2. Dunno Nothing !
「じゃあ本当に、この子のことは何も――」
「……――はい、すみません」
「君が謝る事じゃない。むしろ、我々が君にとって嫌われるべきなんだ。すまない」
駅で警察の人やら捜査官やらに、しばらく問われていた。
『
個室から出てすぐに見えたのは、息を荒くして、抱え込むようにして座っていた少々小太りした男性と、彼を慰めるようにしてまた座っている男性。きっと前者は、先の事故を起こした電車を運転していた方だ。
「ハッ……ハッ……、ぼくが、轢いた……、――殺した」
「違う、お前の所為じゃない。彼女は、自殺したんだ」
「轢いた、轢いたんだ……!」
その光景にまた歩夢の表情は、一段と暗くなる。
「こんな時間か」
昼になる前だ、歩夢は学校には向かわず、駅を出て一人、近くの小さな公園にあるブランコでうつむく。半袖のワイシャツに暗めのスラックスを身に着けた少年を、通行人は皆凝視し不審に思う。
――わすれられなかった。あの悲惨な光景もそうだが何よりも、『彼女の死』自体を思い起こそうとする度、尋常じゃない吐き気と寒気が彼自身を襲った。
「……ハハ」
訳も分からないまま他人の人生に土足で踏み込んだ挙句、何も言えずに結局、彼女は死んだ。いや、俺が、殺した。
どうすればよかった? そもそも、何で俺なんだ? なんで、俺がこんなことしなきゃいけないんだ。最悪だ、うんざりだ。赤の他人が死ぬだけじゃないか。そうだ、俺には関係ない。考えるのはやめよう。自殺志願者なんて、どうせろくなやつはいないんだ。
しばらく彼は思案していた。自分は無関係だと、そう何度も言い聞かせてから小一時間、未だ彼は一歩もブランコから動かないし、立たない。喉が渇いているのも、色々な人が自分を見ているのも彼は理解していたが、何もしようとしなかった。
「おにーちゃん、げんきない?」
「――え」
幼気な女の子の声を聞き、彼はふとうつむいた状態から顔を上げる。そこには、水色のワンピースを着た四、五歳ほどの少女が歩夢の表情をのぞくようにそこにいた。
「こら、歩美。やめなさい」
その後ろから少女の母親らしき女性が駆け足で彼女を抱き上げる。
「すみません」
「いや、こちらこそ。こんな時間で公園いること、おかしいですから」
「おにーちゃん、あそぼ!」
「歩美!」
少女のその無邪気な笑顔を見て、歩夢は何とも言えない感情に見舞われ、どっと疲れが襲ってきたように感じた。
「何して遊ぼうか?」
「じゃ、すなばいこー!」
くすんだ笑顔を精一杯作り、少女に合わせる。
「いいんですか? すみません、うちの子が」
「大丈夫です、お巡りさんとかいなければ」
その麦藁帽子をかぶりなおして砂場に一直線で駆けていく少女を見つめながら、冗談を言ったつもりの彼は、十秒ほど間をあけて続けた。
「……――自殺現場に、居合わせてしまって」
「――」
母親の女性が目を見開く。
「おれ、手、にぎってて」
掠れた声で続ける。
「初めて見た子だったんですけど、もう、思い出したくないのに。思い出すしか無いというか」
雲が、陽かりを隠していた。
「ほんと、なんで。俺なんでしょう」
くすんだ笑顔を見たまま彼女は何も言わなかった。
蛇口をひねり水を飲み、少女の遊びに付き合った。何も考えなくていい気がして、楽だった。
「歩美、そろそろお昼だから帰ろうか」
「えー。まだあそびたい!」
「みんな帰ってくるんだからわがまま言わないの」
少女は頬を精一杯頬を膨らませて駄々をこねているようだった。
「君も、うち来なさい」
「え?」
「帰れる気にならないでしょ」
そういうと彼女は、いたずらっぽく笑った。それはとても、強がった笑顔にも見えて。
「――すみません、お邪魔します」
――ちょっとまて。この人って雨田さんのお母さんかっ!!
歩夢は、彼女らに着いていった先の家の表札を見て急にいつもの具合に戻った。
「さ、どうぞー」
「どぞー」
黒部歩夢は雨田さん、基、
――彼女と絡んだことは無いが何かと噂されている。「カワイイ」だの「モデルやってる」だの「性格裏表なくてイイ」だの。評判いいことしかないな。何より、彼女は陽キャだ。危険人物ッすぎる。
「……お邪魔しマス」
罪悪感緊張感!!
「今日、親戚が集まる日だからバタバタしちゃうと思うけど」
「すみません、そんなときに。すぐ帰りますから」
リビングで四十分ほど経った。十四時を回った。
「おかしいな、青高からこんなかかること無いと思うんだけど」
「――あ、そっか。今日午前授業」
歩夢らの通う青葉市立青葉高校。ここ雨田家最寄りの
つまりは、朝の人身事故の影響にしても少々遅い。
「おかーさん、おなかすいたー」
「んー、華蓮と
歩夢の横で一緒にゲームをしていた歩美も徐々に痺れを切らす。
「華蓮はあれかなー」
台所に立ったまま、雨田の母は続ける。
「『雪ちゃん』とかとお話してるのかも」
その名は。苦しくなる。
「ゆ、き……?」
「そう、あの子しょっちゅう元中の子と遊んでたりして帰るのがいつも遅いの」
「な、何……」
やめろ。
「なに、ゆき……」
そうだ、きっと違う。雪ちゃんなんてあだ名がある人なんて、世界にはあふれかえるほどいる。
「なに、雪さんですか」
歩夢はどこか切羽詰まったような表情で尋ねるが、何ともない声色で、彼女は続けた。
「南川、南川雪ちゃん」
勢い良く、彼はその場で立った。そして、立ち尽くした。息が苦しくなっていく。
それを見た彼女はしばらくしてから悟った。そして、顔をくしゃくしゃにしかめたと思うと、その場に腰が抜けたよう崩れ落ち、泣き始めた。
「――――……、な、さい」
声にならないような掠れた声を歩夢は続ける。
「ごめん、なさい」
激しく泣きわめく彼女を見ながら苦悩の表情を浮かべる。
「おじゃましました」
――もう、ここにいてはいけない。俺はダメだ。逃げなきゃだめだ。
勢いよく家を出て、行くあてもないが彼は走る。何も追いかけてきてはいない。だが、彼は逃げている。息を激しく切らして、『速い走り方』など関係無い程にぐちゃぐちゃなフォームで。
「――ハッ、――ハッ。ぁあ゛ーー!! あァーー!」
――頭がおかしくなりそうだ。結局、ここかよ。
乱暴に走り終わった歩夢が行きついた場所は、駅だった。
もう何も失うこともないだろう、と落ち着いたフリをして歩夢が改札を抜けると、何やら中はざわついている様子だった。
「――……何が」
ホームへ階段を降りると目に飛び込んできたのは。一人の男性だ。
線路の、上にいる。
「――ッハ、――ハッ」
歩夢の息が荒くなっていく。
周りを見ても、ホームにいる人々はみなスマートフォンを構えるばかりで、誰も彼に触発しようとしない。
――いや、ひとりいた。
人込みの最前線に、一人の女子高生の姿が見えた。茶金のロングヘア、青高の制服、何よりその容姿。間違いない、
「ミツキおじさん! 考え直して!!」
「うるせえっ! 僕はもういいんだ! もう、生きてたって意味がないんだ!!」
泣き叫ぶような、裏返った女性の声と、男性の荒々しい怒鳴り声が入り混じる。
「朝も女子高生が一人自殺したんだって」「マジ?ここ名所になるんじゃね」「一日で二件って……」「これバズるんじゃね」「つか、あのコかわい。俺結構イケるかも」
混沌とした状況だ。その人込みは、観衆は、まるで彼の自殺を望んでいるようだった。
歩夢に、感情が募っていく。その瞬間では『何』と定義することはできない、ただ負である感情だ。
しかしそれは次に、怒りとなる。
「お前らなんかに、関係ないんだ! 何も知らないくせして!!」
線路に半ば倒れた姿の男性が叫んだ。
爪が、掌の肉にまで食い込むほどに拳を握った。頭に血が上る。――血管ぶちぶち言ってるんじゃねえか?
気付けば止まっていた足が少しずつ、動き出していた。
「間もなく、3番ホームに……」
アナウンスと、奥から迫る電車の放つ轟音の警笛。
人込みを無理やりどけ、ホームから勢いよく飛び出す。
――思い出していた。俯き、自分の所為だ、自分が殺したと言って聞かない男性を。娘の友人が死した報せを聞き、泣き崩れた女性を。
『お前らなんかに、関係ないんだ! 何も知らないくせして!!』『私のことなんて、何も知らないくせにッ!!』
――お前らだって、自分が死んだ後の事も何も、自分のことしか知らないくせに。
声に出ていたか? もう、どうでもいい。
「お前だって、何も知らないくせにぃッ!!」
彼が飛び込み手を伸ばすその時。世界は、スローモーションになる。
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