第19話「魔導式浸透魔力溶解粉末噴器」
ルースとテナを引き連れてカリュたちが影猫堂のドアを叩くと、すぐにドアベルを鳴らしながらメイド姿のリツが現れた。
「おはようございます。カリュさん、ルカさん」
リツはやってきたのが顔見知りだと分かると幾分表情を和らげ、その後ろに立つ二人の少女に気がついた。
「後ろの方々は――」
「おはよう、リツさん。ボクらの依頼主で研究者のルースと、ボクの剣を打ってくれた武器鍛冶師のテナだよ」
カリュが紹介し、二人が挨拶を交わす。
リツは丁寧な所作でそれに応じた。頭を上げた彼女はふわりと笑むと、半身を下げて四人を誘った。
「立ち話というのも疲れますから、どうぞ中へ」
彼女に促され、一行は店内に入る。
変わらず落ち着いた雰囲気の内装で、左右の棚に陳列されている魔導具たちは隅々まで手入れが施されている。
高価な品々が幾つも並ぶ異様な光景に、ルースとテナは全身を強張らせていた。
「棚には防犯用の障壁が設置されていますので、そのように緊張なさらずとも結構ですよ」
口元を手で隠しながらリツが言う。
彼女はそっと腕を伸ばし、軽く陳列棚の表面に触れた。すると虚空に薄緑色の波紋が広がり、彼女の手を阻んだ。
「魔導具を魔導具で守ってるんですね」
「色々と恐ろしい光景ですわね」
それを見て、二人は怖々と言葉を漏らす。
カリュとルカもそのような防犯設備の存在は知らなかったため、感心しながら見ていた。
四人がテーブルを囲み、リツがいつものティーセットを運んでくる。
「あれ、紅茶とスコーンですか?」
「ええ。ノアはまだ工房に籠もっているので」
カップに注がれた紅茶を覗き、カリュが首を傾げる。
ノアはそれに答えながら、店の奥の工房へと続く扉の方へと視線を向けた。
ハーブティを淹れる役目はノアが担っているため、彼女がこうして手が離せない状況にいる場合はリツが代わりに紅茶を用意するようだった。
「工房って、昨日からずっと!?」
ルカが驚いて言うと、リツはさして動揺もせずに頷く。
「ええ。一度だけ倒れていたので食事を口に突っ込んできましたが」
「ノアちゃん……そんなだからあんなにちっちゃいんじゃ……」
少しずれたところを心配するルカ。
それに対してリツはいつものクールな表情を崩さずに言う。
「とはいえ、もうすぐで出てくると思いますので、皆様ゆっくりと寛ぎながらお持ち頂ければ」
スコーンもどうぞ、と促され、カリュが口に運ぶ。
さっくりとした食感の軽い、ブルーベリーの練り込まれたスコーンは紅茶にもよく合った。
「これもリツさんが?」
「私はノアほどハーブの扱いが上手くありませんので」
申し訳ありませんと彼女が言うと、カリュは慌てて首を振る。
「そんな、とっても美味しいですよ!」
「ええ。できれば購入して兄さんにも食べて貰いたいですわね」
テナがカリュに続いて頷くと、リツは少し嬉しそうに表情を崩す。
「いくつか纏めて焼きましたので、後ほど箱に入れてお渡しいたしますね」
「いいんですの?」
「ええ。暇を持て余して作ったものですから」
そんなリツの言葉に、テナは心の底から嬉しそうに声を弾ませる。
「自分はこの紅茶が好きですね。茶葉は何を?」
「いくつか、ブレンドしております。よければそれもお渡ししましょうか」
「是非、と言いたいところですが、自分は紅茶を淹れる道具をもっていないので」
ルースはカップを握ったまま眉を寄せる。
「それなら、いつでも当店へ来て頂ければ淹れますよ」
そういうリツの表情は、とても和らいでいた。
その時、奥の扉の向こうから何かが崩れるような音が響く。
「うわ!? どうしたんだろ」
思わず尻尾を膨らませて、カリュが驚く。
「ノアの作業が終わったようですね。少し様子を見てきます」
突然の出来事にも取り乱さず、リツが扉を開けて入っていく。
そうして数分後、目の下に濃い隈を付けたノアが、リツに背負われてやってきた。
「あれ、カリュたちがいるー」
あははは、と何が可笑しいのか乾いた笑い声を上げるノア。夜を徹して熱中した反動か、妙な興奮状態にあるらしい。
「あの子がノアさんですか?」
ルースが不安そうな眼差しを向けて言う。
「普段はもっと元気で可愛らしい子なんだけど、今日はちょっと大変だったみたい」
「ちょっと親近感が湧きますわね。わたくしもよくああなりますので」
「テナもそういう感じか……」
小声でそんな事を話している間に、リツはノアを椅子に座らせ、温かい紅茶の注がれたカップを持たせる。
「スコーンは?」
「……いるぅ」
甲斐甲斐しく主人の世話をする彼女の横顔は落ち着いていて、手慣れているようにも見えた。
紅茶を飲み、スコーンで空腹を癒やすと、少し落ち着いたのかノアの顔色も戻ってくる。
「大丈夫なの? ノアちゃん」
「うん。おはよう、カリュ!」
不安げに尻尾を揺らしながらカリュが顔色を伺うと、彼女はにっこりと笑みを浮かべて言った。
「それで、完成したのですか」
「うん! 名前はまだ決めてないんだけど、いいのができたよ!」
