第13話 先代の和尚を訪ねる

 五月さつき空から覗く陽射しを浴びながら仁科は大学へ向かった。校門を抜けて庭を通り過ぎるとこの前と同じベンチには非木川と真美が座っていた。中央に有る花壇には入学式から次々と咲く花でこの花壇は埋められていた。平安の貴族がこぞって賀茂神社の祭りである葵祭はこの一年で一番良いこの季節にあった。それが過ぎると一年で一番憂鬱な梅雨の季節が忍び寄ってくる今がそのつかの間の青空だった。

 非木川は真美に佐久間家の家庭教師の様子を伝えていた。その二人に現れた仁科は軽いノリで声を掛けて座った。

「それで史子あやこどうだったあのお父さんは」

「真美の言うようにあの子は心配ないけど問題はお父さんね我慢すると云う事が子供以下なのはやはり苦情相談がお父さんには大きなストレスとして重くのし掛かっているだけどそこは一端いっぱしの大人なんだから踏ん切りをつけないとやって行けないわね」

「それを史子はテストが終わった日に伺ったのね」

 金曜日かと溜め息混じりに仁科が言った。

 ーーそう金曜日に勿論テストの結果を聞くだけだった。奈央ちゃんの回答例からあたしの教え方に自信を持った。気になったのは記述式の問題だけだった。奈央ちゃんは家庭内に於ける家族をテーマに考えていた。直前にテーマが変わっても彼女の基本は変わらなかった。つまり現在でも四百年前でも家族は不変だがしきたりや考え方は違った。家中心から個人中心にその違いを考えれば良いとあの子なりに記述式試験に臨んだ。出題された問題は人は追い詰められた時には何を基準にして決めるかだった。当主との主従関係はあるが多くの武将は一族の繁栄だった。当然女性も同じだが合わせて実家の繁栄も加味するが実家が滅びたガラシャには嫁ぎ先の細川家だけを考えた。史料だけを紐解くとそうなるけれど奈央ちゃんは更に掘り下げたと言ってた。ガラシャの行動はキリストの教えに反して死をもって婚家を守ったが、忠興への愛があれば生き抜くべきだが彼女は散りぬ時を悟った。

「そうね残された記録ではこの辺りから愛の形が変わったと思うけど」

「あたしもそう思うそんなものは何処にも書れてないけれど」

 確かに乱世にこの女心は絶対に書ける訳がない、残せない。

「絶対に書けないのならあたしが書きたいと奈央ちゃんが思った。それが記述式試験では思う存分に育った十五年の年輪をそこに刻んだ。そこまで先生が採点するかは別だけど。真美は予備試験での設定で親子関係についてあの子と考えたでしょうそれが影響している。父の面影に殉じたガラシャの記録が辞世の句しかないのなら想うのは自由、それでそう考えた。今のお父さんでは有り得ないけどいつかそうなればと希望がそこに込められていた」

 あたしの影響をもろに受けてお父さんへの反感が強くなり和らげる必要があった。史子の努力は取りも直さず夫人への風当たりを弱める効果を狙っていた。

「奈央ちゃんにとっては記述試験の内容の変更はそれは良いように作用したあたしが諫めたことでお父さんについてもっと深く考えるようになった。つまりプライドが高いのよ簡単に言えば意地っ張りなのよ父のそこにあの子は気が付いてくれた要するにあとは誉め殺し」

「ほう〜 そこまで到達したかあの小娘が、いや中学生が史子も大したもんだ」 

「あたしじゃないのよ克服したのは奈央ちゃんだから」

「それが丹波へ行く前に寄越した一報なの、で、夫婦関係の修復はこれからなのね」

「あの記述式試験の回答にヒントがありそうとは思わないかしら最後にあの辞世の句に行き着いたところが微妙だと思ウンだけど・・・」

 非木川はなぜ彼女が敢えてガラシャにスポットを当てたかその先を二人に促した。

 夫人がまた寺に駆け込むかは奈央ちゃん次第か・・・。

 真美はともかくまだ会ったことのない仁科にはピンとこなかった。

「なんかガラシャの侍女と共通するところがあるから面白く成ってきた」

 この侍女を研究する真美が思うところがあるように言ってきた。

「そろそろ岩佐先生の講義が終わる頃だ」

 と仁科が時計を見てタイムリミットを告げた。非木川は今日から週二回佐久間家へ家庭教師に行く。二人は今日の午後は講義ないからあの寺の先代の住職を紹介してもらうつもりでいた。

「じゃあゆっくりとあの小娘を教育に行くよ」

「家庭崩壊に繋がることは避けるのよ承子さんが一番大変なんだから」

「どうかなああの人の困った顔もみて見たい気もするけどあれだけの回答する子だから案外お父さんを上手く乗せちゃうかも知れないよ」

 立ち上がりながらそう言って非木川は行った。

 非木川を見送ったあと二人は講義室へ向かう。

「そもそも岩佐先生はあの承徳和尚さんとはどれほどの関係なんだろう真美ちゃんは一年以上も先生とはサークルで一緒だから分かりそうな物だけどなあ」

「あの寺に頻繁に行く様になったのは最近よそれまで先生は寺にある古文書は勝手に見られなかったのよ」

「承子さんに代わってからオープンになったのかそれじゃ尚更会いに行きにくくならねばいいが」

 丁度講義を終えてやって来る岩佐先生を廊下で捕まえた。

「なんだお前らはまた一緒か」と用向きを訊いてきた。

 真美が先生に先代の住職である承徳和尚を訪ねたい。そこで面識がある岩佐先生に同行を頼み込んだ。

「そうだろうなお前ら二人では和尚は会わんだろうなあ」

「そんなに気難しいですか」

「いやそうじゃないんだ調子の良い時と悪い時があるから初対面じゃその見極めを出来る物じゃないからねそこを外さなければいたって愛想のいい人だからしゃあないどうしてもならそれに仁科くんには随分と借りがあるからこの辺でまとめて返しておくか」

