第3話 到着
かくして、百物語の日は訪れた。
天気は晴天。僕は一足先に帰郷して父と共に実家を片付け、ほかのメンバーは東京から連れ立ってやってくることになった。
駅で合流し、地元っ子の父の案内で昼食、その後城址やワイナリーを観光し、酔いが覚めてから近所の銭湯に行って、早めの入浴と洒落込んだ。
そして午後5時過ぎ、僕たちはいよいよ会場となる我が家に戻ってきた。
「深沢くん家、広いねぇ」
赤池さんが感心したように言った。紺色のチュニックに水色のスキニーパンツを合わせ、湯上りの髪をお団子にまとめている。耳元に金色のピアスをつけていて、彼女が顔を動かすたびに鈍く光った。
「田舎だからだよ。特別広くもないって」
僕は自分が褒められたわけでもないのに、照れながらそう答えた。
実家の庭はケヤキやらカエデやら笹やらが思い付きのように植えられ、それぞれに葉を茂らせている。どこから持ってきたのか、苔のついた石の蹲や手押しポンプなども置かれているが、こいつらは単なる置物で、使われているところを見たことがない。
「すげぇ! レトロ!」
「トトロっすね、トトロ!」
同じゼミの同級生の加藤と、二年の国生が、楽しそうに手押しポンプの写真を撮っている。国生は井上の「心霊動画観賞仲間」で、やはり怪異を求めて参加した輩だが、加藤は怪談よりも女子に惹かれてきたクチだろう。
父は眩しそうな顔で、大学生の一群を眺めている。元々ホスト役をするのが好きな父だが、それにしても今回はそれに甘えて、結構働かせてしまった。
「父さん、疲れてない?」
そう尋ねてみると、青いポロシャツを着た父はにっと笑った。
「いや全然。若返ったみたいで楽しいよ」
「色々頼んじゃって悪かったね」
「気にするな。それに父さんな、いっぺん百物語をやってみたかったんだ」
父にそんな趣味があったなんて驚きだ、と思っていると、父は照れ臭そうに笑って、
「母さんが出てこないかなと思ってな。100話語った後にさ」
と言った。僕は急にひどく寂しくなって、何も言い返すことができなかった。
会場となる離れは、その無秩序な庭の片隅にひっそりと建っていた。四角い箱の上に斜めの屋根を載せたような外観で、玄関は格子戸のついた引き戸になっている。
「うちの亡くなったじいさんが70歳のとき、宝くじでちょっとまとまった額を当てて作ったのがこの離れだよ。勝手に全額使い切ったもんで、ばあさんと大ゲンカになったけど」
父が笑いながら、皆に離れを紹介した。
「素晴らしい会場っすね!」
井上がスマホを取り出し、反復横跳びのような動きで離れの写真を撮り始めた。こいつは今日、一滴もアルコールを摂取していないはずなのに、さっきからテンションがおかしい。
「先に母屋で飯にしようか。ほら、入って入って! 庭は蚊が出るからね」
そう言って、父が皆を母屋の玄関に誘導した。
「お邪魔します」
小泉さんが三和土に揃えて置いたのは、変わったデザインのパンプスだった。つま先が割れて、地下足袋のようになっている。
「ずっと思ってたんだけど、小泉さんの靴、面白いね」
さらっと声をかけたのは、唯一の四年生である遠藤さんだ。『黄沙旅団』の俳優兼演出家である彼は、今日のメンバーの中ではダントツのイケメンで、僕と違って挙動不審にならずに小泉さんに話しかけることができる。
「足袋パンプスっていうらしいですよ。楽だし、歩きやすいんです」
「じゃあ今履いてるのって、もしかして靴下じゃなくて足袋? さっきから足袋っぽい靴下だなって思ってたんだよね」
「そうなんです! 夏用のレースの足袋」
そういえば遠藤さんの専攻は近現代の服飾史だったな、と僕は思い出した。ちなみに今日の小泉さんは、薄い青色のTシャツに紺のサルエルパンツ。まさか足袋を履いているとは思わないスタイルだ。さすがに遠藤さんはよく見ている。
小泉さんと遠藤さんは、浴衣だとどうだの、紗はどうのと着物の話を始めてしまった。小泉さんとお近づきになりたい様子の加藤には、くちばしを挟む隙がない。
「祖母が茶道の師範なんで、結構いい着物持ってるんですけど、私、全然サイズが合わないんですよね。くれるって言うけど残念」
そういう彼女の身長は170センチ以上で、手足も長い。確かにおばあちゃん世代の着物は体に合わなさそうだ。
「なるほどぉ、確かにおばあちゃん世代って、いっぱい着物持ってる人いるよね。私、チビだからいけるかなぁ」
そう言いながら赤池さんも、子供用みたいな大きさのバレエシューズを脱いだ。
父が近所の中華料理店から取り寄せておいた夕食は、好評のうちになくなった。一応、父には三浦が各自から徴収した合宿費を渡すことになっているが、それを考えても足が出ている気がする。父は、来客がよっぽど嬉しかったようだ。
それはともかく、いよいよ次は百物語である。
「じゃ、俺と深沢で準備に行くか。俺は主催だし、ここはお前んちだし」
三浦がそう言って立ち上がる。唯一の一年生である我妻が、「自分も手伝いますよ」と手を挙げた。
「いや、そんなにやることないから大丈夫だ」
「そうですか? じゃ自分、ここ片付けますね。おじさん、これキッチンでいいですか?」
日中から思っていたが、よく動く奴だ。我妻は新聞部の部員で、お兄さんから譲ってもらったという自前のデジタル一眼を持参していた。三浦は彼に、あわよくば心霊写真を撮らせようとしているらしい。
僕と三浦は暗くなりかけた庭に出た。夏の太陽が、いよいよ完全に沈もうとしている。
「ワクワクするなぁ」
三浦が言った。それに同意するように、庭木が風に揺れてザワザワと鳴った。
「いよいよ三浦くん念願の百物語というわけだ」
「そういうわけだ」
離れは入ってすぐに板の間があり、小さなキッチンとトイレに続くドアがある。その奥が八畳間になっており、古いエアコンと座卓、シンプルな壁掛け時計のほかにはほとんど何もない。今日は端っこに寄せられた座卓の上に、ペットボトルのお茶やジュース、紙コップ、スナック菓子などがしこたま載せられている。
「キッチンに湯沸かしポットがあるから、コーヒーとか飲みたくなったら使ってよ」
僕はそう言いながらエアコンのスイッチを入れた。少し怪しい音を立てながらも、エアコンは涼風を吹き出し始めた。
「窓はカーテンじゃなくて障子なんだな。いいねぇ」
三浦が障子をからりと開けた。
「おっ、すごい圧迫感」
「すぐ塀だからね。何でこんなとこに窓作ったかな」
「まぁエアコンあるし、あえて開けることもないだろうな」
三浦はそう言いながら元通り障子を閉めた。
座布団を円形に並べ、その中央に例のライトを置く。10個すべてを最大光度にすると、部屋の電気を消しても結構明るい。
「よし、じゃあ皆呼んでくるか」
満足そうに呟いて、三浦が立ち上がった。
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