第15話「撤退」
「――それで、その後なんとか戻ってきたと」
ポットからハーブティを注ぎながら、リツが言う。
カリュとルカは頬についた泥汚れを拭い、悔しそうな表情で頷いた。
“巣”で休んでいた彼女たちの所へとやって来た小鬼四匹。二人はチームワークを活かしてそれを撃退することに成功した。しかし拙かったのは、音を立てすぎたことだった。
洞窟内に反響する剣戟を聞き、更に小鬼が現れ、一瞬の虚を突かれた二人の防衛戦を突破された。その小鬼が運悪く眠り猪にぶつかってしまったのだ。
「起きて暴走状態になった猪と、追加で来た小鬼の相手をしながらなんとかルースを守りつつ撤退。流石に肝が冷えたよ」
温かいカップを包むように持ち、カリュが項垂れる。
ルースの目的であった眠り猪の自発的な覚醒の場面は、結局見ることができなかった。なんとか迷宮の入り口まで撤退した彼女たちは、宿に戻ってレポートを纏めるというルースと別れ、反省会もかねて影猫堂のハーブティを求めてやって来たのだった。
「報酬を受け取るの、凄く気が引けちゃった」
カリュの隣に座るルカが、杖をぎゅっと抱きしめて言う。
ルースは迷宮の様子を知ることができたのは収穫だったとして、彼女たちに依頼書に記載してあった報酬の全額を支払ってくれた。二人としては彼女が満足する結果になったとは到底思えず、それを受け取る際にも少々の悶着があったのだ。
「リツさんは見たことありますか? 眠り猪が眠ってないところ」
「私は、迷宮自体あまり立ち入りませんが」
「でもカリュを助けてくれたときは余裕そうな感じだったよね」
「まあ、こう見えても精霊ですからね。あの程度の階層で詰まるほどか弱くはありませんよ」
落ち着いた様子で軽々と言ってのけるリツに、その階層で一年間燻っている二人はうっと言葉に詰まる。
「ねぇね。それならノアの魔導具を使えばいいんじゃない? いいんじゃない?」
カリュ達が向かうテーブルのむこう側から、銀色の細い髪の毛が揺れる。
ポリポリと手製のクッキーを囓っていたノアは青い瞳をキラキラと輝かせている。
「〈姿隠しの外套〉とか〈瞑目の紅玉義眼〉とか。敵から隠れる為の魔導具って色々あるんだよ」
「お値段は?」
「外套が金貨二百枚、義眼が二百五十枚くらい!」
「ですよねー」
かわいい顔から飛び出す凶悪な金額。
流石にカリュもいちいち取り乱すことは無くなったが、逆立ちしても手の出ない領域である。
「翡翠石を使って格安魔導具作れたりしないの?」
「うーん、むずかしいかも」
ルカの声に、ノアは細い眉を顰めて言う。
その理由を問うてみれば、彼女はつらつらといくつかの理由を述べた。
「敵の五感に作用するタイプの魔導具は結構出力が必要だし、透明化・盲目化の効果は一定以上の継続性がないと効果が薄いから最低でも数十秒から一分、理想を言えば十分以上は効果を発揮できないと利便性がグンと落ちるの。低層の小鬼程度ならあんまり考慮しなくても良いけど魔力抵抗力の高い魔獣にも通用するようにするなら周波数のレベルも上げないとそもそもの貫通力が足りないし、無差別に周囲に効果を発揮しちゃうと敵味方関係なく混乱して戦闘どころじゃなくなるからそこの取捨選択機能も必要だし――」
「……ノアちゃんが賢いこと言ってる」
「ノアは賢いんだよ!?」
わなわなと震えて手で口を覆うカリュとルカ。
そんな二人の反応に気がついたノアは、白い頬をぷっくりと膨らませて髪を逆立てた。
「普段はちんちくりんですが、一応ノアは、こう見えても、実は、なんと、優秀な魔導技師なんですよ」
「リツも褒めてるのになんでそんなに予防線張ってるの!」
淀みなく言葉を連ねるリツにもまた、ノアは気に入らないと眉間に皺を寄せる。
