第14話「迷宮の食料事情」
「
開戦の鏑矢が炎の尾を引いて空気を切り裂く。
それは最奥で油断しきっていた
「疾ッ」
突然の襲撃に混乱する“
尻尾を伸ばし、ピンと耳を立てた彼女は捕捉されるよりも早く敵の懐に潜り込み、柔らかな脇腹に刃を差し込む。
筋を断つ感触が生々しい。
温かい鮮血が彼女の頬に飛沫を付ける。
「はぁっ!」
小鬼が体勢を立て直そうと体をねじる。足下に置かれていた剣に手を伸ばす。
その禍々しい爪の指先が柄に届くよりも少しだけ早く、カリュのブーツの先が剣を蹴り飛ばす。
硬質な音を立てながら、刃こぼれの目立つ小さな剣は小鬼の手から離れて転がる。
「ギギャッ!」
小鬼が忌々しげに赤い目で睨む。空を掴んだ手を握りしめ、カリュに向かって殴打を繰り出す。
物怖じすらせずカリュは飛んできた拳を避ける。半身だけ体をずらす、最低限の動き。それと同時に剣の石突きで殴打を繰り出す。
小鬼が重心を崩す。
「ふっ」
その首筋に刃を当てて、流水のように滑らせる。
「おつかれさまー」
カリュが刀身にこびり付いていた血を拭っていると、ルースを連れてルカがやってくる。
彼女はカリュを労うと、水筒を手渡す。
「眠り猪は起きてないね。よしよし」
濡れた唇を拭い、カリュは泉の側で寝入る白い毛並みの猪たちを見下ろす。
警戒心の欠片も感じさせない小さな猪は、つい先ほどまで真横で戦闘が繰り広げられていたにも関わらず、暢気に瞼を閉じて寝入っている。
「本当にずっと寝ているんですね」
遠巻きに眠り猪の様子を見ながら、ルースが不思議そうに言う。
危険に溢れる迷宮内に置いて、彼らの寝姿はとても無防備で平和的な光景だ。
「でも触っちゃ駄目だよ。ちょっとでも攻撃すると、途端に起きて暴走しちゃうから」
ルースに、カリュが忠告する。
バッグの中から大きな手帳を取り出してカリカリとペンを走らせていた彼女はびくりと肩を跳ね上げると、恐る恐る一歩後ろに下がった。
「ま、ほんとに触らない限りはこれだけ近くにいても起きないんだから、暢気なのには変わんないよねぇ」
泉の縁に膝を付き、水筒の中身を補充しながらルカが言った。
彼女のすぐ横で眠っている猪は、起きる様子もなくすやすやと鼻をならしている。
「お二人は眠り猪が起きているところを見たことは?」
「起こしちゃって暴走してる時以外は見たことないかなぁ」
「見つけるときはいっつも眠ってる時だし、起きるまで観察したこともないよね」
ルースから飛んできた質問に、二人は体を休めながら話す。
“巣”となる場所は侵入経路が限られ、かつ見晴らしの良い場所が多い。そのため制圧などによって危険を排除できさえすれば、そこは探索者にとっても絶好の休憩スポットになるのだ。
カリュは壁際に腰を下ろし、長い尻尾を腹の前まで持ってきて緩く揉みほぐしながら、ルカはその隣で物資の確認をしながらルースの質問に答えた。
「それじゃあ眠り猪が自発的に行動しているところは」
「見たことないね」
カリュの返答に、ルカも頷いて同意する。
ルースは少し残念そうだったが想定の範囲内らしく、ペンを止めることはなかった。
「できれば、自発的に起きる様子を見てみたいんですが……」
「それじゃあここでちょっと待ってみる? 丁度時間も良いし、お昼ごはんにしましょ」
ルカはそう言うと、早速鞄の中から小さな木の弁当箱を取り出す。
制圧した“巣”は貴重な安息地でもあり、ここを逃せば食事を摂れるのがいつになるのかも分からない。
「ルースは何か食べ物持ってきてる?」
「はい。栄養クッキーとチーズを」
ルカから弁当箱を受け取りながらカリュがルースに尋ねる。
ルースはこくりと頷くと、バッグの中から包みを取り出して見せた。
「栄養クッキーってあのボソボソした奴でしょ? おいしいの?」
それを見てルカが眉間に皺を寄せる。
視線の先が向かうところは、銀紙が巻かれた大ぶりな長方形のクッキー。いくつかの穀物と刻んだ乾燥果物を練り込んで堅く焼き上げたもので、徹底的に水分を排除することで長期保存を可能にしている代物だ。
栄養価が高くかさばらないという理由から旅人や探索者向けに比較的安価に販売されている。
「そ、そうなんですか? 自分は携行食というものをあまり食べたことがなくて」
