第24話 旧家に眠る資料の解析2

 山本は非木川の云う女を侮辱しているには同情を寄せたが、そこに四百年の時差を考えろと言った。これは四百年掛けて築いた女性の地位向上を言っていた。単に男女だけが向かい合えばそれは石器時代とて現代に通じる物があるが、世界が二人だけで成り立っていない以上はその境遇を受け容れるべきだと諭した。これで非木川の提起した問題をひとまず片隅に寄せた。 

 まず今日のサークル活動は土岐仁左衛門の日記から主君の心境の変化を読みその心理分析にあると強調して先に進めた。

 次に日記から信長の能力主義に目を留めた。努力次第で身分を超えられるこの画期的な事実は意欲を刺激した。しかしその一握りの努力家にも運が左右した。よって多くの落ちこぼれが出ると光秀は上下の隔てなく平等に扱った。そこに仁左衛門も日記でえらく評価していたそれに仁科も注目した。

 確かに信長様の安土城は天に向かって伸びとる。そして信長様はその天主に住んでそこからいつもわしらを見下ろしとる。それをここまでわしらの暮らしを楽になさって下さったお方だとある者はその天主に向かって拝みよる。しかし本当のところはどうなんじゃとわしは思とる。そこそこの暮らしが手に入ればそれで満足せにゃあ切りがない。最近の光秀様は家臣を上下でなく同じ様に周りに置かれるだから気持ちが楽になった。

「この文章は彼の本音を書いてると思うのですが皆はどうでしょう」

「でもこう言う新分野で伸びてる会社はイケイケバンバンで時流に乗ってる時はいいが他社に追いつかれて流れの澱みにはまれば容易には抜け出せず取り残されるなあそんな時は気持ちが落ち着くなんて言ってられないだろう」

 仁左衛門の日記にはそんな先行きの不安は微塵も感じてないらしいそこを山本が指摘した。

「限られた物しかないこの時代は平穏になればそれ以上に何を望むんでしょう」

 仁科は落ち着いた暮らしが最大の幸せだと言った。

「それは海外との馴染みがない人たちには見えて来ないけれど信長は来日した宣教師から世界にはもっとたくさんの富や知識があることを知ってるからこそここで手綱を緩めず更に上を目指せて邁進出来たんだ」

「他の武将は南蛮の宣教師には畏怖しても彼らから布教以外には興味を惹いてもその計り知れぬ影響を思うとなにも出来ず二の足を踏んだ。それを躊躇なく実行に移そうとしたのは信長一人だけですよ。それは信長が宣教師から地球儀を見せられて今居る地球はこの様に丸いと説明されると信長は即座にそれを理解したが仁左衛門にはそれとわしらの生活とどう関わるのかそっちの方が大事なんだと思う者には無理でしょう」

 仁左衛門のような余裕のない下っ端に世界が俯瞰ふかん出来てもだからどうなんじゃと居直られてしまうと仁科は反論した。

 奇妙な例えに山本は暫し沈黙してそうだなあと難しいそうな顔をした。

 なんで今そんな事を聞くのと真美も不思議な顔をした。

「こんな信長に何処まで家来が付いてゆけるか知りたくて言ってみただけだ」

 真美に言われて仁科はちょっと気落ちした。

「そうだなあその無知の者たちを光秀自身が上手く扇動すれば彼の支配下の兵は織田から与えられた兵でなく光秀の兵になりきれることも容易いだろうな。それにしても絶えず先走る信長の元にはやはり絶えず宣教師がもたらす最新の情報が集まる。それを彼はいち早く取り入れて新しい国のあり方を求めて政権樹立に突き進むだろうなあ」

 それは幼少期から天罰を怖れないように何事も率先していたと山本に赤木が合いの手を入れた。

「それは比叡山の焼き討ちからじゃないですか」

「あれは誰が見ても堕落した僧侶を誰もあがめずただ世間体だけで忌々いまいましく見ていただけだそれを信長は天に代わって討伐したから口では批判しても内心はよくやったと思ってるよ」

「それはみんなが知ってるし彼の主君も同調しているから仁左衛門は何も書いてない」

 仁左衛門の日記からこの話はそれていると山本は日記に立ち返って黙読しながらページをめくり有る所で手を留めるとみんなは山本に注視した。

「天正九年の馬揃えを任されたこれは光秀やその家臣団にとっては青天の霹靂へきれきらしく仁左衛門の日記にも信長を見直したと書いてるから今までの新旧の考えが入れ替わると言うより判らないままでもついて行こうと決めたようだ。これは主君光秀にも伝染したらしく絶対忠誠を誓い実際に彼が制定した家中軍法にもそう書かれている」

