第33話 佐山あかねはギャルっぽい(その7)


 誰もいなくなった校内を歩く。

 

体育大会前夜。遠い稜線に太陽は隠れ、残照のみが校内を薄く照らしていた。次第にそれも窓の外へと引いていき、藍色が西の空に降りてくる。見れば、一つ、また一つと風景に明りが灯っていく行く様子が広がっていた。


 応援団の決起集会の叫び声が校内に響き、それに負けじと吹奏楽の空を衝くような音が重なる。あるべき青春の姿がそこにはあった。

 前方から、女子生徒が歩いてくる。茶色交じりのその髪の毛は、薄暗がりの中でひどく幻想的な雰囲気を放つ。


「ありがとう、東山くん」


 後ろ手でUSBメモリを受取りながら、そんな言葉を聞く。


「いえ、」


 続く言葉はなく、彼女との距離は離れていく。体育祭前夜ということもあって、係の生徒が十数名校舎の中に残っている。会議が終わったのだろう集団で歩く彼らの横を通り抜け、そのまま下駄箱まで降りようとしたところで声を聴いた。


「だから、私は……!」


 言ったきり、継がれるはずだった言葉は聞こえない。他の教室の扉と比べて、一段と豪奢な木製の扉の前で足を止めると、その部屋でしばしの沈黙が流れているのだと分かる。


「だから、なんだ?」


 威圧的な言葉が、言葉の主の表情をありありと描く。体育祭前夜の弛緩した空気は鳴りを潜め、中にいる女子生徒の萎縮した吐息さえ聞こえるようだった。


「…………なんでも、ない、です」


 会話が打ち切られたのだと察して、その場を後にする。尻目で見た黒いプレートには、コントラストが美しい金色の文字で「理事長室」と書かれていた。

 理事長って、なんなんだろう。校長は別にいるし。


「あ、あれか。社長とCEOみたいなやつか」

 わからんけど。


 下駄箱に手をかけて、ふと思い出す。ミササギと最初に出会ったあの日のことを。

 あれから、まだ三か月しか経っていないという事実に少しだけ困惑する。


「早いもんだな、全く」


 どこか郷愁じみたものが胸を衝く。夏を前にするとノスタルジックな気分に浸りたくなるのかもしれない。日本人の宿命ってやつだ。


「……東、山?」


 耳に馴染んだ声に、思わず振り向く。

 空白。

 大きなガラス張りの窓に切り取られる夕闇の空、その藍と紺の境界に静かに茜色が差す様子は途方もなく美しい。けれど、彼女の美しさには遠く及ばない。

 憂いを帯びた瞳の端には涙が覗く。握るスクールバッグの紐はその形を歪め、ふと脱力した彼女の手から離れて地面へと落ちた。


「…………」


 永劫にも似た刹那の終わりに、ようやく見惚れていたのだと気付く。

 彼女が泣く理由は、分からない。

 それが、ひどくもどかしくて、何か言葉を探るも見つからなかった。


「……じゃあな、東山」


 再びスクールバッグを肩にかけ、彼女は俺の隣を通り過ぎていく。うつむきがちな表情は涙を隠して、呼び止める言葉を制止するようだった。


「あぁ、また、明日」


 その言葉に、彼女が振り向くことはなかった。


・・・


 高校二年生の夏、という言葉だけで【青春】という単語に自動変換されるのは何故だろうか。


 先輩ヒロインと後輩ヒロイン、そして同級生ヒロインが自動的に作られるから?

 大学受験前最後にして最大のモラトリアムだから?

 部活でスポ魂的なことができるから?

 情熱的な恋ができるから?

 


 答えは否だ。


 漫画、小説、映画など多岐にわたる媒体で題材に扱われてきた高校二年の夏。

 それらは全て、オッサンとオバサンの妄執である。

 

情熱的な告白も、感動的な再会も、衝動のままに走り出すのも、田舎で大切なものを思い出すのも、手を繋いだだけでドキドキするのも、ファーストキスに失敗して笑い合うのも全部オッサンとオバサンがニヤニヤしながら妄想したことだ。


 フィクションが先行し、それを現実が追従する。


 オッサンとオバサンの青春に対する妄執が結実したものが、人々の青春信仰であり恋愛信仰であり高校二年生の夏信仰だ。もはや日本全土を巻き込んだ宗教だ。

 つまり、ここに『【青春】という言葉を使った人間は全員オッサン・オバサンである』理論を打ち立てる。完璧だ。


 花のセブンティーンは死語なので論外。


 何はともあれ、青春ってのは信仰上の幻想なわけだ。そんなものはない。

 そして、その幻想にたどり着けなかったが故に妄執を抱き、再び次の世代に幻想を抱かせてしまうわけだ。恐るべき幻想スパイラル。


「――各位に通達。ヒトサンサンマルに状況開始」

「了解」


 イヤホンからそれぞれの声が聞こえる。現在時刻は、昼食を終えて午後の部が始まった十三時二十分。校内は現在、盗難事件防止のため立ち入り制限がかかっていて人は少ない。


「こちら東山、持ち場についたぞ」

「了解。予定通り第三倉庫に突入待機」


 花火が保管されているのは屋外にある第三倉庫。これは先日、佐山あかねがWLAに潜入して手に入れた情報だ。


「こちらも配置についたわよ」

「こっちも大丈夫です」


 ミササギは現在、地学準備室にて指揮を執っているので、これで配置は完了したわけだ。 

 第三倉庫は、屋外から直接向かうとリスクが高いため校内から接近する。そのため、突入担当の俺は特別棟二階の死角に隠れている。他の二人は久瀬先輩が屋上、伝達担当。佐山が突入補助として俺の横にいる。

