第11話 東寺庸介にも悩みはあるっぽい(その7)
相変わらずイヤホンからは甘ったるい声が聞こえてくる。
『へぇ、よーくんすっごぉい!』
「……何がすごいのだろう?」
あぁ、分かるぜミササギ。なんで昨日金ロー最後まで見たのがすごいんだろうな。
「私、アナザースカイまで見たぞ」
「…………そっすか」
金ローはハリーポッターとラピュタ、ついでにトトロしかやってないイメージがある。ちなみに土曜プレミアムはバトルシップと世界侵略:ロサンゼルス決戦のイメージ。
『ねぇねぇ、次はアレに乗りたーい』
おい待て勘弁してくれバンデットは嫌だ! あのジェットコースターは嫌だ!
『観覧車? いいね、好きなの?』
どうやら違っていたらしい。あっぶねバンデットだったら死んでた。
ちなみにバンデットというのはジェットコースターの名前である。さっきの《モモンガ》より遥かに怖い。
『うん、すきぃ! よーくんは?』
『ん? 俺も観覧車好きだよ』
「お、上手いな」
「あぁ、上手い」
ミササギの漏らした感心するような声に続く。
さすがは東寺だ。「俺も好きだよ」という返答を狙ってきた橋野の言葉を「観覧車」という単語で見事に両断した。
考えながら話すのは意外と難しいのだが、会話の随所に彼のコミュニケーション能力が輝いている。
「それにしても、良かったのか?」
「ん? ああ、別に。スマホそこまで使わないしな」
そう言って、触れるポケットにスマホのふくらみはない。
ミササギと連絡先を交換した後、俺のスマホは東寺に貸したのだ。
スマホ、使わないしな。
インスタもツイッターもやってない俺にとっては、電子でマンガ読むくらいしかすることがない。ラインも来るには来るが、そこまで重要じゃないのが多い。
まぁ、何より――
「ど、どうした? また気持ち悪くなったのか?」
「あぁ、いや、何でも」
問われて、やっとミササギを凝視していたことに気が付いた。
――もうちょっと、ミササギとイヤホン共有していたいしな。
あくまで、ミササギのいい匂いを嗅ぐことで朝から続く睡魔と倦怠感をどうにか誤魔化す手段として、だ。あれなんかキモさ増してね?
そうこうしているうちに、彼らは観覧車へと乗り込む。ふと左手首に巻いた腕時
計に目をやると、午後三時を示していた。
「なぁ、ミササギ」
「ん?」
「クレープ、食わないか?」
・・・
ミササギは唸るように悩んだ末、イチゴチョコカスタードクリームとかそんなのを頼んだ。名前は長いが、単語に分解すれば味が想像できる分、スタバより良心的。
ミササギは先にベンチに向かわせ、会計を済ませる。
ちなみに俺はミササギが悩んでたもう一方の、チョコバナナカスタードクリームにした。
「ありがとう。いくらだった?」
「いや、いいよ。ここは俺が奢る」
「ど、どうした……脈絡なく奢るなんて……やっぱ体調悪いのか?」
細くしなやかな指がぴとりと俺の額に触れる。ひやりとした感触が心地いいが、それどころじゃない。
「君……熱があることを隠してたのか⁉」
「……ミササギって案外バカなのか?」
「は⁉ 君に言われるとは心外だな!」
「美人耐性ないんだ分かれそのくらい。あと俺、成績そこそこだぞ……」
成績が下がると親父が無駄に心配するから、勉強は割とまじめにやっている。
「はい、イチゴなんちゃら。…………こっちのチョコバナナなんちゃらも一口いるか?」
「ありがと……いる……」
消え入りそうな声と、うつむきがちな上気した表情。おずおずと差し出された手に思わず硬直する。あれ、こいつ可愛くね?
俺は恋愛ができないとはいえ、可愛さは普通に認識するし、なんならラッキースケベも好きだ。告白だってされれば嬉しい。付き合えないけどな。
うろたえながらクレープを両方差し出す。
ミササギはイチゴの方を受取って、少しためらいながらチョコバナナ(中略)を一口齧る。
一瞬目を見開いたかと思うと、次の瞬間にはふっ、と破顔した。よほど美味かったらしい。
「東山も、一口食うか?」
その申し出をありがたく受け入れる。
不意に視線を感じて、そちらを見やると視線の正体はすぐに分かった。
それに気づいて、俺もミササギも思わず赤面する。お互いに先に動いた方が負けな気がして、指一つ動かさない。
そんな均衡を破ったのは無邪気な少年だった。
「ママー。アベックー!」
語彙が古いな⁉
こちらが思っていることなどつゆ知らず、周囲にいた人間たちは便乗する。最初に大学生の男子グループが。それに、なんか知らんおっさんと、やつれた大学生と思しき人が続く。
「うっわ、あの彼女可愛くね⁉」「若いっていいなぁ……うぅ……沙知子ぉ……」「はは……せいぜい制服デートが有料化する前に楽しむがいいさ愚民め……無料で制服デートできるのに何でしないんだよクソッ。制服寄越せやクソが」
後者になっていくにつれてだんだん声が小さくなっていくのはきっと人生の重み故なんだろう、知らんけど。
まぁ、その逆なんですがね。
どうやら擬態はうまく成功しているらしい。こうして各方向から怨嗟の念を受取るたびに心の中で愉悦とも言うべき感情が生じていく。
「ミササギ……?」
黙りこくったままの目の前の美人を見る。先ほどと同じように、その白く透き通るような肌は朱色に染まっていた。まぁ、ミササギも恥ずかしいわな。
「なんか、すまん……」
「もうちょっと」
「…………はい?」
