第30話 佐山あかねはギャルっぽい(その6)


 梅雨を抜けて、日を追うごとに湿度と気温が増していくのが分かる。

 後頭部の傷は完治して、脳に異常もないらしい。一学期末テストも終わり、校内は完全な夏休みムードに包まれていた。


 体育祭まであと一週間。


 校内のあちこちで浮ついた話が漏れ聞こえる。あの人かっこいいよね。あの子いいよね。体育祭の夜にどうやって呼び出そう。残念だが、そうはさせない。

 遠く、新宿副都心の都市情景のさらに奥に入道雲が伸びる。蒼天に一条の飛行機雲が線を描き、遠くから渡ってきた風が静かに肌を撫でるとともに遥か後方へと抜けていった。

 林立するビル群に陽光が降り注いで、ビルのガラスに反射した輝きが見て取れる。


「もう夏なんですねー」

「そうだねー」


 手に持った冷たいセブンアップが心地いい。夏といえばサイダー。サイダーといえば夏なのだが、セブンアップは群を抜いて夏に合う。スプライトもおいしいのだが、残念ながら何故かうちの学校の自販機にはない。なんでだ。


「高校生の夏って、何が特別なんですかねー」


 グラウンドで応援団が叫んでいるのを見ながら佐山が言った。


「そりゃあれだー、大学生になると制服デートは有料オプションだし、みんな焦って制服の夏を謳歌しようと頑張り始めるんだよー」


 夏と制服と水しぶき、これでそれっぽいMVになる。あと帰り道で半そでワイシャツの学生がドギマギしながら手を繋いでるやつな。


「体育大会の準備サボるのって、なんか楽しいですねー」

「そうだねー。別にサボってないけどねー」


 まだ昼過ぎ、本来なら五時限目のはずなのだが、本日は体育祭準備の日ということでクラスで担当を振られ、縦割り形式で作業にあたる。

 俺の担当は、屋上から得点版をぶら下げること。

 十分程度で終わったので、たまたま担当が同じだった佐山と話していた。暇だ。


「なんで豆乳コーヒー飲んでんのー」


 女子高生ってタピオカ飲むもんじゃないのか。


「おいしいじゃないですかー」

「そっかー」


 この学校に自販機は三つある。一つは昇降口の近くにある購買横。もう二つは二階と三階に一つずつで、三階の自販機だけパックジュースを売る自販機なのだ。だから教室が三階にある一年生は、比較的パックジュースを愛飲する傾向にある。

 それにしても、会話が続かない。


 久瀬先輩来ねーかなー。

 彼女なら、佐山も話しやすいだろうに。こんなので申し訳ない。

 しばしの沈黙。佐山はつまらなそうにスマホをいじり始め、俺はついぞ風景を眺めることしかやることがなくなった。本当にこんなので申し訳ない。

哀しいかな、スマホ、さっき充電切れた。


 けれども、こうして風景と一対一で対峙するのも悪くない。むしろ風流だ。

 恐らくこのまま過ぎて行ってしまうだろう夏の面影を心に刻む、そして少年の日を追懐する。これがあるべき日本人の姿だ。しらんけど。


 いずれセミの季節が来ると思うと憂鬱になる。あれ悪夢だろ。ゴ●ブ●が大量に木に張り付いているようなものである。しかもけたたましく鳴く。地獄絵図。

 それがいやで、毎年引き籠っている俺に夏は関係ない。

 そんな中で、風景と俺の間に割り込む声があった。


「ここの担当だったのか」


 ミササギだ。いつもは下ろしていたロングヘアーを、珍しくポニーテールにして涼し気な印象を抱く。ネクタイをしていないせいでワイシャツの襟から流麗な首筋が覗き、その白さにぞくりとした。


「よう」


 あぁ、と彼女は答えると、俺の隣で屋上の柵に寄り掛かる。この学校は屋上にフェンスがなく、胸元までの高さの柵があるだけなので景観はいい。


「体育大会の種目は?」


 四時限目までで出場種目は決まっている。花火大会本番の作戦の都合上、体育祭中にハートの花火を奪取しなければならないので、それに合わせて出場種目は選んだつもりだ。


「全員リレー、騎馬戦、綱引き」


 いずれも午前中に行われる競技だ、午後はリア充撲滅同盟の仕事に集中できる。


「ふむ、佐山はどうだ?」


 問うて、ミササギは佐山の方に視線を送る。


「佐山?」


 しかし応えることはせず、ただ視線は手元のスマホに向けられている。意図的に無視しているわけではないようで、時折小さくため息をついては憂うような瞳をのぞかせる。


「おーい、さ」

「あー、あかねじゃーん」


 俺の言葉を遮るように、耳を衝く声が響く。元気、といえば聞こえはいいが、それを通り越して少しうるさい。


 見れば、二人組のギャルがいた。すごい、昭和を感じさせる古典的なギャルだ。ガラケーの画面の裏にプリクラ貼ってそうな、きっと「ズットモ」が死語じゃなかった時代に生きているのだろう。時代錯誤感パネェ。国立科学博物館で化石見てる感じでちょっとテンアゲ。


 残念ながら、この学校はそこそこ頭がいい。故に校則は緩く、髪染めピアスメイクにネイル私服登校も許可されている。まぁ、制服のデザインが良く、好んで着ている奴も多いのでそこまで無秩序というわけでもない。


「なになに、どったの? カレシ? カレシかぁ~」

「か、彼氏じゃない!」


 なんか本当に申し訳なくなってくる。マジでごめん、思わずここから飛び降りそうだわ。

 けれど、どこかその言葉に妙な感覚を抱く。少しだけ棘のあるような、ないような。確信に至らないまでも、何か彼女らの間に起こったのだろうと察せる。


「そっかぁ、そだよねー。そんなのがカレシなわけなー」


 全国の皆さん、こんにちは、そんなのと申します。ひどい。


 だが別に、ショックを受けている訳ではない。むしろ妥当。

 特に容姿には無頓着なので、髪にワックス付けるわけでもなくおしゃれに気を遣ってない。毎回思うんだが、ワックス付けて虫の大群にチャリで突っ込んだら大惨事じゃないのあれ。くっついて離さないのは女だけじゃなく虫も、ってことか。けっ。いや、女は離すか……?


