第12話 東寺庸介にも悩みはあるっぽい(その8・前)
彼らが観覧車から降りたとき、辺りは異様な静寂に包まれていた。
笑う声、はしゃぐ声、ジェットコースターの悲鳴。フリーフォールの絶叫。会場内に流れているはずの楽し気なBGMも、その鳴りを潜めている。
観覧車は、メインのアトラクションが集中する場所から少し離れたところにある。それ故、というより、彼らの雰囲気に世界が迎合しているように思えるほど、喧騒とは離れた雰囲だ。
「……東山」
「待った」
ミササギは冷静を装うも、その表情には不安と焦燥が滲んでいた。
それを制止し、彼らの様子を伺う。
沈黙は続く。
春風は彼らの間を縫うように抜けていき、遠く木々の葉を揺らした。
現在、俺たちが隠れている柱の陰から約三十メートル。その間隔を維持しながら彼らについていくと、何やらフェンスについた扉を開け、向こう側へと消えていった。
「なぁ東山、あの向こうって何があるんだ?」
「……何だったかな……」
思い出せず、園内マップを広げるも載っていなかった。
けれど、何かがつかえたような違和感が残る。既視感、というものに近い。
「……どうやら、直接確認するしかないようだな」
「あぁ、行くか」
立ち上がるミササギに続き、フェンスの先へと向かう。
無性に不安に襲われる。
ここから先は未知の領域だ。しかも人気はなく、ひっそりとしている。隣接しているはずの遊園地のジェットコースターから時折聞こえる悲鳴に、びくりとしてしまう。
舗装された道の両脇は工事現場でよく見る白い壁で、周りの様子はよく見えなかった。
「なぁ、東山」
「……あぁ」
しばらく進むと、地面が陸上競技で見るようなタータントラックの材質になった。ゴム質のそれは踏むと沈み込み、なかなか不思議な感覚だ。
瞬間、視界が開ける。
南国をイメージしたヤシの木。視界の大半を青い空が埋め尽くし、あまりの眩しさに目を細めた。
「これは……プールか……!」
ミササギの言葉を首肯する。
よみうりランドのプールは東京サマーランドに比肩するレベルで有名だ。
子供向けのアンパンマンプールに、流れるプール、ウォータースライダー、飛び込み台に加えてメインの波のプールがある。特にアンパンマンプールは幼児が遊べるように配慮してあるだけでなく、脇にある汲み上げ式ウォーターガンは割と大人でも楽しんでる。子供とやってるうちにお父さんの方が熱中するタイプのやつだ。よみランのプールすげぇ。
けれど、俺たちの目的はプールでキャッキャウフフすることではない。
周囲に視線を巡らせ、目的の人物を探す。
『ねぇ、知ってた? ここってね、オフシーズンは撮影場所用とかで貸し切りにできるんだよ』
イヤホンから聞こえてきたのは、いくらかトーンを落とした橋野の声。そして、そう時間もかからずに橋野本人と東寺を視界にとらえる。
彼らは、向き合う形で立っていた。
両手を腰辺りで組んだ橋野と、拳を握りしめる東寺。
その後ろにはメインプールである波のプールがある。まだ水は張られているようで、そこだけ切り取れば夏の景色に見える。
おそらく、ここで告白が始まるのだろう。そう直感が囁いた。
「……どうする? 我々にできることなんて、もう……」
「いや――――まだだ」
諦観にまみれたミササギの言葉を、俺は否定する。
瞬間、彼女の視線が俺に向けられた。その引き込まれそうな瞳に、思わず視線を逸らした。
期待、というのだろう。こんな視線を向けられるのは久しぶりだ。
「何か……策が、あるのか?」
ないです。
「あぁ、ある」
ないです。
そう、残念ながら何もない。
告られたことのない人間が、振る方法なんて知ってると思うか?
