篠宮さんと僕

篠宮りさ

篠宮さんと僕

×月×日 

篠宮さんが登校してきた。

 顔はそれほど可愛くなく、足は少し太い。ランドセルの隅で、その容姿に似合わないアリスのストラップが揺れている。いつも通りだ。そして彼女は、いつも通り誰とも話すことなく一日を終えた。

×月×日

 篠宮さんが登校してきた。今日は少し遅めの登校だ。何かあったのだろうか。見ると、ランドセルとは別に手提げ袋を持っている。そして程なく、彼女はその中から数冊の辞書を取り出した。そうか、今日は辞書を使う日だからか。重くて少し歩くのが遅くなったんだろうな。僕も辞書をそろそろ用意しないと、一時間目だったはずだ。

 今日も篠宮さんは、誰とも話さなかった。


 僕は篠宮さんに恋をしているのだろうか。いつの日からか毎日、篠宮さんのことを考え、学校では観察するようになってしまった。

 篠宮さんのことは、学年が変わった今年初めて知った。篠宮さんは六年生だ。クラスを見渡すと、ひときわ異様な何かを放つ人が居る。それが篠宮さんの今の印象だ。篠宮さんは、下の名前を薫といって、まだ一度も見たことはないが、母親と二人で暮らしているらしい。何しろ学年が変わってからまだ二か月ほどしか経っておらず、授業参観も三者面談もまだなので、僕は一度も篠宮さんの母親を見たことがない。なんなら、篠宮さん自体と話したこともない。

新学期が始まってから僕は、クラスの子の名前と顔を覚えるのに忙しくしていた。そこで、篠宮さんを見つけたのだ。名簿で名前を見て、さあこいつは誰だとクラスを見渡しても、なかなか見つからない。クラスの子に聞いても、みんな「篠宮さんって誰」ときょとんとしながら答える。篠宮さんはそれほど存在感のない子だった。

 国語の授業中、やっと黒板を眺める篠宮さんを見つけた。はじめて顔を見たが、その顔はお世辞にも可愛いとは言えなかった。ぼってりした鼻と唇はもとより、右が一重で、左が二重の目元がなんともアンバランスだった。しかしその分髪がきれいだった。二の腕まである長めの髪はきちんと手入れされており、少し動くたびにつるつるとなだらかに動いた。そしてその髪を耳にかける手が、これまた白く美しかった。僕はその髪と肌に惚れたのかもしれない。

 はじめ気が付かなかったのが嘘のように、僕は篠宮さんを見続けるようになった。一挙手一投足が気になり、異質なまでにきれいな髪が動くのも、白い太めの足をきちんと揃えて座るのも、使い込まれた筆箱からハート柄の鉛筆を取り出す動作も、すべてが目についた。だがそれとは対照的に、篠宮さんの隣の席の男子や前の席の女子は、まったく篠宮さんを気にする様子はなかった。僕はこれほど篠宮さんに惹かれているのに、クラスの子はまるで興味を持たない。自分がなにか秘密の宝物を手に入れたようで嬉しかった。誰も篠宮さんの魅力に気が付かなくて良い。僕だけの篠宮さんで良い。そう思った。


×月×日

 今日も篠宮さんが登校してきた。今日もいつも通りの時間だ。今日は図工をした。お題は『僕の理想』。皆、めいめい理想の世界を描いていく中、篠宮さんは画用紙に虹を描いた。そしてその虹の上に、篠宮さんらしき笑顔の女の子を描いていく。その間、篠宮さんは一度も表情を動かさなかった。

×月×日

 今日も篠宮さんが登校してきた。

 今日は少し暑いので、篠原さんは制服の上着を着てこなかった。そしてその代わりに、制定のベストを着ていた。篠宮さんのベスト姿は初めて見る。なんだか新鮮だ。

×月×日

 今日、篠宮さんは登校してこなかった。

 クラスの子に聞いても情報は分からない。

 いつも一日中篠宮さんを見ていたから、なんだか手持無沙汰な一日だった。

×月×日

 今日も篠宮さんは登校してこなかった。

 やはり少し寂しい。

×月×日

 今日も篠宮さんは登校してこなかった。

×月×日

 今日も篠宮さんは登校してこなかった。

×月×日

 今日も篠宮さんは登校してこなかった。

 さすがに心配なので、プリントを届けに行くていで篠宮さんのお家に行くことにする。

 篠宮さんのお家は僕の家のちょうど反対側にあった。平屋建ての一軒家で、古びた木の匂いが鼻をついた。

 「篠宮」と書かれた木の表札を見ながらインターホンを押す。少し待つと、髪の長いおばさんが出迎えてくれた。篠宮さんほどではないが、手入れされた黒髪がポニーテールに結ってあった。

