第2話 サークル活動
仁科は講師の岩佐先生に指示された薬草を持って翌日にはさっそく大学のサークルにやって来た。驚いた事にサークルの誰もがそんな講師の嗜好を知らなかった。これにはみんなより仁科の方がどうなってんのと驚いた。
この日の話題は大学の近くにそんな古い寺があるとはほとんどの大学生が知らなかった。だが知る人ぞ知る隠れた古刹らしい。ましてやそんな寺の薬草園の存在すら初耳だった。それよりも新しい住職が若い女性だと云う方に話題が偏った。でも地元で暮らして居る者には桔梗の花が咲き乱れる寺として知られていた。
山間部に在るこの大学は平らな所が少なく、従って建物と建物の間を階段でつないでいる。だから建物の上階にある歴史研究サークルの部屋からは見晴らしが良かった。校門から直線だと僅かだが高低差がある分だけ体力を必要とした。これは歴史研究は自分の足で調べろと云う岩佐先生のありがたい教えだった。その部屋に今日は山本を除くみんなと云っても六人が集まっていた。
「どうでしたの例の寺は、裏山に本当に先生が言うような薬草が自生しているんでしょうか?」
サークルで真っ先に聴いて来た人が真美だったのが仁科には天にも昇る心地だった。
そう云えばサークル仲間の
岩佐は歴史研究サークルの顧問でその
「今じゃあの寺をよく知っているのは真美ちゃんと先生だけだよね、その真美ちゃんでも薬草園は知らなかったんだ」
「だって玄関から古文書のある奥の部屋まで真っ直ぐ行ってメモして帰るだけだもん」
「それだけ」
「それだけ、だって見てもよく分からないから先生に指示されたところだけチェックしてあとで先生が確認しに行くの」
この歴史研究サークルは全部で七人しかいなかった。女二人男五人で、この日集まったのは六人だった。そのメンバーから代替わりした寺の様子を見に行くのは仁科が最初だった。
顧問の岩佐先生がやって来ると私語は遠退いた。
岩佐は薬草を持ち帰った仁科から寺の話を聞いて代替わりした新しい住職に関心を持った。
「ほうそんな若いんか、しかも魅力的な女が後釜に納まるやなんてそんな話は聞いてへんさかい歳は聴かなんだ。どうせ寺を任されるのやさかいそこそこの年季の入ったおばはんやと思っていたがそりゃ今度挨拶に行かんとあかんなあ」
と岩佐は持ち帰った薬草などそっちのけで根掘り葉掘り女の事を訊いた。
これを聴いた歴史研究サークルの面々も特に女性に恵まれない男子学生は先生に劣らず関心を寄せた。また鼻の下を伸ばしてと二人の女子大生に言われては話を持ち帰った薬草に変える必要に迫られた。しかし薬草の話は続かずまた女の話に戻った。
「あの寺の先代の住職とは長年の付き合いで懇意にしているから代替わりしたのであれば挨拶に行くのは当然、とはいえ寺自体には変わりはないから仁科の話から歴史研究は今までどおり活動して差し支えあるまい」
どうしても話しがそっちへ行くから仁科は持ち帰った薬草をさっさと先生に渡した。岩佐はそれを確認するでもなく段ボール箱にしまい込んで隅に置いた。何なのそれはと呆気に取られた仁科はそこで気を惹かす質問をした。
「でも恋煩いの薬草なんて先生は聞いた事ありますか」
「何じゃそれは ?」
薬草をしまい込んだ岩佐が今度は逆に呆気に取られた。
「土岐承子さんから伺いました」
「土岐承子となあ、そりゃ俗名だなあ、住職じゃないなあ。誰だそれは」
ハァと仁科は引けてしまった。
「それがさっきまで噂していた女性で、れっきとした北方寺の住職でしたよ。それで向こうはぼくの名前を知ってましたよ岩佐さんから聞いてますって言ってましたよ」
「先生ご存じないのですか、それじゃ引き継ぎはどうなってるんです。事の次第によってはこの研究会の存続も危ぶまれませんか」
突っ込みの好きなの西谷が質問した。多くの古文書が保管してあるあの寺の存在無くしてはサークルの活動は有り得なかった。
