団地妻 冷たい肌の女
クリーニング屋の男は、呼び鈴を鳴らした。その音は特に大きすぎるわけではなかったが、集合住宅全体に鳴り響いたような気がした。誰かに見られたからといって、怪しまれるわけはないはずだ。クリーニングが終わったばかりのカッターシャツを配達に来ているようにしか見えないはずだ。男が、この部屋の女と不倫関係にあることは誰も気づかないはずだ。そもそも都会で生活する人間にとって、他人の生活に関心はない。隣の部屋の住人の名前さえ知らないのだ。
カチャリとロックが開く音がした。男は、クリーニング屋です。頼まれていた分ができましたので、お届けに参りましたと言って、部屋の中に入っていった。
女と関係を持ったのは、昨年末だった。それまでも何度かクリーニングの配達に行き、客としての面識はあった。何度か会ううちに、世間話をするようになった。女は、四国から旦那の転勤で越してきたので、知り合いが少なく、寂しいのだと笑った。男は、その物憂げな表情に惹かれ、気づいた時には女を抱きしめていた。さして女は抵抗することもなく、男のものとなった。それから週に一度、逢瀬を重ねるようになった。
女の肌は冷たく、ひんやりとしていた。男が、「冷たいね」と言うと、女は「生まれつきなのよ」と部屋の角をぼんやりと見ていた。愛の営みの後、男は女の肌に触れるのが好きだった。ひんやりと冷たい肌だった。しっとりとした水分を保ちつつも、ざらざらとした肌だった。
女は、細かった。無駄な脂肪はなく、女性にしては珍しく筋肉質だった。少しつり目で、大きな口をしていた。唇は薄く、少し長めの舌が接吻の時に、絡みつくのが男にとって魅了的であった。
女は、数匹のハツカネズミを飼っていた。旦那の帰りは遅く、普段はネズミたちの姿を見ながら、ぼうっと過ごすのだそうだ。ハツカネズミは子どもをよく産んでいたが、次の週に行くと、その数が減っていることがよくあった。女は、ネズミって飼育するのが難しいの。もっと数が増えると嬉しいのだけどと言った。
女は煙草を嫌っていた。初めて関係が生じた後、男は女の横で煙草に火をつけた。女は、ゴホゴホと大きく咳をして、私の前でタバコを吸うのはやめて欲しいと言った。
その日、男が女の冷たい肌をなでている時、女は突然告げた。男との子どもができたのだという。女は、旦那とは別れるから、結婚して欲しいと言った。男が、旦那の子どもではないかと聞くと、夫婦関係は冷え切っているのだから、それはないと、女は言った。
男は言う。
「重いな」
「気付いていなかったの。私はヘビーよ」
女は、長い舌を出して笑った。
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