3. YOKOSHIMA

 四角い黒ぶちなメガネをかけたスーツ姿。ザ・サラリーマンな男性に手を伸ばしてからどれほど経ったかは分からないが、気が付けばまた真っ暗な空間に一人、黒部歩夢は立っていた。

 音を立てながら、白黒の景色のようなものが彼の目前に次々と浮かび上がっていく。

 幸せそうな場面ばかりだ。三人兄弟の長男で、下に妹が二人いるらしい。外で遊んでいるような場面で、彼は転んでいるような姿勢が多い。運動が得意ではないようだ。

 模試判定だろうか。大きく「B」と書かれて、それ以外は小さい虫のような文字が羅列した紙を、一人しぶしぶ見つめている様子。――そして無事、大学に合格したようだ。その顔全体に広がった笑顔と、目に滲んでいた雫を見てそう察せる。飲み会か何か、友人らしき人物数人とジョッキを掲げる姿が――……。

 ――きれいな人が、目に入った。長く整った茶色の髪に相応な整った顔立ち。歩夢の知っている『整った顔立ち』とはまた別の、『美しい』というべき人が、そこにいた。次の景色、視点が一人称のように思えて、彼女と見つめ合っていた。おそらく、この景色の持ち主は、恋に落ちたのだろうと、歩夢は小さく微笑む。


 女性と男性の場面がたくさん続いていく。二人とも笑顔で、とても幸せそうな写真ばかりだ。ピクニックかどこかに行っていたり、美しいビル街の夜景を船のデッキかどこかから、二人で眺めていたり。色づいたような景色ばかりだ。

 大学を卒業して、就活で忙しそうだけど、彼女と会うたびにまた幸せそうな表情が戻る。

 無事、就職先が決まり、仕事に打ち込む様子。

 ――同棲!? 早すぎないか。

 外に出れば忙しない日々、家に帰れば安心して、二人でゆっくりと過ごす日々。

 そんな景色が続いた。いつまでも。


 ……いつ、までも?


 見慣れた、リビング。

 見慣れた、イスの配置。イス?

 見慣れた、髪の長い女性。美しい。


 ――うつ、くしい?


 彼女にはもう美貌などを見つけられる余裕はない。

 だって、次に見た景色は。



 彼女は、首を吊って、死んでいた。



 見ているだけで首元が痒くなる。白黒の世界だが、ハッキリと彼女は死んだと告げた。

 テーブルの上に、見慣れない紙を見つける。

 次の景色では、紙がピックアップされ、書かれている文字すらハッキリわかるほどにズームされる。

「ごめんね、ミツキくん もう、耐えることが出来ませんでした。あ、ミツキくんには関係ないことだから大丈夫だよ。きっとあなたはこれを見て、自分を責めるだろうから。それだけはぜったい違う。 あなたと出会えて、とても幸せでした」

 ――なぜ死んだのか。ワケも明確に記されていないまま、最後の文まで読む。


「あなただけは、生きてください 由美ゆみ


 次の景色から、忙しない日々だけが続く。彼の顔色も冴えない。仕事もとても順調とは言い難いような光景しか浮かんでいない。


「え」

 ボブらしき髪型の、幼く見える女性から告白……されている? 音がないからわからない。次の景色から、その女性が良く映り込むようになった。

 彼も彼女も、笑顔に見えるが……。どうなのだろうか。


 視点が切り替わる。札束を、女性に渡している。彼女の顔は、とても申し訳なさそうにしていた。それは確かだろう。


 歩く。

 札束を渡している。


 歩く。

 封筒を渡している。


 ……歩く。

 札束を、渡している。


 ……女性が、駆けだす。男性が、それを追いかけようとしている。

 だが女性は、道行く人々に叫び、助けを求めているようだ。彼は、そのまま、どう、なって……?


 歩いているうちに、声が聞こえる。


織田おりた、勉強教えてくれ」「うん、任せてよ」「おまえ、どこの大学行くの?」「近場なら、どこでもってとこかな」「――おれさ、青大、行こうと思ってて」「……じゃあ、一緒に勉強しようよ」「――おう!」「織田のおかげなんだぜ!」「酔っぱらってるんじゃないのか? いぬい」「んなことねぇ~よ~! コイツ、まじでイイヤツだから! ……ちょっと、トイレ」「――織田くん、っていうの?」「……あ、うん。どうしたの?」「――連絡先、交換しとかない?」

「おはよう、織田くん」「ぁあ……、おはよう。藤原ふじわらさん」「顔色、すぐれてないね」「そこそこ飲んだ後にレポート書いたから寝てなくて……」「わあ……お疲れ様」「ねえ、ミツキくん」「な……何?」「――……何でもない!」「由美、こんどその……ご飯、行かない?」「――もちろん!」「その、――ミツキくんのこと、好き、かも」「……――僕も、好きだ」


――「お前が由美を! おれ達の由美を殺したんだろう!!」「あなたやめて! あの子からの手紙もあったでしょう!」「ごめんなさい、ごめんなさい……!」「どうしたー、織田? 最近ミス多くないか?」「すみません、すみません……」「その……ミツキ先輩のこと、ずっと前から好きでした!」「先輩呼びは、やめよう」「ミツキ、本当に話しにくい事なんだけど……お金、貸して欲しくって」「ミツキ、今月も……その……」「今月の分……」「織田! 何度言ったら分かるんだ!?」「すみません、すみません……」「今月、まだ?」 「……別れましょう」「は?」「もう、あなたと一緒にはいられない」「ちょ、ちょっと待って? 君は……」「さよなら!」「まっ、ちょっと!」「誰か! 誰かぁ!!」


 なんて人生だろう。

 僕は、何か間違ってしまったのかな。

 ねえ、由美。

 由美?

