第12話 土岐承子と清原まりや

 帰りはどっと疲れてパワステなのにハンドルが重く感じられた。力を抜いて軽く持っていれば良いが今はハンドルをしっかり握りしめている。そうしないとカーブが綺麗に曲がれないほど仁科の頭は疲労でその大半の神経を取られてしまった。つまり腕の筋肉を刺激さす神経への伝達が行き届いて無かったのだ。その原因はさっき見た旧家の土蔵にあった甲冑の桔梗のしるしが頭から離れないからだ。

 仁科と真美が旧家の土蔵ではこれといった古文書を見付けられなかった。

 せっかくお手伝いに来たのに資料がまったく揃えられなくてと真美はお詫びを言った。でも彼女は気にしていないがハッキリ言ってもらった方がサッパリして良かった。今は期待に応えられなかった重圧に耐えていた。それを見透かすように「なんせ手付かずのまま無造作に収められた蔵ゆえに難儀したでしょう」と承子さんは鷹揚に構えてくれた。だから叔母を説得して資料を持ち出しできたのは良かった。良く借りられたと思う何しろ先代の住職さんからは持ち出し厳禁と言われていた。どうやら承子さんの品格が一役買ったらしい。

 今ひとつのわだかまりはあの甲冑から浮かび上がった紋章が土岐承子さんを結びつける物は何もなかった。いや余りにも類似点が多すぎて手の付けようがなかった。それだけにあの蔵から見つかった桔梗の印がある甲冑は何故か言いにくい。深入りを避けた二人は何も見付けられなかったことにして仁科と真美は黙っていた。

 承子さんはくっくっくっと初めて声を出して笑った。そしていつもと違い袖で口元を覆うこともなかった。真美はそれを観て少し振り向いて微笑んでいた。仁科の視界に真美はいたが承子さんは見えないからルームミラーで確認した。

「何か可笑しいですか」

 仁科がミラーに映る承子さんに話し掛けた。

「二人ともあそこで何かを見付けたでしょう、あの蔵はわたしとまりやの小さい時の遊び場だったのよだから興味を惹く物が一杯あったはずよ」

 二人は目でそれはないと合図を送った。

「小さいときはここで育ったんですか」

「そうよ丹波はふるさとですの」

「岩佐先生は承徳和尚さんが岐阜へ行ったときに知り合ったと言ってましたけど」

「岐阜に居たのも確かですけれど実はこちらの方が長いのです。和尚さんは面倒くさいからその様に説明したのでしょう。仁科さん言っておきますがバイトに雇ったあたしの氏素性がお気に召さないのですか」

 今度は意地悪そうに承子さんがミラー越しに見返した。

「そんな滅相もないですよ」と仁科もミラー越しに様子見して視線がかち合って慌てて道路に戻した。

「そうでしょうねバイトに雇ったあたしの氏素性を問われるのは可怪おかしいわねぇ」

 と釘を刺されてしまった。

 仁科くんは運転に専念してと真美ちゃんにも催促されてしまった。

 これは一体何だろうあの旧家は遠縁だと言っているが手伝いに来られた清原まりやは数百年来の付き合いなんて言っていたが今では有り得ない。だが続いているのはなぜなんだろう。でも丹波は旧家だからそこそこの資料が有るはずなのにあれだけ散らかっていれば手の付けようがない。まずあの蔵から持ち帰った資料を整理するのが早道だ。

 事実あの旧家と土岐承子さんの関係はどれほど遠縁なのか、じつは近い関係なような気がする。それは清原まりやとの昔からの付き合いが問題だった。これは切っても切れない因縁の関係が続いているらしい。

「衣川さん、佐久間さんのお嬢さんの家庭教師は断られたそうですね」

ここで承子さんは佐久間夫人のその後を知りたがった。

「もうお耳に入ってますかええそうですけれどでも強力な助っ人にバトンタッチしました」

非木川史子あやこさんですか中々頼もしい人ですね」

 そうは言っても言葉の端々には否定する微妙なニュアンスが潜んでいる。この仁科の思いは真美にも伝染したのがその目で解った。

「承子さんは奈央ちゃんのお父さんにもこっそり会ってきたんですね」

「こっそりなんて堂々と会ってきましたよ」

「匿名でね」

「まあそれは否定はしませんが影のある人でしたね」

「影ですか」

「そう長い影がずっとあの人の過去まで伸びていましたそこに悲惨な過去が見えました」

「まるで八卦見の様ですね」

 そう当たるも八卦当たらぬも八卦ですとつつましい笑いを袖の袂で覆った。

「その八卦占いでどんな長い影が見えました? 」

 承子は順風満帆で航海していた船が嵐に遭って難破したそんな長い影が見えたと仁科の問いに答えた。 

 それ当たりーと真美が「あの男は子連れで企画立案する係でバリバリとやっていた。そこに惹かれて今の奥さんと一緒になった。それが苦情相談に回されてから日の目のない長い憂鬱な日々に追われたそうです」と非木川史子からの第一報を披露した。

