第13話「安息地」

 〈翡翠の奈落〉第二層は敵も環境も一層と大差なく、カリュとルカは息の合った連携で危なげなく突破した。

 ルースも覚悟を決めた様子で、ゴブリンが現れても取り乱すようなことはなくなり、三人の足並みはようやく揃い始める。進行は順調で、適度に力も抜けたのか、雑談に花を咲かせる余裕すら出てきた。

 そうして一行はついに眠り猪が生息する第三層へと足を踏み入れる。


「ここから先が、第三層だよ」


 古びた石の扉。巨人族であろうとも悠々と背を伸ばして通れるほどに大きな門をくぐり、彼女たちは第三層に入る。

 壁面や天井から淡い光を発する翡翠石の数も、二層よりも若干だけ多くなっている。


「大丈夫。近くに魔獣はいないよ」


 先行するカリュが耳を立て、鼻をすんすんと震わせてから言う。

 彼女の手招きを見て、ルカとルースも側まで早足でやってくる。


「それじゃあ、まずは“巣”を探そうか」


 カリュの提案に、二人は同時に頷く。

 “巣”というのは、魔獣たちが密集している場所の通称だ。広大な迷宮の中で魔獣を探すのは困難であるため、地図士たちは事前に魔獣にとって快適なポイントを地図に記す。そこを目指せば魔獣との遭遇率が高まり、逆に避けて進めばある程度危険を排除できる。


「えっと、ここから一番近いポイントは……」


 ルカが腰に下げていたバッグから地図を取り出して広げる。

 俊敏性が命であるカリュの代わりに、彼女が探索に必要な道具類を持つ役割を買って出ていた。

 人数が多く、探索の時間が長くなればなるほどに必要物資の数も増えていくため、大規模なパーティには専属の運び屋ポーターを雇っている所もある。しかし駆け出しゆえ懐に余裕がなく、また同性の二人だけということもあり荷物も少なく抑えられるカリュたちは、互いに重量を分担することで効率の良い探索を行っていた。


「ここだね。小さい水場がある」


 ルカが地図上の一点を指さす。

 広大な迷宮の面積を考えれば現在地からほど近い場所にある、小さな泉の湧き出す開けた場所だ。

 方角を確認し、距離を測り、三人は進路を定める。


「もう他の人が荒らしちゃってるかな」


 歩きながら、ルカが眉を寄せて憂う。

 “巣”のポイントを知っているのはカリュたちだけではない。むしろ、白亜の塔の内外で地図士たちが地図を売りさばいており、この迷宮に潜る全ての探索者が知っていると言っても過言ではない。