 何でだよ。

 何で、僕を置いていったんだ?

 僕は、ずっと、君のことを――。


 気が付くと、どこかから垂れている、先が輪っかになっている線に、四角い、白い土台から登ろうとしている、何度も見たような男性がそこにいた。

「――もう、いいんだ」

「何がですか」

「放っておいてくれよ。もうそこに生きていたって意味がない。由美といることでしか、僕の人生に意味なんてないんだから!」

「――……っるせえ」

「なに?」

「うるっせえんだよゴタゴタと!」

「――なんなんだよ、君は!? 邪魔しないでくれ!」

「俺が一番わけわっかんねえよ! 自殺を止めろなんていきなり言われて! できるわけねぇだろ!? 自殺する奴の心なんて知ったことねぇし、何より知りたくねえ!! そんなに死にたきゃ死んじまえよっ!!」

 二つの、力強い男声が虚無な空間にこだまする。

「でもな、これだけは言ってやる! あんたらはなあ、自分の言うことだけが真理だと思ってるのかもしれねえけど、大きな間違いだからな! あんたらが死んだら、世界は大きく動く! いや、!!」

「何を言っているんだよ!? 僕はもう――」

「あんたは世界に生きてて無意味かもしれねえが、他は違う! 残された人を!! あんたの死で、人を壊すんだ!! 何の関係も無かった人が! 自分の所為だと聞かなくなるんだ!!」

「――僕はっ」

「自分のことしか見てねえくせに! 無意味だなんだって一丁前に語ってんじゃねえよ!!」

 ――怒りをすべて、腹から声を出してぶつける。だがこれは全て、俺の心から出た気持ちだ。息が切れるほど言ってやった。ざまあみろ。もう死にたきゃ死ね。

 歩夢の目の前の男性が、頭を抱えると、黒いナニカが渦巻き始める。

「――!?」

「僕は、ぼくは……! どうすれば、いいんだァ――!!」

 砂鉄よりも一回り大きいように見える黒い物質が、男性の裏返った叫び声と同時に、無数にあふれかえる。同時に、男性の意識が途絶える。

 羽音ではないだろうが、とても耳障りな音を立てている。見たこともない物質。

 それはやがて、ただ茫然として構えている歩夢の前に集い始め、四足歩行の獣のような形を形成してゆく。それも、通常の獣の大きさを十倍したようにも思える巨体だ。


「は――!?」

 驚きを隠せない歩夢を、その一瞬で足場の端へ吹き飛ばし、前足を使って彼の小さな体を踏み潰す。

「ゥごふッ――!!」

 ――腹が、潰れる。重いなんて次元ではない。トラックか何かが上下逆になって押しつぶしてきているような感覚だ。

「シ、しぬ――!!」

 苦し紛れの発言が出たその時、どこからか白い、謎の物体が歩夢の目の前に現れる。リンゴより一回りほど小さいように見え、コンクリートが斑に凸凹しているように、ボールにトゲトゲが入ったような見た目だ。そこに細い虹のラインが何本か入り、うごめいている。

「こんにちは、人間。ヨコシマの出現を確認しました、神器を開放してください」

 エコーが入った音声。ぎりぎり彼には届いていた。

「はッ……!? な、に!?」

「ヨコシマを倒すためには、神器を開放してください。まずは武器種の確定です、武器種を決定してください」

「な、にがなんだか――!! ぐォ……!」

 圧が強まっていく。このままでは圧死する。腹から。

「まずは、武器種を――」

!! はや、ぐ……!」

「承知しました。武器種を『ワイルド』に決定。尚、最も選択され、最も扱いやすいとされる武器は『剣型』となります。『神器開放』の宣言をしてください」

「じ、んぎ……! かい、ほゥ――――」


 瞬間。

 彼を苦しめていた黒い物質たちは一気に吹き飛び、風圧で分解される。

「神器開放の確認をしました。ヨコシマを消すために、神器を手にしてください」

「いやいや、待て待て。何がどうなってる? お前は何者なんだ?」

 歩夢はよろめきながら立ち、白い物体に困惑する。

「私は神器。のみに与えられる、ヨコシマを排除すべく神より創造された、人智を遥かに超える……」

「わかった! もういいから。いやよくないけど。黒い物質ヤツが、集まり始めてる」

「もう一度、人間ワイルドが苦戦する心配はありません。神器開放の次のステップ。神器を展開してください」

「てん、かい? どうやってするんだ? ていうかはやくはやく、やばいやばい」

 無数に散ったはずの物質が、また彼らの目前に集束しはじめる。

「一般的な展開方法としては、必要とする箇所、体の部位を使用して神器を展開します」

「もー何が何だかわからん!!」

 宙に浮かんでいた神器とやらを右手でわしづかみ、「えーとえーと」と迷ううちに彼は放つ。


「神器展開、『大剣ブレード』」

「神器を展開します、ワイルドは『大剣ブレード』を起動」

 すると虹のラインから光が漏れ、溢れ出す。瞬く間にして、歩夢の右肩までを白い羽のような、鱗のような物質がガッチリと覆う。彼が右手に注目すると、その鱗から繋がるように、太く広がっているような白い刃が延びている。