 改善の余地はあるのだろうかと三人は思案した。

 ーー奈央ちゃんの家庭教師は順調に行っていた。担任で社会と歴史の先生が出した記述式の問題は関ヶ原の合戦の勝因もしくは敗因の問題点を書きなさいだって。最初は社会問題について生徒の考えを知ろうと思ったが何を書いて良いか漠然としてる子が多いからアニメやゲームで人気のある戦国時代にテーマを変えたらしいの。

「おいおい中学生の問題にしてはやり過ぎな気がするけど」

「面白いんじゃない格闘技なんかのテレビゲームにかじり付いてる子に実際の勝ち負けを意識さしてじゃあどうすれば勝てるのか負けないのかを考えさす。社会に出ても挫折させない主体性を持つ取り組みを今から考えさせて意思表示をハッキリさせる狙いらしいその手始めの記述試験らしいの」

「佐久間さんっちは娘を付属の女子校志望ならやっぱりそれらしい答えを並べた選択方式でいいんじゃない。それよりお父さんが学校に文句を言うのじゃないかもっと受験に役に立つ問題を作れって」

「非木川は教員課程だからそんな問題にはたまげたんじゃないかしら」

 ねえその子は何て書いたのと土岐承子さんはしびれを切らして二人の会話に身を乗り出すように聞いて来た。

 ーー関ヶ原での合戦で彼女が選んだ最高殊勲選手すなわちMVPに輝いたのは細川ガラシャさん。彼女の死が大坂城下に人質に取られた東軍の武将を奮い立たせた。あの三成の失策は人質作戦も大きな敗因のひとつになりますと奈央ちゃんは書いたって。更に奈央ちゃんは多くの人質が脱出したのに彼女はなぜ死を選んだかも書いているの。ちなみに男子生徒の多くは小早川秀秋を最大限の敗因に挙げてなぜ自軍にもっと囲い込めなかったかとゲーム感覚なのね。

「でその娘さんは死を選んだ理由を何て書いたのですか? 」

「散りぬべき時知りてこそと詠んだ辞世の句が此の人のすべてを物語っているとそう念じて人生を閉じた人だと」

「なるほど生涯に於ける散り際の辞世の句が世の中の花も花なれ人も人なれですかその娘さんは十五歳にしてそう書き綴ったのですか、ならもう一波乱有りそうですね」

 ーー非木川さんはこれは自分の家庭に重ね合わせていると言ってました。細川夫婦は本能寺の変から噛み合わなくなった。同じ様に佐久間家も夫の配置転換から噛み合わなくなったと奈央ちゃんの回答から導き出していた。

 一進一退で予断を許せぬ攻防らしいと承子さんは受け取った。

「ではまた駆け込んで来ても受け容れるのですね」

「そうよ求めよさらば与えられんですから」

「仏教と聖書がゴッチャになってませんか」と真美は訊いた。

 承子さんが佐久間家のその後を知りたがったように二人は清原まりやが気になった。

 ーーまりやさんは何世代にもわたって付き合いのある人だとあなたの事を言ってましたがどう云う関係なのか今一度聞いてもいいですか。そもそも土岐家と清原家の接点は歴史上からは見当たらないんですけれど公家の清原家は室町幕府の管領職だった細川家とは親戚筋に当たりますが土岐家はどうでしょうか。

「まりやがそう言ったのですかそれなら今の世からすれば突拍子もないお話ですのね」

「そう匂わせる言い方でしたので」

「衣川さんはかぐや姫なんですか」

 珍しく承子さんがおどけて見せた。 

「ハア? だって系図は見当たらないけど祖母からの聞き伝だと伺いました」

「それご覧なさい次々と縁組みが決まって広がって行くと何処までが親戚だが解らなくなるでしょう土岐家と清原家の接点はそんなものよ」まさか竹から産まれたなんて言えないでしょうと承子は説明した。

「それでも公家の出ならそのならわしを事細かく残しても可笑しく無いと思いますが」

「そうね今日お借りした物の中にあれば良いんだけど衣川さんも仕分けを手伝って頂ければ有難いのですけれど」

 もちろんですと真美は承諾した。

 そこでハンドルを握る仁科が枝賢えだかたって誰なの、と今一度真美に訊いてきた。

 ーー清原枝賢はしげかたって読むのかも知れないけど公卿で引退後は儒学者として名をなした人なの。その娘さんが清原いとさんでこの女性は公家の娘で宮中では正親町おおぎまち天皇の後宮の女官筆頭でのち細川家に務め明智たまを迎えてそのガラシャの侍女となった人なんです。

「まりやにもその血が流れています。仁科さんがうちの書庫で目にした薩摩守忠度の辞世の句の写しあれを当時のままの筆跡で書いたのはまりやですから彼女は今も十字架を背負って生きてます」

「十字架それは何の贖罪しょくざいなんです」

「四百年前ある人の死を止められなかったそれが侍女頭がしらが犯した贖罪です」

 ーーでも女は物じゃない愛に生きてどこが悪い "花も花なれ人も人なれ" ですから。

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