第5話 寺に駆け込んで来た女

 先代の承徳和尚しょうとくおしょうは寺での岩佐のサークル活動を著しく制限していた。しかし土岐承子は打って変わってある目的を秘めて積極的にこのサークルを利用した。

 翌日には複写を頼まれた仁科はカメラを持って大学で真美と待ち合わせをした。二人は落ち合うと長閑な山里の路を歩いて寺へ向かった。仁科はピクニック気分で真美と並んで歩いた。良いカメラね高かったんでしようと言い出すと仁科は真美の写真をこの時とばかりにと何枚か撮りだした。その内に調子に乗ってポーズの注文を付け出すとさすがの真美もそれどころじゃないでしようと一喝した。諦めて仁科はカメラを仕舞った。

「ところで何で俺達ばかり手伝わされるの」

「しようがないでしょうみんなバイトとかち合ってるんだから」

 オモチャを取り上げた子供みたいになった時はさすがに悪いと思ったが、それを顔に出すとまたカメラをいじりそうで堪えた。

「真美ちゃんはどうなの」

「あたしは中学生の家庭教師のバイトがあるわ」

 ーー週一でテストが近付くと特訓でその家に通い詰めるらしい。どうやら親が目指す名門大学へエスカレーター式に進める高校を受験するつもりらしいが本人は何処吹く風でいるから真美は親と本人の板挟みで苦労していた。

「それでもその家に家庭教師として行ってるんだ」

「そう最初はねえ、でも途中からこれはその女の子の意識改革なのだと同調したのよ」

 順位を付けないで平等に扱うそんな競争を避ける親の気持ちも分かるが、社会へ出ればそれは競争でなく闘争の現実が待っている。今から楽してどうすると言いたい。

「それでその子はどう変わった」

「まだその過程だけど彼女はあたしの考えを認めてくれたけどそれで母親から娘が体を壊したから暫くはお休みさして下さいって言われて、それからズーとお誘いがないのそうなると体を壊したからって言うのも口実の様な気がして、そうなると段々信頼が薄れるでしょう」

「さあ容態が悪化して家庭教師どころじゃないのかも知れない」

 仁科は真美が教える女の子にも家庭教師のバイトにも関心が低かった。熱意がないと受け止めてたらしく彼女はこの話題を切り上げた。代わりに土岐承子さんに話題を変えると乗ってくるのにいささか閉口した。

「どうしてもあの人に関心が行くのね」

「それゃあ今サークルでの活動に大いに関わってる人だからさあ」

 どうも怪しい。彼はあたしが勧誘した時は歴史研究にさほどの熱意が見受けられなかった。それでも部員数が足らないから積極的なアピールとあたしの容姿も気に入ったようで入部した。そもそも他の部に比べると華やかさがない。校門で別の新入生に古文書のコピーを見せた反応が酷かった。これはシルクロードの果てに辿り着いた中東の文書と言ったのにはジョークでも呆れた。あの新入生は源氏物語の原文の一部も見た事が無いのか、それで文学部に入学するなんて。仁科くんはそこまで酷くないが古文書の解読に苦心しているのは確かだった。

 それにしても土岐承子さんは苦もなく現代の手紙のようにスラスラと読んでしまった。あたしは筆跡と書き順を辿りながら読むのと大違いだ。岩佐先生も難しいところは前後の文脈から読み解く場合もあるが、誰の力も借りずに読んでしまう。一体あの人は岐阜で何をしていたのかしら? 。それを仁科くんに訊くと「そんなもんじゃないのか」と自分の解読力を無視して答えたのには呆れた。

「もっとしっかりと承子さんを見てよ」

「ちゃんと見てる」

 ーー承子さんの土岐と云う苗字は歴史研究サークルの全員が気になっていた。それを先生はズバリ訊いてくれてみんなのモヤモヤもこれで解消された。けどまた新たな謎が生じて仕舞った。しかしそれを更に追求できるのは岩佐先生でなく仁科くんしかいない。これはみんなが一致した意見だった。だから土岐承子さんに目を眩ませてる場合じゃあないからしっかり見てよ。

 ーーどうしてぼくなんだ。

 ーー土岐承子さんのお気に入りなのよ。

 ーー真美ちゃんはほんとにそう思ってるの。

 ちょっと嬉しそうな顔になったのが癪に障った。だから否定してやった。

 ーー思うわけ無いでしょう。と言っては見ても何処か彼女は自信なさそうだった。

 土岐承子の正体に迫りたい歴史研究サークルの面々が白羽の矢を立てたのが仁科で、それをバックアップするのが真美ちゃんだが。ここはしっかり補佐しなければ。

        *

「あらさっそく来てくれたの」

 承子は相変わらず紫色の着物だが一輪挿しのような桔梗の花柄が左肩と膝当たりにあった。通された座敷では丁度良いわとさっき檀家の人が持って来てくれた五色豆を「どうぞ召し上がれ」と出して今お茶を煎れますからと急須から湯飲み茶わんに袖の袂を押さえて注いで二人の前に置いてくれた。それが絵になった。

