉快そうに笑ってみせた。
「最近、オレの船に猫が忍び込むんです。かわいい子猫ばかりとは限らないんで、ちょっと牽制してみたんです」
「って、お前……」
「動くな」
見つかった……どうしよう? 息を呑むわたしの耳に、低い、威圧する声が響いた。わたしは縮み上がった。
男は皮肉めいた口調で言った。
「先輩――いや、ミッキー。お前、このオレの船に密航者を連れて来るとは、いい度胸しているじゃないか? 間が抜けていると言うか……まあ、そこがお前らしいんだが」
いきなりぞんざいな口調に変わったのが、凄く怖かった。彼も黙り込む。
「出て来い」
もう一度、冷たい声が予備シートに投げかけられた――わたしに。
「警告を無視するなら、こっちにも考えがある。ミッキーと一緒に黒焦げにされたいか?」
そんなのやだあ! でも、どうしよう……。わたしが悩んでいると、彼が諦めた声をかけてきた。
「すみません、倫道さん。大丈夫ですから、出てきてください。撃たせやしませんよ」
わたしは扉をそっと押し上げ、ごそごそ這い出した。予備シートの背もたれから、恐る恐る顔を出す。
声から想像していたのよりずっと若いパイロットだった。安藤さんより背は高い。ふわふわの栗色の髪は少し長めで、肌の色は地球の黄色人種に近い。銀色のスペース・スーツをまとった身体は筋肉質で、しなやかな野生の獣を思わせる。男は銃を構えなおし……そして、銃口を天井に向けた。
やや眼尻のつり上がった栗色の眸が、わたしを見て細くなった。
わたしは、ゆっくり立ち上がった。男は無遠慮に、じろじろ眺めすかした。
「お前、
いきなり訊かれて、わたしはちょっと狼狽えた。
「え? 十六……」
「女子高生っ?!」
張りのある声が裏返ったので、わたしはびっくりした。男は、猛然と安藤さんに抗議をはじめた。
「ミッキー! どういうことだ? じょしこおせいだとっ! まさか、誘拐して来たんじゃないだろうな?」
安藤さんは苦笑した。
「ルネ、落ち着け」
「これが落ち着いていられるかっ! お前、そういう趣味だったのか? 下手すりゃ誘拐、監禁だぞ! オレの船に女子高生っ。うっわー!」
「落ち着けって。おれの趣味には関係ないし、これは誘拐じゃない。彼女は依頼人だ」
「依頼人?」
男は、ぴたっと口を閉じた。
安藤さんは肯き、わたしを見ながら優しく繰り返した
「依頼人の娘さんだ。保護を頼まれた」
「あぁあぁ、お嬢さんで良かったですよっ」
男は銃を腰に戻し、どっかと椅子に腰掛けた。背もたれに頬杖をつき、胡散臭そうにわたしを眺める。
「狭い部屋をますます狭くさせるむさい野郎だったら、これ以上酸素を消費させないところですけどね……。居るだけで目の保養になる美人は、撃つ気になれない」
「そう言うだろうと思っていた」
「どうせ、オレは女に弱いですよ」
きょとんとしているわたしの目の前で、パイロットは拗ねてぶつぶつ言い続けた。面白いことに、口調が元に戻っている。
「人のことを言えるんですか? 先輩。こんなことだろうと思ったんだ。相手が女でもなければ、あんたが気にするわけがない」
「いつから気づいていたんだ? ずいぶん気を遣ったつもりなんだが――」
「気を遣うからですよ。……いつまで突っ立っているんだ?」
予備シートにしがみついていたわたしに、男は話しかけてきた。
「おい。宇宙法では、密航者は殺されても文句は言えないんだぜ。船の持ち主のオレが、見逃してやろう、事情によってはこのまま乗せてやろうって言ってるのに。挨拶もなしかよ、子猫ちゃん」
男の視線は鋭いけれど、子猫ちゃんと呼びかける声は、からかうような響きを含んでいた。安藤さんを振り返り、片方の眉を跳ね上げる。
「保護って、どういう事情ですか? 先輩」
「どこから話そうか……」
状況を面白がっているような安藤さんの口調に、男は渋面を作った。
その時、ぴーっぴーっという妙に可愛らしい音が、コンソールから響いてきた。男の顔に、いぶかしげな表情が浮かぶ。わたしのことなど忘れたように身を翻し、通信機に向き直った。
「倫道さん」
通信士用シートにもたれていた安藤さんが、静かに呼んだ。黒い瞳が微笑んでいることに、わたしは気づいた。
「――小百合さん。まあ、座ってください。悪いようにはしませんから」
「でも……あの」
密航がばれちゃったのに? パイロットが受信キーを叩くのを見ながら、わたしは口ごもった。安藤さんの自信たっぷりな様子が気にかかる。
パイロットが、スクリーンを見つめたまま呟く。
「サユリ……リンドー?」
通信機から、ガーガ―ピーピーという雑音が聞こえた。安藤さんが舌打ちして計器に向きなおり、コンソール上のいくつかのキーに触れると、雑音は消え、AIでない男の声が飛び込んできた。
『貴船の名前は?』
スピーカーから響く男の声は、つっけんどんで苛立っていた。パイロットは眉根を寄せ、受像スイッチを切ったまま応じた。
「ずいぶん早いじゃねえか」
『貴船の所属と、船体コードを報告せよ』
「宇宙港の軌道を出たばかりだぜ?」
「ルネ」
安藤さんが囁き、パイロットの注意を促した。側面のスクリーンへと視線を向ける。
安藤さんがコンソールに触れると、そこに流線型の宇宙船が映し出された。
「地球連邦の巡視艇だ。お前、何を積んで来た?」
この船よりひとまわり小さく見える白銀色の船は、とても速そうだ。安藤さんの頬が苦々しく歪んだ。
パイロットは憤然と言い返した。
「誓って言いますけどね、まっとうな仕事ですよ、今回は。炭素合成装置の輸送を頼まれただけです」
「なら、どうしてあんなのがついて来るんだよ」
「オレが知るわけないでしょう?」
「あの、」
わたしかもしれない。そう言いかけるわたしに、安藤さんが目配せした。黙っていろってこと? でも……。
『答えよ! 貴船の船籍は?』
「ラウル!」
がなり立てる通信機に、パイロットも怒鳴り返した。向こうが沈黙した隙にまくし立てる。
「船籍はラウル。銀河連合宇宙軍所属、
パイロットが言い終わったとたん、メイン・スクリーンに映っていた月と星空を真紅の光芒が切り裂いた。同時に衝撃……。
安藤さんが叫ぶのを、わたしは呆然と見つめていた。
「ルネ!」
背後のスクリーンから轟音が飛び込んでくる――宇宙空間には音なんてないはずなのに(注*)。
まるで、映画のワンシーンのよう。
ひええええ!
撃ってきた!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*):脳内効果音です……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます