第23話 旧家に眠る資料の解析

 緩やかな傾斜地に建つ大学の構内は何段にも分けて切り崩して段々畑のように整地された幾つかの平らな更地に建っていた。歴史研究サークルの部屋はそんなひな壇を結ぶ斜面に作られた階段を何段が上がった一番奥にあった。平らな更地を広ければそれだけ階段が増えていつもながら体力を必要とした。それだけ窓からの景色は掻いた汗が帳消しになるほど展望が良かった。

 今日は赤木さんと非木川史子ひきかわあやこそれに衣川真美、仁科明宏にしなあきひろに山本さんだった。北山と西谷は初回に顔を出しただけだった。この二人を勧誘した非木川に非難が集中した中でサークルを始めた。

 今日は岩佐先生に代わってサブリーダーの山本さんが旧家から持ち出した古文書の解析を始めた。この資料を提供した土岐承子さんから専門講師は抜きであくまでも素人目線で今までの歴史的事実の拘りを捨ててこの資料を見て欲しいと頼まれた。

 現政権が初心を忘れて私物化すると腐敗や不満が生じて改革を求めてクーデターや謀反が起こる。歴史の転換期では新政権の樹立目前で新たなクーデターや家臣の謀反など有り得ないから本能寺の変は実に不可解だった。だから四百年経った今日でもその首謀者の本意が謎に包まれている。この部分に新たな陽の光を当てるのがこの歴史研究サークルの意義だと山本がまず述べて開講した。

 此処でみんなは土岐承子さんから提供された旧家の初代当主の記録に目を通した。

 六月三日に旧家の当主は留守居を任されて福知山城に戻っていた。そこで十日後にあった山崎の戦いの敗戦と主君の死を報された。直ぐに秀吉の討伐にあって逃れる途中にて散り散りになり旧家にかくまわれた。その家から請われて姓を土岐仁左衛門ときにざえもんに改名してこの家を継いだ。その旧家の当主となった土岐仁左衛門が世情が落ち着いた頃に書きとどめたのがこの日記だった。

 この序文のあと日記は天正七年に美濃を出て福知山に到着後に遡って書かれていた。到着後に彼は由良川と土師川の合流地点にあった土塀の城を石垣作りの堅固なものえの改修を手伝わされた。

「これって平定後の土台作りに必要な人材育成も兼ねて身内を登用した可能性が高いと思う」

 まず山本がそう説明して続けた。

「それだけじゃない此処は平城だけど黒井城は三百五十メートルの山城だから石を運ぶのが大変なのに石垣作りに変えてしまった。それは統治する地元の者に世の中が変わったと知らせる意味合いもあったらしい、その一躍をこの旧家の当主の土岐仁左衛門は担った。しかし文面から彼は別段に武芸は苦手なようだ。その彼でも当時は総石垣の城にまで堅固に何故するのかその疑問を書いていますね。本丸までの門を増やして、しかも真っ直ぐ進めず必ず直角に曲がらないと中に入れない枡形門に作り替えている。しかもこの城の優れた防御力の城作りには主君光秀は仁左衛門の日記にも信長の安土城との違いを黒井城作りに加わって知ったようだ」

 ーーもっとハッキリしているのが安土城と一番新しい周山城の作り方である。仁左衛門の日記は主君光秀と信長の家臣との扱いの違いもこの城作りで感じたと書いていた。それはピラミッド型の頂点に居る信長とほとんど横一列に差を付けずに家臣を統制した今で云うならファミリー形式なところが絶対的な信長との違いをこの城作りから彼は書き綴っている。

「じゃあやはり彼は凄い記録を残していたんだ」

 複写を手伝った赤木は今更ながら感心した。

「それはどうかなあ此処に書かれた物は他の書物や最近の航空レーザー測量で調査した結果から更により正確に分かりこの周山城の記述価値は乏しくなってしまった」

 そうかと赤木がガッカリしたが真美にはあの蔵から見つかった中に興味を惹く物があった。それは桶狭間の合戦の信長を彼は圧倒的な兵力差にストレス解消の為に能「敦盛」を舞った事に注目して書いている此処に真美は目を留めた。

「仁科くんはストレスが溜まるとどうするの」

 桶狭間から直接ぼくの心の葛藤を問われても用意が出来て居るわけが無かったから慌てた。彼女が僕の心を試しているようで恋のジレンマに囚われた。

「真美ちゃんはどうするんだろう」

「判ってないのね絶体絶命に置かれた指揮官の男の心境を問うてるあたしの気持ちを。此処で信長は能を舞って心をリラックスしたでしょう。それは戦国武将としては有り得ないと彼は分析しているのよ。ここでも主君の光秀は貴族を集めて愛宕神社で連歌の催しをしているのよこの違いを仁科くんはどう思うの」

