第3章 恋人たちは愛を騙る

第14話 久瀬由香はモテるっぽい(その0)

 季節は春も終わりを迎えた五月。五月病に罹患した生徒が机と一体化する季節である。


 相変わらず還暦間近の世界史教師は、雑学多めの授業をしていた。


「皆さん将来結婚するときにね、覚えておいてほしいのは西洋式結婚式の起源なんですけどね」


 これは諸説あるんですが、と前置きしてから続ける。


「あぁやって大人数の前で愛を誓う、その時の言葉知ってますか?」


 病めるときも、で始まるあの言葉だろうか。

 そもそも、結婚という行為そのものが間違っている。

 恋愛感情は有限なのだ。使えば使うほど目減りしていき、いずれ尽きる。


 まだ実利のみを追求して結婚するのなら許せる。

 ここでいう実利とは慰謝料とかそういう話ではなく、ルームメイト的な意味合いである。

 家事を分担する相手、収入を補助してくれる相手、死後処理してくれる相手。そういう実利方面のみならいいのだが、大半の人間はそこに恋愛感情を持ち込んでくる。


 繰り返そう、恋愛感情は有限だ。

 そうして尽きたとき、気づけば行くも帰るも叶わぬ地点まで来てしまっていて、あとは惰性で一緒に生きていくだけ。けれど、そこには問題が生じる。


 子供、だ。


 人間は、愛の証左に子供を作る。

 最初はまだいい。物珍しさと可愛さで十分に愛してもらえるだろう。

 けれど、いずれ両親同士の恋愛感情が尽き始めたとき、それは変わる。

 日々両親は喧嘩をし、機嫌を悪くした両親たちの怒りの余波が子供を襲う。 

 家族という小さなコミュニティの中で子供という最弱の存在は、常に標的にされる。


 そうして不完全な愛を与えられた子供は、いずれ誰かに不完全な愛を与えるだろう。完璧な愛を知らないから、どうしていいか分からない。

 子供は成長していく中で理想というものを知る。そして、大人は理想とはかけ離れていたのだと悟る。


 もちろん、子供は理想に近づこうと思うだろう。しかし理想と現実の隔絶に絶望し、機嫌を悪くして他の弱者にあたるのは想像に難くない。

 子供がいれば、その矛先は子供に向いて、再び不完全な愛を与える。

 こうして負の連鎖は終わらない。

 大人になり損ねた子供が、負の連鎖を生み出したのだ。

 この連鎖を断ち切るには結婚をしないことが最善の手段。

 もしくは子供を作らない。そうするほかに方法がない。


「死が二人を分かつまで、って言うんですけどね」


 その言葉が俺の思考を断ち切る。


 確かに、その言葉には聞き覚えがあった。ファンタジー漫画とかでロマンチックな結婚式をするときに相手に誓っていたのを前に読んだことがある。

 あと、東寺から借りた漫画にそんなタイトルのヤツがあった。


「これね、実はロマンチックでもなんでもなくてね。実は中世のヨーロッパって、旦那の方が結婚生活嫌になって、結婚したことをしらばっくれて無かったことにするケースが割とあったんですよ」


