第13話 東寺庸介にも悩みはあるっぽい(その8・後)


……完敗だな。


「――甘いな」



 その思考を断ち切ったのは、凛と透き通ったミササギの声だった。


「……へ?」


 不意を突かれたように、橋野の間の抜けた声が零れる。


「…………ロジックが、甘い」

「ロジッ……ク……?」


 腑に落ちない様子の橋野。


 けれど、俺には彼女の――ミササギのやろうとすることが分かる。

 わざわざ彼女がお互いを視認できる位置の遮蔽物に隠れたのはそのため。

 距離にして、十メートル。

 花壇の陰に隠れる彼女は、俺に視線を送る。彼女は小さく口を動かすと、俺に親指を上げてみせた。


――任せた。


 そう言っているのだと、直感的に理解する。

 何を、などと無粋なことは問うまい。お互いに、やるべきことは理解した。

 あとは俺はミササギを、ミササギは俺を信じるのみ。


「あぁ、まず第一に、ターゲットを東寺庸介にしたこと。彼に断られたのに、それでもなお引き下がらないのは何故だ?」

「はぁ? そんなもん、学校一の人気者だからよ。空気を作り出すのはみんな、けれど、空気を作り始めるのは頂点の人間。トップの人間が付き合い始めれば、恋愛の話題も上りやすくなる。そうすれば危機感を覚えた人間が付き合い始めるのは道理じゃないの?」


 ミササギは橋野など気にしない様子で、俺にハンドサインで指示を送る。


――タイミングまで待て。


 現在、ドローンは橋野の周囲に待機している。

 そのドローンにはもちろん、操縦者がいるはずである。この場合適当なのは、俯瞰で全景を見ることができるウォータースライダーの塔の上だろう。

 対物ゴム弾ライフルは持ってきていないため、直接的な狙撃は不可能。残念ながら対抗する手段はない。


 ではどうするか。


「あぁ、なるほど。んじゃあ次、私たちをわざわざこんなところに誘い込んだ理由」


 まだ、まだだ。


「……目障りだからに決まってんでしょ?」


 次第に、彼女の表情に苛立ちが見えるようになってくる。ロジックが甘い、などと指摘されたら、そりゃ機嫌悪くなるわな。そろそろ限界だ。


「あぁ、だろうな。だって敵対組織だもんな」


 ミササギと視線を交わす。ふ、とミササギの表情が和らいだ。

 意識が高純度で接続する心地よさが電流のように全身を駆け巡る。もしかすると、テレパシー、とはこういうものに近いのかもしれない。


 では、俺もロジカルなシンキングをしよう。理論って言うよりロジックって言った方が頭よさそうだよね、どうでもいいけど。

 プールがオフシーズンになっても、水は張られている。それはなぜか。

 普通のプールなら、消火用として水は残される。確かに、このプールにもその側面はある。


 だが、もう一つの側面。


 ロケ地だ。


 季節外であってもそのニーズに対応できるよう清掃は行き届いているようで、藻は発生していない。


「では、次に最後のロジックだ――」


 ミササギと互いに頷き合い、タイミングを見計らう。時間稼ぎは終わりだ。

 橋野、お前の――ワールド・ラブ・アライアンス……名前長いからWLAでいっか……WLAの犯した二つの重大なミス。


一つは相手が東寺であることだ。


 そして二つ目。


―――――――俺とミササギを分断し損ねたことだ。


「なぜ、私たちに勝てると思った?」


 ミササギが自信に満ちた笑みを浮かべる。


 刹那。

 植え込みの陰からミササギが飛び出す一拍前、俺は全力で走り出す。

 目指すは俺の現在地のすぐそば、アンパンマンプール。

 その脇に併設された――ウォーターガンエリアである。


「な――⁉」


 今頃、橋野の瞳は驚愕で見開かれていることだろう。

 なぜなら。


「残念だったな。一拍、遅い……ッ!」


 先に飛び出した俺を照準しようと回頭したドローンが、直接橋野に向かう素振りを見せたミササギを狙おうと再び回頭する。けれど、俺を狙った分のロスが大きい。


 その一瞬の間隙。


「――目ぇ覚ませ、人気者!」


 俺の声と同時に、ミササギは後ろへと全力で退避。

 ウォーターガンの強力な一撃を、あえてドローンへの直接照準ではなく、その上を薙ぐように放つ。


「きゃぁぁぁぁ⁉」


 水を被った橋野から、作られた声ではない、普通に女の子らしい悲鳴が聞こえた。


 同時。

 回避行動に遅れ、反射的に急上昇したドローンに水が直撃、姿勢を崩す。


 狙い通り――。


 このウォーターガンが大人にも人気なのには理由がある。

 その水圧の強さだ。

 園芸用ホースヘッドの直射モードで放たれる水圧と同等以上の強さを持つそれは、なかなか撃ちごたえがあるのだ。

 まだ終わらない。

 トリガーを引き続けたまま仰角を下げていく。


「やっ⁉」


 このまま橋野もろとも直撃させて、東寺の目を覚まさせる!

