第22話 岩佐先生が旧家を訪ねる
この頃には歴史研究サークルの顧問である岩佐はやけに焦っていた。どうやらサークルでは先生抜きで歴史の新たな発見に邁進していると推測したらしい。その為に今一度、坂本城、亀山城と調べ直したが痕跡しかない城跡からは何もでて来なかった。最後に淡い期待を込めて調べた福知山城で有る事実に遭遇した。それはこの城から落ち延びた明智秀満の父明智光安に仕えた縁者の話だった。
彼は明智光安と共に福知山から十五キロ離れた綾部へ落ち延びた。途中で光安は捕まり処刑されている。一方上手く落ち延びた縁者は旧家にかくまわれて土岐氏を名乗った。
城で郷土史の説明をしてくれた人伝にその旧家を調べたが、祇園花街で言うところの一見さんお断りの旧家で仲介が必要だった。
学生には日頃から歴史は足で調べろと吹聴する岩佐はここでも実践した。承徳和尚が旧家の縁者と知るとさっそく飛んで帰り和尚が受けていたリハビリ病院にとって返した。退院間近で面会した和尚にはのらりくらりと上手くかわされて仕舞った。土岐承子も寺に通い詰めるサークルの連中も当てにならなかった。この蔵からハッキリとした事件の動機を記した古文書が見つかれば俺は一躍に脚光を浴び、そこを足がかりに学長の椅子まで登り詰めるのも早いかも知れん。
ここで和尚のリハビリを受け持った遠藤と再会出来た。
「君もあの日は同席していたから判るが和尚はどうもあたしに冷たくてねぇ」
「いやーあの歳になると頑固になりますから先生に対してだけじゃありませんから気にしない方が良いですよ」
「そう言ってもらえれば有り難いがどうも昔から避けられているようなんだだから和尚に頼んでも真面に聞いてもらえないから君に相談したい」
「なにか」
「他でもない和尚の親戚である丹波にある旧家だが、敷居が高くて行きにくからリハビリ期間が長かった君からその旧家と知り合いとかを和尚から聞かされてないかと、いれば紹介して欲しい」
「一人いますね入院して直ぐに見舞いに来られた姪っ子さんですが」
「まさかそれは土岐承子と云うのじゃ無いだろうなあ」
「承子さんをご存知でしたらその人も旧家の人とは縁戚関係ですから頼られたらどうですか」
「それが和尚同様に気まずい思いをしているから無理だろう」
「じゃあ清原まりやさんしかいませんから都合を聞いてみましょう」
「出来るだけ早いほうが良いんだが明日の休みはどうか判らんだろうか」
「明日ですか」
「無理か」
「私も一緒でしたら彼女は都合を付けてくれます」
一緒と聞いて岩佐は考えた。そしてひとつの結論に達した。そう云う仲なら応援したいと岩佐は二人の関係を察してすべてを先走って丹波にある旧家を訪ねるお膳立てを頼んだ。
この話を遠藤から聞いたまりやは承子さんが持ち出した古文書は整理されて岩佐は彼等と違って簡単に見付けるだろう。問題は持ち出しだがこれは諦めるように忠告していた。それでも大学の先生が研究対象として閲覧を希望していた。
「じゃあどうして、承子さんが持ち出した古文書の複写あるんだからわざわざ丹波まで行かなくても見られるんじゃないの」
「それがそうは行かない事情が有るからぼくを頼ってきたらしいんだ。それで返事をしたんだが一緒に行ってくれる」
「仕方ないのねもう受けたんでしょでも持ち出せないわよ」
「それは何とかするらしい読み取り機を使うらしい文字をなぞって行くだけで読み取って行く機械だそうだ」
「それでも結構な枚数だから朝早くから出向いて行かないと間に合わないわよ」
「じゃそうするか」
二人は待ち合わせ場所で岩佐の車に乗って丹波路を走った。
岩佐先生は大学の歴史研究サークルで学生達と一緒にやってるのに一人で行くんですかとまりやが聞く。
「向こうは独断専行でやってるからけしからんが……。まあ、ところで清原さんは旧家の土岐家とは縁続き何ですか」
「ええまあ子供が増えてあっちこっちへ嫁いだり婿を迎えれば縁組みは増える一方ですからあの旧家はその大本に当たるんです」
「なるほど貰う方も嫁に出す方も旧家の口利きとあらば箔が付くと云うもんですかね」
「一昔前まではね今はそれ程のものでもありませんがお陰であの家の蔵には使い物にならないガラクタに近い骨董品ばかりです。終戦後は進駐軍がトラックで買い出しに来たそうですが数年前に亡くなられた
「なるほど骨董品や美術品は持ち帰っても古文書だけはアメリカさんもちんぷんかんぷんだろうなあ、どっちにしても頑固な当主のお陰でそのまま遺ってるんですか、それなら叔母さんも何も持ち出し禁止にする事は無いでしょうにね、今でも高値で引き取ってくれる古美術商を何なら紹介しますよ」
「いえ叔母さんは蔵を整理すれば市に寄贈されるそうですよ」
「なら尚更古文書だけでも買い取りますよ」
「叔母さんはそう云う人を嫌がりますからその話はなさらない方がスムーズに物事が図れるでしょうね」
その先日亡くなられた叔父さんはどう云う関係の人かと岩佐はまりやに聞いた。
ーー福知山城の明智秀満のお父さんの
ーーじゃあ十代目の方は一度も蔵の古文書には閲覧されていない。