……子供作ってないといいなぁ。


 結婚は人生の墓場、という言葉があるが、それは昔から同じなのかもしれない。


「で、そうしないように誓うわけです。死ぬまで分かれません、って」


 男の方に同情してしまう。というか現代社会でも同じだ。

 日々稼いだ金を妻に預け、昼飯代に五百円をもらう。余った金で妻はランチ。

 いざ逃げようとすると慰謝料をふんだくられ、踏んだり蹴ったりだ。

 俺の親父はトドメに養育費まで取られた。


「結婚式に来賓を呼ぶのは、証人としての側面もあるんですよ。しらばっくれないようにするためのね」


…………こっわ。


 しかも先生はどこか遠い目をしていた。絶対なんかあっただろ……。

 ぜってえ結婚しない。

 そう改めて胸に誓ったのだった。


・・・


 三階建て校舎の最上階。西に開いたコの字型校舎の、その北側最西部に位置する地学準備室の扉を開ける。

 開け放たれた窓からは心地よい風が吹き込んで、白いカーテンがぱたぱたとなびいていた。本の香りと、少し埃っぽいにおいがする。

 そこにはミササギと、なぜか知らないが世界史教師がいた。


「おお、東山君。こんにちは」 

「こ、こんちわっす……先生」


 六畳程度の広さの部屋だが、巨大な本棚が両脇にあるので、三人いると少し狭い。

 とくに、入り口向きに置かれた机が妙な威圧感を放っており、体感だともっと狭い。


「……東山……!」

「ど、どうした」


 その机に座ったミササギが、何やら見慣れないノートパソコンから顔を上げて縋るような声で訴えてきた。


「勝手に、壊れた……!」


 絶対何かしただろ。


「とりあえず見せてみ」


 ミササギの隣に立って、ノートパソコンをいじってみる。古いパソコンではあるものの、別にXPとかではないので普通に動くはずだ。というかXPでも動くし。


「いやぁ、ごめんね。パソコン詳しくなくて」


 そう言ったのは世界史教師だ。というか男子ならパソコン動かせるっていう固定観念どうにかしませんかね。

 女子に頼られて、いい気になって引き受けると、何もわかんなくなってお手上げ状態になる。そんで落胆されるまでがワンセット。

 絶対グーグル先生に聞いた方が早いよ。

 だが今回は違った。


「…………なんでこれで動画編集しようと思ったんだ?」


 メモリが足りねぇぇぇええよ!

 いくら使えるとはいえ、一世代前の格安ラップトップである。メモリも2GB程度だろう。普段使いには耐えられるが、動画なんて編集できない。


「私たちのサイト……作ろうと、思って。そんで、サイト開いた瞬間に動画流れるとかっこいいかなぁ、って」

「…………は、ぁ」


 こいつは2000年代前半のオタクか何かだろうか。

【あなたは○○人目の来場者です。私の世界にようこそ】とかやるやつ。時代を感じる。

 そんで、背景は真っ黒だったり「†」とかいっぱい並んでるのだ。もはや古典。


「サイトくらいなら何とかなるが、動画は諦めた方が良い」

「ほ、ほんとか⁉」


 ミササギの瞳が輝いた。あと顔が近いやめてなんかいい匂いしてくる。


「簡単なのならいけるんじゃね……ほら、昔の人は個人で裏サイトとか作ってたっていうし」


 俺の中学にも裏サイトはあった。きっと、どこの学校でもあるものなんだろう。もっとも、存在を知ったのは卒業した後だったが。


「じゃあ作ってくれ東山!」

「あのね、ミササギさん」

 