 一口そそると得も言われぬ味が喉を通った。

「どおぉ、新茶のお味は」

 承子も湯飲み茶わんを両手に抱えて一口付けてから尋ねた

 結構なお味でと真美は茶道のお点前のように応えた。それを観て仁科は笑いを堪えた

 お似合いなのねと承子が言うととんでもないと真美は否定した。

 あらっ、そうかしらと承子がしとやかに笑うと。

「ただの友達です! 」と真美が素早く言い返した。

「じゃあ仲のいいお友達ね仁科さん一人では難しいと複写のお手伝いに来られたのでしょう」

「そう彼が闇雲に複写をしても仕方がないでしょう」

「じゃあ衣川さんは古文書の価値がお解りなのね、当時の書き物は昔の暮らしの状態が分かるからけして無駄な文書はないのですよ」

「でもこの前は先生に証文とか借用書ばかりだと嘆いていたでしょう」

 鋭い質問と承子は袖で口元を隠して微笑んだ。

「それは江戸時代の安定したときですから問題が少ないですけど、不安定な戦国時代だとどんな些細な証文でも争い事の種になり得ますから。それにその年の米の出来具合も解るでしょうそれによって争い事も起こる。戦乱の種はそう云う小さいところから起こりますからどんな些細な証文からも目をそらさないようにして欲しいのです」

 と言いくるめられた。

 さっそく奥の書庫でこの前に整理したところから複写を始める。先ずは一枚を手に取るが日付も場所も名前らしきものはなかった。ひと目見てこれは大した物ではないんではと思うと複写が無駄に思えてきた。そうなると何処から手を付けて良いか解らない。

「真美ちゃんは古文書は少しは読めるんでしよう」と助けを求めた。

「あたしも自信は無いけど岩佐先生によると字の書き順を憶えなさいって云うのよ」

「書き順書き順と言うが他に手立てはないのかトホホ」と指をなぞってみた。

「そうなの、そうなぞって行くとそこそこの崩し字は解明できる。仁科くんもペンでなく毛筆でペン並みに書こうとすればこんな字になってくるわよ」

 久し振りに真美ちゃんに褒められると有頂天になってくる。

  ゆきくれての下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし

 仁科が埋もれていた古文書の棚からこんな感じかと何気なく抜き取った文書を読んだ。

「それって薩摩守忠度さつまのかみただのりの辞世の歌じゃないの鎧の袖にしたためて布に書いたいたものだから模写に違いないけどでも凄い誰が書いたの、何処にあったの」と慌てて真美が傍に寄って来た。

 ここと仁科が指摘した場所は最近になって無造作に置かれて所だった。しかも紙も習字の書道半紙みたいで新しすぎた。こんなとこに置くなと丸めてほかした。

 そこへ散らかさないでと承子がやって来た。え! 今始めたばかりなのにと突然の来訪に二人は驚いた。

「衣川さんあなたは佐久間さんをご存知ですか? 」

「はい? あたし知る限りではバイト先の家庭教師の奥さんがそんな名前の人です」

「そうその人がこの寺へ助けを求めて来ました。知ってる人かどうか確かめて欲しいの。もしその人なら衣川さんあなたお話を聞いてくれませんか」

 二人は部屋へ戻るとそこには四十代で血相を変えた女が居た。ひと目見て佐久間さんだと解った。向こうも安堵して表情を緩めた。

「佐久間さんどうしてここへ? 」

「真美ちゃん、会えてよかった」

 佐久間は再び眉間にしわ寄せて険しい顔に戻った。

「真美ちゃんはうちの主人には最初の時にお目に掛かっただけでしかも言葉も少ないから印象が薄いでしょうけれどあれでかなり傲慢な性格なんです」

 ーー娘の教育で真美ちゃんが家庭教師に来てから娘が余り物怖じしなくなった。それは頼もしいとあたしは思った。でも公務員の主人は窓口で市民から受ける抗議に頭を下げるのが気にくわない。それで家ではその反動で傲慢な性格に変わるんです。だから従順な娘はあたしと違って可愛かった。それが最近は反抗的になってとあたしに暴力を振る様になってもう限界でした。そこで相談したいと大学でやっとあなたを見付けましたがお一人じゃないのでここまで後をつけてきました。

         

 

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