第3話 悪役女帝と剣奴とカレーライス③
戦いという極限状態で鋭敏化されたアイルの嗅覚。
スパイシーな香りが鼻孔を刺激。一歩、一歩と食堂に近づくにつれ、更なる空腹へと誘う。
だが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。 あんなにも遠くへ感じていた食堂への扉。 気づけば、それが目前まで近づき――――
アイルは食堂の扉を開いた。
通常、この時間の食堂には誰もいない。
当然だ。闘技場において王者たるアイルの試合はいつだって最後のメインイベント。
加えて、闘技場の地下に存在する食堂を利用するのは剣闘士か、それに準する者のみ。
試合直後に飯を食しようと思う者は、そうそういない。
だが――――
「いらっしゃいませ」
いつだって、白い服――――確か名前は
椅子に座ったアルスは、念のため机に置かれたメニューを一瞥した後にいつもと同じ言葉を発した。
「すまない。今日のおすすめは?」
「はい、今日はカレーライスになります」
「カレーライス? 初めて聞く料理だ」
「はい、なんでも食堂のおばちゃんの郷土料理で、確か……カナザワカレーって種類らしいですね」
「そうか。おばちゃんの郷土料理に外れはないからな。じゃ、そのカレーライスをいただこう」
「はい、かしこまりました」
注文を受けた従業員が下がった所で「ふぅ……」とため息を1つ。すると――――
「お待たせしました」
「随分と早いな!」
(まるで事前に予想してたかのように、恐るべきスムーズさで出てきたぞ)
テーブルの上にはカレーライスが置かれる。 あまりにも香しい料理だ。
まずは、その器に驚かされた。
(銀色の器! まさか純銀ではないにしても、まるで貴族さまの食事だ)
「いや、そんな事よりも――――肝心のカレーライスとやらだ」
「これがカレーライス」と驚愕と一緒に恍惚とする表情を押さえるのに必死だった。
まるで黒いシチューだ。とろみのある液体、それがカレーというわけか。
その上にボリューミーな揚げ物が乗っている。横にはキャベツの付け合わせ。
「さて……どうやって食べようか?」
アルスは悩みながらも上に乗せられた揚げ物にカレーを塗るように浸していく。
「この揚げ物……かつ丼の時に乗っていたアレと同等の存在……か?」
揚げ物の正体はロースカツ。 豚肉、それも肩から腰回りのお肉。
それをアルスは慎重に口へと運ぶ。 果たして、その感想は――――
しっかり、サクサクにあげられたカツ。それがカレーによって、しっとりとした優しさが加わっている。
ロースカツが本来持つ脂身によって生じる甘み。それが、濃いめのルーと交わり、絶妙なハーモニーを醸し出している。
だが、恐ろしいのは、これは本命ではないということだ。
よし、では本命に入ろうではないか!
この料理の名前はカレーライス……というらしい。
アルスはかつて、かつ丼と呼ばれる料理を食した時に得た知識を頭の奥から引っ張り出してきた。
ライスというのは、別名は米。おばちゃんの故郷では信じられないが、これをパンの代わりに食べる風習があるらしい。
「それが料理名にあるということは!」
アルスは手にしたフォークを銀の器の底付近まで沈ませる。
確かの手ごたえと共に救い上げられたのは、大量なるルーによって隠されていたライス。
驚きのあまり「ほぅ……」と口から漏れた。
ホカホカの白米。それに濃厚なカレールーが入り混じっていく。
決して辛すぎず、刺激的で食欲を増進させる辛み。
それが甘みすら感じる白米と相乗効果を生み出し、カレーそのものを引き立てる。
「うまい! いくらでも食べれそうだ!」と今日、何度目かの驚愕。
一体、自分は「ごちそうさま」と口にするまでいくつの驚きと出会うのだろうか?
何度も、何度もフォークを動かし、カレーを口へ運び美味を堪能する。
こうなっていると、次に気になっていくのは付け合わせだ。
そう……キャベツだ。
アルスはチラリとキャベツに視線を泳がせるも、少し躊躇する。
この世界では、キャベツは薬草として使われ、食べるにしても健康食として使用される事が多い。
果たして、この料理にキャベツが合うのか? と疑問が生じるの仕方がないことだが……
それでも、アルスは覚悟を決めるとキャベツを救い上げる。
「あらゆる料理に存在する付け合わせ。それは、料理人が何らかの意図があり……それを解き明かすのも食する者の定めだ」
料理と料理人の思考に思いを馳せる。それがアルスが食事と向き合う時のポリシー……信条だった。
結果、アルスは驚くことになった。
「……消えた? あんなにも口内を侵略していたカレーの味が?」
キャベツの瑞々しさ。 噛めばシャキシャキと音が聞こえてきそう新鮮度。
それにより、アルスの口内に広がっていたカレーの風味を一度リセットしたのだ!
「また、カレーの旨味に慣れてきた所で、再び最初から味わい直せるというのか……これは……感謝!」
もはや、どこにも躊躇うような要素はなく、ただただ食べる事に専念する。
まるでカレーという魔力に精神が支配された如く……
やがて、彼に訪れる精神の枷が外れるような感覚。
それは――――
生死を賭けた戦い。それからの生存。 アルスにとって食とは日常へ戻るための儀式のようなもの。
いや、それは彼だけが持つ特別な感覚ではない。
誰だってそうだ。誰だって持っている。
ただ、純粋にうまい物食べた時の感想――――
「あぁ、俺……生きているって感じる」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
気がつけば汗。 体の体温が上昇している事すら気づかなかった。
アルスは、コップ一杯の水を手に取り、喉を潤す。
そして――――
アルス、完食。
「ありがとう。すげぇ美味しかったよ」
アルスは女性店員に向け、今日初めて屈託のない笑顔を見せた。
動きを止めた彼女に「ん?」と疑問符を浮かべたが、気にせずアルスは続けた。
「俺、必ず勝ち続けますから、次も美味しい料理を作ってくださいね」
「は、はい!」と、どこか緊張した彼女を残して、アルスは帰っていった。
それを見計らったように新たに現れたのは――――
帝国の軍師であるリンリンだった。
「よかったですね。エイル陛下」
そう呼びかけた相手は、食堂の女性店員だった。
彼女は、頭に乗せた三角巾を外すと美しい金髪が波のように広がっていった。
そう、割烹着を着て、頭に三角巾を巻いた女性店員の正体こそ、帝国を支配する女帝エイル陛下。
なぜ、彼女が食堂で店員の真似をしてるのかと言うと――――
それを説明する前にエイルはリンリンに抱きついた。
その動きは闘技者もかくあれと言わんばかりに強烈なタックルに等しかった。
「アルスくん、私のために勝ち続けるって言ってくれた! こ、これって実質、プロポーズだよね!だよね!」
「ちょ……きつい! 息が、息が…… また、おっぱいで、おっぱいで溺死す……」
嗚呼、悪役女帝の恋愛勝利めし。彼女が食事を作るわけとは?
それはある者が、こう助言したらしい。
「この世には、恋愛の必勝法があるのよ。それはね……料理で相手の胃袋を掴むのよ!」
帝国を支配する女帝エイルがアルスという1人の男から愛されるためだけに、料理を振る舞う。
それがこの物語であり……さてはて、この2人がどうなっていくのか?
これからも、
さあー さあー 御立合い、御立合い。
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