第16話 真美と史子とまりや

 学食の奥にある休憩と閲覧を兼ねた喫茶ルームで非木川ひきかわと真美は待ち合わせた。顔を合わせるとさすがに仁科くんは居ないなあと非木川は皮肉った。逆に真美はこの前は赤木さんと息が合ってたわよ。でも彼は来年卒業だからもう中途半端は考えは捨てた方が良いと言い返した。そんな二人の愚痴が尽きると改まって非木川が切り出した。

「真美はこの前、高級官僚を否定したでしょう」

 実は奈央ちゃんのお父さんがそうだったといきなり言い出した。

 ーー実は佐久間は高級官僚としてエリートコースを歩むはずだったが上司の汚職事件に連座して、いえそのとばっちりを受けて地方に左遷されたいわば高級官僚としての出世の道をすべて断たれたあば死刑同然の判決を受けた男だった。

「誰に訊いたの」

「本人から」

「まさかあの陰気臭い男が更に老け込ませるような話を本人がするかしら」

 それがスッカリ様変わりして中間試験で奈央ちゃんの成績アップを感謝されてそれと会わせて娘の誕生日祝いにレストランに招待された。

「ホウたった一回の家庭教師で成ると思う。それってそれまでの下積みはあたしがしたのよ」

「だからここの最高級のケーキセットはあたしが持つわよ」

「あのねレストランと学食付随のケーキでは雲泥の差があるわよ」

 と文句を言いながらも出されたケーキを美味そうに食べ出した。

 誕生日と試験の褒美を兼ねて招待されたレストランでは佐久間の自慢話から始まった。ある企画立案の為に奔走した挙げ句が佐久間の知らないところで金が動いたらしいそのとばっちりを前面に受けた。流石の上司も後ろ冷たさから罷免出来ず休職扱いにしてから地方公務員を斡旋した。実はこの男の熱弁の裏には奈央ちゃんへの教訓話と重なっていたのだ。それと佐久間はどうやら承子さんが匿名で相談された話は妻のことだと察していたらしい。

 ーーそれはあたしが最後の日に奈央ちゃんから確認した。だから夫人が寺に駆け込んだことは娘には知られたが夫には知られてなかったはずだ。でも佐久間は冷静になると勘も冴えるらしい。

「真美の下積みのお陰かしら結構奈央ちゃんとは腹を割って話せるのよ。それであたしが学校の先生になるって言ったら、奈央ちゃんのお母さんが高校へ入るまでは家庭教師がコロコロ変わるのは良くないと思ったらしくて会ってくれて奈央ちゃんのお父さんについて色々聞かされたの」

 ーーどうも旦那さんは周りの影響を受けるらしい。中央官庁でバリバリとやれたのも周りの熱い視線に支えられてやれた。その自分が真っ先に切り捨てられた。それから笑いが消えて誰にも分け隔て無く接していた人が差別化して見るようになり、要するに表と裏を使い分けだした。それが今の原因になってるらしい。丁度真美のバイトを解雇にしてから奥さんに凄い暴力を振った。彼には珍しく積もり積もった物が娘への反感で夫人に向かった。これは彼の人生では後にも先にもなくそれだけに凄い自己嫌悪に陥った。今振り返ってあれは自分への戒めにしたようだと言っていた。

「自分への戒めって」

 ーー少年の頃の初心に戻ったって事らしいの。あの人は元々は派手な性格でなく物思いに耽る少年時代を送ったと聞かされていた。それが家計を助けるために猛勉強して官僚のエリートコースに乗れた。この奇跡を逃すまいとひたすら笑顔を振りまいて組織に溶け込もうとした。それを上司も認めてくれると更に邁進したその結果が今のありさまだった。その行き場をあろうことか家族に向けてしまった。夢中だった。そこで我に返り目が覚めて家族の崩壊を避けた。国家公務員の中でとにかく巧く使われて踊らされた。官僚組織ほどあらゆる物に精通しなければ落ちこぼれる浮き世を味わえさせられたと。独立自尊の精神すなわち浮き世を捨てて今は我が道を往くらしい。そこで彼は知ったのよ懲戒処分を免れたしかも公務員として残った理由を。それはこの汚職事件の口封じに他ならないと。彼に恨みを残して放逐してはならない、事件から免れた上司が彼に与えた恩情に他ならない。だが佐久間さんはそのすべてを呑み込んで今の仕事に甘んじているのよ。

「招待されたレストランでそう宣言されたのよ奥さんにも俺の出世は当てにするな窓際で定年する覚悟でやってくれって」

「でも家庭を持つ奥さんとしてはそれも困るけど仏心を求める承子さんには良い解決策になったのね。でもそれって奈央ちゃんは付属高校へなく希望すれば公立高校でも良いって事か」