否、だ。
けれど、それが必要な事態にはならない。
不思議と、確信に満ちたものがあった。
東寺という人物、橋野という人物、橋野が東寺を好きになった理由、そして――
――東寺が、橋野を振る理由。
これはあくまで推測で、合っている確率の方が遥かに低い。
それでも、こうしている今でも、推測は確信に変わっていく。
きっと、これは理想と現実の問題。
言い換えれば、フィクションとリアルの問題。
橋野の今日の振る舞いは、いわば作られたものだった。
偶像、として完璧に近い。甘い声、無条件で褒めてくれる優しさ、相手の承認欲求を満たし、過度なスキンシップにより性的欲求を引き出す。自分のためだけにイメチェンをしてくれるという独占欲をそそる行為。そして観覧車のゴンドラ内というプライベートに近い空間で、相手だけに見せる弱さで庇護欲を誘う。
きっと、彼女なりに研究したのだろう。ダサいファッションも、作った声も、きっと不器用に努力する女の子を演じる一環だ。
アイドルや、二次元にいる男から好かれる人物を分析して、自身の行動にフィードバックした。
だが残念だったな。
対する相手は東寺だ。
そんな、都合のいいヒロインがどうなるか。彼はマンガの中で嫌というほど味わったはずだ。
少年漫画、青年漫画、同人誌、BLモノ、少女漫画に社会人向けのシブい漫画。
そして――――エロ漫画。
本当に、残念だったな橋野。
悪いが相手は偶像を見つめ続けてきた人間だ。
言い換えれば、果てしない数の想像力のモデルパターンを有する人間というわけだ。
そんな人間が達する最終結論。
――疑似千里眼。
想像力により、未来予測さえ可能にする技だ。名前は今考えた。
エロ漫画を読み、この疑似千里眼を獲得するとどうなるか。
簡単である。
目の前にいる女の子が、いずれ誰とも知らないヤツとシちゃうんだろうなぁという悲しい未来が予測される。すなわち。
未来進行形NTRだ。
時間軸さえ超越してNTRを引き起こされる、そんな悲しい宿命をきっと東寺は背負っているのだ。
もう一度言うが、すべて推測である。
俺たちは、東寺が彼女の告白を断る本当の理由を知らない。
聞き出そうとしても、それだけは、と口を噤んでしまったのだ。
『東寺君』
ふと、聞いたことのない声音で橋野は呟く。
その紅くなった横顔に浮かぶ覚悟。
東寺は、動かない。
『好きです。私と――付き合って、ください』
瞬間。
ぐらり、と。
「……あ」
不意に、声が零れる。自然と俺もミササギも、一点を見つめていた。
大きく前に倒れこむ――東寺の体。
それを抱きしめるように受け止める橋野。けれどその細められた瞳には、どこか慈愛とも呼ぶべき感情が見て取れた。
「東寺……⁉」
「待つんだ!」
飛び出そうとする俺を押さえるミササギを振り切ろうともがくが、次第に冷静になって大人しく従う。
顔を上げると、橋野の肩に顔をうずめるように東寺が倒れこみ、その後頭部を彼女は愛おしそうに撫でているのが見えた。
『――――気づかないなんて、あっけないね』
その刹那。
視界の端できらりと光るものを見つけた。
反射的に手を伸ばして――
「伏せろッ!」
ミササギを抱き込むようにその場に伏せる。
直後。風切り音と共に、先ほどまで頭部があった位置をゴム弾が通過した。
「な……! ま、まさか……」
狼狽えるミササギを開放し、急いでヤシの木の陰に滑り込む。
弾道を逆算し、発砲元を探るとすぐに正体は見つかった。それは、俺もよく知るもので。
青い空を背に、わずかに白い点が二つ並んでいる。
「――ワールド・ラブ・アライアンス……‼」
「せいかーい!」
間の抜けた声に反射的に振り向く。
落ち着いた茶色い髪に、エアコンの上の埃を取るのに便利そうな上着は腰に巻いて、長そでのシャツの袖をまくって不意の色気を強調していた。
正体は、その変幻自在の声を使って偶像の女子を演じきって見せた――
「……どういうつもりだ橋野……!」
怒りの滲む俺の声に、橋野は眉一つ動かさずに答える。
「男子って、好きなんでしょ? 自分のために変わってくれる女子。自分にだけ甘えてくれる女子。自分を無条件で肯定してくれる女子。そして、自分にだけ弱さを見せてくれる女子」
声音は冷たく、ふふ、と笑うその嗜虐性に満ちた表情。肩口程度の長さの髪が風に揺れる。
そうしている間にも、照準を定めたらしいドローンが俺たちに向かって斉射してくる。
「ミササギ!」
「あぁ! 分かってる!」
散開して回避。射線を切りながら次の遮蔽物に隠れる。お互いが見える位置だ。
「おい! 東寺に何をした⁉」
「簡単だよ? 遅効性の媚薬を飲ませただけ」
遅効性の媚薬……そんなものを入れる暇が――
あった。
昼食時、水を取りに行くと言って東寺から離れたあの一瞬。
あのとき、俺たちは充電が切れたスマホの対応をしていて、橋野から完全に意識が離れていた。
「大変だったんだよ? スマホの充電の減り方を調べるのとか、タイミング合わせるのとか!」
嗜虐的な笑い声が続く。
尾行は最初から予想されて、対策も立てられていたわけだ。
……完敗だな。
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