「ここで二人の武将の性格が良く出ていると思う」

 合戦に臨んで浮きよだつ気持ちを静めるために和歌を詠む光秀と能「敦盛」を舞う信長。

「そうそこなのここで彼の日記を紐解くと書かれているこの分析がこの後の行動を左右すると思うから今一度抜粋して読み返してみる」

 山本も衣川の視点に興味を持った。

 ーー仁左衛門は丹波平定後の統治に当たって土の城を石垣に直し新たな城も石垣作りだった。仁左衛門は安土城にも一時普請に駆り出されてから信長と主君光秀との城作りの違いをこの目で確かめるとそれがそのままこの二人の世の中に対する死生観や考え方、違いが浮き彫りにされたと記録されていた。仁左衛門はいくさにかり出されることも無く主に平定後の丹波に於ける光秀の城作りに従事した。それは領民や家臣をかなり意識した城作りだった。ここから仁左衛門は光秀に傾倒するさまが文章の端々から読み取れた。これは土岐承子さんも同じ考えに行き着いていた。

「仁科くんならこの仁左衛門さんをどう見るの」

「がむしゃらに出世して早く安定した生活を望むより不安定な要素が多いけどそれより自分なりに伸び伸びと生きるには向いていると思う」

 真美は他のメンバーにも訊いた。

「あたしもそう思うけどでも波乱の時代を生きるとすれば悩むわね。戦に明け暮れれば仁左衛門さんはストレスを貯め込むタイプじゃ無いかしら」と非木川は意見した。

「でもここだけ読めばそれは感じられないね第一に彼は本格的ないくさにかり出されていないからまして比叡山への焼き討ちは経験してないからね」と赤木は意見した。

「同感だ初期の頃はかなり信長と協調してるからそれを仁左衛門は見てない」と山本も主君の過去を知らないでは同一視出来ないと否定的だ。

「まあこの頃の仁左衛門は城作りに忙しくてそんな暇がなかったのね問題は築城が終わり土木工事から人々が解放されると民衆の掌握しょうあくと治安の安定に仁左衛門たちがかり出されたが特に問題は書かれてないわね」

 ーー特に平定後は丹波各地をそれぞれ治めていた山城を石垣造り改築した。その中で光秀が一から新たに築いた城がひとつあるこれが周山城でここを見れば主君信長との違いがハッキリと分かるからしらと真美は補足した。

 しかし残念ながら奥にある支城まで足を運んだのは俺と土岐承子さんだけだった。

 それを言われると同行した者には頭が痛くて真面まともに山本を見られない。

「だからこの城は家臣の懐柔あるいは不平不満を吸収できている。信長と違って一方的なトップダウンになっていない。まあ光秀にはそれだけのカリスマ性がないせいもあるだろうけど……」 

 しかし仁左衛門の日記にも書かれていたが混沌とした状態からある程度の秩序が保たれれば黙って俺に付いてこいと云う信長のやり方には疑問を持ったようだ。

「だがこれは平穏な畿内に於いては可能だ、しかし北陸、関東、四国、中国地方で戦ってる最前線の者には何を寝ぼけた事を言ってると写るだろうなあ」

 ーー前線では張り詰めていても畿内ではこの傾向は見られない。が織田家で光秀は後詰めの兵に過ぎない。それを光秀が少なくとも本能寺の変の直前までそれに徹していた。この仁左衛門の日記からそれが伺えれば貴重な歴史資料になるかも知れない。だからどんな些細な文面にも全神経を集中して欲しい。

「しかしこれほど日本史を決定的に塗り替えた男の前半生が謎なのが実に歯がゆいまあ秀吉も成功したからこそ前半生を適当に飾って書き加えることが出来たと思うと光秀は不運だ。しかし光秀は流浪の身から成り上がったからこそ諸国の武将が持つ神や仏を同じようにうやまったが現実にそぐわぬ堕落した寺院や僧侶にはその概念はなかった」

「まあそれが比叡山への焼き討ちに加担できたのだろう」

 山本の説に赤木も同調した。

「でも女性感は信長とは決定的に違ってるわ」

「なるほど非木川の云う通りだなあそれも影響してると思うか」

 非木川は迷わず思うと答えた。

 山本は笑ってそれでまつりごとが出来るかと非木川を貶(けな)した

 でも光秀は側室を設けなかった。熙子ひろこさん一筋そこがいいと非木川は真美の同意もあって面目を取り戻した。

「だがなあこの時代はそんな事を言って跡継ぎに恵まれなければ運の尽きよ。だから子孫繁栄を願うなら一人に偏る愛情も良し悪しだ」

「べつに正妻が一手に愛を受けて側室はあくまで子孫繁栄のためと割り切れば良い」

 山本の意見に赤木が乗って来た。これに非木川が怒った。

「酷い! 女を侮辱している」

「政治は男で動くが歴史は女が作るそう考えれば納得出来ないかなあ」

「出来るわけないじゃん」

「俺たち学生は勉学だが今は恋も大事だ。それが証拠に非木川はこの春に勧誘した二人の北山と西谷の新入部員はバイトとデートに明け暮れてちっとも顔をださんあいつらはいかれてる」

「歴史研究サークルって新入生には人気がないのよねぇ」

 非木川は勧誘した二人がサボってばかりなのは自分のせいで無く世間の兆候だと云う。

 それはないだろうと興味を惹く努力を怠ったとリーダーの山本が非木川を責めた。しかし今は内輪もめじゃ無い。これでは土岐仁左衛門の日記の解析がはかどらんと山本は話を先に進めた。

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