「でもそれって一年前でしよう」と仁科は問い掛けた。

「確かにそうだが俺が思うに本能寺の変の直前おそらくひと月前までは忠誠心に変わりが無いと思う。だからここからはその一ヶ月間の仁左衛門の日記に注目してみよう。畿内が安定する辺りから仁左衛門は余計な物事を背負い込むみたいに書かれている」

「それは何処ですか」と仁科は山本に更に訊いた。

「この頃は特に主君の光秀は絶対に本心を見せない自分を律する人だと強調気味にそしてまた主君のなすことがことごとく信長から否定されたとも書かれてる」

「そう云えば先代の住職は岩佐先生が丹波平定の功績を塗り替えられたら堪ったもんじゃ無いと云ってたその辺りの苦労でノイローゼ気味だと以前も仁左衛門は日記に書いている。それがまた復活したのだろうか?」

 山本が日記から抜粋した部分に仁科も同意するが「どう云う苦労だったのだろか」とまた山本に疑問を投げかけた。

「他の文献に寄れば家康の接待とか五月には四国攻めとか挙げ句の果てに五月十七日に備中への出陣を命じられて更に丹波近江を召し上げ出雲、石見いわみ二カ国の国替えだけどこれは他の武将を見れば自分だけがぬくぬくと戦の無い畿内に居られるはずが無いのも見えて無かったのだろうか。とにかく気が思いが戦支度を始めた。この辺りから可怪おかしくなり理性が利かなく殿上人を自認する信長との開きは増すばかりに成って来たのはみんなの知るところだ」

 ーー例えば社長室の前に可怪しな石を置いてこれからはこの石を俺だと思って拝んでから入室しろと会社で社長がこう言ってもカリスマ社長の下では業績はうなぎ登りで次々と他社を吸収合併翼下に置く勢いで社員の暮らしも良くなれば誰も文句は言わないだろう。とても取って代わろうと模索する社員は皆無で石でも何でも異を唱えず拝む、でも一人だけヒステリックなまでに念仏を唱えて模索するだけの社員がいた。それが一年前までは社長に熱い忠誠心を寄せていれば誰の目にも奇異に映っただろう。

 この状態で戦支度を命じられていた。出陣を前にした五月二十八日に愛宕神社で連歌を催した。六月一日亀山城で渋々備中への出陣を控えていたところへ信長親子が僅かな兵で京に滞在の一報が入った。ここからまず秀満に相談したが押し留められた。そこで斉藤利三など数人に相談するもみんな否定された。それで諦めると他に話された以上はやるしか無いこの事はいつか漏れるからと今度は逆に秀満に決行を迫られた。

「問題はここからなんだ仁左衛門の日記には遠目には覇気が見受けられぬと書かれているが秀吉の手柄に加担するのが鬱陶しく見えたようだ。しかし殿はテキパキと 周りの者に指示を出していたので特に心配もしなかったと書いてある。だからこの時点では八割決めていたと思う」

「どっちに」

「両方に」

 山本さんのは答えにならないがそれが答えだろう。ハッキリと決めていれば用意周到に心当たりのある武将を引き入れていたはずだ。それが決行後に打診している。光秀ほどの武将が周囲の空気を読めないはずがないのに十分な根回しなくただ諦めきれずに迷う思慮深い男の典型的な姿だ。

「まだそうなの。そんな優柔不断な男なんて(と真美はチラッと仁科を一瞥して)見た事が無い」と言い切った。それが余りにも当て付けに聞こえて仁科は挽回を試みる。

「いやそうじゃない突き詰めれば突き詰めるほど正義とは何なのだと出口の無い押し問答を半月前からもう一人の光秀と交わしているんだよ」

 と仁科は咄嗟に繕った言葉を真美の耳元で囁いた。

「半月前って」

「秀吉が援軍を要請してからだ」

「あの男がそそのかした黒幕 ?」

「いや無関係だろうそんな余裕は前線で戦ってる将兵にはない。さっきも言った様にもう一人の自分が囁きだしたからだろう」

 壇上でも奇しくも山本も仁科の囁きと変わらないものを言い始めた。

「光秀はもう一人の自分と戦ってる。だから戦場は自分の心の中にあって逡巡しゅんじゅんする、この道行きの果てはつまり心中だ。もう一人の相手を突き放すか受け容れるかこれは教養がある人間の堂々巡りだ。その原因は自分に正義を求めたところにあり、問題は彼が求めた正義の質にある。それは引くに引けない正義を背負って仕舞ったところに終わりなき光秀の葛藤があったのではないか……」