「いや先代の住職から修行を終えたばかりの新人が来るとは知っていたが名前までは聞いてなかったがそれゃあ益々行って確かめにゃならんなあ」
ーーしかし彼女は歴代の住職が収集した古文書の研究を兼ねて来たから歴史にはかなり詳しいと聴いていた。大学の今までの歴史研究サークルはその補填的要素が強かった。
「先生は美人かどうか確かめたいのとちゃうか」
別の生徒の北山が言う。
仁科は最近この歴史研究サークルに入ったのはここの女子大生の衣川真美に声を掛けられたからだ。彼女は面長に整った眉の下にやはり古風な切れ長の目だが見開くと大きく輝く瞳が目立った。そこに心を惹かれた。その彼女はもう一人女学生の
「先生それで前の住職は何処へゆかれたのですか」
西谷がまた質問した。
ーー脳梗塞で倒れて右半分が麻痺して御経もろくに上げられんようになった。今は本山寺の敷地にある介護施設でリハビリ中だった。
「それじゃあもうあの寺には戻れませんねぇ」
ーー究極のあの寺に抜擢されたからさぞ究極の修行をマスターされた高層であられると思っていたのだがここに居る仁科くんの斥候情報によるとかなり修正を余儀なくされた。
斥候ってなにって小声で
「まず本体が行く前に先の情勢がどうなのかあらかじめ下調べをする先発隊。それを仁科に任された。と云うか今やこの寺はすべての大学関係者からは眼中に入っていなかったんだ」
ーーそもそもこの大学の敷地そのものが北方寺の寺領だった。だから大学も宗教法人が経営していた。寺領と云ってもそのほとんどが山間部に含まれていて大規模な宅地開発には不向きであり今日まで大学以外はほとんど開発されなかった。だから大学は敷地がアップダウンに富んでいても住居ではないから問題視されない。その為に大学はかなりの敷地を占めてしまった結果以前の母屋だった寺が離れの様になっていた。その寺は開発されなかった西の果ての小高い丘の中腹に取り残されそこから山手に向かって薬草が繁茂する場所だけが残った。
「お寺がそんな広い敷地を持ってたの」
ーー天龍寺も昔は嵐山一帯まで持っていたし、南禅寺も岡崎の平安神宮あたりまで持ってた。数え上げたら切りがないそれは明治以降に
「さすがは四回生の赤木くんは詳しいなあ」
「じゃあ赤木先輩はあの寺には行ったことがあるんですね」
非木川がまた隣の赤木に訊く。
「仁科くんと一緒でサークルに入った頃だけであとの西谷に北山は一度も行って無いよ、今日は居ないが山本も俺と一緒で始めの頃に数回行っただけだ」
「じゃあ先生以外は知らないんだ」
「衣川が代理で最近行かされたらしいよ」
赤木と非木川の話を聴きながら仁科は衣川に寺へ行ったか訊いた。衣川は行ったと言うが土岐承子と云う女性は知らないしあの寺男しか居なかったと答えた。
「ホウ、土岐承子と云う新しい後任者を知っているのは仁科君だけか」
岩佐は土岐承子は謎の多い女性だと仁科は言っていたが、うぶなあいつと俺では女に対するキャリアが違う、そんな女がいればお目に掛かりたいとタカをくくっていた。それが高揚すると益々もって仁科が言う寺の新人の女に興味を持った。
しかし仁科の報告から大学内では学業に身が入らず暇をもてあます学生たちに、感染源が解らないまま噂が急速に広がった。
歴史研究サークルに関連のない全く席もない学生までがこの寺に様子を見に頻繁にやって来た。庭を見る程度でさすがに本堂に上がり込む勇気と度胸を持ち合わせた者はいなかった。それは寺男の椹木の威厳に圧倒され歴史研究サークル以外の人は誰も彼女の傍へ歩み寄れない。岩佐を始めとする歴史研究のメンバーはほとぼりの冷めるまで寺には行きにくかった。それが土岐承子と云う女を神格化させた。
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