ーーいやもう和尚さん以外は蔵には入ってませんからこの前の法事で承子さんが来ただけです。承子さんは閲覧され叔母と掛け合って持ち帰られてすべて写し取られたそうです。
岩佐は肩を落とした。後部座席のまりやは共同研究じゃないんですかと逆に聞き返した。
ーー彼女とは歴史に対する認識が違ってるんですよ 彼女は中立性が無くてある人物に偏っているのですよ。
ーーそれは承子さんは土岐氏一族ですからに肩入れしますよね その流れの中にいる人には汚名返上が唯一無二の課題でしょうから。問題はどの様にも受け取れる文章に対する評価が大きく分かれ無ければいいんですが。
「勝手に解釈して歴史を変えてはいけません
「でも新事実があればそれに基づく新解釈もあり得ますよね」
「すべての歴史研究家が納得する解釈ならいいんだが、それはないだろうと首を捻るようなものなら聞き捨てならぬ事態が起こり、それが独り歩きすればそうならないようにあの蔵にある物は直ぐに解読して反論出来る様に先回りしておきたいのだが」
「でも承子さんの方ではもうそろそろめざとい物を見付けたかもしれませんよう」
「見付けても大学なら横の繋がりがあるからたちまち広げることが出来るが彼女は一人自己満足で終われば意味が無い。世間に問い掛けねば……」
まりやにはこの先生の言い分にどこまで付き合わされるのか。第一にこの話を受けた遠藤さんはほとんど聞き役に回ってあたしばかりが応戦していた。その確証のない議論には口を挟まない貴公子的な存在も少し気に入った。
「この辺りの丹波は平定には相当に苦労したらしいね」
「どうしてですか」とやっと遠藤が聞いた。
ーー都に近いからそれだけ足利幕府の息がかかっていたからねそう云えば中国方面は毛利の勢力は手薄だから秀吉が一番楽なクジを引いたなあ。北陸の柴田勝家は一向一揆と謙信を相手に手こずった。光秀が平定した丹波をやっと軌道に乗せた頃に秀吉の応援と国替えだから心中穏やかでは無かったかも知れないね。中央官庁なら省内をまとめ上げで政府に事案を提出した挙げ句に地方へ左遷されたものと似たり寄ったりだからその辺りの心境とか裏工作の文面でも蔵にあれば新解釈が成り立つんだけれど。
「その古文書は僕にはまったく読めないのに彼女は読めますからね」
ほ〜う清原さんはお若いのにと岩佐は感心した。
古文書と言われるものだが今から七十年前は遠藤さんのひい爺さんぐらいの人は古文書に書かれた文字と変わらない字体の草書体で手紙のやり取りしたのだよ。毛筆が廃れるとまったく読めなくなったのだからこれは世界的に見てもこの断絶は嘆かわしい。幸い清原さんは読めても遠藤さんには読めないのだから困ったことだと岩佐は軽やかにハンドルを操作しながら言った。
旧家に着くと叔母に大学の先生が貴重な歴史資料を調べに来たとまりやは説明した。
さっそく蔵に入ると前回は何処にあるのか分からなかった物が一カ所にまとめて保管してあった。
「承子さんが持ち出した古文書をキチッと整理して返却されたから先生は楽ですよ、なんせ和尚さんがたまに来られても書物なんて何処にもありませんでしたからそれらしい箱を片っ端から開けては見ていましたよ」
「それで和尚は目当ての物を見付けられましたか」
「何の何の今もご覧になればお解りでしょうが何処に何があるか分かりますか」
「これだけ無造作にしかも四百年もの埃をかぶっていれば当家の人でも頭を抱えていますね」とまりやの質問に岩佐は頭を掻いた。
「だから住職さんだけが蔵の中に何があるか大雑把ですけれど把握されていたのですがこの前の法事で承子さんが来られて書物の入ってる箱をばかりを目ざとく開けてしかもそれを持ち出されたのですから流石は承子さんだとわたしは感心しました」
「じゃあもう未発見の古文書はあの蔵には無いんですか」
有りませんとまりやはキッパリと言い切った。
「それでも先生は蔵の中を改めますか」
「それだけ新鮮味が欠けるかということかじゃあ今日はこのスキャナーで読み取って引き揚げるしか無いか。それで法事はいつあったんですか」
「丁度一週間前でしょうか」
じゃあもう解読は終わっているかまあこの業界に伝もなくまた学会で発表出来るわけが無いからと、蔵にあったすべての古文書がまとめてある一角でハンドスキャナーにて読み取りを始めた。
まりやと遠藤は本宅へ引き揚げた。今の話で遠藤には承子さんと先生が良くないと悟った。
「どうしてまりやは先生に協力するんだ」
「出て来た書物から様々な解釈を試みられるのが素敵だと思わないの? 歴史から学べって言ったのは遠藤さんですよその人が崩し字を読めないのは良くないからあたしが特訓して上げましょう」
「参ったなあこれじゃあべこべになってきたなあ」
「そうその様に、火を点けたのはあなたですよ。その後始末を付けるのもあなたの役目、あたしは高みの見物、どう悪くないでしょう」
ちょっと小悪魔的に笑うまりやに心を注がれた。
「あなたは変わりましたね」
あなたほどではないですよ、と謙虚に云うまりやの顔がいかにもあどけなかったから肩に置いた手で彼女を引き寄せた。
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