第11話「護衛依頼」

「今日の依頼は何にする?」


 白亜の塔内部。無数の掲示板に夥しい数の依頼書が張り出され、ガヤガヤと出発前の探索者達の声が幾重にも重なる騒々しい空間で、ルカがカリュに尋ねる。

 カリュはぴくぴくと三角形の耳を動かし思案顔になり、細い眉を寄せた。


「第四階層で死んだし、まだまだ力不足だと思うんだよね」

「うっ。確かに」


 その言葉にルカの脳裏にも昨夜の光景が想起される。

 カリュは平然と言うが、あれは完全なる敗北だった。

 たまたまリツが通りかからなければ。たまたまカリュが〈献身の護符〉を持っていなければ。

 いくつもの偶然という名の奇跡を経て、二人は無事に生還を果たすことができただけだ。


「だからまずは、お金を貯めて力も付けないと。準備をしてから、また挑戦しよう」

「そうだね。ルカも新しい呪文書買って覚える。杖も魔導効率が良いやつを買いたいし、防具も良いのを揃えたい」


 ルカが自身を見下ろしながら言う。

 彼女が現在習得している精霊術の呪文スペルは三つだけ。杖とローブも、価格を抑えた相応の性能しかないものだ。


「ボクも。双剣をせめて魔鉄鋼製にしたいなぁ」


 カリュもまた背中に交差させた双剣を見ながら言う。

 彼女の用いている双剣は鉄製の、言うなればごくごく普通の双剣だ。魔物の骨などはとても硬く、扱い方を誤れば刃を欠けさせるどころか、根元から折れる可能性も十分に考えられる。

 迷宮から産出される多分に魔力を含んだ魔鉄や、より純度を高めた魔鉄鋼などを用いた剣ならば、この先の階層のより強力な魔物にも対応できるだろう。


「どっちにしろ、ルカたちにはお金が足りないってことね」

「そうだね。だから、何か割の良い、お金になる依頼があればいいんだけど……」


 そう言ってカリュは掲示板に貼られた無数の依頼書を見渡す。

 彼女が言った割の良い依頼というのは、当然他の探索者たちも虎視眈々と狙っている。張り出された瞬間に捕らえなければ、すぐに他のパーティによって確保されてしまう。

 そうでなくとも彼女たちは先ほどまで黒猫堂に立ち寄っていたため少し出遅れているのだ。既にめぼしいものは粗方持って行かれてしまっただろう。


「……あんまり良いの無いかな。塩漬け寸前みたいなのばっかりだよ」


 カリュはぺしょりと耳を倒して嘆息する。

 塩漬け依頼というのは、割に合わないか危険度が高すぎるために誰も受けることなく、掲示板の奥へと埋もれてしまった依頼のことだ。

 当然、そういった依頼の中に彼女たちが求めるような要件を満たしているものはなかなか無い。


「はぁ、結局今日も眠り猪かな……」


 昨日も危なげなく倒すことができ、それなりに纏まった収入となった眠り猪。

 毛皮も牙も常に一定の需要があるため、依頼が無いという日を二人は見たことがない。

 そうしてカリュが眠り猪の依頼書を探して視線を彷徨わせていると、不意にルカが彼女の服の裾を引っ張った。


「ねえねえ、あの依頼見て」


 杖を握り、ルカは掲示板の一画を指し示す。

 カリュがその延長線へと視線を向けると、小人族の老人が今まさに新たな依頼書を貼り付けようと、長い竿を持ち上げているところだった。


「むぅ、見えない……」

「ああそっか、カリュって目が悪いんだっけ?」

「灰狼族の中だと良い方だよ。ルカとか、他の種族の人たちの視力が良いんだって」


 眉間に深い皺を寄せたまま、カリュが反駁する。

 彼女たち灰狼族グルフは体格に恵まれ、身体能力が高く、そして敏感な嗅覚と聴覚を持つ。その代わりとして、視力は他の種族に及ばない。

 嗅覚と聴覚によってむしろ斥候としては優れているのだが、いかんせんこういった日常の一幕で不便することも度々あるのが困りものだった。

 そんなカリュの為、ルカが真横で件の依頼書の題を読み上げる。


「第三層探索の護衛。当方、非戦闘職につき。だって」

「護衛依頼? それも第三層だなんて、珍しいね」


 ぴくりと倒れていた耳を起こしてカリュが目を丸くする。

 〈翡翠の奈落〉は初心者が経験を積むために通う程度には危険性の低い迷宮だ。とはいえ危険であることには変わりなく、時折護衛の依頼というものも見掛けられた。

 しかし、そういった依頼で対象となっている階層はもっと深く、十層以上である場合が多い。三層という浅い階層への来訪を目的とした護衛依頼はとても珍しかった。


「相場もそうおかしい訳じゃないし、受けてみない?」


 護衛依頼というものは、探索者にしてみれば単純な足手まといが増える類のものだ。そのため多少報酬が上乗せされていたとしても、他の探索者たちは依頼書を一瞥しただけで興味を失っている。