「……こういうのを、世間一般では厨二病というんじゃ」

「目標の再形成を確認。直ちにヨコシマを排除してください」

「――なかなかに重いがまぁ。やっってやる――どぉうわ!?」

 歩夢が意気込んで走りだそうとすると、超人的な、いやそれ以上のスピードで駆けた。耳が痛くなるような音を立てて急ブレーキをする。

「はやくねえ!?」

「神器開放を行った効果です。神器によりこれもまた、人智を超えた力を所持者に与えたのです」

「……この歳でチビりそうになるとは」


 歪な形の右手を、構えて駆ける。顔のような部分が近くに来る。

「らァっ」

 重い一振りだが、その巨体では躱すことが出来ない。その顔面らしき形に剣がヒットすると、何だか神々しくって鈍い斬撃の音と、眩い光が一瞬放たれる。

「ああ! おぁあ!!」

 次々に斬撃を放つ。そして彼は気付く。ヨコシマと呼ばれるこの物質たちは、男性を核にこの怪獣を形作っている。

「見えたぞ! あの人を救出すれば――」

「予測して解答こたえます、それではヨコシマは消え去りません」

「えっ――? じゃあ、どうすれば」

「チリ一つ残さずに消すのみです」

「無理難題!!」

 それでも彼は動きを止めず、ヨコシマに攻め続ける。しかし、それも黙って斬られ続けるわけではない。片足を勢い付けてふるい、歩夢を宙へ鈍く吹き飛ばす。

「ち――!」

 顔をしかめた歩夢は、あとの展開を予測していたかのようだった。ヨコシマはまるで獣のように吠えたかと思うと飛び上がり、空中でコンボを続けようと喰らいつく。


 僕は、いったい――? 意識が、朦朧としている。この、黒いものは……?

 その先に見える、彼は――?


 歩夢が大きく、おおきく息を吸い込む。そして吐く。「充希さん!!」

「充希さん! 聞こえますか!! 死にたいか!? まだ、そう思えるのか!!」

 おそらく充希には届いていないだろうと、そう心のどこかで思いながらも、ヨコシマに噛まれながら彼は叫んだ。


 ぼく、は――。

 だって、生きている意味が――。

「由美さんは」

 途切れたその声に、彼の意識は完全に覚醒する。

「由美さんは、あなたが愛していた! あなたを愛していた人ですよね!?」

「――そうだ」

「彼女は、死んでしまった」

「――うん。人生で一番、愛した人だった。僕とよく意見があった。僕のことを一番に考えてくれていた。僕も、彼女を一番に考えていたよ」

 お互いに表情は見えていないが、歩夢は相手の表情を理解しているようだった。

「そんな彼女の願いは――どうなるんですか」

「――」

「あなたに、生きてほしいと願った。あなたはその瞬間、全てが嘘のように思えていたかもしれない。今も、思っているかもしれない」

 「でも、」と彼はつづけた。

「それが――彼女の最後の願いなんですよ! 生きていて、ほしいと! 幸せな彼女は願ったんです!!」

「僕に――」

 誰が泣いているのか。分からなかった。


「もう、生きていて無意味だなんて言うんじゃねえ!」


 歩夢が口を閉じたかと思うと、再びヨコシマは風圧により散る。

「ワイルドに知らせます。今ならヨコシマを一気に殲滅できる機会です」

「ああ。 適当に、ぶっ放すっ」

 左手で、歪な右手を支える。青白い光が、歩夢の手から溢れ出る。


 ――殲滅光ブルーインパルス


 その青白い光は発動した彼を中心に、範囲を徐々に広くして、黒い物質を音と共に消し去り、そして――。


 体中の気力をふり絞ったかと思うと、黒い空間は白く暗転する。そんな中でも、彼らはお互いを見つけ出した。

「それでも世界に、彼女は――、由美は、いない」

「代わりを見つけろって、わけじゃないです。由美さんの願いを、この世界に唯一残った彼女の一部を、忘れなければいいって思うんです」

 彼は満足しただろうか。それは誰にも分からない。


 世界が白にフェードアウトしていったかと思うと、警笛で目を覚ます。

 歩夢は、誰かの手を握っていて。



 誰かを、握っていて。



 男性だった。



 ホームの端に立っていた男性を、やって来た電車とすれすれに立っている男性を、力強く内側に引き戻していた。

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