「それだけじゃないの担任の先生から聴かされた奈央ちゃんの記述試験の解答には冷静になるとお父さんはスッカリめり込んでしまったの」

 もうちょっと早く冷静になってくれれば私は辞めさせられなかった。

史子あやこ! それって全部あたしの功績じゃないのコッソリ自分の物にしてネコババ!」

「大学の学食って凄いなあ」と清原まりやが紅茶とお菓子のセットを持って立っていた。

 この前に遠藤さんからひったくったスマホで約束したのはここだった。

 まりやはひと言断りを入れて向かい側に座った。

「あれちょっと早いのね」

「衣川さんに誘われたときは大学って聞いて静寂なイメージだったのに。お友達?」

 真美は同じ歴史研究サークルメンバーの非木川史子を紹介した。ついでに誤解の無いようにネコババに至った経緯も説明した。

「そう云う主君に仕えれば気が休まらないわね官僚組織の頂点なんて絶対君主みたいなのね」

 丹波の旧家の法事で会った控え目なまりやとは違った。でもあの時は蔵への案内を請うただけだった。ベージュのブラウスに膝丈のスカートで気取ったところもなかった。なのに官僚を批判する。どっちが本当のまりやだろうとちょっと真美は考えた。そう云えば貴族はしきたりや礼儀作法の伝承者であって政治への介入はうの昔に剥奪されていた。長年の怨念がその反動として無意識に出ても不自然ではないだろう。

「承子さんとは幼馴染みなんですね」

 と旧家で聞いた続きをせがむように真美は言った。

 承子さんから何か言われているのか、あの時と違ってちょっと身構えた。でも承子さんはと語りだして思い出していたのだと勘違いした。

 ーー承子さんとは中学の頃までで、そのあと岐阜に行ってからは解らない。最近ここ二、三ヶ月程前に戻って来たから十年ぐらいの間はあの人が何をしていたのか知らない。

「承子さんはあたし達の前に急にふっと湧いた人だから気になったけどでも今は却って知らない方が親しみを感じる」

 と史子が妙に納得した言い方をしてから持論を続けた。

「それより佐久間さんは官僚機構に組み込まれていた頃より最近は生き生きしてるけど人間無理に合わすと歪みが生じて無理に無理を重ねると破局を迎えるのね、しかも突然何の前触れもなくそれが家庭内暴力の捌け口になって一気に流された」

「そんな話をしてもまりやさんにはちんぷんかんぷんで黙って聞くしかないじゃないの」

「いえ結構面白い話で身に詰まされる。あたしの勤めているところも、あたしは府庁の職員なんですけど女で良かったと思えるの、あそこは男の世界みたい」

「へぇー府庁でも女性の偉いさんは居るでしょう」

「居るけれど仮面を被って男に成り切らないと務まらないんです。そんな部下に佐久間さんの様な人がいれば不満の捌け口にされてしまいますから区役所の苦情相談は独立してますからいいんじゃないですか」

 限界を感じる人とそうでない人の違いかも知れないまりやの話から真美はそう思った。

「承子さんはいつも着物姿ですけれどまりやさんは着ないのですか」

「お寺と府庁では違いますからでもお花を生けてますから月に二、三回は着ます」

「やっぱり清原家はそうなんだ和歌や古典にも通じてるんでしょう」

 真美はやっとこっちのペースに引き込めると非木川を尻目にアピールする。

「うちは冷泉家ほどじゃないですから」

「だけどれっきとした貴族の流れを汲むことには違いないでしょう」

「四百年も経てばねえ」と史子が口を挟む。

「向こうの冷泉家は八百年だ」と真美は制止させる。

「うちも平安時代からだとそれくらいになるわよそれとも嘘八百かなあ」

 まりやは悪戯いたずらっぽく笑った。非木川がうちは祖父の代しか解らないのにと野次る。

「ちゃんとした系図があればね」

「何処へ行ったの」

「さあ何処へ行ったのだろう戦争があるたびに蔵からなくなるのよ」

「戦争って」

「一番酷いのは応仁の乱ねあいつらは金目の物はなんでも黙って持って行く。そこへゆくと戦後の進駐軍はちゃんと代価を置いて行ったから同じ民族なんて変なところでなあなあになるのね言葉が通じないアメリカ兵は刀でなくドルや品物で交換するから蔵にあったたいてのお宝は食べ物に代わってから系図も一緒にお米に代わったのかも知れないけど」

「蔵のお宝だけど旧家で桔梗の印の甲冑を見付けたのだけどまりやさんはその言われは聞いた事はないの」

「別に不思議でないわよあの家は元々は明智の姓だったのを秀吉の追求から逃れるために土岐家を名乗ったのだから蔵に明智の家紋入りの物が有っても可怪(おか)しくないでしよう」

「じゃあ承子さんもその一族の末裔なのですか」

「まあね、この前に蔵から持ちだした物の中にヒントになる物は見つからなかったの」

「とにかく仁科くん、あっこの前一緒に居た男の子だけど彼が今カメラで複写した物をパソコンに取り込んで編集してる最中なの」

「カメラで複写したのか、どおりで山本さんって言う人が返却に来たから早いねって叔母が感心してたわ」

「あれを山本さんが返しに行ったのか、承子さんもうちのサークルのメンバーをフルに使うなあ。なんせ先生以外では車の免許を持ってるのは山本さんと仁科くんだけど彼は今複写の整理で忙しいからなあ」

「仁科さんって古文書を解読出来るんですかあたしの模写を見間違えたけど」

 とまりやは目元で笑って見せた。

「赤木先輩と一緒ですから、でも歴史を塗り替える物があの旧家の蔵に眠っているとはおもえないけれど・・・」

 非木川はいたって否定的見解だった。夢のない人ねと。でも教師を目指す人は現実を直視しないと教わる子供は気の毒かと真美はそんな風に史子を見ていた。

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