 「わざわざ来てもらってすみません」

 そう言いながら、篠宮さんのお母さんは僕を客間らしき部屋に通す。冷たい麦茶が出され、それを一口飲んだところで、篠宮さんのお母さんが目の前に座った。

 プリントを渡して少し話をした後、僕たちは少しの間沈黙に包まれた。お互い何を話していいか分からなかった。その沈黙を最初に破ったのは篠宮さんのお母さんで、変に上ずった声で彼女は「あ、そうね、薫。薫の顔だけでも見て帰ってください」と言って立ち上がった。

 家の中を歩いていると、終始木の匂いと乾燥材の匂いがする。木造りの家に不似合いな欧米風のアンティークが並んでいるのが見えた。これは誰の趣味だろうか。畳の部屋で、ローズをかたどった写真立ては変に目立っていた。

 「ここです」

ふすまを開けてもらうと、かわいらしいアリスの絵柄が描かれた布団が目に飛び込んできた。そしてその中央には、子供一人分の膨らみが突出していた。

 「薫。先生が来てくれたわよ」

 篠宮さんのお母さんは篠宮さんにそう声を掛け、布団をめくった。

 そこには篠宮さんがいた。いや、正確には、篠宮さんらしき人物がいた、と言ったほうが正確かもしれない。篠宮さんの髪は手入れが行き届いておらず、ところどころからまってダマになっていた。髪自体には変な光沢があり、それが何日もお風呂に入っていないからだということを悟るのに少し時間を要した。

 「薫。起きなさい」

 篠宮さんのお母さんの語気が強くなる。篠宮さんはびくっと体を震わせ、その後ゆっくりと顔を僕に向けた。

 驚いた。その目は両目パンパンに膨れ上がっていた。

 「また泣いていたの?せっかく右目はきれいな二重だったのに、腫れちゃってるわ」

 誰に言うでもなく、篠宮さんのお母さんは言った。

 「篠宮さん、担任の倉持です。まだあんまり話したことなかったよね?体調はどうかな?」

 僕は精一杯の笑顔で篠宮さんに話しかける。僕の顔は特にイケメンでもないが、逆に言えば悪くもないはずだ。篠宮さんに会うから、スーツも新しいものを着てきたんだ。ネクタイは持っている中で一番高いやつ。そして、そして今日の本当の目的。

 「篠宮さん、無理に喋らなくても良いからね。僕は君の味方だ。なんでも相談に乗るよ」

 そう言って僕は、篠宮さんの小さな手を、両手で包み込むように握った。

 冷たい。第一の感想はそれだった。冷えた指先が僕の手のひらに触れている。それだけで僕は歓喜していた。やっと、やっと篠宮さんに触れることができた。ずっと篠宮さんに触れたかった。色白の肌が眩しかった。ついに念願叶う時が来たのだ。篠宮さんの手は小さく、僕の両手にすっぽりとおさまる。そのあどけない無垢さが僕の気持ちを躍らせた。柔らかい肌質。思ったとおりだ。篠宮さんの肌はこうでなくちゃいけない。そのために篠宮さんの上靴を隠した。ランドセルに傷をつけた。鉛筆を折った。絵を破った。教科書を捨てた。篠宮さんが学校に来れないようになったから、ぼくは篠宮さんのお家に来ることができ、篠宮さんの手を握ることができたのだ。すべて、すべて想定通り。

 「君に必要なものがあれば何でもそろえるし、何なら家で勉強も教えるよ。一緒にゆっくり回復していこう」

 ありがとうございます、と嗚咽の混じった声が背後から聞こえる。そうだ、僕は良い教師。そして、ゆくゆくは篠宮さんを手に入れよう。大丈夫、僕ならできる。

 僕は笑顔で篠宮さんの手を強く握りなおした。

                                  完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

篠宮さんと僕 篠宮りさ @risa0621

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