ルカの微妙な反応に、ルースは俯きがちに答える。
普段は学院で研究生活を送っている彼女にとって、携行食や保存食の類はあまり縁の無いものだったのだろう。
今回持参した栄養クッキーとチーズという組み合わせも、探索者向けの雑貨店などで買い求めると真っ先に挙げられるような代表的なものだ。
「ま、一度食べてみると良いよ」
不安そうなルースに、カリュが少し悪戯っぽい顔を向けて言う。
ルースは意を決して、栄養クッキーに齧り付く。
「ん? ほいひぃ」
もごもごと口を動かし、彼女は意外そうに目を丸くする。
幾つもの果物が入ったクッキーは、インゴットのような見た目に反してほのかに甘い味だった。
安心して咀嚼を続けるルース。
しかし数秒後から彼女の顔色が急激に曇り始め、ついには口の動きが止まる。そして数秒後、彼女は慌てて何かを探すように首を振った。
「ふふふ。みんな最初はそんな反応だよね」
そんな彼女を可笑しそうに笑いながら、カリュが自分の水筒を手渡した。
ルースはそれをひったくるように受け取ると、栓を飛ばして真上に立てて飲む。
ごくごくと喉を鳴らし、水筒の半分ほどを消して、彼女はようやく飲み口から唇を離した。
「な、なんですかこれ……。く、口の中の水分が全部」
「でしょ? 味は別に悪くないんだけどねぇ」
自然乾燥だけでなく特殊な魔法なども使って徹底的に乾燥させた、保存性に重きを置きすぎた一品。それが栄養クッキーだった。
大量生産が容易で栄養価も高く、かさばらない。多くの利点を有していてなおカリュたち探索者が好まないのは、食べるときに大量の水を必要とするという一点があったからだった。
「のんびりした旅なんかだといいんだけど、いつ魔獣が襲ってくるかも分かんない迷宮の中だとちょっとね」
軽く焼いたパンにチーズとレタス、分厚いベーコンを挟んで紙で巻いたサンドウィッチを食べながらルカが言う。
町から町へと移動する、地上での旅の際には栄養クッキーは強い味方になる。しかし危険が多く手早く食べられることが求められる探索者たちにとっては、食べる際に水が必須というのはとても重い条件だった。
「うぅ。お店で勧められたんですけどね……」
水筒片手にクッキーを食べながらルースが眉を降ろして言う。
恐らくは彼女が迷宮に入ることを伝え忘れていたか、店が探索者より旅人の方がよく訪れる場所だったのだろう。
「塔の周りの露店なんかでもお弁当が売ってるし、一日迷宮に潜るくらいならそこまで保存性を意識しなくてもいいよ」
「そうですね。以後、気をつけます」
クッキーを半分ほど食べ進めたところで水筒が空になったらしく、ルースは泉で水を汲みつつ心に刻む。
「それにしても、猪たちは起きるそぶりも見せないね」
もぐもぐと口を動かしながらルカが眠り猪を一瞥して言う。
彼女たちがそれなりに声を張って会話していてもその間で眠っている姿は、少々間抜けにすら思えてくる。
その時、カリュがピクリと耳を震わせ、手に持っていたサンドウィッチの残りを手早く口の中に押し込んで飲み込む。
彼女は側に鞘ごと置いていた双剣を背負い、立ち上がりながら二人に声をかける。
「遠くからこっちに向かって足音がする。準備してて」
「わ、ほんとに?」
「ひっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
それを受けてルカも立ち上がって杖を抱える。
ルースは慌てて手帳をバッグの中に押し込むと、“巣”の奥へと移動した。
「探索者かな? 魔獣かな?」
「まだ分かんない。礫土の硬壁で遮蔽物を作ってくれる?」
「了解。まかせて」
ルカが杖を振り、土壁がせり上がる。
カリュはそこに身を隠し、耳を立てる。
やがて、ルカたちの耳にも微かに硬質な足音が聞こえ始めた。
「魔獣だ。小鬼が――ちょっと多いね。四匹いるよ」
「うわ、ちょっと大変かも」
眠り猪の自発的な覚醒を見るためには、“巣”を目指す魔獣を排除しなければならない。
言うなれば、今回の護衛対象に猪たちが追加されるような形だ。
いくら不満を言ったとしても現実は変わらない。
ルカとカリュは互いに顔を見合わせ、覚悟を決めた。
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