第16話「メドゥクス魔法店」

 黒猫堂を後にした二人は、探索者姿のまま白草通りを歩いていた。

 白亜の塔へと続く大通りの左右には探索者向けの商店が数多く立ち並び、カリュ達以外にも鎧やローブの装いがよく目立つ。彼らは軒先に並べられた武器や防具を眺めては己の懐と相談して一喜一憂し、到底手が出ない魔導具や魔法薬をガラス越しに見つめて目を輝かせている。


「まずは魔法屋に行く?」

「カリュも付いてきてくれるの?」

「いいよ。今日はこの後予定があるわけでもないし」


 そう言ったカリュに、ルカは嬉しそうに目を細めた。

 彼女たちが向かった先は、古びた外装の店だった。

 長年の風雨に晒されボロボロになった看板は、辛うじて〈メドゥクス魔法店〉という名前が読み取れる。

 薄い傷が走って白く曇った窓ガラス、ボロボロと表面の崩れた煉瓦。軒先には薄く誇りの積もった木箱に、紙魚の酷い魔法書が乱暴に積まれている。


「ここ、いつ来てもすぐに崩れそうだよね」

「ルカ失礼だよ」


 躊躇いもなく言い放つルカの脇腹をカリュが小突いた。

 とはいえ生き馬の目を抜く熾烈な競争が絶え間なく繰り広がられている白草通りに於いて一等地とも呼べる立地を考えれば、その年月を感じさせる風貌も老舗としての貫禄を感じさせる。

 事実、この店はかつて〈翡翠の奈落〉が未踏破だった時代から続く名店であり、駆け出し探索者たちが多くお世話になっていた。


「お邪魔しまーす」


 突き抜けるような声を響かせ、ルカが開け放たれた開け放たれた引き戸をくぐる。

 中は埃っぽく乾燥していて、どこか黴びたような臭いもする。

 これだけはいつ来ても慣れないと、カリュは眉間に皺を寄せた。


「いらっしゃい。何をお探しかな」


 二人が天井まである壁一面の大きな本棚に詰め込まれた無数の魔法書をどれともなく眺めていると、店の奥の暗がりから嗄れた老人の声がした。


「お爺ちゃん! 今日は起きてるのね。ルカの新しい魔法を探してて、たくさんの敵を一度にばばーんってやっつけられるようなのが欲しいの」


 声のした方を振り向いて、ルカが言う。

 バサバサと左右に積まれた本の山を崩しながら、奥から現れたのはボロボロの黒いローブを纏った細い老爺だ。

 彼はふむふむと頷くと、骨の浮いた手で真っ白な縮れ毛をかきむしる。


「〈眠りの風メスメライズ〉、〈毒雨の雲ポイズン・クラウド〉、〈煉獄の門ゲート・オブ・インフェルノ〉……。いろいろあるが、どれがいいやら」


 老人はぶつぶつと口の中で呟きながら、壁一面に並ぶ本に指を這わせる。

 滝のように流れる白い眉の下、小さく開いた瞳が細やかに動き、薄暗い店内で本の背表紙から文字を拾う。


「あのお爺さん、ほんとに人間なのかなぁ」


 どこまでも怪しい風貌に、カリュはいつも同じような感想を抱いてしまう。

 紙とインクの匂いに紛れるのは確かに人間のものであり、耳が長かったり尻尾が生えている様子もない。だというのに、彼の纏う雰囲気はどこか人間離れしていた。


「噂だと、若い頃はすごく有名な魔法使いだったらしいよ。ルカも名前知らないから、誰なのかは分かんないんだけど」


 なおも魔法書を探し続けている老人を傍目に、二人は小声で言葉を交わす。

 この〈メドゥクス魔法店〉の店主はほとんど謎に包まれており、訪れる若い魔法使い達によって根も葉もない噂がいくつもまことしやかに囁かれていた。

 実際に店主に尋ねてみても曖昧な笑い声ではぐらかさせ、余計に謎は深まるばかりだった。


「このあたりの魔法書なら、お嬢ちゃんでも扱えるじゃろう」


 店の中央に置かれた丸テーブルの上に、ドンと魔法書の山が積み上げられる。

 謎多き店主ではあるが、その働きには目を見張るものがある。彼は一度訪れた客の扱う魔法や得意な属性などを全て記憶し、先ほどのようなアバウトな要望にもこうして忠実に答えてくれる。


「うわぁ、すごい沢山あるんだね」


 魔法に関しては門外漢なカリュは、山積する本の塔を見上げて感嘆の声を上げた。

 ルカは早速近くのものから手に取りページをめくる。


「ぐぅ、結構消費が大きいなぁ。こっちは詠唱が長くて覚えられそうにないし……。これいいかも! って銀貨七十枚!?」


 目まぐるしく表情を変えながら、彼女は魔法を吟味する。

 あるものは発動に必要な魔力量が彼女の保有する魔力量に見合わず、あるものは詠唱が複雑で激しい戦闘中には使いにくく、あるものは単純に価格が高い。どれも一長一短で決め手に欠けている様子だ。