もっとも、彼女のそんな反応が幼く見える要因であることには気付いていない様子だったが。
「そういえば、ノアちゃんって実際のところ何才なの?」
ポリンとクッキーを折ってカリュが首を傾げる。
「何才だったかなぁ。あんまり数えてないけど……」
「ホワイトエルフってそこのところ無頓着だよね。ルカも何十年かしたらそうなるのかなぁ」
曖昧な表情で首を傾げるノアを見て、ルカが共感したらしくうんうんと頷く。
永い時を生きるエルフ種と、比較的短命な獣人種では、そもそものスケールが違うようだった。
「ルカも何百年も生きるんだよね。羨ましいなぁ」
カリュが隣に座るルカを見て言った。
グリーンエルフ族である彼女もまた、ホワイトエルフ族に比べれば短いとはいえ一般的には長命な種族だ。
しかしそんな羨望の眼差しを払いのけ、ルカは顔を顰めた。
「グリーンエルフは百才越えるとみーんな化石みたいになっちゃうから、あんまり面白い余生は過ごせないと思うよ。ルカは今のアグレッシブな日常が好きだし!」
ルカはぎゅっと拳を握り、鼻息荒く言い放つ。
グリーンエルフは別名を町エルフといい、閉鎖的な気風のあるエルフ種の中では比較的自由な文化を持っている。
事実、こうして探索者として他種族と共に迷宮に潜るエルフの多くは、グリーンエルフだった。
「それじゃあ、リツさんは? おいくつなんですか?」
カリュは話の流れの矛先をリツへと向ける。
ノアの背後で静かに立っていたメイド姿のリツは長い睫を少し上げ、その後穏やかな笑みを浮かべて細い唇に人差し指を当てた。
「――女性の年齢は秘密にしておくのが常識ですよ」
「ぐぅ、惚れちゃいそう」
その艶やかな所作にカリュは思わず呻く。
ルカもぽっと頬を薄く赤らめている。
そんな中、ノアだけは面白くなさそうに唇を尖らせた。
「ぺっ。リツなんてわたしよりずっといだだだだだっ!?」
そんなノアの小さな肩にぽんと手を置くノア。
緩い様に見えて、恐ろしいほどの力が込められているらしく、ノアが悲鳴を上げる。
「ノア、何か言いましたか?」
「いいえいいえ! わ、わたしちょっと新しい魔導具のアイディア思いついたから! 工房行かないと!」
凪のように穏やかな笑みを傾けるリツに、ノアは青い顔をしてぶるぶると震える。
彼女はぐねぐねと体を動かしてなんとか脱出すると、猛スピードで店の奥にある工房へと飛び込んでいった。
「……ボク、リツさんには逆らわないよ」
「ルカもそうする」
そんな様子を見ていた二人は、そう呟いてハーブティで乾ききった喉を潤した。
「さて」
工房へと引っ込んだノアを見送り、リツが居住まいを正す。
その僅かな動作だけで、二人は思わず肩を跳ね上げた。
「実際、魔導具に関するアイディアが浮かんだのは本当のようですね」
その言葉を聞いて、二人は視線を工房のドアへと向ける。
カリュの耳が、そのむこう側から伝わるペンを走らせる擦過音や何かの工具を動かす金属音を拾い取った。
「申し訳ありません。こうなるとノアは」
「どうやっても出てこないんですよね。ボク達も長居させて貰っちゃったし、そろそろ行こっか」
「そだねー。ルカ、新しい呪文書も見てみたい!」
クッキーとハーブティの代金を支払い、二人はリツに礼を言う。
「またいつでもいらしてください。迷宮に潜るときはくれぐれもお気を付けて」
「はい、ありがとうございました」
「また来るね!」
チリンとドアベルが鳴る。
軒先まで出てきて見送ってくれるリツに手を振って、二人は白草通りへと歩いて行った。
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