理不尽な女の介入
ヘッドホンと歩きスマホ完備で、校門を出る。クエストの攻略情報がなにかないもんか、とネットを漁りグループメッセも飛ばすが、ろくな情報がない。どいつもこいつも使えねえな。
きょうで討伐クエストは四日めだ。授業中も休み時間もフルにつかって挑戦したのに、成功しなかった。スランプというやつか、などと思って、いやいや俺にかぎってそんなこと、とひとり小さく笑ってみせる。
まあ、な。俺がハイレベルすぎるんだ。ソースはネットのどこにも攻略情報がないこと。
徹夜してでもクリアしてやろう、と思う。クリアだけでは俺には足りないか。オーバーキルで評価を上げないと。グループのやつら、驚くぞ。
――俺はいつだって上級者がわで。
そう思って、もういちど笑いかけたときだった。
肩が、叩かれた。強い。痛い。立ち止まり、殺気を込めて振り向く。
――殺したいほどの笑顔があった。
なにか口を開いたが、ヘッドホンの爆音でかき消せている。俺はふたたび歩きはじめた。意識して、さきほどよりも早足で。だがこの女は、女にしては身長も高く脚も長いのかどうか、そんなの知らんが、笑顔のままてくてくと俺の隣を歩くのだ。手を背中に組んで、俺の顔を覗き込むようにして。
なにかを言う。知らない。聴くつもりなど、ない。
すると、聴覚を満たしていた音楽がなくなった。猥雑な雑音だけが、ぐわっと入り込んでくる。――不愉快だ。不愉快きわまりない。
ひとのヘッドホンを外しておいて誇らしげなのだから。
「お疲れお疲れー。駄目だよ少年、そんながっちり防御じゃ、猫を蹴っちゃうかもよ?」
「そうですね。車に轢かれて死ぬかもしれないですしね。まあべつに俺はそれでいいんですけど。どうせこんな世界ですし」
言うまでもなく皮肉だが、この女はのんきににこにこしている。
「そう。だから、気をつけなくっちゃいけないの」
返事をするのすら面倒だ。
「……それ。ヘッドホン。早く渡してください。私物です」
「やーだよー」
ひらひらと俺のヘッドホンを振り、まるで誘い込むかのように、すこしずつ道の端へ背中を近づけていく。放置したいところだが、ゲームにも使うだいじなヘッドホンだ、コードが切れたりなどしたら馬鹿馬鹿しい。俺も、仕方なく端へ寄っていく。
住宅街のブロック塀に背中をぴたりとくっつけ、俺を小さな角度で見上げている。唇の両端が、対称的に持ち上げられた。
「……怒った?」
「――あのねえ」
俺にしては、大きな声。
そうだよな。女というのは馬鹿だとみんな言う。だから、このくらい厳しく言ってやらないと、伝わらないのかもしれない。女という生物は低レベルだと知っているから、積極的にかかわったことなどないが、女とかかわるというのはこういうことなのかもしれない。
「なんの権利ですか。なんの資格ですか。ストーカーですか? 立派な犯罪だと思いますが。俺は警察の偉いひとの息子とか、知人にいるんで、高校生ひとり社会的に抹殺するなんて簡単なことだと覚えておいてほしいのですが」
「――きょうはね。わたしは、きみに提案があって来た」
ざわざわ、と。――なぜか喧騒が耳に引っかかる。
いつもの放課後、いつもの通学路。高校生になってから丸一年、俺の放課後に誤差があったことなどほとんどない。きょうは月曜だから六限終わりで三時過ぎで、錆びれた商店街を歩く高校生は俺と同様最速で帰宅をキメるような、猫背でうつむいて早足でそれぞれの電車に飛び乗るような、そういうやつらばかり。学校などという牢獄に、価値を見出していない者だけの、時間限定の帰り道。
いつも通りのはずだ。
……ヘッドホンをしていないだけで、こうも違うのか。いや。違う。それだけではない、ような。なんだ。なんなんだ。
溢れ出て流れてきてうるさくて目を閉じ耳を塞ぎたくなるほどのこの、感覚は。
右手に俺のヘッドホンを持ち、ぴっ、と左手のひとさし指を立てる。――この女はこんなことすら気がつかないのか。
「……いいかな? ねえ、よくよく聴いてほしいんだ。高橋くんはいまから、ふたつの未来を選ばなければいけない」
「……そのことなら、きのうさんざん話したと思うんですが」
「ううん、あのね、それではなく。……つまり、わたしといまからデートをするか」
――は?
「そうでなければ、いまここで」
言いながら、ヘッドホンを返すその手で、俺の手をわずかな力で押すようにして握った。
「わたしが高橋くんの貞操を脅かして、高橋くんが学校で有名人になるか」
ヘッドホン越しだというのに器用に、俺の手のひらを、押してくる。
若干、強く。
「……あの。なに言ってるんですか? 俺、あんま面倒なことになりたくないんですが」
「でしょ? じゃあお茶行こ。きのうのとこでいいでしょ?」
「いや。あの。いやいや。違います。なんで俺がデートとか、しなきゃなんですか? そういうのは彼氏とやればいいじゃないですか」
「男女がお出かけするのはデートだもんね?」
……わけがわからない。なんだよその定義。
「まあ第三の選択肢ですね。俺はこのまま帰る、っていう」
「――わたしが叫んだら?」
悪い顔をしている。すごく、ワルい顔をしている。
「ここで、わたしが、きゃー高橋くんが無理やりわたしをー、助けて助けてって言ったら……どうする?」
「――そんなの。すぐに嘘だってばれますよ」
「ほんとに?」
今度は、両手を、握ってくる。
……やめてくれ。やめて。ほんとうに。
こんなの俺にとっては恐怖でしかない。
きっと、この女は、その程度のこともわからない。
ひとの領域に、土足でずかずか入り込もうとしやがって。
……嫌いだ。
だから、人間ってもんは嫌なんだ。
「……わたしは、演劇部なんだ。叫んだり。喚いたり。泣いたり。……高橋くんの恋人になっちゃったり。簡単なことなんだよ。……ねえ、それに、気がつかないの?」
ぎゅっ、といちばん強く握ったあとに、手を離した。
「高橋くんは、いまもうすでに、高橋くんの高校のみんなからすっごく注目されてるじゃない」
ばっ、と振り向く。
無邪気な興味と下世話な悪意が、そこにあった。
俺とおなじ学ランを着たやつらと、見慣れるどころか見飽きてもはや気にも留めていないスタンダートすぎて面白味もなにもないセーラー服を着たやつら、そういうやつらが、立ち止まって、遠巻きにこちらを観ている――まさか俺を? 躊躇なく、スマホをこちらに向けるやつらもいる。
知り合いはいない。向こうは俺を知っているのかもしれんが、俺が識別できる人間はいない。クラスメイトの顔なんざいちいち覚えてない。学年の区別もつかない。だから俺にとってこいつらはだれひとりとして名前をもたない。ああ。そんなのおなじだ。メッセンジャーのグループ。いや。あそこでは、ハンドルネームという識別番号があるから、違うか。でもどうしてだか、のっぺりとしたこいつらとあのグループが、なんとなく、似ているような、いや。そんなの錯覚だ。そうだ。
――なんだよ。
どうして俺を見るんだ。
いつもは、おまえら、俺のことなんて見もしないだろう?
「……どうする? 来るでしょ?」
この女の言う、理不尽すぎる不可解に。
俺は、うなずいていた。
もうこのさいなんでもいい。
絡みつく視線から逃れたかった。とにかく。
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