「もうちょっと…………隠蔽工作、しないか?」
言わんとすることはすぐに察せられた。
俺たち、リア充を撲滅するサイドの人間が隠蔽するもの。それはリア充を撲滅しようとしている目的そのものだ。
つまり。
「…………わかったよ」
リア充のフリをしよう、ということなのだろう。
お互いの間に、沈黙が流れる。
春風も花粉も時間も、それを解決はしてくれない。二人黙々とクレープと対峙する。なんでだろう、クレープと一対一で向き合ってるはずなのに味がしねぇ。
そんな、重くも甘美な沈黙を破ったのは、思い出したように発せられた橋野の一言だった。
『――――このあと、さ。ちょっと行きたいところあるんだけど』
瞬間。その言葉のうちに、確固たる意志のようなものを感じた。
「ミササギ」
「あぁ」
すでにクレープを食べ終えたミササギが応える。
きっと、ここからが最終局面だ。
「残念だが、悠長に構える暇はなかったようだな」
本来なら、ここでの観察を生かして橋野からの告白の対策を講じる作戦だった。けれど、ここで仕掛けに来る――告白という行為に及ばれると、話は別だ。
このデート尾行作戦は諸刃の剣だ。
メリットは、実際に尾行することで彼らの距離感を把握、どうしたら相手の橋野を振ることができるかを考える材料を手に入れることが出来ること。
デメリットは、橋野に『東寺庸介と遊園地に行った』という事実を与えることだ。
この既成事実さえあれば簡単だ。あとはそれを流布して『東寺と橋野は付き合ってる』という共通認識を作ればいい。
女子のネットワークならすぐに広まる。ましてや東寺は人気者だ、それも本人の知らない所でも話題に上るレベルの。
東寺は、決して他人を傷つけようとしない。少しでも傷つけるリスクを排除しているようにさえ思える。
その噂が流布されても、橋野を傷つけないようにするために公に否定はしないだろう。たとえ否定したとしても、橋野が「そんな、東寺君、ひどい……!」といえばそれで詰みである。きっと、彼は彼女を慰める。
そうすれば、『東寺は橋野を慰めた』という事実が生まれる。
橋野と関わることすべてが、橋野に有利に働く材料なのだ。
そう、この作戦――完全なる悪手である。
けれど、これ以外に打つ手がなかった。
東寺は相手を傷つけずに告白を断る方法を求めた。
そんな方法はない。
感情が否定されたとき、その感情に行き先がないのだと告げられたとき、望んだ未来はどう願ってもたどり着かないのだと知ったとき、そこに傷は生じる。
けれども、夢を見たままその可能性を絶つならば。
彼女は、あったはずの可能性に縋りつきながら生き続けることが出来るのかもしれない。
それは「妄執」そのもので、麻酔のようなものなのかもしれない。
そうして、いずれ恋心が自然消滅するのを待つ。
それが、彼の言う「傷つけない」の正体だ。
今、告白を実行されると危険なのは、単純に断り方を考える前だからである。
可能性を残しつつ、可能性がないことを突き付ける。そんな二律背反を許容する言葉を探さなくてはならない。
「東寺、予定を早める。好きになった理由を聞き出せ」
・・・
キャップの側面につけた骨伝導イヤホンから、東寺は指令を聞く。
観覧車のゴンドラは大きく円を描き、頂点を過ぎて地上まで残り四分の一程度。
東寺は、本来帰り際に聞く予定だった質問を投げかける。
「ねぇ、橋野さんが俺のことを好きになった理由って、何?」
「んっとぉ、それは……」
やや間がある。視線を窓の外にやったり、自分の足元を眺めたり。
決して急かさない。口元には静かに笑みをたたえながら東寺はじっと待つ。
「私……、ね。いじめっていうか、ほら、よくあるハブられる、っていうのかな。そんなのに一年生の時になってね」
これまでの彼女の声とは似てもつかない、まるで壊れ物を扱うような優しい声が、その小さな閉鎖空間を満たす。
「それで、私なんかじゃどうしようもなくてね。もう私の高校生活ずっとこうなのかなー、とか思ってたの。
でも、ね。
二年生になって、東寺君と出会って、自然なのにみんなに好かれてて、人気者で。
それなのに、東寺君、私にもみんなと同じように接してくれるんだもん。
そりゃあ……恋、しちゃいますよ……って何言ってるんだ私! はずかしいなぁもう……。…………でも、全部ホントのことだよ?」
気まずそうに笑う橋野の顔は、東寺の瞳に途方もなく優しく映る。
こんな、子が。
辛い思いをしてきて、好きになってくれたのに。ささやかな罪悪感が心の奥に鈍く響く。
きっと、今日のためにイメチェンまでして、頑張ったのだろう。
すべて、今日のため。
このひと時のために、彼女は努力した。
その姿を想像した東寺の目じりには、ささやかに光るものが滲んでいた。
・・・
「――まずいな」
細く漏らした俺の声に、ミササギは続く。
「あぁ、このままじゃ――」
主導権は完全に橋野が握っている。流れを掴まれた。
悪手に、悪手を重ねた。
だけど、このタイミングで出さなかったらどのタイミングで出せば良かったんだ⁉
湧き出てくるのは後悔と、あったはずの正解を求めるための迷宮のみ。
生暖かい春風が、じわりと汗が滲む肌にまとわりつく。
このままじゃ――リア充を、増やしてしまう。
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