 しかしルカは好奇心が勝っているのか、爛々とオレンジ色の瞳を光らせていた。


「三階層……。護衛か。ルカが側に着いてて、ボクが先行して魔物を退治していけば、大丈夫かな」


 カリュが顎を寄せて思案する。

 三層の危険性と、護衛対象を抱えた自分たちの実力を天秤に掛け、冷静に判断を下す。

 その結果、


「うん。いいかもね」

「やった!」


 カリュが頷くと、ルカは小さく飛び跳ねる。

 そうして彼女は他の探索者に取られないうちに、と小走りで小人族の下へと向かい、貼られたばかりの依頼書を取ってきた。


「それで、依頼の主はどこにいるの?」


 ぴくぴくと細長い耳を震わせて戻ってきたルカに、カリュが尋ねる。

 大きく太い字で書かれた題の下に、依頼の詳細が書き連ねられている。それを読むところに依れば、依頼主は尖塔の外の広場にあるベンチで待っているとのことだった。


「えーっと、白衣を着てて、眼鏡を掛けてて、大きい斜めがけの鞄を持ってて……」

「あの人かな? 人間族ヒューマの女の人」


 依頼書を読み上げるルカの隣で、午前中の往来の中からカリュが一人の女性を見つける。

 よれた白衣を着て、細い銀縁の眼鏡を掛けている。ボサボサの黒髪は特に手入れもされておらず伸び放題で、抱えている大ぶりの鞄も年季が入っている。

 どこからどう見ても非戦闘職だ。


「あの、ルースさんですか?」

「おお? 依頼を受けてくださった探索者の方でしょうか」


 二人が歩み寄り、ルカが話しかける。

 ルースは少し驚いたあと、傾いた眼鏡を直しながら頷いた。


「自分は魔物の生態を研究しているルースです。今回は依頼を受けて頂き、ありがとうございます」


 そう言って彼女はぺこりと深く頭をさげる。

 つられるようにして、カリュとルカも自己紹介をした後に頭をさげて挨拶を交わした。


「ルースさんは、学者さんなんですか」

「ええ。とはいえまだ学生を終えたばかりの新米ですが」


 えへへ、と恥ずかしそうにルースは鼻の頭を掻く。

 若い身なりだと思ったが、どうやら彼女はカリュたちともそう年齢が離れていないようだった。


「学生って、もしかして王立学院?」

「ええ。エンディパースの自然科学部魔法生物学科でした。初等部の頃からずっと魔獣に興味がありまして、とはいえ人間の女はあまり強くはないので探索者にもなれず、むしろ学者の方が肌に合っていたらしく、気付いたらこのような職に就いていました」


 王立エンディパース学院というのは、ハーナライナが属する王国の首都に置かれた巨大な学院の名前だった。

 様々な分野において最先端を行き、優秀な教授たちと多くの将来有望な学徒を抱える、有数の教育機関であり研究機関だ。


「実はルカも学院卒なの! 魔法戦闘学部精霊術学科ですっ」


 ぴしりと片手を伸ばし、興奮した様子でルカが言う。

 そんな彼女を、ルースは目を丸くして見た。


「そうだったんですか! じゃあ学院ですれちがってたかもですね」

「あはは。どうだろ、あそこ広いから」


 同郷ということが判明し、ルカとルースは和気藹々と話し込む。

 一気に距離を縮めた様子の二人を、学院に通っていなかったカリュは少々の疎外感を抱きながら見守っていた。


「そうだそうだ。それで、ルースはなんで《翡翠の奈落》の第三階層に行きたいの?」


 随分話し込んだのち、ルカが思い出したように尋ねる。

 ルースもルースで忘れていたのか、慌てて事情を説明し出す。


「実は、眠り猪の生態レポートを作る必要がありまして」

「眠り猪の生態?」

「はい。あの猪がなぜ一日の大半を眠って過ごすのか、実はあまり研究が進んでいないんです」


 そう述べるルースの言に、カリュは驚きを隠せない。

 眠り猪は多くの迷宮の低層に生息している上、その毛皮や牙の需要が高い魔物だ。

 それゆえ、カリュたちにとってもなじみ深い存在であり、そこに未知の領域があるとは思ってもみなかった。


「なので、半日だけでもいいんです。眠り猪の観察を手伝って頂けませんか?」


 カリュとルカは互いの顔を見る。

 結論など、既に決まっていた。

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