 そう思った、その時だ。

 橋野の肩に、顔を埋めていたはずの東寺が。


「――――え?」


 そう零したのは橋野だが、きっと、その場にいた誰もがその声を心の内で漏らしただろう。


「おい、東寺……?」


 水は確かに東寺に直撃した。



――橋野を庇うように抱きしめる、東寺の背中に。



「ひ、ひゃぁ⁉」


 なんか可愛い悲鳴が東寺の腕の中から上がる。その声を聴いたからなのか、拘束していた腕を解くと、東寺は橋野に向き直る。


「――ごめん。俺は、どうしても君とは付き合えない」


 あっ。情報まだそこ止まりでしたか。

 どうやら彼は、先ほどまでのミササギと橋野の問答を聞いてなかったらしい。

 彼の脳内での最新情報は、橋野に告白された、というところなのだろう。


「だけど、君は俺に打ち明けてくれたから……きちんと言っておきたいんだ」


 媚薬を飲まされていたはずで、今だって顔が火照っているのに、それでも彼は続ける。

 その拳は強く握りしめられ、水で肌に張り付いたシャツの上からは隆起した筋肉が見て取れた。

 静かに、傾きゆく日はその様子を見守り、春風が生む葉鳴りさえ今は聞こえない。

 普段はふざけていてもどこか余裕を感じさせる東寺が、今ばかりは不安と歯がゆさに逡巡している。


 そうして、一瞬。

 彼は目をつぶってから、空を仰ぐ。



「俺は――今でも、葉山ちゃんが、好きだぁぁぁぁぁ‼」 



「は?」

「ん?」

「えっ?」


 三人同時だった。


 葉山、葉山……?

 そういえば、ごく最近聞いた気がする――あ。


「……臓腑こぼして死んだ初恋の人かよ……」


 葉山楓。『ギルト・ゼロ』という漫画のヒロインにして、最終巻で惨殺された子である。


 未来進行形NTRの疑似千里眼じゃなかったんだ、と内心落胆する俺を差し置いて、女子二人はいまだに疑問符を浮かべている。

 不意を突かれた間抜けな表情も、案外愛嬌があるんだなぁ、と思いつつ、東寺の次の言葉を待った。


「だから、俺は、君とは付き合えない」

「そ、そうですか……」


 戸惑う橋野を差し置いて、彼は地面に置いてあった自分のバッグからタオルを取り出すと、彼女の頭にポンと被せる。


「これ、良かったら使ってくれ」

「~~~~~~~ッ⁉」


 優し気な笑顔と共に、ぽりぽりと指先で頬を掻く東寺は、爽やかイケメンの姿そのものだった。

 いい感じの雰囲気を察してドローンも撤退していく。

 そんな少女漫画のワンシーンみたいな光景をよそに、俺の横にミササギは立つ。


「……私にタオルないの?」

「ミササギは濡れてないだろ……」


 ちぇ、と唇を尖らせるミササギの横顔を見ていると、だんだんと力が抜けてきた。

 一日中歩き続けて、足腰が限界を迎えていたのだ。アドレナリンが切れたと同時に疲労がどっと押し寄せる。まぁ、日ごろからまともに運動してないからな。

 適当に座れそうな場所を探すと、手ごろな花壇の淵を見つけたので腰掛ける。

 俺に倣うようにミササギも座ると、おずおずと問うてきた。


「……結局、成功……なんだろうか?」

「ま、いいんじゃないか」


 結果としてリア充の発生は防止され、東寺は橋野を傷つけることなく振った……ってか、橋野は傷つく余地がなかった。


 しかも、橋野は純粋に恋に落ちた雰囲気さえあるので、このまま可能性に縋り続けて片想いを続けてほしいところである。

 その他もろもろ加味しても、おおむねこの作戦は成功といえるだろう。あの雰囲気だと、橋野もこれ以上東寺に迷惑をかける作戦は実行しそうにない。


 まぁ、何より、ミササギの一面を知れたしな。


 そんな言葉を口に出すはずもなく、しばらく休んだ後で両足に力を込めて立ち上がる。


「帰るか、ミササギ」

「あぁ、そうだな」


 右手を差し出すと、ミササギは少しためらってからそれを掴んだ。力を入れて引っ張り上げる。


「帰り際に飯でも食っていくか?」


 俺の問いに、しばしミササギは黙考する。


「……いや、門限があるから、また今度にしよう」

「そうか」


 年頃の女の子だし、門限があっても当然だよな。

 そんなことを思いながら、彼らの方を振り返る。


「……じゃあな! 東寺!」

「あ、ちょ」


 突然彼が駆け寄ってきて、何かと思ったら貸したスマホを返しに来たのだった。


「なんか、今日はありがとう。おかげでスッキリしたよ」

「まぁ、そっか? 今度適当にラーメンでも行こうぜ、水ぶっかけたお詫びに奢る」

「マジか、やった」


 そう言って、彼は再び彼女の方へ戻っていく。どうやら今日は彼女を家まで送るらしい、紳士だな。

 俺たちのやり取りを微笑ましく眺めていたミササギに、ふと申し出てみる。


「……その、今日、送っていこうか?」

「ん…………あぁ、頼む」


 少しうつむいた表情に、優し気な笑みの気配。


「……羨ましいよ。ああいう友達がいて」

「だろ? 俺も高校生活で自慢できることがあるとすれば、あいつと友達になったことだと思ってる」

「………ふーん」


あれ、話題振った後のフォロー冷たくないですか?


「ま、帰るぞ、東山。今日は……うん、今日は、楽しかった。……ありがとう」

「…………俺も、楽しかったよ」


 彼女の優し気な笑顔に、少しためらいながら応じる。


 今日、俺は、母と妹、そして新しい――彼女らの父親であろう人を見た。


 まだ、俺は囚われているのだろうか、あの中学二年生の日に。


 分からなくなって、空を見上げた。

 西から東へ、次第に橙が流れていき、視界の端でぽつぽつと住宅の明かりがつき始める。



 俺も、いつか変わらなければいけない日が来るのだろうか?

 あるいは、変わりたいと願う日が来るのだろうか?



 目の前には、ただ茫漠とした時間だけが横たわっていた。


 帰りながら、どちらからというわけでもなくイヤホンを共有してお互いの好きな曲を流し合う。



 今はただ、その少し離れた肩から感じるささやかな体温が、唯一確かなもののように思えた。


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