セッションしようぜ!
鈴木怜
セッションしようぜ!
「嬢ちゃん、いいかい?」
わたしがいつものようにギター片手に路上ライブをしていると、酒で焼けたような声をした四十代に見えるスーツの男性が話しかけてきた。
いいかい、というのはリクエストのことだろう。どうぞ、と返事をすると、十年以上前に流行った曲がずらりと並んだ紙切れを渡された。
「そん中からできるやつをできるだけやってくれ」
「わかりました」
こんなこともあろうかと流行りの曲は一通り練習してある。全てとはいえなかったけど、紙切れの曲のうち三割は聴かせられるレベルまで練習してあった。
「じゃあ、いきます。聴いてください」
それから私は、上から数えて二番目の曲の名前を言ってから、大きく息を吸い込んだ。
☆★☆★☆
何度繰り返したかわからないカノン進行をそれでももう一度繰り返そうとしたときにピックを落としてしまう。慌てて拾おうとしてしゃがんだら、耳に何重にもなった拍手が聞こえてきた。
休憩もせずに通しで一気に七曲も歌ったのははじめてだった。ピックを落としたのも疲れからだろう。
ありがとうございますと一礼して、少しだけ休憩させてもらうことにした。
地面に置かれた空き缶に、いつもより多くのおひねりが入る。もしかしたら自己最高額になるかもしれない。それにもありがとうございます、と言ってからわたしはCDもよろしくお願いします、と宣伝した。これもやはりというべきか、いつもより食い付きが良かった。
演奏中に分かったことがある。彼が私の曲に合わせてつま先を上下させていたことだ。リズムは一定、体のバランスも大きく崩れない。
この人、ドラマーだ。そう気づいて目線をあげると、右手だって動いていた。
乗ってみないか。さらに目線をあげてみると、彼の目はそう語っているような気がした。
そこまでいけばやることはひとつしかない。私は素直に乗ることにした。
いわば私と彼でやる一対一の変則セッションだ。しかもそれには誰も気づかない。そんなの絶対面白いに決まってる。
それがいつしか七曲も続いてしまった原因だった。ふたりしてやめどきを見失ったのは仕方がなかったのかもしれない。
CDを手売りしながらそんなことを考えていたら、持ってきたCDが全てさばけていた。おっと、とぼやいたのは列に並んでいたスーツの男性だった。ちょうど売り切れたタイミングだったので、申し訳ない気がした。
「あぁあぁ。売り切れちまったか」
「ごめんなさい」
「いや、構わねぇよ」
などという会話を大声でする。もう並んでいても意味がないぞという連絡でもあるからだ。
もう少し休憩するぞという意思を込めての会話だったからか、人はゆっくりと減っていく。今度は普通のトーンで男性が話しかけてきた。
「嬢ちゃん、ライブっつーもんは祭りだよな。普段いるところから抜け出して心を全部アーティストに向ける。非日常を味わうってところでまさに祭りなんだよ」
「そうですね。みんながわたしを観てくれることなんて普段はありませんから。……それも」
「それも?」
「こんなに拍手をもらえたのははじめてです」
その言葉はなんだかとてもするりと出た。
男の人がにっと笑う。
「気に入った。嬢ちゃん、休憩が終わったら続きをやってくれ。まだあるんだろ?」
これは投げ銭だ、と数枚の諭吉を缶の中に入れた男の人に、私は笑顔を返した。
☆★☆★☆
それから結局二時間以上ぶっ通しでライブをすることになり、へろへろになりながら自宅に帰った。
寝る前におひねりだけでも整理しようとして缶を確認すると、明らかに紙幣ではない紙が折り畳まれている。
開くとそれは、あのドラマーのくれた紙切れと同じ筆跡で書かれた手紙だった。諭吉と同時に入れたのだろう。
記されていたのは住所と『最高の祭りを知りたくないか? 明日ここでセッションしようぜ! ギター持参な』という文章のみ。
スマホで一応住所を調べてみる。
「……え?」
わたしはその場所に思わずスマホを落としてしまった。
☆★☆★☆
ライブが祭りなら、ライブフェスは何にあたるのだろう。フェスティバル、なんだからやっぱり祭りなんだろうか。それとも――。
なんて考えていたら、後ろから肩を叩かれた。
「おーはーよっ。来てくれてありがとう」
昨日はスーツだった男性が、今日はマスクにタンクトップという出で立ちでそこにいた。
「おはようございます。……ちょっといいですか」
「どうぞ。何なりと」
「ここって今日やるライブフェスの会場じゃないですか!」
しかもかなり大きい部類のものだ。ホールだけで三種類ある。
わたしだってとっくにチケットは取ってある。まさか楽器を持ってくるとは思わなかったけど。
「いいだろ。やろうぜ。みんなの前で」
「そんなことできません!」
出演者として彼の顔があったことは昨晩すでに確認している。
「怒られますよ!?」
「大丈夫だよ。そんときゃそんときで俺だけで起こられてやる」
「そもそもそんな時間なんてないんじゃないですか!?」
「その辺はどうにでもなるさ。俺はリハーサル中にセッションしだしたって構わねぇよ」
頭ではわかっている。アーティストとアーティストの間には搬出入があるから時間ができる。イベントによってはその空いた時間で公開リハーサルみたいに演奏することだってある。決して不可能ではないはずだ。
だからってさすがにこれはない。スタッフがどれだけ苦労するのかわかっているのだろうかこの人は……。
「それにさ、結局ギター持ってきてるじゃん」
それを言われて私の動きが止まる。
「本当にやる気なんてなかったら持ってこないよね。ま、そんときはうちのメンバーのギター借りるだけだけど。……なあ。ぶっちゃけ、やりたいの? やりたくないの? どっちなの」
すべてすっ飛ばしたような感情だけの問題。彼のそれが最後の一押しになった。
「……どれやります?」
「どれやるって?」
「昨日のやつからどれをやるんですか、って話ですよ。全部は時間的に無理でしょう?」
そこにいたのはただのバンドマンだ。にやりと笑っている彼は、私にSTAFFと書かれた名札を渡してきた。
「そう来なくっちゃな」
☆★☆★☆
『えー、うちのドラムスがですね、開始時間までやりたいことやらせろってうるさいんですよ』
観客も何が起こっているのかよくわかってないらしい。当然だ。今は休憩なんだから。
『どうせ公開リハなんだからちょっとくらい頑張ってもいいだろってわめくんですよ。いや俺は関係ないよ?』
空いた時間に音楽を聴けるなら細かいことは気にしないのがライブの観客というもので、ボーカルの人もMCで事情を説明しながら盛り上げてくれる。
『でもさ、話聞くとやりたくなっちゃうのはバンドマンの
最後のシャウトで残りのバンドメンバーとわたしはステージに出た。
大きく息を吸う。
それはまさに最高の祭りだった。
セッションしようぜ! 鈴木怜 @Day_of_Pleasure
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