 こういうのは、例外なく百パーセント黒歴史に終わる。

 一緒悶えてくれる仲間がいれば「若気の至り」で片づけられるが、仲間がいない場合はただ一人ベッドでのたうち回るしかないのだ。

 だから、俺は言う。


「やめとけ?」


 しゅん、とうなだれる彼女だったが、ポツリと呟いた。


「…………ほかにも、私たちと同じ生きづらさを抱える生徒がいるかもしれないじゃないか」

「そうだ……けど、さ」


 言葉に詰まる。それは、確かに否定できない。

 俺は、下駄箱を誤爆されていなかったらミササギとは出会っていないだろう。

 そして、ミササギと出会っていなければ、リア充に立ち向かうという発想を得ることもなく、日々世界と人間の未熟さを呪いながら生活していたはずだ。


 沈黙が流れる。


 沈黙に耐えられなくなって窓の外を見やると、散った桜に台頭するように緑が色づき始めていた。散った花弁は下校していく生徒に惜しげもなく踏みつけられていく。


「まぁ、いいんじゃないかね。やってみないことには、諦めることもできないからね」


 沈黙を破ったのは世界史教師だった。


「はぁ……」


 ふと疑問に思う。この人、リア充撲滅運動に賛成しているのだろうか。

 ミササギとの様子を見るに、賛成どころか援助しているようにさえ思える。

 動機としては、奥さんが奪われたというエピソードがあるのでそれで十分だろうが、教師としての立場を考えると褒められることではない。


「まぁ、なんです、その……あくまで反社会的なことじゃないですか、俺たちがやってるのって」


 あくまで、俺たちは反社会的なことをやっている。それを忘れてはいけない。


 恋をし、子供を作り、次の世代へとバトンを渡していくのは正義であり、それを妨げようとする行為は悪である。

 何とか断ろうと説明を加えるも、それさえこの教師は否定した。


「あぁ、知ってるとも。けれどね、そんなものを決めるのは脆弱なパラダイムでしかないのだよ」


 わかるかね、とほほ笑む世界史教師。

 パラダイムとは、簡単に言うとその時代の人々の常識、みたいなものだ。

 けれど、正直なところあまりよく分からない。

 そんな俺とは対照に、ミササギは何やら理解したようで深く頷いている。やっぱり頭はいいらしい。


「絶対王政が正しいとされてきた時代が終わり、民主主義が正しいとされる時代が来る、みたいなものさ。時代が変われば正義も変わる」


 だから、と世界史教師は言葉を継ぐ。


「社会的だとか、反社会的だとか、それを断ずるのはもっと先の話なんだよ」


 そういうものなのだろうか。

 納得しきれたわけではないが、反論がしたいわけでもないのでしぶしぶ返事をする。

 それに満足したように大きくうなずくと、世界史教師は地学準備室を去っていった。


「……なんだったんだあの先生……」

「ん? 世界史の大宮先生だが?」

「いや、そうじゃなくて」


 別に名前を聞きたかったわけではない。……名前知らなかったけど。


「あぁ、あの先生、もとは地学も教えていてな。もう使ってないこの部屋を貸してくれてるんだ」


 そういうことじゃないんだけどな、と思ったが、それ以上の追及はやめておいた。

 そんなことより、サイトを作らなければいけない。


「……そういや、なんでサイトを?」

「言ったろう。私たち以外にも同じ悩みを抱えた人間がいた時に、その人の救いになるようにだ」


 そういえばさっきそう言ってた。まぁ、カウンセラーという生徒が悩みを相談できる制度がうちの学校にはあるものの、相談できない悩みはもちろんある。悩み自体に問題があるのではなく、大人への不信感から相談できないケースだ。

 俺はミササギから椅子を譲り受けると、手元のスマートフォンでサイトの作り方を検索しながら見よう見まねで手を動かす。

 しばらくして、はたと手が止まった。


「名前、どうする?」


 実はまだ決めていなかったのだ。

 俺たち、という呼称で今までは良かったが、サイトのトップに組織名を入れないと不便だろう。そっちの方が見栄えいいし。


「うーん、相手がワールド・ラブ・アライアンスだから、それに対照的な名前とかか?」


 ワールド・ラブ・アライアンスを直訳すると、世界博愛同盟というところか。ベッドの中で悶絶しそうな名前だ。以後はお情けでWLAと呼んでやろう。

 同盟、というのはそのままもらうとして、やはりここはストレートなのが良いだろう。


「反青春同盟?」

「もっとラフなイメージのないか? リア充をぶっ潰す会みたいな」

「ミササギってネーミングセンスないのな……」


 しばし二人であーでもないこーでもないと意見を投げ合った結果。適当なところに落としどころを見出した。まぁ、良くもないが悪くもないだろう。

 早速それをラップトップに打ち込む。


――リア充撲滅同盟


 まだ馴染まない字面だが、そのうち慣れるだろう。

 そう思って、俺は残りの作業を進め始めた。


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