第9話「翡翠の魔導具」

 カリュとルカは〈火竜の唄〉の二階の角にある小さな部屋に二人で寝泊まりしている。元々は長い間使っていなかった物置だったものを、稼ぎの少ない彼女たちにパールが親切にも貸してくれた部屋だ。

 東側の窓から差し込む朝日が、小ぶりな二段ベッドで眠る二人の横顔を覗く。

 普段、一番に起きるのはカリュである。

 だがその日は違っていた。


「カリュ、カリュ。朝だよ!」

「んん……」


 ゆさゆさと体を揺らす、小さな手の感触に彼女がうっすらと瞼を開くと、すでに装いを整えたルカがオレンジ色の瞳を輝かせて立っていた。


「あれ、今日は早いね」

「そりゃあね! 早く〈影猫堂〉に行こうよ」


 その名前を聞いて、カリュの頭も冴え渡る。

 飛び起き、毛並みを整え、いつもの服装に着替えたカリュはベルトにポーチを提げながら、


「よし、行こう!」


 ルカと共に階段を駆け下りた。


「おはよう、パールさん」

「おはよ!」

「あら、今日は早いね」


 酒場に下りると、そこにはすでにカウンターに立つパールの姿があった。

 カリュとルカはこの宿屋で暮らし始めて半年ほどだが、その間一度も彼女が眠っているのを見たことがなかった。


「今日はちょっと特別なんだー。じゃ!」

「朝ごはんはいらないの?」

「適当に露店で買うよ」


 慌ただしくドアを開けて出ていく少女たちを見送り、パールはふっと薄く微笑んだ。


 道すがら露店で買い求めたサンドウィッチを頬張りながら、二人は白草通りを足早に歩いていた。

 まだ日の昇り切らない通りは薄暗く、人影もまばらだ。


「ふふ、たのしみだねー」

「そうだねぇ」


 チーズとトマトのサンドウィッチをパクつきながらルカがこぼし、それにカリュも尻尾を振って相槌を打つ。

 カリュはエッグサンドを飲み込んで、


「翡翠石の研究がうまくいって、ボクたちでも買える値段の魔導具ができれば、きっと探索も楽になるよ」

「そうなったら、第四階層の聖騎士の亡霊も軽くやっつけちゃえるかな!」


 そんなことを話していると、通りの奥にひっそりと佇む〈影猫堂〉の玄関先にまでやってきていた。

 カリュがドアノックを鳴らし、少し待つと、ゆっくりと扉が開く。


「あ、カリュ! いらっしゃい!」

「ノアちゃん。おはよう」


 出てきたのは、白銀の髪を持つ小柄な少女のノアだった。

 カリュはひとまず昨日起きた出来事のあらましを伝え、ノアの魔導具とリツによって助けられたことに感謝の言葉を並べた。


「うふふん。わたしの魔導具のすごさが分かったかな」


 薄い胸を張る少女の言葉に、カリュは嘘偽りなく同意した。


「それで、その隣の子は?」

「この子はルカ。私の相棒よ」

「はじめましてー! ルカだよ!」


 ようやく視線を向けられたルカは、カリュの後ろから飛びだしてにっこりと笑った。

 彼女とノアはあまり身長が変わらず、並ぶと姉妹のようにも見える。

 溌剌な性格の似通った彼女たちは、二言三言話すうちに意気投合していた。


「とりあえず、中に入ろう。クッキーも焼いてるよ!」


 ノアに先導され、店内に足を踏み入れる。

 テーブルに着くと、ほどなくして店の奥からクッキーを持ってリツがやって来た。


「おはようございます」


 相も変わらず品の良い所作で動く彼女に尊敬の念を覚えながら、二人は早速本題に入る。


「それで、翡翠石の方はどうなりましたか?」

「うふふー。知りたい? 知りたいよね!」


 ノアは青い瞳をキラキラと輝かせ、身を乗り出してカリュをのぞき込む。

 若干気圧されながらもカリュが頷くと、ノアは懐から小さな魔導具を取り出した。


「じゃーん! 翡翠石を使った廉価版魔導具の試作第一号、〈ピカっと君〉だよ!」

「ぴ、ピカ……」

「〈ピカっと君〉! か、かっこいい……」


 あいかわらずのネーミングセンスにたじろぐカリュとは対照的に、ルカは爛々と目を輝かせていた。

 それは、小さな翡翠色の宝石が付いたネックレスのようにも見える。

 金のチェーンに銀の台座があり、その中にカットされた翡翠石が埋まっている。


「これはどういうものなの?」

「宝石を台座へ強く押しこんだら、眩しい光が一瞬だけ出る魔導具だよ。視覚がある魔獣なら、ひるませることができるの! 欠点としては、視覚に頼らない魔獣には効果がないことと、一度きりの使い捨てってこと、あとは目を瞑ってないと自分も怯んじゃうことだねー」


 ふむふむと頷き、カリュ達はネックレスを注意深く見つめる。

 〈翡翠の奈落〉はいくら翡翠石の光があるとはいえ薄暗い。

 その環境に慣れた魔獣に閃光を浴びせれば、大きな隙をつくることに繋がると考えたのだ。


「ちなみに、これ一つでいくらくらいかしら」


 たしかにこれが一つあれば、探索に少なくない安心感をもたらす。

 だが、使い捨てである以上ある程度の価格でなければ手が伸びないのもまた事実であった。


「うーんと、銀貨一枚ってとこかな」

「なっ!? そんなに安くていいの?」

「すす、すっごい安いね!」


 ノアの述べた金額に、カリュ達は目を見開く。

 二、三日働けばすぐに元が取れる金額である。


「核となる魔石は一袋いくらで売られてる翡翠石だし、魔術式も単純な刻印だから、技術料くらいなんだよね。構造も簡単だから、たくさん作れるし」


 何気なく言うノアに、二人は開いた口がふさがらなかった。

 それだけだという彼女の持つ技術は、どう考えても銀貨一枚では安すぎる。


「せめて、銀貨三枚くらいじゃないの?」

「うーん、でもそれだと高すぎないかなぁ」

「あんまり安すぎてもダメだよ。技術を安売りしてたらそのうちもっと買い叩かれるよ」


 そうかなあと難しい顔のノアをカリュ達がなだめすかす。

 安価で便利な魔導具が開発されることは、カリュ達にとっては歓迎すべきことだ。しかしだからといって安価すぎる上に上質な魔導具が販売されると周囲の魔導技師から要らぬ反感を買ったり、転売によって利益を横取りされたりする危険もある。


「それじゃあ、銀貨二枚と銅貨五十枚で」


 これ以上は譲らないというノアに、カリュ達が折れる。

 消費者が値段を上げ、生産者が値段を下げるという、なにやら不思議な値段交渉だった。


「それじゃあ、はい」


 カリュが財布から銀貨五枚を取り出してテーブルに置く。


「とりあえずボクとルカで二つ、頂けるかな」

「うん、いいよ。……はい」


 銀貨を受け取り、ノアが代わりに二つのネックレスを渡す。


「うふふー、かわいいねぇ」


 普段あまり装飾品を身に付けないルカが、カリュに付けてもらったネックレスを見て表情を崩した。

 カリュも首に鎖を回し、取り付ける。


「それじゃ、リツさん」

「はい、なんでしょうか」


 そうしてカリュは、傍でティーカップを傾けていたリツに体を向ける。


「このネックレスの正式名称を考えましょう」

「へ!? こ、このネックレスは〈ピカっと」

「そうですね。そうしましょう」


 いきり立つノアの口をそっと押さえ、リツが今日いちばんの笑顔を浮かべて頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る