幼なじみの女の子(1) 母親の言葉

 ベッドに仰向けになり、部屋の白っぽい電球を遮るようにスマホをかざし、新しく入ったアドレス帳を見ていた。



 つい一時間前は、まだあのテラス席にいた。

 正直、夢にしてもつまらねえなと思ったうさんくさい天使の夢より、きょうのことのほうが、よっぽど夢らしいと思った。


 日曜日のあのよくわからない集まりで、俺たちはすでに連絡先を交換していた。

 家族以外の連絡先がアドレス帳にあるのは、ひさしぶりだった。かなり。



 王子さんのメールアドレスの字面。

 ――フロム・プリンセス・トゥ・プリンス。


 英語はさして得意ではないが、さすがに、姫から王子へ、というような意味だということくらいは予想できる。



 ……それにしても、そうだよな、王子姫子、だもんな。いままで出会ってきた人間のなかで、まず間違いなくもっとも変わっている名前だ。


 王子、というのは苗字だからわかる。問題はそこに、姫子、とつけ加えたことだ。センスが最高なのか最低なのか、どちらかだとしか考えられない。わが子にわざわざ苦労を買いに行かせるなんて、ご苦労なこって。



 すでにほとんど外は紺色。ふだんならばスマホなどかばんのなかに放置したままゲームに熱中しているだろうに、きょうの俺の部屋は静かなものだ。



 晩飯に呼ばれたので、リビングに下りた。両親と妹ふたりは、すでに食卓についている。きょうはハンバーグのようだ。サラダも味噌汁もある。


「兄ちゃん遅い!」

「おそーい」


 小学五年生と四年生の妹たちは歳も近いせいか息ぴったりで、いつもふたりでぴーちくぱーちく俺にいろいろ文句を言う。いちばん生意気な時期なのかもしれない。……俺もこいつらくらいの歳のとき、このくらい、うざったいほどに自己主張ができれば、よかったのだろうか、と思うときもある。……そんな思考はなるべく早く消すようにしているが。


「ハンバーグなんだよ? うたはすごく楽しみだったのに。そこらへんわかってる?」

「これだからオタクは! ハンバーグよりもゲームか! ならハンバーグをまいによこせ!」

「おい舞、そういうことぜったい学校とかで言うなよ……ゲーマーをオタクと括るのはオーバーキルのときもあればカテエラのこともある。歌も覚えとけ」


 わけわからんっ、と妹たちはハモる。両親はそんな俺たちを、なんか、微笑ましそうに見ているだけだ。基本的に穏やかなひとたちだからな。……うーん、この感じ。


 なんだかんだで食べはじめる。俺もハンバーグは嫌いではない。



 時刻は七時。多くの家は、晩飯どきだろう。……いの女の人間ってのは、ふだんなにを食ってるんだろうな。霞でも食ってる気がしてた。というか、女も食事をするんだよな。当たり前のことなんだろうが、忘れていた気がした。……妹たちと母親は、そういうことじゃないしな。



 母親がふと、いたずらっぽく俺を見た。


「大輝。なにかいいことでもあったの?」

「はあ? ねーし! なんもねーよ!」


 反射的にすこし大きな声を出してしまい、あ、と思ったが、そもそもその程度で動じる食卓ではないのだ。


「ふーん、そーお?」


 信じてねえな……。

 今度は声の音量に気をつけながら、俺はぼそぼそと言う。


「……いや。まじでなんもないから。べつに。いつも通りだし」

「なあに兄ちゃん怪しいよ?」

「怪しい怪しい!」

「だから、なんもないって言ってるだろ」


 母親が俺の小皿にサラダをよそいながら、どこかしみじみと言う。

大輝だいきはねえ。悪い子じゃないし、母さんはそういうとこ好きだけど、ちょっとやる気ないとこあるでしょ。母さんそこが心配なのよ。勉強とかスポーツとかだけじゃないのよ。……友だちづきあいだってそうなのよね」


 妹ふたりはなにも言わない。意味がわからないのか興味がないのか。


「人間関係ってやる気いるからね。だから母さんは父さんと結婚したんだけど、まあそれはまた別ね。……大輝が小さなころ、よくうちに遊びに来てた女の子、ほら、いたじゃない。なんて名前だっけ?」

「ああ……いたっけ、そんなの。覚えてない」

「ちょっとおてんばだったけど、あの子もいい子だったわよね。あの子、いまどうしてるの?」

「……知らない。そこまで。小学校卒業してから、会ってないし」

「そう。……元気でやってるといいわね?」


 俺は適当にうなずいて、そこで話を終わらせた。話はすぐに流れ、歌と舞の学校生活とか好きなアニメとか、そういう話になっていく。




 ――なんなんだろう。なんで、母さんは、急にそんなことを言ったんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る