 一口セブンアップを呷る。若干ぬるくなった炭酸が、喉でぱちぱちと弾けて心地よい。


「で、どうなのよ、長谷部くんと」


 一気に気温が氷点下になる。場違いな入道雲を視界の端にとらえながら、彼女らの方に再び視線を向けた。言葉に何ら違和感はない、だが声音は突き放すような冷たさを含んでいる。


「な、何も、ないよ……ホントだって!」

「ふーん」


 依然、古典ギャルたちの放つ言葉は冷たさを孕む。女子同士の喧嘩は表面化しないと聞いていたが、こうも明確に声音に敵意を含むものなのだろうか。


「ま、いいや。カレシさんと仲良くね」

「だか、……」


 佐山は否定しようとしたらしいが、詰まった言葉はそれ以上続くことはない。古典ギャルたちは興味を失ったのか、踵を返して耳障りな甲高い声で笑い合っている。


 長谷部、というワードから察するに、恋愛がらみなのだろう。

 ここからは俺の推測に過ぎないが、恐らく佐山は友人の思い人に好意を向けられたのだろう。それを快く思わない友人は、こうして冷たい態度を取った。

 さらに、先ほどの会話に参加したのは古典ギャルの片方のみだった。もう片方は、凍てつくような視線で佐山を睨みつけていただけ。

 そして、女子の喧嘩は表面化しないという通説を鑑みると導き出される答えは一つ。


「色恋沙汰は面倒だな……」


 ポツリと呟くミササギに同意だ。

 恐らく、黙って佐山を睨んでいたギャルが長谷部とやらに恋していたのだろう。しかし長谷部君は佐山に思いを寄せた。ここで古典ギャルその二が、恋する古典ギャルに同情やそれに相当する感情を以て佐山を責めているわけだ。

なぜ友人の好きな人を奪ったのだ、と。


 表面化しないはずの喧嘩が表面化したのは、この古典ギャルその二が友人を庇うためにわざわざアピールしているからだろう。友情アピールってやつだ。


「女子も色々あるんだな」

「……そうなんですよ、ほんと、困っちゃいますよね」


 俺の独り言に、はは、と力なく佐山は笑う。すると何やら気が付いたようで、彼女の目が見開かれた。


「って、あれ、ミササギ先輩⁉」

「あ、あぁ、すまんな。声かけたんだが反応がなくて……」


 だから、一部始終を見てしまったのだと、そう言外で伝える。


「いえ、別にいいんです。ご迷惑おかけしました!」


 言って、佐山はドアを開けて一足先に屋上から去った。

誰しも、見られたくないもの、気づかれたくないものはある。それに触れることが出来るほど、俺と彼女は親密じゃないし親密になる気もない。そもそも親密になれる気がしない。


 だから、それは俺の仕事じゃない。


「ミササギ、あとで何か、佐山が悩んでたら助けになってあげてくれ」

「別に構わないが……いや、分かった。仲間を助けるのも仕事の内だ。やっておくよ」

「ありがとう」


 恋は、障害が大きければ大きいほど燃え上がるのだという。


 ロミオとジュリエット、シンデレラに代表されるような大きな困難に襲われると、かえって乗り越えようとする力が働く感じのやつだ。


 そして、人が恋に落ちるのは身の危険を感じた時。


 つり橋効果、というものがあるが、あれは恐怖を恋と錯覚するのではなく、恐怖が自身の生殖本能を刺激して性欲を高めているだけだろう。身に危険が及べば、子孫を残すために性欲が高まる。性欲が高まれば、その延長線上にある恋に発展するのは自明の理。


 それを前提として、佐山あかねを救う方法。

 佐山あかねが、長谷部という人物からの恋を終わらせて、かつ友人ギャルである彼女らと仲直りできる方法を考えなければならない。

 大筋は既に俺の中で決まっている。決行日は体育祭当日。

 なに、やることは簡単だ。名付けて『どきっ! ブルー……』あれ、鬼って英語でなんて言うんだろう。どうでもいいか。

 五時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、俺は大人しく校舎内へと戻る。振り返ればミササギが、遠くの都市情景を眺めていた。


「ミササギ? 戻らないのか?」


 ややあって、彼女は風に髪をなびかせて答える。


「あぁ、今行く」


――――ミササギさんはね、人を愛せるんだ。

 

 不意に、その一言を思い出す。

 俺は、人を愛せるのだろうか。

 幾度となく問い、そして否定してきたその言葉をもう一度自分に問う。

 きっと、愛せないのだろう。


「どうした?」

「ん、あぁ、なんでも」


 俺と彼女を繋ぐのは「恋愛が出来ない」というその一点のみだ。もしも、どちらかだけでも恋愛ができるようになってしまえば繋がりは断たれるのではないだろうか。

 何度問うても答えは出ず、ただ、胸の奥にわだかまりのようなものができるだけだった。



 


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