第10話 土岐承子の法要

 大学門前の通りは車の往来が少ないから週末にはジョギングや犬の散歩等でブラブラと歩く人が多い。そこで目立たぬように校内へ入ったところで真美ちゃんと待ち合わた。

 仁科の目は校門に釘付けになり真美の来るのを待った。そこをいきなり後ろから肩を叩かれた。岩佐先生と真美ちゃんが並んで立ってた。

「よう、週末はデートか」

 仁科はこれから仕事ですと突っ返した。

 丹波までの往復でしかも土岐承子さんと衣川とならドライブみたいなもんだと運転手のバイトを揶揄した。

 仁科がなんで先生と一緒なんだと真美に目で訴えた。

「仁科くんを驚かそうと正門でなく向こうの門から入ろうとしたら先生とかち合ったの」

「さっき聞いたが何だお前ら日本文学を受講してるのか、歴史研究サークルとしては妥当だがあの講師は良くないぞ」

 ーーあの日本文学の講師は紫式部一点張りで良くない。(仁科・それじゃあ競馬のオッズじゃないか)俺は物語で一番面白いのは何と言っても井原西鶴の好色一代男に尽きる。先ずは和歌を交換して知性を確かめてから交際を望むそんな貴族の物語なんて、先ずは言葉を交わして直に付き合うそんな物語こそが庶民に認められるそれが文学だと思わんか。まあ聞け! あの高尚な源氏物語と好色一代男には共通点が多くある。所詮男女の恋は紙一重で変わりない。常識は破るためにあるこれが西鶴が貫いた変人の言う信念なのだ。源氏物語の光源氏と好色一代男の世之介は似て非たるものだが。共通点があるそれは女たらしい、いや失礼、激しいこれも失礼、豊富な女性遍歴にあると言いたい。

「あっ君たちはあの寺へ行くんだろう俺は所用でここで別れるから土岐承子さんにはよろしく言っといてくれ」

 先生は時間に追われるように話し途中で校舎に消えて行った。

 二人は呆気に取られて先生を見送った。

「真美ちゃんは先生に何を言ったんだ」

 ーーこの前の日本文学の講義だけどなんであの先生は紫式部びいきで他に進まないと岩佐先生に聞けば。あいつはモウとっくに教授になっても可笑しくないのに未だうだつが上がらないのはそこなんだ。講義と趣味は違う公私混同なんだ。なんぼ言っても持論を曲げないそこがあの男の救われない悲劇なんだ。それでも貫くアホなロマンチストだ。目を覚ませと言いたいよだって。

「先生はちゃんと言うことは言うんだ」

「でも仁科くん、これにはまだ続きがあるの」

 ーーこの前の日本文学概論だけど岩佐先生にしてみれば何が紫式部だとお高くとまってんじゃないと云う。そもそも紫式部と井原西鶴は何処が違うと大見得を切るんだからぶったまげた。次々と女をものにしていくところは全く同じだ。読者は王朝貴族や武家とかたやドブ板長屋の大衆や商家の大棚等の一般庶民なんだ。やんごとないお姫さんと町娘の違いだろうが色恋はやる事は一緒なんだともったいぶってる。源氏物語の紫式部に野次を浴びせてるんだ好色一代男の井原西鶴は。とここまで岩佐先生が論破すると式部狂いの日本文学の先生とはもう取っ組みのケンカ沙汰で二人とも一晩警察の厄介になったそうだ。岩佐先生の奥さんなんか新婚早々で警察に身元引受人に出向く始末で前途波乱の新所帯ですよ。二人の先生は双方の奥さんから小言を言われたの。

「そんな先生のいる大学のキャンパスなんて大したもんじゃない、そこへ学ぶ我々はどうなんだろうね真美ちゃん」

「そんな事こっちへ振らないでよ向学心と結婚願望が一遍に吹っ飛んじゃうじゃないの」

「あとの結婚願望は吹っ飛ぶと困ります」 

「あたしは困らないわよ」

 と男は星の数だけあると言いたげに真美にそっぽを向かれた。

 仁科はこれでルンルン気分を帳消しには出来ない。ここで話を修正する必要に迫まれた。

「今日行く旧家とはどう云う関係なんだろうね」

 ーー岩佐先生の話ではそれは先代の住職の承徳和尚の関係の旧家だから同行したいがあいにく講義があり断腸の思いで断った。こうなると断腸の思いもこう軽く扱われては意味不明になりかねない。

「そもそも仁科くんは岩佐先生に言われてあの寺へ薬草を採りに行ったのでしょうその先生が土岐承子さんを知らないなんてどう云うこと? 」

「そんな事聞かれても先生に聞いてくれまさかあんなに若い女性だとは知らなかったようなんだ。寺を任される人は仏門に入って修行僧になる。その者の中でも承子さんはそんな修行を積んだとは見えないからなあ」