 腕時計は十三時二十三分を指している、作戦開始までもうすぐだ。

 小型コンピューターで、敵の配置を確認する。倉庫前で警備しているのが三人。あとは倉庫裏に一人、校内各フロアに二人ずつ。


『一目ぼれです、付き合ってください!』


 そんな声が、間近で聞こえた。どうやら角を曲がったすぐそこで告白が行われているらしい。排除したいものの、ここで気づかれると作戦が台無しなのでしぶしぶ見逃す。


「……一目ぼれ、って、漫画の読みすぎだろ……現実にあるわけねぇだろ」


 一目ぼれ、なんて運命的な恋に幻想を抱いたなれの果てだ。


「ありますよ」


 その言葉の主が、佐山であると気づくのに時間を要した。

 いつになく強い声音で、彼女は確信めいたものを言葉に含んで放つ。

 こんな声は初めて聞いた。というか、そもそも佐山とはあまり接点がなかった。いつも久瀬先輩と話してたしな。



「私、先輩に一目ぼれだったんです」


「――――――――――――――――は、」

「え」

「はい?」


 思考が瞬間的に漂白される。

 いや、待て。いや、待つんだ。落ち着け、落ち着くんだ。


「おい、東山、状況を報告――」


 ぷつり。

 俺の腰に伸ばされた手が、無線機の電源を切った。


「……先輩」


 向けられた瞳は、熱を帯びていた。至近距離ゆえに胸にかかる吐息は、妖艶でありながら幼さを感じさせて庇護欲をそそり、胸と腰に添えられた手は驚くほど華奢で指の一本一本から脈動が伝わってくる。

 考えろ、思考放棄は悪だ、リア充は敵で、恋愛はクソだ、俺は、ここで折れるわけにはいかないんだ。


 俺は知っている。俺がどれほどクソな人間か。

 俺は知っている。恋愛感情がどれほど脆弱か。

 俺は知っている。人の醜さを。大人の未熟さを。社会の不完全さを。


 だから、出すべき答えはとうに決まっている。


「ごめん」

「あっれー? あかねーじゃん、こんにちわー」


 俺の返答と同時、ラメで目元を装飾した女子生徒が角から顔を出した。面識はないので、佐山の友達か何かだろう。


「こんにちは! お仕事おつかれさまです!」

「ありが、あ……ごめん。邪魔しちゃった……?」

「いえいえ、大丈夫です! お仕事頑張ってくださーい!」

「うん。そっちも……頑張って!」


 なんか変な視線向けられた。

 会話の様子を見るに、佐山の先輩らしい。それ以上は何もわからん。

 呆けている俺に、佐山は再び俺の腰の無線機に手を伸ばし、今度は電源を入れた。ふわりと香水が香り、思わず心臓が跳ねる。


「こほん。いやー、危なかったですねー。ないすカモフラージュ! 先輩、女の子振る演技上手いですねー」

 こほんって、口で言うんだ。 

 ほっと胸を撫でおろす。そうか、演技か。なにいっちょ前にドギマギしてるんだ俺は。ここまで来るともういっそ自分を殴り殺しそうになる。恥ずかし。


「そ、そうか。りりりりょうかいした。うん。よし。そうだな。作戦を開始しよう」


 無線の向こうではミササギが面白いくらいに動揺していた。下手すると俺より動揺していらっしゃる。はっはっは。そうだよな。俺が告白されるなんてな。あるわけない。


 意外過ぎて驚かれたんだろうな。なんかごめんよ。


「佐山さん。あとで一緒にご飯食べに行きましょう、ね?」

「うっす! 由香ちゃん先輩やっさしー!」


 佐山は朗らかに応えるが、久瀬先輩の声音の中にはどこか底知れぬ黒いものを感じる。あの男子生徒を振っていた時みたいな。


「そういや、久瀬先輩。男子からの視線はどうなんですか?」


 唐突に思い出して、聞いてみる。この、どこか居心地の悪さを感じる環境から脱するために、少しでも話題を変えたかった。


「うーん。まだ収まらないかな」


 となると、また対策を考えた方が良いか。


「じゃあ、また作戦会議ですね」

「いや、大丈夫よ」


 大丈夫、ということは何かヒントをつかんでいるとか、あるいは手段を考えているとかだろうか。だとしたら話は早い。


「いざとなったら、みんながいるものね」


 ふと、声音が和らぐ。夏のにおいが吹き抜けていって、屋上にいる久瀬先輩の髪を揺らしている様子が目に見えるようだった。見れば、窓の外では入道雲がその背を伸ばしている。


「……そうだな」


 そうですね、とミササギの言葉に続く。

 彼女は、過去の事件と無事にけじめをつけることが出来たのだろう。あの日、恐怖に虚ろ気味になっていた瞳には確かなぬくもりを感じるようになった。俺は、そんな久瀬先輩をけっこう尊敬している。過去との折り合いって、難しいからな。

 湿っぽくなった空気を払拭するように、ミササギの声がイヤホンから聞こえる。


「では、気を取り直して作戦を再開しよう」

「――了解!」

 



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