第12話「探索者の素質」
顔合わせを済ませたリュカたちとルースは、早速〈翡翠の奈落〉へと向かうこととなった。
三人が白亜の塔の中へと入ると既に多くの探索者は内部へと潜っており、先ほど二人が依頼を見繕っていた時よりも人影は疎らだった。
掲示板の前には寝坊して出遅れた探索者たちが渋い表情で立っており、竿持ちの小人たちは小さな腰掛けに座って一息ついている。
そんな彼らを見ながら、カリュは塔の中央に開いた大穴へと足を向ける。
頑丈な鉄格子で囲われた〈翡翠の奈落〉唯一の出入り口の前には、不用意に一般人が迷い込まないように見張る小人族が一人立っている。
「証を、っと学院の特別許可証か」
「はい。よろしくお願いします」
ルースが差し出した書状を見て、老人は白い眉を上げた。
探索者としてギルドに登録されていないルースは、本来ならば迷宮への立ち入りを禁止されている。
しかし、学院が発行している証が彼女の身元を保証し、護衛として探索者が同行することを条件として迷宮への立ち入りが認められる。
「お嬢ちゃんらが護衛だな。しっかり守ってやれよ」
カリュとルカが背筋を伸ばして頷く。
小人の老人は、にっと顎髭の下で笑みを浮かべて三人を見送った。
「ルースは、迷宮に潜った経験は?」
「ありません。自分はずっと本に埋もれていたので」
先頭にカリュが立ち、三人は螺旋階段を下っていく。
ルカが尋ねると、ルースは恥ずかしそうに眼鏡の下の目を細めて答えた。
「学院内にも小さな迷宮があるので、戦闘学科の演習に着いていって“護衛される側”の経験を積む研究者も多いんですが。自分はどうにも、気が向かなかったので」
その時は迷宮に潜ることはないだろうと思っていたし、と彼女は言う。
学院の卒業生であるルカもその迷宮については良く知っているようで、時折懐かしそうにオレンジの目を細めて頷いていた。
「なので、もし自分が拙い行動をしそうになったときは、遠慮無く言ってください」
「そっか。とりあえずはルカの側を離れないで。敵は基本的に全部カリュがやっつけてくれるから」
「ルカも援護してよね?」
ぽんと胸を叩くルカ。
前方を警戒しながら歩いていたカリュは、ぴくぴくと耳を震わせて彼女に念を押す。
「しかし、迷宮の内部という割には静かですね」
「まだ一階層だし、そうそう魔獣は出てこないよ。とはいえ、油断はできないけどね」
ルースは初めての迷宮が興奮が隠しきれず、落ち着き無く視線を方々に飛ばしている。
壁に埋まっている翡翠石に目を近づけて唸り、恐る恐る指先でつつき、ぽろりと転がり落ちたそれを慌てて手のひらで受け止めて、ショルダーバッグの中にしまい込む。
ルカが翡翠石の説明を施すと、彼女は感心して何度も頷いた。
「二人とも、敵が来るよ」
その時、カリュの張り詰めた声が飛ぶ。
途端にルカの表情は豹変し、探索者特有の鋭い目つきになる。
ルースは慌てた様子でショルダーバッグのベルトを掴み、ルカの側に寄る。
緩やかにカーブする洞窟の影から現れたのは――
「ギャィ」
「ギャグィ……」
見窄らしい腰巻きを着け、刃が欠け赤錆の浮いた鉈を握る、二頭の
カリュとルカは普段から見慣れているため今更なにも感じないが、その醜悪な表情と野蛮な風貌、そして知性の無い濁った瞳を初めて目にしたルースは思わず小さな悲鳴を上げた。
「ギャッ!?」
「ギャギッギィアッ!!」
声は小さくとも、静寂の満ちる洞窟に反響し、増幅される。
ふやけたパンのようなぶよぶよとした耳を持ち上げ、小鬼たちが鉈を振り上げて威嚇する。
「ご、ごめんなさ」
「大丈夫。側に居てね」
顔を青くするルース。
彼女の肩をそっと抱き、ルカが慰める。その視線はまっすぐに小鬼を射貫き、細く引き絞った唇からは、淀みない詠唱の言葉が紡がれる。
「ルカが右をやるね。猛き魂の精霊よ、我が要請に応え顕現せよ――」
「了解。ふっ!」
それと同時に、カリュが姿勢を低くして足を踏み出す。
鼻先から尻尾の先端までを一直線に伸ばし、矢となって疾駆する。
彼女の背中を追って、焔の槍が飛ぶ。
「ギャァギッ!」
「ギギァッ!」
猛然と飛来する二つの矢に、一層の脆弱な魔獣は反応すらできない。
一瞬後には血しぶきが舞い、爆炎が壁を焦がす。
「終わり。他の敵はいないみたい」
双剣の刃についた粘着質な血を拭き取りながら、すんすんと鼻先を動かしてカリュが言う。
その間、ルカは側で震えているルースの背中を優しくさすっていた。
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「だ、大丈夫です。というより、大丈夫じゃないと駄目ですよね」
ルースはバッグから水筒を取り出し、一口水を含む。
渇いた喉が癒え、彼女は次第に落ち着きを取り戻していった。
「すみません。やっぱり、頭では分かっているつもりでも、なかなか」
「まあボクも最初は斬り掛かれなかったからね」
大きく呼吸を繰り返すルースに、カリュが言う。
第一階層に棲む小鬼は、たいした強さもなく、慣れれば一般人でも撃退できる程度の魔獣だ。しかし、真に恐ろしいのはその容姿である。
「いくら不細工な顔してても、シルエットは完全に人間だもんね。あれに躊躇無く攻撃できるようになるのが探索者の第一歩って言われてるし」
ぐずぐずと形を失い、迷宮の地面に吸い込まれていく小鬼の骸を一瞥し、ルカが頷く。
人に近い形をした魔獣に攻撃するのを躊躇ってしまうというのは、成り立ての探索者にありがちなことだ。しかしそれは致命的な隙を生み、最悪の場合は自身の命で持ってその代償を支払わなければならない。
魔獣を魔獣と割り切ることができるかどうかが、探索者として最低限の素質だった。
「はい。――はい。もう大丈夫です」
しばらく休んでいたルースは、自分に言い聞かせるようにして顎を引き、立ち上がる。彼女は先ほどまでとは打って変わって凜然とした表情で、唇をきっと一文字に結んでいる。
その顔を見て、カリュとルカも頷く。
「それじゃあ、奥に行こう。もう少し歩いたら二層だよ」
ルカが明るい声を張り上げる。
それに続いてカリュも尻尾をゆるく振って拳を上げた。
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