「人は見掛けに寄らないものなんて外見で決めるのは仁科くんの悪い癖ね」

 寺に着いたらさっそく椹木が出て来て用件を取り次いだ。二人は土間の三和土たたきから板の間に上がる間にある上がりかまちに座り込んだ。

「そもそも先代が脳卒中で倒れた後がまが何で土岐承子さんなの? 」

 真美が急に素朴な疑問を投げつけてきた。

 余りにも素朴過ぎて全く糸口が掴めなかった。

「先代の和尚と懇意だった岩佐先生ですら名前は知らなかった人だから誰も知らないみたい」

「さっきのおじさんに聞いてみたら」

「多分何も言ってくれないだろうあのおじさんは人でなくこの寺に仕えてる身だから住職が幾ら代替わりしてもおそらく何も不思議じゃないんだろう」  なんせ介護施設に入った先代の住職は彼女を後継者に選んだ経緯を今ではスッカリ忘れていた。それどころか自分が住職だったことも否定する日もあった。とにかく時折想い出したり忘れたりして、その浮き沈みが激しい中途半端な痴呆症を併発してしまった。しかし岐阜に居た姪っ子を後継者に選んだ記憶はハッキリしていた。がその経緯と素性は実に曖昧だった。

 土岐承子さんはいつもと同じ和服で出て来た。もっとも寺の住職が洋服で法事を務める訳がないが黒い衣装でなく今日はやはり薄紫に鮮やかな菖蒲があしらった着物だった。

「まさかそれで法要をされるのですか」

 彼女は意味ありげな笑いを浮かべて床に置いた紙バックから丈は短いが厳かな柄のエプロンみたいな五条袈裟を取りだした。

「仏壇の前ではこれを前掛けのように首から下げて着けます」と他に木魚と叩き鉦を揃えると「皆さんもほとんどが平服ですから、あら真美ちゃんも来てくれたの」と二人に分散させて荷物を持たせてこれで雇用関係が定まった。

 これからレンタカー屋へ車を借りに行くのか。そこまで何で行くのだろうと思案する間もなく彼女は近くのコインパーキングに駐めてある車の前で止まった。まさか此の人がカーシャアリングに入会しているのか。

「これって借りるのに免許が要るでしょう」

「無いから仁科さんに頼んだのですよ運転できれば頼みません。まさかドライブに誘った訳じゃありませんからあなたのお仕事です。それと隣の助手はあなたが頼んだのですね」

 さも真美ちゃんをボランティアのように言った。

「車の運転より免許なければ入会できないでしょう」

「前の和尚さんのをそのまま使ってます」

「良いんですか」 

「それに先代は住職なる前はあたしと同じ苗字ですから」

 と土岐承子さんはちょっと躊躇ったが説明が面倒くさいのか関係をばらした。

「そうだったんですか承徳和尚さんの俗名が土岐家なんて岩佐先生は知ってるんですか? 」

「知ってるのはここの二人だけですから他言は無用です。何か起これば寺への出入りを禁じますそのように椹木に申しつけておきます。だから良いも悪いも乗ってみれば判ります」とドアを開けて二人を前に彼女は後ろに乗り込んだ。

 それはそうだ車が使えれば問題はないはずだ。

 承子さんから受け取ったカードをフロント部分に差し込むとエンジンが掛かった。あとは普通の車と同じだった。ハンドルは仁科が握り助手席に真美ちゃんが座り後部座席に承子さんが座って車は走り出した。

「仁科くんはいつ免許取ったの」

「十八と同時に申し込んだから三年ほど前か」

「偉いね学生でしかも一回生で車の免許持ってるなんて」

 高卒前に大学生としてやって行けるかと受験の合間にこれさえあれば喰っていけると取った車の免許で一浪の励みにもなった。それを真美ちゃんはごっちゃにして褒めてるのか貶してるのか分かりづらかった。

 車は洛西から京都縦貫道に入った。寺から国道と高速道路で一時間半ほどで着いた。

 この前の周山城は一般道路ばかりだったが今回はその三倍の距離でもさすがに高速道路は楽で早かった。

 高速道を下りて由良川沿いに暫く走りそこか山裾に向かって少し入った。そこは田んぼの中に家が点在する小さな盆地だった。その中でひときわ大きい一軒が目指す家であった。

 周囲を田んぼに囲まれた旧家は茶色の築地土堀に囲まれていた。南側の中央の門から車をそのまま乗り入れた。車を降りて到着した旧家の門に書かれた土岐と云う表札を見て仁科は真美と一緒に驚いた。

 この家はと振り返ると承子さんは一応は親戚の家ですと笑って答えた。

「どう云う親戚? 」

「さっきも言ったように遠い親戚なの」

「どれぐらい」

「四百年ぐらい前の親戚かしらもっとも分家したのは明治時代と聞いています」とさらりと言ってのけた。

 時代より血筋を聞いたつもりだったがまあいいかと仁科は腹に収めた。

「承子さんは岐阜の土岐家ですよね」

 ダメとばかりに歴女の真美が聞き出した。

「別に土岐家は美濃と決まってませんから、そもそも律令制では全国にある荘園の国守は朝廷から任命された者が都から赴任するのですだからその末裔ですから」とまた躱された。

 気を紛らわして門から玄関に続く脇の草を見てここにも桔梗があると仁科が言った。

「何言ってんの草ばっかりで何処にも花なんて咲いてないわよ」

 いい加減な奴だとげんなりに真美は言った。

「あれがその桔梗で来月の終わり頃かな花が咲くのは、で秋まで咲くから秋の七草になってる」

「よく知ってるのね」

 仁科はまあねとそれは以前に承子さんに教えてもらった。それを得意気に言う仁科を見て承子は口元を袖で隠して薄笑いを浮かべた。

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