 今日のカリュたちは少し出遅れているため、他の探索者の後を追う形になる。

 “巣”は高確率で魔獣と遭遇できることから、少しでも儲けを増やしたいと考える探索者は“巣”を巡りながら階層を下っていく。

 一度探索者に襲撃された“巣”は魔獣も警戒し、再び落ち着きを取り戻すまで時間がかかる。

 丁度そのタイミングに当たってしまえば、はるばる“巣”へやってきても収穫なく終わることもあった。


「そこの角を曲がった先だね。ちょっと慎重に行こう」


 カリュが腕を伸ばし二人を押し止める。

 表情を硬くしたルースが頷き、三人は足音を殺して進む。


「探索者の気配はないね」


 耳をピンと張ったままカリュが言う。

 残留する匂いの中にも、人間や他の種族のものは混じっていない。少なくとも今日、ここを通った探索者は居ないようだった。

 カリュがハンドサインで二人に停止の指示を送る。彼女は念入りに聴覚と嗅覚で情報を集めた後、物陰から一息に転び出る。


「ふっ。――よし、いないね」


 双剣を油断なく構え、尻尾を振る。

 それを合図に二人も顔を覗かせる。その視線の先、ゴツゴツとした通路の先に、一際多くの翡翠石が密集し光を放つ場所があった。


「あそこが“巣”ですか」


 ずれた眼鏡を押し上げてルースが言う。


「うん。魔獣がいるかどうかは、まだ分かんないけど」


 カリュが進み、存在が感知されないギリギリの位置まで近寄る。

 目を薄く閉じて索敵に集中し、残念そうに眉を下げた。


「はずれみたい。探索者どころか、魔獣もいないよ」


 張っていた気を弛緩させてカリュが言う。

 彼女の背後に広がる小さな空間は閑散としていて、生物の気配は感じられない。ただ中央の泉から湧き出る水のかすかな音だけが壁面に反響している。

 それを見て、ルカも大きくため息をついて応えた。


「“巣”だからといって、絶対出会える訳ではないんですね」

「あくまで“出会える可能性が高まる”くらいの話だからね。迷宮の面積に比べて、魔獣の数が少なすぎるんだよ」


 しょんぼりと肩を落とすルースに、カリュが説明する。

 彼女は話しながら歩を進め、翡翠石の光が溢れる空間へと入った。


「ちょっと泉が小さすぎるかもね。あんまり使われてる形跡もないし」


 空間の中央には小さな窪みがある。

 底からはちょろちょろと僅かに水が沸き出し、窪みの縁から溢れると地面へ吸収されていく。


「この水は、自分が飲んでもいいんですか?」

「普通の水だし大丈夫だよ。むしろ魔力が多いから体に良いくらい。ルカたちもたまに水分補給の為に寄ったりするし」


 ルカの言葉を受けて、ルースはそろそろと泉の縁に膝を着く。

 手で水を掬い、口へと運ぶ。するりと唇を通り、喉を抜ける。ルースは驚くほど口当たりの軽いそれに思わず眼鏡の奥の目を見開いた。


「凄く美味しいですね!? ちょっとぬるいから、冷やすともっと美味しいでしょうけど」

「そうなんだよね。何戦か終えてからこの水を飲むと、体中に染み渡るんだよ」


 感激するルースを見て、カリュがはにかむ。

 彼女も腰に吊った水筒の水を捨て、泉の水を汲み取る。それに一口唇を付けて、尻尾を振った。


「このお水を汲んで地上で売るだけでも、一財築けそうです」

「あはは。それはなかなか難しいかも。迷宮からちょっとでも外に出すと、水の中の魔力は消えちゃうんだよ」

「それは……。魔獣と同じような感じですね」

「うん。魔獣も迷宮からは出られないし、同じかもね」


 魔獣は迷宮から出られない。迷宮の穴の外へと一歩でも踏み出せば、たちまち灰燼となって消えてしまう。それが探索者たちが命を賭して潜る理由であり、危険な魔獣の現れる迷宮の真上に町が栄える理由だった。


「しかしこの水も興味深いです。少し汲んでいきましょう」


 残念そうに唸っていたルースは、バッグからガラス瓶を取り出して中に水を収める。

 迷宮から出ればただの味気ない水になってしまうが、それでも彼女は諦めきれない様子だった。


「それじゃ、次のポイントに行こうか」


 魔獣の居ない“巣”に用はない。

 カリュの声で休んでいた二人も立ち上がる。

 再び地図を広げ、今度はもう少し規模の大きな“巣”に目星を付けた。

 カリュが先頭に立ち、極力戦闘を割けつつ進む。

 二層とは言え明確な殺意を持つ魔獣との交戦は少なからず消耗してしまうため、目当てである眠り猪との遭遇までは力を温存することにしていた。


「ルカ、魔力は?」

「大丈夫だよ。さっき水も飲んだし」


 途中、カリュが後方のルカに尋ねる。

 ルカは杖を掲げ、ぽんと胸を叩く。実際、彼女よりも先頭で常に気を張っているカリュの方が消耗の面では大きいはずだった。


「それじゃ、礫土の硬壁アース・ウォールの準備をしておいてくれる? 次の“巣”は一直線の道が続いてるから、それに隠れながら近づきたい」

「分かった。準備しとくよ」


 ルカの使う精霊術の一つである礫土の硬壁アース・ウォールは、詠唱も短く瞬時に発動することのできる魔法だ。しかしその場合には注入できる魔力量も少なくなるため、大きさや硬さも相応のものにしかならない。

 そのため、余裕のある時には事前に杖に埋め込まれた魔石へと魔力を蓄積して、十分な効果を発揮できるようにしておくことも、テクニックの一つだった。


「そこの角を曲がった先が“巣”だからね。準備よろしく」

「うん。いつでもいいよ」


 壁に背を付けてカリュがルカに視線を送る。

 長い付き合いの中で養ってきた言語を介さない意思の疎通。

 二人はぴったりと息を合わせ、行動を開始する。


「ふっ」

礫土の硬壁アース・ウォール!」


 カリュが駆けると同時に、通路の途中にある地面が隆起する。

 尾を振って走り抜け、物陰に隠れる。その影からそっと顔を覗かせて、カリュは目を凝らす。


「よし。眠り猪が三匹と、小鬼ゴブリンが二匹か」


 “巣”は先ほどよりも大きかった。泉も二回りほど大きさを増し、周囲には柔らかな草が青々と繁茂している。

 天然の絨毯の上で、真っ白な毛並みの猪たちがのんびりと微睡んでいる。

 泉の畔では小鬼たちが武器を置いて、バシャバシャと水面を波立たせて遊んでいるようだった。

 カリュが後方へ振り向き、ハンドサインで巣の様子を伝える。それを見てルカが術式の準備を始める。

 カリュは静かに背中の双剣へと手を伸ばした。

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