 先生は何か恩着せがましく言うが「寺の住職が代替わりしてから余り会ってないなあ」と時折独り言のように言うのを仁科は何度か聴いた事があった。だから丁度会うつもりらしいから同行させてもらった。決めると面倒なのかそれとも和尚さんと何かあったのか余り気乗りなさそうだった。

 大学から承徳和尚が居る介護施設にはバスで行った。バスには座席がひとつ空いてレデイファーストなのか真美が座った。その前を先生と仁科が吊り革を握ったまま通りを見ていた。

「なあ仁科くんはなんで急に和尚さんに会いに行くんだ」

「色々と伺いたいと思って」

「例えば承子さんかあの人は岐阜の人か」

「それはぼくより先生の方が詳しいでしょう」

「俺よりも仁科くん君の方が承子さんは話しやすいんじゃないのか」

「どうしてですか」

「気さくなように見えて君は口が堅いだろう余計な事は言わんだろう、だから秘密を持ってる人はついポロンと言ってしまう君のような人間に。だからひょっとしたら俺よりも詳しい気がしたが、違うか」

「それは先生の見込み違いですね承子さんに限ってそれはないですよ」

「それもそうだなああの人には君がそこまで信頼出来る人には見えないだろうなあ」

 仁科が変な顔をすると。

「いゃあこれは失敬別に確証が有るわけじゃあないから気にするな」

 と笑って誤魔化された。

 本山の寺の前で三人はバスから降りた。リハビリに励む和尚さんの施設はバス停の傍にあった。しかし手ぶらでいくのも気が引けると真美が言い出した。もちろん先生に出してもらって近くの和菓子屋さんで菓子折りを用意してさっそく病室を訪ねた。先生も女子大生には弱くてこのへんは真美ちゃんが上手くやってくれた。

 病院は寺とは別棟になっていた。更にリハビリの介護施設は病院とは別棟なので結局は降りたバス停からはかなり歩かされた。その施設の入り口で先生は「おうっ遠藤くん久し振りやなあどうや和尚さんの調子は」と若い白衣の男性看護師に気軽に声を掛けた。彼が和尚さんのリハビリの担当者だと仁科と真美に紹介した。

 遠藤さんは細面の華奢な体格だから足の不自由な患者さんをベットや車椅子に抱え込んで移す作業は大変そうだった。それを指摘すると患者はみんな年寄りでまれに肥満の人は食事療法で減量する。それに抱き抱えるこつを掴めば大した事はないらしい。

 高卒で看護師になった遠藤さんは岩佐さんの話を聞いて大学生を見ると羨ましいらしい。彼と少し立ち話をして病室へ行った。部屋は四人部屋だった。

 ここは病室と云っても失った機能を回復するまで逗留する部屋らしくみんな思い思いにくつろいでいた。退院間近の和尚さんは特にリラックスしていた。

 岩佐先生はやあと気軽に声を掛けてベッドの傍までゆくと仁科と真美をサークルの研究生だと紹介した。先生はひとつだけの椅子に座ると他の患者さんから椅子を提供されて仁科と真美も座った。

 最初部屋に入ったときは和尚さんは鋭い眼光で二人を捉えていた。それも一瞬で岩佐先生が挨拶すると直ぐに穏やかな表情になった。やっぱり先生に同行を頼んだのは正解だったと二人は視線を交わして納得した。

 岩佐先生はもっぱら承子さんについて訊くが和尚さんは認知症か痴呆症のようにのらりくらりとはぐらかしていた。その様子から二人は先生がここへ来たくない理由が薄々に判ってきた。そこへ遠藤さんがリハビリの時間だと和尚さんを誘い出しに来た。先生はアッサリと話を打ち切っておいとまするらしく仁科と真美とは途中まで同行して後事を託すらしい。

 遠藤さんは和尚さんにステッキを渡すと介添えするように部屋を出て三人もあとに続いた。和尚さんはこの前まではトレーニングルームで歩行器に掴まりながらのリハビリだったが最近は遠藤さんは付き添いで病院の周囲を散歩する最終工程に入っていた。

「もう退院は間近ですね」

「そうですねあとは自宅療養でノンビリされると良いでしょう」

 先生に合わすように遠藤さんは答えていた。じゃあわたしはここで失礼しますと先生は和尚さんに挨拶をした。

 岩佐先生は建物の玄関を出ると本当に別れて施設から病院へ向かって歩き出した。

 自宅療養で見舞いに行くより何とか退院に間に合って先生の面目も立った。仁科は感謝してもらいたいところだった。四人は先生を見送るとリハビリを兼ねた散歩に同行した。ここで僕らは先生と一緒には帰れない。まだ何も訊いてないからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る