 ーーあれほど短期間で織田家の家臣団ナンバーワンにまで出世するには相当の謀略に長けてないと難しい。要するに丹波攻略で出し尽くしたのではないかその疲労でもうついて行けなくなり妄想が彼に取り付いた。

「引くに引けない正義ってこの仁左衛門の日記の何処に書いてあるの」

 非木川はまた赤木に説明を求めた。

「そんなもの何処にも書いてない」

 書いてないのに山本さんが言う引くに引けない正義って何を言ってるのしらと非木川は更に赤木先輩に突っ込んでこっそりと聞いた。

「この光秀の悶々とした心境を山本は言っているのに。非木川お前は今ままで何を聞いてたんだ」

 それが判らないから聞いているのよと非木川はおそらく訊いた相手が仁科ならとっくに自分は逆ギレしたの抑えていた。

「正義の質は最低でもその人の思想信条で守るもの守り切れるものでなければならない」

 非木川の質問を一蹴出来ない赤木はそれでも懸命に捜し喘いで言葉を絞り出したが最後は衣川にお前説明しろっと振ってきた。

 困り果てたところでお前ら何言ってんだと山本が助け船を出してくれた。

 山本が言いたいのは四日前の愛宕神社で戦勝祈願を兼ねた連歌を催した事だった。ここで光秀の発句が特に問題になった。それを四日後の動機に結び付けるのは無理で意味が無い、いやむしろ別の意味だろうと山本が言った。だが仁科にはその根拠が判らないから仁左衛門の日記から何が判ったのか訊いた。

 山本は意外な事を云った。彼、仁左衛門はこの連歌の末席に雑用で控えて居たらしい。

「でなんて記録していたのです」

「どうも備中への出陣で光明を見いだせないで思いあぐねていたとある」

「それは無理でしょう秀吉の配下でない光秀にそんな優遇はしないでしょう」

 だが光秀は甘い人たらしの秀吉の一面しか今は考えてないらしい、とにかくこの時の光秀は気持ちが落ち着いたのか憔悴仕切った先ほどの発句で見られた気むずかしい顔から逃れたようだった。

「ここで何かを、おそらく今までの鬱憤した胸のつかえが吹っ切れたと 見て良いようだ」

しゃあないかと切り替えた。だが一難去ってまた一難。六月一日に信長親子が京に逗留した報告を受けて再び心が乱れた。これは光秀にすれば今までの不満は知性と理性によって腹の中でこなしたものが遂に六月二日に回復見込みのない消化能力不良に陥ってしまった。

 四日前に愛宕神社での連句の発句を祝った秀満に光秀は本心を打ち明けるが反対され複数の側近にも反対されて思い留まった。秀満はここで情報が漏れる懸念から一変して決起に改めた。ここで初めて光秀は迷いを吹っ切った。

「それって事件の半日前でしょう、と言うことは競馬なら出走のファンファーレを聴いて駆け込んで馬券を買う心理と似てませんか」と仁科は呆れた。

「そう知性と教養が邪魔をした典型的な後出しジャンケンだから勝っても周りからブーイングが来るよだから支持は得にくいだろうなあ」と山本も決め手を欠いた。

 日記には夜襲でなく緊急性のない攻め手の備中高松の援軍に向かうのになぜ一万以上の兵が早朝でなく足元が見づらくなる陽が落ちて暗くなる夕暮れに亀山城をったか疑問を持った。しかも秀満は仁左衛門に主君の傍を離れないように指示して異変あらば伝えよと付き従えた。この時までは仁左衛門は何も知らず老ノ坂峠で進路を誤り絶望したと書いてあった。それは仁左衛門を始め多くの兵がここで真の目的を知った。それでも乱れず突き進めたのはこの軍団の結束力だろうなあ。

 日記と併せてすべての文章を付き合わせても山本はただ不可解としか言えないと結論づけた。もしも本人が生き残ってもこの男は黙して語らずと締めくくった。

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