そう高らかに声を上げる彼女の姿は、自信に満ちていた。
「じゃじゃーん!」
ノアはおもむろにそれを取り出す。
色白な小さな手に握られていたのは、真鍮製の円筒のように見えた。上部には小さなノズルとボタンが付属し、香水瓶のようにも見える。
「これは?」
「スプレー、かな」
ノアの手に収まるほどの小ぶりな缶に全員の視線が集まる。
製作者の少女は鼻を高くして意気揚々と解説を始める。
「仮称〈魔導式浸透魔力溶解粉末噴霧器〉。物体の表面に付着することで強制的に魔導路を作っちゃうアイテムよ!」
ばばーん、と効果音でも付きそうな勢いで高々とスプレー缶を掲げるノア。
少しの沈黙があり、テーブルを囲む四人が互いに様子を伺う。
「えーっと?」
「……?」
「もう一回言ってもらってもいいでしょうか」
「とりあえず仮称のほうがかっこよくない?」
そして揃って首を傾げ、不思議そうな顔でノアを見た。
「――つまりこの缶の中には対象の内部まで浸透する魔導効率の良い粉末が入っていて、それを吹き付けることで強制的に魔法的な弱点を作る魔導具です」
見かねたリツがノアの隣でかみ砕いた説明を施す。
それを聞いてようやく彼女たちも理解しはじめ、次第にその効果が想像できるようになった。
「つまりこれを魔獣に吹き掛けてから魔法を使えば、もっと効率的にダメージを与えられるってことだよね」
特に理解が早かったのはルカである。
日頃から魔法に親しむ彼女だからこそ、その凄さが分かったのだろう。
「そういうこと! ノズルと内部調合機構の動力に使ってるのは翡翠石だからあんまり容量はないけど、その分価格と重量を抑えてるよ」
「っ! み、見せてもらってもよろしいでしょうか」
機構という言葉に耳をぴくりと反応させ、テナがおずおずと手を上げる。ノアは快く彼女にスプレー缶を差し出す。
「お、おぉ……。これはとても緻密な構造をしていますわね」
若干震える手でそれを受け取り、テナは恍惚とした表情でノズル部分を見つめる。
翡翠石の緑色に輝くボタンにそっと触れ、さわさわと缶の表面を撫でている。
「分かる? やっぱり分かっちゃう? そこの構造をどれだけ小さくできるかすっごく悩んだの!」
「パーツの一つ一つがとても正確ですし、上手く重ねて隙間を作らずコンパクトに収まっています。ここの設計はとてもお上手ですわ」
「あなたとっても分かってるわね! 実はこの缶の内部の機構は――」
堰を切った水流のように勢いよく語り始めるノアと、しきりに頷きながらそれを聞き時には質問も挟むテナ。
「やっぱり気が合うと思ったよ」
そんな二人の様子を、カリュはスコーンを囓りながら見ていた。
「ノアさんはとても優秀な魔導技師なんですね」
「そうだよ! だからテナと気が合うかなってカリュが連れてきたの」
若干展開について行けていない様子のルースは、なんとかそんな感想を口にする。
ルカは彼女の困惑した顔に笑みを向ける。
新しい技術や未知の素材に目が無い鍛冶職人のテナと、優秀で魔導具を作るためなら寝食を忘れて没頭するノア。
共通点の多い彼女たちを引き合わせたら面白いことになりそうだと、昨夜のベッドでカリュがルカに言ったのだった。
「そういえばさっき仮称とおっしゃっていましたが、正式なお名前はどうなさいますの?」
「うーんちょっと悩んでるんだよね。――そうだテナ! 〈プシュッとズバッと君1号〉と〈しみしみスプレー君1号〉ならどっちがいい?」
カリュ達の横で、ノアがテナに尋ねる。
彼女ならば自分と同じ感性を持っているだろうという確信を持ったノアの視線を受けてテナは少し驚いた様子だった。
「ちょ、ノアちゃん! ごめんねテナ、ボクらも一緒に考えるから――」
「確かに甲乙つけがたい良いお名前ですわね」
「――え゛っ」
ノアを止めようとしていたカリュの手が止まる。
ルカがキラキラと瞳を輝かせてテナを見ている。
困惑したルースがおどおどと首を振っている。
「ですが、少し存在感が足りません」
「存在感?」
テナの続けた言葉にノアが首を傾げる。
これほど完璧かつハイセンスな名前のどこに欠点が、と言わんばかりの純粋な表情だ。
「〈身を焦がし烈火の如き進撃にて活路を穿つ荒塵の吐息〉――などどうでしょう」
「――えっ」
どや、と見下ろすような視線をノアに向けるテナ。
カリュは自分の耳がおかしくなったのかと恐る恐る頭へ手を伸ばす。
「え、あの……」
ノアもまた困惑した様子で隣のリツとテナの顔を交互に見ている。
理解の及ばない範疇に踏み込んでしまったとき、彼女はおろおろと狼狽えて言葉を失ってしまうようだ。
「ふぅ」
そんなノアに縋られて、リツは仕方ないとため息をつく。
彼女はテーブルを囲む全員を見渡して一言。
「これから、この魔導具の命名会議をしましょう」
不思議そうに首を傾げるテナを除き、全員が首を縦に振った。
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