「うぅん、やっぱり土の精霊に呼びかける魔法がコスパ良さそうだよね」

「精霊魔法はあんまり詳しくないんだけど、そういうものなの?」


 肩越しに覗き込むカリュに、ルカは頷く。


「精霊魔法は周囲にいる精霊に魔力を渡して、代わりに魔法を使って貰う術だからね。迷宮の中は土が多いから土の精霊が一番力を借りやすいんだよ」

「そっかぁ。〈炎の稲妻フレイム・ランス〉の時も杖の発火装置使ってるもんね」


 ルカの持つ精霊杖は、精霊魔法を扱うために作られた専用の杖だ。先端には大きな魔石が埋め込まれ、柄には水を蓄える小さな空洞が、石突きには火花を起こす発火装置が取り付けられている。

 精霊魔法は魔力だけでなく、精霊を呼び出すための触媒が必要になり、そのための杖は他の魔法使いのものと比べると大ぶりになる。


「火打ち石は使ううちに摩耗しちゃうし、タンクの水も限りがあるから。できれば土か風の精霊魔法がいいの」

「土は地面が、風は空気があればいいからだね。実質無制限ってことか」

「魔力も必要だから無限って訳にはいかないんだけどね」


 パラパラと魔法書をめくりながらルカは軽くはにかむ。

 そんな時、ふと彼女の手が止まる。広げられた誌面を眺め、彼女は唸った。


「どうかした?」

「この魔法、結構安くていいかも」


 その言葉に釣られてカリュも視線を落とす。

 精緻な紋様で縁取られた見開きに、大きく魔法の名前が書かれている。


「〈大樹の絡根バインディング・ルーツ〉? 属性は土だね」

「うん。ちょっと消費が重いけど、種なんかの触媒を別に用意すれば軽減されるみたいだし、いいと思うんだけど」

「お値段は? 銀貨三十枚か。……うん、ルカがいいなら買ってもいいと思うよ」

「ほんとに!?」


 カリュが頷くと、ルカは勢いよく振り向いてオレンジの目をいっぱいに見開く。

 彼女はぎゅっと魔法書を抱きしめ、堪えきれず笑みをこぼした。


「その魔法があれば、ボクも楽になりそうだしね。それに、ルカが使いたいって思うなら、ボクが拒否する理由もないよ」

「ありがとう。ルカ、頑張って使いこなすからね。――お爺ちゃん、この魔法ちょうだい!」


 カリュに背中を押され、ルカは早速店主の下へと駆けてゆく。

 その背中を、カリュは微笑ましく見守っていた。


「お待たせ! 買ってきたよ」


 テーブルの側でカリュが待っていると、ほくほく顔のルカが戻ってきた。

 彼女の手には一枚の巻物スクロールが握られている。


「ここで刻印していくの?」

「うん!」


 カリュの問いかけに、ルカは頷きローブの留め具を外す。

 店主はいつの間にか店の奥に下がっており、店内には彼女たちだけだ。

 ルカはローブを丁寧に畳んでテーブルに置き、下に来ていた服も脱ぐ。そうして彼女は上半身を薄い肌着だけになる。

 白いシルクのようなきめ細やかな肌を露わにしたまま、ルカは大きく深呼吸する。

 彼女の左肩には、三つの紋様が刻まれていた。


「魔法使いも大変だよね。魔法を覚えるために印を刻まないと行けないんだから」

「まあね。でもこれがないとわざわざ魔法円を描かなきゃだから実戦じゃ使えないもの」


 巻物の止め紐を解き、紋様の描かれた紙面を三つの紋様の隣に押しつける。


「我が望む。新たなる叡智の扉を開け。我が刻む。万象の軌跡をなぞれ。その印によって我は永劫の力を獲得する。――〈刻印シール〉」


 ルカが高らかに詠唱する。

 魔力が溢れ出し、巻物に描かれたインクをなぞる。

 青い炎を上げて紙が燃え、灰となる。


「何度見ても、火傷しないか心配になるよ」

「えへへ。本物の火じゃないから熱くもなんともないんだけどね」


 そうして炎が収まった頃、ルカの左肩には新たに四つ目の紋様があった。


「よっしこれで〈大樹の絡根バインディング・ルーツ〉を使えるようになったよ!」

「おめでと。これで戦略にも幅がでるかな」

「まかせといて!」


 ローブを着ながらルカが胸を張る。

 新たな魔法を使いこなせるようになれば、彼女たちはより強くなるだろう。

 ルカが強くなると言うことは、カリュも共に強くなることと同義なのだ。


「それじゃあカリュ、次はカリュの番だよ」

「へ、ボク?」


 装いを整えたルカの言葉にカリュはきょとんとする。

 そんな彼女を見て、ルカは仕方なさそうに肩を竦めた。


「背中の双剣、新しいの見に行こうよ!」

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